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例)研究発表 生命科学科
[2005/04/11]
◇“満開”の笑顔に、春らんまん!

 2005年2月16日に、脳死者から提供された心臓の移植手術が、九州では初めて九州大学病院で行われ成功した。国内では今回で24例目、世界では数万例もあり、決して珍しくは無い。しかし、移植に頼るしか明日が無い患者。数千万円の費用を要する海外での手術も想定して、苦悩していたという家族。とりわけ九州で待機する移植登録患者や家族からは、身近なところで成功した今回の手術に、大変大きな意義があると喜ばれている。
その初の手術ドキュメントを以下に再現する。          
1997年10月施行された臓器移植に関する法律で、それまでの臓器移植が、家族から二つある腎臓のひとつを移植する生体腎移植および、心停止後に提供できる腎臓、角膜、骨、皮膚だけから、脳死後の心臓、肝臓、肺、小腸、腎臓、膵臓についても可能になった。
九大病院が、臓器移植法に基く脳死者からの心臓移植施設に認定されたのは2003年6月。本院には補助人工心臓をつけて入院して移植を待つ緊急度1の患者が3人、入退院を繰り返す2人が現在、待機している。
九大病院では、肝臓・腎臓・膵臓・角膜・骨・皮膚・骨髄の移植でも豊富な実績を持っている。これらの移植についても号を改めて紹介する。


写真説明  九州で初めて行われた心臓移植手術。



2005年2月15日午後3時15分。外出中の医学研究院循環器外科助教授、森田茂樹(50才)の携帯電話が鳴った。「先生、横浜でドナー(臓器提供者)が出ました。先生のレシピエント(臓器被移植者)が、今度の移植優先順番で1番なんです。受けられるかどうか1時間以内に連絡ください」
森田は、脳死移植認定病院や施設に任命されている心臓移植のコンタクトパーソン(連絡員)。相手は日本臓器移植ネットワークのTからだった。Tの穏やかな口調とは反対に、病院に駆け戻るまでの森田は、それまで何度も繰り返したシュミレーションを、はやる気持ちで反芻していた。心臓移植は他の臓器以上に時間的な重圧がかかる。手際よく進めなくてはならない。留学先のピッツバーグ大学では何度も経験済みの森田も、やはり緊張を隠せない。
午後9時35分。東京に向かう機内には、森田を含め7人の摘出手術班がいた。心臓摘出用機材も一切合切担ぎ込んだ。脳死判定後は、ドナーに対しての措置のすべてを、移植を行う側が受け持つ。
 翌16日午前3時46分。横浜市立大医学部付属市民総合医療センターで、森田の手でドナーにメスが入った。善意の提供による心臓は、果たして移植に耐えられえるか、心筋梗塞や狭心症を起こしてないかなど慎重にチェック。
一方、ほぼ同時刻ごろ受け入れ側の九州大学病院では、森田と同級生の心臓血管外科講師、益田宗孝(50才)がレシピエントの開胸手術に入った。すぐに移植できるように、人工心肺装置で全身の血液循環を確保しなければならない。益田はベルギーのルーバンカトリック大学留学後、冠動脈バイパスや弁膜症などの豊富な手術歴をもつ。
同5時23分。摘出された心臓はアイスボックスに慎重に保管。同8時32分。チャーター機で九大に到着した。
 同9時45分。いよいよドナーの心臓を植え込む手術に入った。同10時28分。移植された心臓に再還流の血液が順調に流れ始めた。これからが大変だ。人の体には、自分以外のものが血液や組織に入ってくると、これを排除する免疫学的攻撃、いわゆる拒絶反応が始まる。免疫抑制剤の投与量の調節が、移植成功の重要な鍵となる。2年半近く人工補助心臓に頼った男性の心臓は癒着がひどかった。腹部に出血させないように、人工補助心臓を慎重に取り除く。刻一刻過ぎる。移植した心臓が順調に拍動することを確かめる。肺、腎臓、肝臓などすべての臓器の機能をチェックし終えたのは、午後6時45分。13時間に及ぶ大手術だった。
「あっ、生きていたんだ」。術後の麻酔からさめた男性の率直な思いだった。やはり手術前の生と死の狭間で揺れた恐怖心はぬぐえなかったと、今は笑顔を見せる。
主治医の循環器外科助手塩瀬明(34才)らの手で、拒絶反応を抑えながら、逆に心配される免疫抑制に伴う肺炎や敗血症といった感染症も克服。15日目からはICU(集中治療室)から一般病棟に移ってリハビリに励む。「元気になったら花見に行こうね」。母と交わした手術前の約束が今年は果たせそうだ。

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