橋本 策

  橋本 策(ハカル)先生(1881-1934)は明治14年三重県阿山郡西柘植村(現伊賀町)の医家に生まれ、旧第三高等学校を経て九州大学医学部(旧京都帝国大学福岡医科大学)に進み、第1回生として1907年に卒業された。外科学第一講座(三宅 速教授)在局中にリンパ球浸潤に富む特異な甲状腺腫に着目、大正元年(1912年)、ドイツの外科学雑誌に報告した。ドイツ留学されたが第一次世界大戦のために帰国、帰郷して医業を継いだが昭和9年盛業半ばで腸チフスのため急逝された。後年その独立性が認められ、さらに自己免疫病という概念の登場とともに、その代表的疾患となった「橋本病」にその名を残している

中村 雅史
(臨床・腫瘍外科分野(旧第一外科)教授)
田中 雅夫
(下関市立市民病院理事長)
佐藤 裕
(国東市民病院管理者)

作成者:森山 大樹(国際医療部(臨床・腫瘍外科分野))

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