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例)研究発表 生命科学科
[2006/09/07]
◇医学部風姿花伝シリーズ3 貴重なムラージュに馳せられる想い

 医学部の皮膚科には貴重なムラ―ジュが約120体保存されている。ムラージュとは蝋で作った人体や病気の模型。医学とは関係のない素人が感じ取ったままに製作、色付けをしているから、驚くほど精巧だ。今日ではアフリカの一部などでしか見られないが、極度の貧困と栄養不足から子供の口腔周辺が壊死する「水がん」など、資料的な価値も高い。カラー写真がない時代に、医学の講義には欠かせなかった。他大学では博物館入りしているが、医学研究院の古江増隆教授(皮膚科学)は「教材に使ってこそ意味があり、展示するものではない」として今も講義に使う。
 製作者は福岡美術会(大正11-昭和18)の創設者の一人だった画家の新島嘯風で、700体ほど製作したと記録にある。新島に関する資料はほとんどない。明治22年生まれ。アメリカ帰りの矢田一嘯(1858-1913)に洋画を学ぶ。矢田は「蒙古襲来絵図」(14枚のパノラマ画、福岡県指定文化財)など劇画風の作家として知られ、明治37年に元寇記念として九州大医学部に近い福岡市・東公園に建設された日蓮上人像台座にある7枚のレリーフ原画の作者である。また一緒に完成した近くの亀山上皇像を製作した彫刻家山崎朝雲(高村光雲の高弟)とともに、博多人形師の指導者でもあった。
 新島は、その矢田に学んだ後、明治42年から医学部の前身京都帝大福岡医科大学で、皮膚科のムラージュ製作に携わった。帝展に入選するほどの実力者が、なぜムラージュ製作に関わったかは、定かでない。ただ当時、中山森彦・平次郎という著名な兄弟教授が同医科大にいた。いずれも東大卒後、外国留学のあと赴任してきた。森彦は美術品コレクターで、第1回福岡美術会展の審査委員長も務めている。同美術会評議員の一人が新島だった。二人に美術を通じた交流があったのかも知れない。一方、平次郎は、考古学者としても多くの業績を残し、「元寇防塁」の名付け人でもある。東公園や九州大学医学部一帯は、元寇の古戦場だった。保存されたムラージュが、九大医学部の発展だけでなく、博多の歴史、文化との関わりへと想いを馳せてくれる。新病棟建設に伴い、今後どう保存するかなど学内論議はこれからである。保存の意義は大きい。

〈写真説明〉
▽新島が出入りしたころの京都帝国大学福岡医科大学の正門(明治42年撮影)
▽ ムラージュの1例。鼻の悪性腫瘍を表すが、驚くほどリアルだ。

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