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例)研究発表 生命科学科
[2007/10/29]
医学部風姿花伝シリーズ5 ◇九大フィルと医学部、そしてアインシュタイン。

  九大フィルハーモニー・オーケストラは日本で最古のアマチュアオーケストラだと、ご存知だろうか。ドイツ留学中の東京帝大医科大学の榊保三郎助教授が、開設間もない京都帝大福岡医科大学(九大医学部前身)に精神病学教授として着任したのは、明治39年(1906年)。教授は直ちに学生たちと演奏グループを立ち上げた。これが九大フィルの母体となる。いわば医学部が生みの親である。平成10年には全日本大学オーケストラ大会で大賞を受賞するなど、その実力も知られる。ところが九大のキャンパス移転(平成17-31年度)に伴い、九大フィルは創設100周年となる2009年には、皮肉にも六本松キャンパスの音楽練習場を失うなど、いま存続を危ぶむ声さえ聞かれている。
 公式には明治42年(1909年)が九大フィルの設立年。創設時は榊教授自ら設計した精神病学校舎の講堂が練習場だった。教授は留学中もバイオリン指導を受け、ベルリンフィルを聴き、楽器や楽譜に私財を投入した。それを惜しみなくメンバーに提供した。若い仲間の音楽への情熱はほとばしり、大正13年(1924年)には、今では日本の年末恒例となった「ベートーベンの第九交響曲」を日本人の手で初演奏(第4楽章だけ)している。榊教授退官後は、後に九大総長となる荒川文六氏らのメンバーや、石丸寛氏(後に九州交響楽団の創設に尽力し音楽監督も務めた)らが指揮を取った。
 榊教授のベルリン時代。同じく楽譜を買い求める一人の男と偶然出会った。当時まだ特許局に勤務するアインシュタイン博士の若き姿だった。その縁で20年後、二人は福岡で再会する。大正11年(1922年)12月、博士はノーベル物理学賞が決定した後、日本に招かれて各地で講演した。福岡では九大(福岡医科大から九州帝国大に変更)での午餐会で九大フィルと博士のバイオリンと共演する計画もあった。ちなみに、博士はこの日本へ向かう船内で腹痛を起こし、ドイツ留学からの帰途だった九大医学部の三宅速教授(日本初の脳腫瘍摘出者)の診察を受けた。また博士の有名な相対性理論を来日に先立って、わが国に初めて紹介したのがドイツ留学で知り合った同工学部の桑木或雄教授である。九大との関わりが深い博士であった。来福当日、三宅、桑木両教授は門司から列車で福岡に向かう博士を、折尾駅まで出迎えている。
 九大は医学部を除いて伊都キャンパスへ移転する。九大フィルの現団員は学生ばかり約100人。合同練習場を失う上に、当分は箱崎キャンパスにいる法学、文学、理学部などの学生が伊都に通うには、車でも往復に2時間もかかる。100年の伝統の音色を守るためにこれから大学、フィル、OB会などが一体となって難題解消に、どんな連携のハーモニーを醸し出してくれるだろうか―。
<写真説明> 保存されている榊教授が購入したコントラファゴット(大正14年購入、写真左))とオーボエ(大正9年購入、写真右)。

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