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例)研究発表 生命科学科
[2009/09/14]
◇医学部風姿花伝シリーズ12

 


 (写真1)大森治豊氏銅像/(写真2)大森治豊氏の東大医学部の卒業証書/(写真3)学位証書(クリックすると拡大します)

九州大学の前身・福岡医科大学初代学長の学位証書など貴重な資料を保存。

 九大病院は平成21年9月に外来診療棟が完成、移転してすっかり新築工事が完了する。その一角に、100有余年の変遷を回顧するかのようにたたずむ大森治豊像がある。山形県出身で明治36年、九州大学の前身となる福岡医科大学の初代学長・附属病院長を務めた。明治12年、東京大学医学部を第1回生として卒業後、福岡医学校に赴任、その後改組された県立福岡病院の院長、さらにこの病院を母体にした京都帝国大学福岡医科大学の設立に奔走して、今日の九州大学発展への礎を築いた。明治42年、この病院で61歳の生涯を閉じた大森学長の遺品や関係資料約250点が、遺族から寄贈されて九州大学の大学文書館に保存されている。 
医科大学設立に関わる資料から、本人の大学卒業証書、成績表、辞令、書簡、手記、写真、叙勲資料、園芸日誌、看病記録に至るまで多種にのぼる。とりわけ大学史・学術史として貴重なのが、明治12年10月に東大医学部を卒業した学位証書。明治12-18年の「東京大学」時代は、「学士」という学位証書と卒業証書がセットになっており、当時の医学関係の学位証書として、東大にも保存例がない。明治19年から近年までは「学士」は単なる称号とされ、「学士」が「学位」として復活したのは、平成3年4月の学校教育法改正からである。
没2年後の明治45年に、改称された九州帝国大学から追悼集として発刊された「故大森治豊先生記念録」(非売品)は、医師、研究者、教育者それぞれの立場での逸話が多く寄せられ、氏の人物像をうかがわせるだけでなく、当時の世相や大学内事情などを知るうえでも貴重な資料になっている。
関係資料から人となりのエピソードをいくつか拾ってみよう。
福岡医科大学設置翌年の明治37年、2回目の入学生があった。このうちの23人は、1高から東大医学部にいったん提出した願書を取り戻しての出願、入学だった。▽大森の大学は、懸賞で奨励するようなことをせず、特待制度も無く公平だ。▽気鋭の若い研究者が集まっている大学。▽大森は日本で最初に帝王切開手術をした。▽病院は患者に等級なく入院料は80銭均一だ。―などといった評判を聞きつけて、探究心旺盛な青年たちの向学心を奮い立たせて鞍替えしたのが動機だったらしい。
県立病院長時代は、▽衆院選挙に際して、所属する医師会がある候補者に推薦状を出したことが選挙干渉だとされて立腹、知事公舎に赴き「もし自分がこれで処分されることあれば、自ら候補者になる」と談判。▽風采の上がらない外見に患者から「遠方からわざわざ来たんだ。あなたではなく大森先生に診てもらいたい」といわれた。また大学病院の手術室に、石炭を利用した蒸気消毒装置を設置するなどアイデアマンでもあった―。
明治37年に、卒業する高校生が東京、京都、福岡の3医科大学へ公平に分配されるように求め、公憤あらわにクビを覚悟で文部大臣にしたためた辞職願(案)は、結局は未提出のようだが教育者の面目躍如である。病に倒れ入院から逝去までの20日間、一看護婦のつづった看病記録は、優しい目で詳細に記されている。

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