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例)研究発表 生命科学科
[2005/09/30]
◇医学部風姿花伝シリーズ1 “世界のイノ・クボ、自宅は文化サロン”

  九州大学病院構内には、世界的な業績を挙げた教授の名を付けた通りが5本ある。久保通りもそのひとつで、脇には唯一記念館もある。久保猪之吉博士(1874-1939)。東京帝国大医学部卒後、ドイツ留学を経て明治40年、九州帝国大の前身である京都帝国大学福岡医科大学の初代耳鼻咽喉科教授に就任した。その輝かしい業績は、九大病院の耳鼻科ホームページに詳しいので、ここでは久保博士にまつわるエピソードを少し。
 博士の夫人より江は、四国松山市出身。松山中学で英語教師だった夏目漱石が、より江夫人の祖父宅の離れ2階に下宿、1階には正岡子規も居候していた。当時12歳だった夫人は漱石らの句会をのぞいたり、一緒に狂言に行くなど可愛がられる。明治45年3月、漱石の紹介でアララギ派歌人長塚節が、喉頭結核の治療に久保を訪ねた。以来、長塚は大正4年2月8日、37歳で亡くなるまで九大付属病院で入院や治療を繰り返した。イノ・クボの治療には国内外の要人が絶えず、自由党総裁板垣退助もその一人だったそうだ。
 博士は採取した蝶に名前が付くほどの蝶収集家。夫妻そろって歌人、俳人でもあった自宅は文化サロン。石炭王伊藤伝右衛門を断ち、恋の逃避行に走った柳原白蓮や杉田久女も、親しく出入りしていた。記念館近くには博士の歌碑もあるが、立体駐車場の裏手にひっそり、いまや知る人は少ない。長塚が逝去した隔離病棟、今の薬学部前あたりに彼の歌碑がたたずむ。

写真1 ひっそりとした久保博士の歌碑。「霧ふかき 南独逸の朝の窓 おぼろにうつれ 故郷の山」
写真2 長塚の歌碑。「白銀の鍼うつごとき きりぎりす いく夜はへなば 涼しからなむ

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