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例)研究発表 生命科学科
[2009/04/17]
◇ 長塚節の歌碑

 


 長塚節(ながつか たかし)は、明治30年代に頭角を現して、若くして正岡子規の根岸庵にも顔を連ねていた。日本で最初の農民小説の傑作『土』を書き、詩人、評論家としても優れた才能を発揮した人物である。ところが、長塚節の歌碑が同じ病院地区キャンパスの目抜き通りである稲田通り沿いに向かい合う形であることは余り知られていない。
 昔は内科の建物だった医学部基礎研究棟Aの正面右に、豊臣秀吉が千利休に茶を立てさせた“釜掛けの松”の碑がある[詳しくは、平成20年3月19日付の医学部風姿花伝シリーズ 6 千利休、箱崎浜で秀吉に献茶―を参照]。その筋向いの通りに面して長塚節の歌碑がひっそりとある。高さが50~60センチなので殆ど目立たない。碑に刻された歌は、針のように繊細な美しい筆跡である。
 “しろがねの はりうつごとき きりぎりす いく夜をへなば 涼しかるらむ”
「しろがねのはり」は「白金の鍼」で、鍼灸師が打つ「ハリ」のこと。「きりぎりす」は高校の古典の授業でも学んだことであるが、今の「こほろぎ」を指す。現代仮名遣いでは「こおろぎ」と書く。こおろぎは秋になると一匹、一匹が違った声で鳴くが、去年鳴いていたこおろぎの子供であろう。「一匹の、あの透き通った声を出すこおろぎが、幾夜を経ると(鳴くと)涼しくなるのだろうか」というのが歌意である。涼しさへの渇望が痛いほどにわかる。とともに、それは長塚節の生きることへの渇望でもあった。
 冷房がない時代の夏の病室がどんなに寝苦しかったか。天井に大きな扇風機がゆっくりと回っていたが、空気をかき回すだけで何の役にも立たなかった。ベッドの布団の下のマットの中身は藁(わら)だったので、流れる汗が布団をしみ通ってマットの藁を発酵させる。まさに蒸風呂だった。
 長塚節は肺結核が喉頭結核まで進んでしまい、夏目漱石の紹介で九大の耳鼻咽喉科の久保猪之吉教授の診療を受けた。久保教授はドイツ留学から帰った日本の耳鼻咽喉科の第一人者だった。しかし、喉頭結核は残念ながら当時の医学では耳鼻咽喉科に受診してもどうしようもない疾患であった。
 そのころの耳鼻咽喉科は歌碑のある場所―正門を入ってすぐ左へ曲がって2番目の棟―にあった。
長塚節は1915年(大4)の2月、九大病院の耳鼻咽喉科入院中に、36歳で永眠した。
ちなみに、当時の耳鼻咽喉科の建物は、九大医学部百年講堂の左側奥、同窓会間横にひっそりと建っている。
(2009年2月発行「ぐる-ぷ〝街〟」№211の<九大病院今むかし>から著者小山 亨氏の了解を得て、改変の上

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