教職員の方へ

TOP > 教職員の方へ > お知らせ・イベント一覧 > 詳細

お知らせ・イベント

キーワード検索
例)研究発表 生命科学科
[2008/03/19]
◇医学部風姿花伝シリーズ 6 千利休、箱崎浜で秀吉に献茶――千代松原をこよなくめでる。

  九州大学医学部、病院地区や周辺には歴史的な遺産が少なくない。「釜掛けの松」もそのひとつである。
 天正15年(1587年)、豊臣秀吉は九州平定に乗り出す。当時、九州では薩摩の島津義久の勢いが強く北上を続ける。豊後の大友宗麟の応援要請を受けた秀吉は、まず中国の毛利輝元、小早川隆景らを派遣しその後、自らも九州に入り島津軍を降伏させる。その帰りの6月、秀吉は筥崎宮に20日ほど滞在している。
滞在中、博多の豪商神屋宗湛らと何度か茶会を持った。6月18日、今は九大医学部や九大病院のある箱崎浜・千代松原で、千利休が茶会を開き秀吉に献じた。この史実は福岡藩の学者・貝原益軒の「筑前国続風土記」にも記述がある。松の枝に鎖をかけて、雲竜の絵柄の小釜をつるして松葉をたいた。
 この茶会には、当時「茶の三大宗匠」の一人、天王寺屋宗及(津田宗及)も堺から下っており、黒田孝高(如水・福岡藩祖)の叔父にあたる小寺休夢らが顔を連ねて詠じている。秀吉も二首詠んだ。このときの参会者の歌短冊7枚(写真)が、九大医学部そばの筥崎宮に保管されている。1本の巻物に表装・保存され、県指定文化財である。
 小釜をつるした松は「利休松」として伝えられ、現在は医学部基礎研究A棟前に跡地が「釜掛けの松」として顕彰されている(実際の場所はもう少し筥崎宮寄りだった)。
 秀吉はこの箱崎滞在では、戦火で焦土化してしまった博多の復興事業を指示、後に「太閤の町割り」として知られる。また筥崎宮には、このときに利休が奉納したと伝えられる石燈籠も保存され、こちらの方は国の重要文化財に指定されている。

〈写真説明〉①釜掛けの松茶会で詠まれた歌の短冊。秀吉の歌は右から2、3列目。「千とせをもたゝみいれをくはこさきの松にはなさく折にあはゝや」「あつき日にこの木のもとにたちよれはなみのをとする松かせそふく」②千利休奉納の石燈籠。

ページの先頭へ戻る