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例)研究発表 生命科学科
[2009/03/11]
◇やあやあやあ<私の海外留学>岩熊智雄さん 42 (ルイジアナ州立大学アシスタントプロフェッサー)

 -海外留学って、そんなにも波乱万丈なんですか-。

「留学してわずか3年の間に4か所も研究室を変わった。留学12年目の今、5か所目にしてようやく少し落ち着いて研究できるようになった」。そう語る岩熊さん。昨年12月、福岡で開かれたシンポジウム「環境とゲノムをつなぐ細胞機能」に講演者として招へいされた。久しぶりの里帰りにお会いした。
 「治らない病気を治したい。人がやらないことをやりたい」。中学時代に医師を志し、九大医学部整形外科に在籍中から、主に小児に発症する骨のがん・骨肉腫の治療を研究テーマにした。生体防御医学研究所生化学部門では、DNA修復酵素メチルトランスフェラーゼが発がん抑制に関わることを研究。博士号取得後の1997年、希望に燃えて留学したカナダの大学だったが、わずか8ヶ月で研究室は閉鎖。波乱の留学体験の始まりであった。
師事した教授と新たに移ったアメリカ・フロリダの大学での研究は、やりたいテーマではなかった。次に自分で探した大学の薬学研究室は、著名なボスだったがここも1年で研究室閉鎖に。やっと専門の研究が出来るようになったのはその後、州立テキサス大学・MDアンダーソン癌センターに移ってからだった。
 ここで、がん抑制遺伝子産物であるp53の機能解析を行い、p53の機能が働かない遺伝子組み換えマウスの開発に成功した。この研究発表(参考論文)がきっかけになって、2005年、現在のルイジアナ州立大遺伝学教室に、テニュアトラックのアシスタント・プロフェッサーとして迎えられた。テニュアトラックとは将来、テニュア(終身雇用)に繋がる重要なポストで、自分の研究室が持てる。「100-200倍の競争率」(岩熊さん)だったそうだ。
 ところが、である。2005年8月、ルイジアナ州ニューオーリンズ市の新居に転居して3週間目だった。あの巨大なハリケーン「カトリーナ」がルイジアナを直撃、同市の8割が水没して住民への退去命令が出された。隣接のヒューストンに避難、就任したばかりの大学は2メートルも水没し、半年間の閉鎖に遭った。
 振り返れば、生後半年の長男を連れて一家3人で初めての海外留学。ほどなく勤務した研究室が閉鎖になった時には、給与も貯金もなく高額な医療保険が払えず、妻の歯の治療費さえ工面できなかった。転居したフロリダでは、住居近くの池から飛び出した2メートルものワニに出くわしたり、ヒューストンへの引越しでは安い運送屋に頼んだばかりに、荷物が着くまで1ヶ月以上もかかって、クーラーボックスをテーブルに寝袋生活―。そんなこんな波乱の連続だった。   
 現在、岩熊研究室にはポスドク3人、テクニシャンなど3人を抱える。研究費、給与まで一切を自分でまかなわねばならない。「ブッシュ政権下、研究予算を極端に削減されたアメリカで、研究費を獲得するのは至難の業」という中で、「骨肉腫の幹細胞を見つけて治療法を開発する」という歴史的研究課題へ挑戦し続けている。
一方で、岩熊さんは「家族が一番大事だ」と思っている。「収入は少なくても家族がハッピーであればね」。ひげの口元がやさしく笑った。

〈写真説明〉ルイジアナ州立大学の、自分の研究室がある臨床科学研究棟前で研究仲間と。(中央が岩熊さん)
〈参考論文〉 Iwakuma T*, Lang GA*, Suh A-Y, Liu G, Rao VA, Parant JM, Valentin-Vega YA, Terzian T, Caldwell LC, Strong LC, El-Naggar AK, Lozano G. *These two authors contributed equally to this study. Gain of Function of a p53 hot spot mutation in a mouse model of Li-Fraumeni syndrome. Cell 2004, 119 (6): 861-872.

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