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例)研究発表 生命科学科
[2008/09/03]
◇医学部風姿花伝シリーズ8 九大医学部の同窓会誌「学士鍋」(上)-その誕生まで。

  九大医学部の同窓会誌として「学士鍋」がある。歴史をたどれば、九大の前身である京都帝国大学福岡医科大学の開設から4年後、明治40年6月に刊行された「福岡医科大学雑誌」にさかのぼる。学友会雑誌部発行のこの創刊号を見ると、多くの原著論文や研究業績、研究抄録のほか、各専門学に関する内外の動向、学内人事、果ては学友会の弁論部や庭球部の活動報告まで、実に手厚く充実した内容に新設国立大学の気概、熱気を感じる。年4回の発行が隔月に、さらに月刊へと拡充する。
 医科大学雑誌は、大正9年に純粋に医学専門の学術誌となり、付録の学内関係の内容は、「学友会会報」という新たな機関紙に収容、発行された。昭和2年、医科大学雑誌の発行が学友会から九州帝国大学医学部(大正8年に学部名改称)の手に移った。そこで学友会では当時はまだ珍しかった臨床研究などを重視した「九大医報」を創刊した。巻頭言に久保猪之吉教授は「臨床講義や症例報告、医学教育問題、医者の社会的地位、病院の経営法、疾病保険の考察、防疫問題、食糧問題などすべきことは多い」と、今日を俯瞰(ふかん)した視点を述べ、九大医報の方向性を示している。一方で通信、随筆、和歌、学内外雑報など学友会会報も包含している。昭和19年、戦争によって中断したが同24年に復刊した。
 その後、学外の専門誌が増えるなかで、医学雑誌であり同窓会誌でもあるという性格を併せ持つ難しい運営となる。学内外では、医学部の同窓会がいまだに組織化されて無いという不満の声が強まり同35年、同窓会設立準備委員会が発足した。福岡医科大学時代から職員や学生の互助会組織「九皋会」が戦時下に「躬行会」に改称、同37年9月には発展的に解散して医学部同窓会が誕生した。これに伴って九大医報が正式な同窓会誌となった。
 ところが組織を揺るがす大事件が起きた。同43年6月2日夜、米軍ファントム偵察機が九大工学部構内で建設中の大型電算機センターに墜落、炎上した。全国に学生運動が高まる中で学内は無期限ストに入るなど紛糾。そうした背景から九大医報にも先鋭的論調が見られるとして、会員たちから同窓会誌としての存在に異論が続出した。同47年2月、同窓会会則が改正され、その際会員から学生を除くと同時に、同年6月には九大医報を見限って同窓会誌「学士鍋」を創刊した。表題としては、九大医学部卒業生を祝賀する開学以来の伝統行事であるブタ汁鍋会の愛称「学士鍋」を採用している。九大医報は41巻4号(同47年1月)が同窓会誌としての最後となり、その後は独自に発行されたものの、同55年に休刊したままになっている。

〈写真説明〉九大医報第1巻(黒表紙)と、同窓会誌として最後になった同41巻4号(左)。


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