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ごあいさつ

教室の歴史

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中村教授時代

はじめに

九州大学医学部に心臓血管研究施設が設立されたのは、昭和33年4月のことであった。その当時は現在のような臓器別専門診療科といった考えの乏しい時代であった。ことに、心臓血管系の専門、いわゆる循環器専門という点では日本国内を見渡しても、それを専門とする研究施設がまだなかった時代である。そのような中、この九州大学医学部に全国の医学部に先駆けて、この心臓血管研究施設が設けられたのには以下の様な理由があったように思われる。

1.それまでの九州大学医学部には、わが国にいち早く心電計を輸入し臨床に応用された稲田龍吉教授、呉建教授、日本循環器学会の創立の労をとられた金子廉次郎教授、特殊刺激伝導系を発見された田原淳教授、循環器生理や薬理の研究で名高い石原国・操坦道・福田得志の各教授を輩出し、循環器学に関する研究が伝統的に発展していたこと。

2.ベクトル心電図の研究を進めていた元久留米大学木村教授(当時の第一内科助教授)を中心とした臨床生理研究室に昭和27年より毎年100万円の研究費が文部省より支給されていたこと。

などが考えられる。

開設と同時に当時の医学部長遠城寺宗徳教授が施設長を併任され、直接開設の労をとられた第一内科山岡憲二教授が施設の初代教授として併任された。その後、天児民和、宮崎一郎各歴代医学部長が施設長を併任されると共に、循環器学に関連の深い基礎と臨床の多数の教授が併任教授として、心臓血管研究施設の発展と円滑な運営の為に力を注がれた。そして、昭和38年に中村元臣先生が初代専任教授に就任された。

中村教授時代

中村元臣教授の時代、研究は当初、実行可能なものということが第一の条件であったが各方面からの援助、特に生命保険協会、米国公衆衛生局(NIH)、米国ハーバード大学、米国ロックフェラー財団、三島海運記念財団等よりの援助により徐々に人も物も整えられていった。このころは、教授1名、助教授1名、助手2名の計4名のみの小所帯の教室であった。開設当時の心臓血管研究施設の状況をふりかえって、中村教授は『当初は何もなかった研究室』あるいは『第一内科教室に間借りしていた』と表現されている。

その後、研究施設の設備、人の拡充をはかっている間に5年少々が過ぎていった。心臓血管研究施設開設当初は研究のみを行う施設であったが、ベッドサイドリサーチの重要性から診療科併設に向けて中村教授をはじめとして多くの先輩方が力を注がれた。そしてついに昭和40年4月よりベッド21床、講師1名、助手3名の定員が認められ、診療部門、いわゆる循環器内科を併せ持つに至ったのである。創設当時の循環器内科病棟は現在の医療技術短期大学のある場所にあった旧内科病棟の北2病棟であった。そして、翌昭和41年4月に学生ベッドサイド教育が始まった。ここに、九州大学医学部附属心臓血管研究施設は臨床診療科循環器内科も併せて診療、研究、教育を行う体制が始まったわけである。更に昭和42年には診療科としての循環器内科に研修医の受け入れを開始した。当時は日本が戦後の荒廃のなかから復興し、ようやく神武景気の時代に入っていくころであり、時を同じくして心血管研究施設、循環器内科は研究、臨床、教育の環境ともようやく体制を整え、これから一層の飛躍を、というような状況であった。しかしながら、昭和42年末より大学紛争に入り、昭和50年代に入るまで研究を中断せざるを得ないような時代も経てきた。

そのようななかで昭和48年には心臓血管研究施設外科部門とその診療科として心臓外科が開設され、昭和49年からは徳永皓一先生が初代専任教授になられた。昭和54年10月には関連する施設として冠動脈疾患治療部(いわゆるCoronary Care Unit:CCU)が中央診療部門として九州大学医学部附属病院に新設され循環器疾患の救急医療に対応していく体制となった。当時、全国の国立大学でCCUを整備したところはなく、全国に先駆けての誕生であった。更に昭和62年8月には心臓血管研究施設臨床細胞科学部門が開設され、昭和63年に金出英夫先生が初代専任教授に就任された。これにより、心臓血管研究施設は、内科部門、外科部門および基礎研究部門を併せ持つ、心血管病に対する総合的な診療・研究施設になるに至った。

中村教授は当初、血管壁代謝、心筋代謝の研究を精力的に行われ、動脈硬化の成因、冠循環、ことに冠動脈スパスムモデルの開発にエネルギーを集中された。優れた研究業績は国内外で認められてきた。また、中村教授の下、心臓血管研究施設の創成期に多大な貢献をされた森博愛徳島大学第二内科教授のほか、ヒトアンギオテンシノーゲンを単離しその構造を初めて明らかにした荒川規矩男福岡大学第二内科教授、心電図を中心とする臨床研究を展開された黒岩昭夫産業医科大学第二内科教授、九州大学医学部に新設された医療情報部教授として野瀬善明先生など多くの人材が当教室から輩出していった。

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