九州大学病院検査部  2005年12月28日
検 査 だ よ り
第28号

■検査の充実を目指して■
   検査部技師長 栢森 裕三 

 前号では臨床検査に特化したISO 15189について簡単に触れました。ISOとは何ぞや?と思う方もいらっしゃるかもしれません。正式名称はInternational Organization for Standardization、国際標準化機構という日本名で呼ばれています。もとをたどれば世界貿易機関(WHO)が国同士の貿易障壁をなくすために作ったもので、世界規格を作りそれに各国が合わせることで貿易が盛んになるという論法です。これには計測に関係する重さ、長さ、温度などの基準も関係しています。例えば、日本で100gの金塊がアメリカでは1kgに相当するとなると大きな経済的混乱を招きます。長さも同じで、同じ長さを国が違って別々の長さで呼んでいたのではまともな貿易などはできません。基準や規格が同じになって初めて同じ価値観が共有でき、障壁がなくなります。ISOにはいろいろな規格があります。最近、企業の主催する研究会や講演会などで組織を活性化し、効率的な組織運用を行うためのいろいろなツールが紹介されていますが、その中の一つで良く耳にするのがISO 9001品質マネジメントシステムです。何をするものかと言いますと、要は従来組織で行っていた「組織の方向性を明確にする」、「個人や部門の権限と役割分担を明確にする」、「情報伝達をはっきりさせる」など当たり前のことを文書化し、記録として残す。情報伝達が十分できないならば、何故できなかったかを明確に文書として残し、記録、改善する。明確なトップダウンによる方針・目標に対してPlan, Do, Check, Action (PDCA)サイクルによる組織の活性化、効率的運用を目的にした制度です。これは多くの企業や組織が取得しています。また、病院関係でも熊本大学病院、徳島大学病院、その他民間の病院も取得しています。組織を活性化し、業務改善を通して安定した医療サービスが提供できることで顧客である患者さんにアピールすることができます。また、臨床検査室に特化したISOもあります。2003年に制定されたISO 15189で、従来の品質マネジメントシステム要求事項であるISO 9001と、技術的能力があり分析試験結果の品質を保証するISO 17025 (試験所及び校正機関の能力に関する一般的要求事項)の性質を併せ持つものです。このISOは欧米を中心に、アジア、豪州ではすでに多くの検査室で取得され運用しており、日本での取得状況は現時点で11施設、大学病院として唯一、北海道大学検査部がつい最近取得しました。これは、検体採取から検査結果の報告まですべてに渡って明確に国際的なマネジメントシステムの要求事項に従って行います。その結果、技術能力が評価され国際的な検査の品質と比較できますので、検査データに対する信頼性が向上します。また、組織に属する部員の責任が明確になりますので、組織の一員としての自覚が生まれ、組織の活性化、効率的な組織運営ができます。さらに、患者様へのサービスも大きいものがあります。技術的能力のある検査室をもつ医師により診察を受けることで、診断・治療等のリスクを最小限に抑えることができる。診療に対する安心感・信頼感が高められる。多くのメリットが得られます。
 我々の検査部もこの制度を取得すべく、現在部員一丸となって邁進しており、この制度をいち早く導入することで各診療科へのサービスと引いては患者サービスの貢献をしたいと考えております。

■お知らせ■
 下記の項目がRI検査室で行われていましたが2006年4月1日より外注検査となり、検査部で管理することになりました。検査部院内検査への取り込み、基準範囲の変更があるかもしれませんがその時はまた、お知らせします。
 項目名のみお知らせします。

 サイログロブリン(Tg)、サイロキシン結合グロブリン(TBG)、TSHレセプター定量
 SCC、NSE、エラスターゼ1、ガストリン、ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)
 インタクトpTH、PRA(レニン活性)、アルドステロン血清、アルドステロン尿
                              以上、12項目です。
                                    (文責 豊福 連絡先 5771)

正しい検体の採取から検査部まで−その18
( 濱崎直孝 )

 今回は検査室の安全基準について纏めてみます。検査室の安全基準といっても検査室に働いている人々だけではなく、地球にやさしい検査室へということです。


検査室の安全基準:検体・試薬の廃棄、注射針・検体容器の処置
 検査室で働いている人々自身にも、それ以外の人々に対しても、安全に気を配り、検体・試薬の廃棄や注射針・検体容器の処置については一定の安全基準に従って処理する必要がある。 CLSI (旧NCCLS) は検査室の保守・点検に関するガイドラインを定めている(NCCLS Document GP 17-T, 14(5), 1994)。 一般的な安全基準、アイソトープや劇薬に対する適切な標識、ガスボンベの取扱い方、発癌物質の取扱い・廃棄法、感染性微生物の処理など様々なことについて注意を喚起している。その中で、検体・試薬の廃棄、注射針・検体容器の処置について概略する。

注射針などの処理
 安全剃刀や注射針などは洩れない、針や刃が突き刺さらない固い容器に入れて廃棄すべきである。容器には適切な標識をして、誰にでも認識できるようにしておく。原則として、注射針を折り曲げたりしない方がよいし、キャップを付け戻し(リキャップ)せずに捨てるべきである。しかしながら、リキャップしなければならない時は指を傷つけないで安全にキャップの付け戻しができる工夫が必要である。

容器と検体の処理
 血液を含む検体チューブはバイオハザードバッグに入れて、オートクレーブをかける。オートクレーブをかけたバッグは洩れないように容器に入れしっかり締めておく。尿、吐瀉物、大便などの排出物はトイレに流し処理する。血液を含む検体バッグはバイオハザード様の容器にいれ焼却する。

試薬の廃棄
 使用済みの試薬等の化学廃棄物には発火性、腐食性、反応性、毒性などの性質がある。発火性のある廃棄物として挙げられるものにはアルコール、アセトン、キシレン、トルエンのような有機溶媒、過酸化物や硝酸塩などの酸化剤、ブタン、シラン、水素などの揮発性ガスなどである。このようなものには、適切なラベルをつけて廃棄する。
 発火性のある薬物を流しやトイレに流してはいけない。少量の水溶性薬品は多量の水を流しながら流しに流してもよい。発火性のある薬物は指定の廃棄業者が集めにくるまでは耐火性のドラム缶に入れて保存するのがよい。エーテルや塩素化合物は別々の容器で保存しなければならないが、その他は同一容器に貯めておいてよい。硫酸、塩酸やリン酸のような酸やアンモニアのような塩基は腐食性である。毒性・腐食性・発火性のある薬物を保存剤として用いてはいけない。       
 高濃度の酸に尿を加えてはいけない。尿に酸を混ぜるときは尿の容器に酸をゆっくり流し込むべきである。即ち、尿を塩酸中に集めるときは、貯めた尿に塩酸を加える。強酸や腐食性の薬物を廃棄する場合は大量の水を流しながら流しに捨てる。重金属のような毒性のあるものを捨てると環境汚染になり、我々の身に危険を及ぼす。日本を含めアメリカやヨーロッパの国々では、このような薬物の空気中、水中、食物中の最大許容濃度を定めているのでその指針に従う必要がある。最後に、緊急時や個々の薬物の情報を知らねばならない時のために、各検査室ではこのような危険物に関するリスト (material safety data sheets; MSDS) を作成しておかねばならない。
 

♪ちょっと一息♪                      ペンネーム:白いかもめ
 検査部鉄分検査室よりK

《頭端駅》

 今年は山手線の環状運転が開始されて80周年にあたる。
80年前の大正14年(1925)11月1日神田−上野間の高架線工事が完成し、山手線の環状運転が開始された。1周を開業時72分で走った。蛇足ながら同日に御徒町駅も開業している。関東大震災からの復興の時期にあたり、近代都市としての東京の骨格が形成された。
 山手線は、1周34.5 kmで、1周約61分を要する。環状2本鎖DNAであるミトコンドリアDNAであれば、L鎖、H鎖となるところを、左通行なので時計回りが<外回り>、反時計回りが<内回り>と呼ばれている。鹿児島本線のように博多行きなどと運転方向を特定の駅名で表示することが、環状線ではできないからである。
 1編成の列車は、平均13周、最大20周走行して車庫入りする。ラッシュ時約2分30秒、日中約4分の運転間隔で運行されている。
山手線の読みは、GHQ時代には<やまてせん>であったが、現在は<やまのてせん>で統一されている。
運転系統としての環状山手線は、線路名称としては一つの線名ではない。品川−新宿−池袋−田端間は山手線、田端−上野−東京間は東北本線、東京−新橋−品川間は東海道本線と複合した線区を走っている。これは、出生に由来している。はじめから環状線として建設されていれば、線路名も山手線になっていたかもしれない。
 明治5年(1872)に新橋−横浜間の開業で日本の鉄道の営業が始まったが、明治22年(1889)東海道本線が神戸まで全通し、明治16年(1883)日本鉄道の上野−熊谷間が開通した。この時点ではまだ東京を貫通し連絡する線路は存在していなかった。新橋−上野間は、馬車や人力車で結ばれていた。その後両者間を連絡する線路が漸次建設され、80年前についに環状運転が始まったのだった。

 この首都圏の山手線の連想から鉄道の先進地のヨーロッパの首都圏でも同様の環状線が存在していると考えるかも知れないが、そうではない。
 ヨーロッパに足を運び鉄道を利用されたことがある方であれば、御存知のように放射状に各方面と連絡する列車が発着するターミナル駅が存在するのみである。東京の場合は、各ターミナル機能を持つ駅が環状の山手線で連絡し、近代的国家レベルの交通網を形成するように発展してきたのだった。
 例えば、ロンドンにはターミナル駅が、ウオータールー駅やキングクロス駅やヴィクトリア駅など13駅ある。これでは鉄分高値の人にも使いこなすのは大変そう。
 ロンドンから鉄路でパリに行くには、ウオータールー駅に行かなくてはいけない。平成6年(1994)5月6日にドーバー海峡を跨ぐユーロトンネルが開通し、両都市間を<ユーロスター>が同年11月14日から運行しだした。チャールズ・ディケンズの<二都物語>をつい連想させられる。当時の交通事情を知りたい方には一読お勧め。この両都市間を、ディケンズの時代と異なり現在は<ユーロスター>が、最速2時間40分で結んでいる。博多から新幹線で新大阪に行くような時間距離になっている。ところで、この<ユーロスター>に乗るための駅を間違ったら大変なことになってしまう。ロンドンのターミナル駅は13駅もあるのだから。東京であれば乗車駅を間違っても山手線で速やかに移動できる。ロンドンではどうするのだろう?その役を受け持つのは地下鉄網である。
 ロンドンを発した<ユーロスター>は、ロンドン駅を出発しなかったようにパリ駅には到着しない。北駅に到着する。パリの鉄道駅もロンドン同様放射状に各方面に連絡するターミナル駅が存在する。パリには、モンパルナス駅、リヨン駅などターミナル駅が6駅ある。パリもまた各ターミナル駅間は地下鉄網が連絡している。リヨンにリヨン駅があるのではなく、パリにリヨン駅がある。リヨン駅からはリヨン方面の列車が発着する。東京に東京駅、大阪に大阪駅があるようには、ロンドン駅もパリ駅も存在しない。日本の鉄道は、独自の発達をしたのだった。環状路線の存在は、鉄道利用の使い勝手を飛躍的に高め日本独自の鉄道文化に貢献している。
 在来線で東京駅に到着してもレールは更に延びていてターミナル駅に着いた感覚を持ちにくい。<線路は続くよどこまでも>が、日本の多くのターミナル駅の佇まいなのである。
 ターミナル駅らしい駅の佇まいを見るには山手線内であれば、上野駅がお勧め。
 東北新幹線、上越新幹線、長野新幹線が発着するようになる前は、上野駅から長距離列車<とき>や<やまびこ>や<ひばり>などの在来線特急が大変な本数発着していた。そのホームは櫛状に並んでいる。ロンドンやパリのターミナル駅のホームも櫛状で行き止まりになっている。こういう形状になっている駅のことを<頭端駅>という。線路が途切れた構造ではるばる一方の端までやってきた実感が湧いてくる駅である。上野駅のホームには、石川啄木の有名な、

     ふるさとの訛なつかし
       停車場の人ごみの中に
         そを聴きにゆく

の歌碑がある。頭端駅にふさわしい。<線路は続くよどこまでも>型の駅では雰囲気が今ひとつかもしれない。

 さて、旅好きの人の中には、最果て指向の人がいる。
 最果て気分を味わいたい人は、行き止まり感覚が実感できる岬や離島が好きだったりするもの。鉄道でこの感覚を味わえるのは、この頭端駅である。
 例えば、国鉄時代の最西端駅は、田平駅であった。松浦線の駅である。現在は第三セクターの松浦鉄道たびら平戸口駅と改称しているが、この駅は松浦線の途中駅で<端っこ>感を実感しにくい。第三セクターで松浦線が切り離されJRの最西端駅は、佐世保駅となった。これまた松浦鉄道に連絡しているため<端っこ>感に乏しい。
 これに対して最北端駅は、宗谷本線の稚内駅である。ここはりっぱな頭端駅。駅を降りてまっすぐ北に行けば、宗谷海峡にドボンとなる。鉄道で最果て感御希望の方は、今すぐ稚内行きの切符を買って行かれることお勧めである。特に冬場の車窓風景は、最果て感を増幅すること間違いなし。小林旭が歌って有名になった宇田博作詞作曲の元旧制旅順高等学校寮歌の<北帰行>でも口ずさめばもう完璧!

 稚内まで行くには時間もお金もない人は、もっと近場で<端っこ>感を味わえるところがある。国鉄の鉄道網を引き継いだJRは、全国を網の目で覆っているため多くのターミナル駅は頭端駅の形式ではない。それに対して地域鉄道の私鉄の多くは頭端駅のターミナルを形成している事が多い。西日本鉄道の福岡(天神)駅も頭端駅である。天神大牟田線とその支線の太宰府線、甘木線の終点も頭端駅を形成している。
 西日本鉄道の歴史は、先行する鉄道会社の合併の繰り返しからなっている。その過程は煩雑になるのでここでは割愛するが、支線の太宰府線の最初は、太宰府馬車鉄道であった。太宰府−二日市駅前間に明治35年(1902)3月15日に開業し、昭和2年(1927)に電化された。結構馬車鉄道時代が続いたのであった。
 江戸期福博の人々も宰府詣と称して太宰府天満宮の参詣に行っていた。江戸期神社仏閣に参るのは、宗教的な活動であると同時に娯楽でもあった。現在は、福岡(天神)駅から特急ないし急行に乗車し、西鉄二日市駅で太宰府行きに乗り換え30分ほどで到着する。江戸期は、徒歩で半日の行程であり日帰りは可能であるものの、一般には1泊していたようである。福岡都市圏では、もっとも規模の大きな門前町を形成する参道の店の佇まいは江戸期は宿主体であった。大宰府宿泊でない場合は二日市温泉で1泊していた。鉄道の出現で参道の景観が激変し、現在のような姿になった。
 先日、10月16日に太宰府に九州国立博物館が一般公開を開始した。国立博物館としては4館目である。東京国立博物館は明治22年(1889)、奈良国立博物館は明治28年(1895)、京都国立博物館は明治30年(1897)と相次いで開館した。岡倉天心が、明治32年(1899)九州に国立博物館の必要性を訴えて百年の時を越えて誕生した博物館である。
 開館記念展の<美の国 日本>は、10月16日から11月27日まで開催され44万人が訪れた。予想を超える動員数で平日も太宰府の道路は混み、駐車場も満杯となった。開館記念第2弾として元旦より4月2日まで<中国 美の十字路>展が催される。
初詣のついでに九州国立博物館を訪れてみてはいかがであろうか。正月の太宰府は、道路は大渋滞となり地元民はこの時期車の使用不能に陥っている。正月は、鉄道利用がお勧め。福博の<端っこ>の奥座敷の太宰府の気分を頭端駅の太宰府駅で体感できる初詣経路である。盆地状の太宰府は、冬は底冷えがするので、ホームに降り立つその寒さでいっそう<端っこ>感が噛みしめれる。帰路は参道の茶店で暖を取る事をお勧めする。そこには、香ばしい香りの梅が枝餅が待っている。
                           (つづく)

■実習を終えて■

 春日市の中山医院より若い二人の実習生を迎えました。実習期間は2週間、実習内容は主に血液の形態学です。実習を終えての感想を寄せていただきました!!


 2週間九州大学病院で実習をさせて頂き大変勉強になりました。血球の形態を観察するには、血液細胞の一つ一つの機能を考え、その標本の染色性や細胞の形態が何をあらわしているのかを踏まえた上で鏡検することが、より一層の理解に繋がるということを教えて頂いたことがとても印象深かったです。また、標本の作製や鏡検の仕方など基本的なことから、白血病などそれぞれの病気の特徴的な所見まで詳しく丁寧に教えて頂き、一日一日が本当に勉強になりました。実際に臨床の場に出て、自分達でルーチンをするようになってから今まで分からない事がたくさんあったのですが、それらも質問することが出来ましたし、これから自分達がどういう勉強をすべきなのかという目標も立てることが出来ました。検査技師として、これからの仕事に繋がるこのような素晴らしい機会を与えて下さり本当にありがとうございました。     (中山医院 野中・横山)

■生理検査室よりお知らせ■
 来年3月下旬に、現在 外来棟2階と南棟2階にある生理検査室が、すべて北棟2階に移転します。入院・外来すべての患者様について、原則として北棟で検査することになります。ご迷惑をおかけしますが患者様への案内等、ご協力よろしくお願いします。  (文責 服部 連絡先 5764)

★アメリカ留学記 (一日の生活編)★ 検査部研究員 隈 博幸
 私の留学先はアメリカはアーカンソー州の州都・リトルロックという町でした。アメリカ合衆国でも比較的南部に位置するこの州は、人口約200万人、黒人比およそ8割、州民の平均年間所得が50州中49位と、経済的にはかなり苦しい様子でした。「留学」したわけですから、朝早くから夜遅くまで研究活動に励むべきなのですが、前述のような特殊な事情もあり、そういうわけにもいきませんでした(決してさぼって遊んでいたわけではありません)。そこで今回は、私が赴任先で普段どのような生活を送っていたか時系列でご紹介しましょう。
 朝6時30分、起床。朝食をとりながらテレビをつけ、CNNなどで社会の動きや事件などをチェック。しかし半分くらいわからない。仕方ないのでウェザーチャンネル(天気予報専門のテレビ局)にチャンネルを変え、今日の天気をチェック。ちなみに冬の場合、この時点で雪が数センチ積もっており、かつ天気予報が「雪」だった場合はお休み。南部の田舎町ですから冬には大変弱く、交通機関も車以外にないためお店や会社の大部分は臨時休業してしまいます。学校は当然休校。というわけで、またベッドにもぐりこむ。そうでない時は、出かける仕度。7時30分、家を出る。もともと人口が少ないので、交通渋滞など全くない。快適なドライブ。
 7時45分、大学着。職員専用のパーキングに車を停め、巡回バスにてキャンパスへ。大学の敷地が広いため、駐車場が遠い。大学内には5分おきに学生・職員専用の巡回バスが走っており、教室間の移動などもバスで行われることもある。冬は寒くて不便だ・・・
 8時、実験開始。アメリカ人は総じて朝が早く、帰るのも早い。他の教職員も8時にはほぼ全員出勤している。勤務終了後のプライベートタイムを大事にする人種ならでは、であるが、普段だらだらと公私の区別がつきにくくなりがちな我々研究職にはメリハリがあって良い習慣である。
12時、昼食タイム。大学病院地下のカフェテリアへ行く。日替わりランチコーナー、ホットドッグスタンド、スープバー、サラダバーなどが並んでいる。日替わりランチは個人的に「不味い」と思っているので、ホットドッグやハンバーガーがメイン。弁当の日も多い。レジで並んでいると、ハーゲンダッツのアイスクリーム(大・550ml)とダイエット・コークの特大(見た目750mlくらい)とサラダを持って並んでいる人がいる。痩せたいのか、そうでないのか全くわからない。理解に苦しむ。
 13時、実験再開。今日はRIを使う。が、大学の実験室そのものがP2だったりするので日本のようにRIセンターに移動したりする必要がない。楽といえば楽なのだが、こんなんで大丈夫か、と思うこともしばしば。もちろん研究員全員にオリエンテーションがあるのだが・・・。
 17時、実験終了。明日の計画と準備をして、帰宅の仕度。「えっ、もう?」とお思いの方もいらっしゃるだろうが、これが普通。8時に来る連中のほとんどが午後4時に帰っており、フロアはかなり静か。私も来た当初は張り切っていた。しかし午後7時になって周りを見渡すと、誰もいない・・・。もちろん大学の付属病院と連結しているので、少数の当直医師などはいる。そして大多数のでっかい黒人たち。話してみると人の良さそうな連中が多いのだが、ぱっと見はやはり怖いし、大勢でたむろしているとなおのこと怖い。ここは州立大学なので、患者やその家族は貧しい黒人がメインである。当然来るものは拒まない。お金持ちはみなプライベート・ドクターと契約しているので、よほどのことがない限り州立の大学病院などには入院しないのだ。
 というわけで、夜は雰囲気がガラリと一変するため、とっとと帰ることにした。実験が長引くときは朝早く来るように心がけた。実際、午後6時を過ぎると残っているのは一部残業している教授と、まじめな中国人くらいであった。
夏時間ならば、外はまだ明るい。ので、ちょっとゴルフの練習でも・・・と寄り道することも多い。冬は寒いし、暗いので自宅に直行。
 18時過ぎ、帰宅。テレビをつけ、しばし休憩。単身赴任の頃は、冷蔵庫の中身と格闘開始。1年を過ぎた頃、ギブアップして妻をアメリカに呼ぶ。で、帰宅後はのんびり出来ることが増えた。
 19時半、夕食。そのあと入浴。ご存知の通りユニットバスである。シャワーで済ませることも多いが、日本人たるもの、週に2、3回は湯につからないと落ち着かない。しかし底が浅いため、寝そべるような形でしか全身を一度に湯に浸すことはできない。これはこれで落ち着かない。結論:どうしようもない。
 21時、コーヒータイム。くつろぎのひととき。なんかアメリカだなーって思うのがこの時である。しかし英語しか流れてこないテレビを見ていると次第に眠くなる。で日本から持ってきたプレステのスイッチを入れ、ゲーム。もしくは日本のビデオを見る。全然異国情緒がないが、寝るにはまだ早い。論文を読んだりするときにテレビから英語が流れていると、なぜか読み進むのが速かったし、眠くならなかった。進歩したようだ。
 23時、明日もまた早いので、就寝。おやすみなさーい。
 土日はまた変化があるが、平日はおおむねこんな感じであった。他にも日本人がいたが、話を聞くとどこも同じようなパターンであった。大きな街だったらもっといろんな刺激もあったろうが、元来面倒臭がりな私にとっては、このくらいがちょうど良かったのかも知れない。
■感染制御のために(5)■   検査部医員  内田 勇二郎
肺炎球菌の最近の動向

−九州大学病院における抗菌薬感受性結果を中心に−

 肺炎球菌(Streptococcus pneumoniae )は、呼吸器・耳鼻科領域の感染症や髄膜炎、敗血症などの全身感染症が重要である。特に、市中肺炎では報告地域に関わらず肺炎球菌が原因菌として最も多いとされている。1980年代までは、抗菌薬療法としてはペニシリン系抗菌薬、特にペニシリンG (PcG) が第一選択薬であった。しかし、ペニシリン耐性肺炎球菌 (penicillin-resistant S. pneumoniae : PRSP)、ペニシリン低感受性肺炎球菌 (penicillin-insensitive S. pneumoniae : PISP)が出現し、急速に耐性化が進行した。当院においても肺炎球菌におけるPRSPとPISPを合わせた分離率は、2000年 48.6%、2001年 62.5%、2002年 73.1%と急速に上昇していた。ところが最近これらの分離率が減少しているとの学会報告も認められるようになってきた。新病院に移ってからの喀痰から分離された肺炎球菌におけるPRSP・PISP分離率は明らかに減少傾向を認めた(図1a )。10歳未満の患者におけるペニシリン耐性菌の減少が著明で、2003年度(6月〜翌年3月)に分離されたPRSP+PISPの分離率は93%であったが、本年度(11月現在まで)では46%になっていた(図1b)。60歳以上では、10歳未満ほど著明ではなく、本年度のPRSP率は10歳未満よりわずかではあるが高い値傾向であった(図1c)。2004年に全国(九大病院も含む77施設、1010株)で行われた感受性結果では、PRSP 13.9%、PISP 41.3%であり、耐性率はほぼ全国平均レベルであった。
 「The Medical Letter 日本語版」(Web版)によると、抗菌剤の売上も10年前までと比べて大きく市場規模が縮小(30%)しており、それだけ適正使用がなされるようになったとも考えられるとのコメントが述べられていた。肺炎球菌におけるペニシリン耐性率が減少した一因はそこにあるかもしれない。
 外来治療において、呼吸器感染症にマクロライド系抗菌薬がよく使用されていたこともあり、PRSPのEM耐性率が高いことも問題とされている。当院における肺炎球菌のEM耐性率は高いながらも減少傾向を認めた(図2)。但し、当院分離株のPRSP+PISPのEM耐性率は約90%で2003年以降特に変化がなかったため、EM耐性率の減少はPRSP+PISPの分離率減少によるものであった。カルバペネム系抗菌薬のイミペネム/シラスタチンはほとんど耐性株は認められず、低感受性株も約10%の分離頻度であった。ニューキノロン系抗菌薬のレボフロキサシンも明らかな傾向は認めなかったが、耐性株が2-10%程認められた。成人市中肺炎診療ガイドラインで、肺炎球菌の外来治療にレスピラトリーキノロン(トスフロキサシン、スパルフロキサシン、高用量のレボフロキサシンなど)も含まれているため、今後ニューキノロン耐性菌が増加してくることも考えられる。バンコマイシンについては、耐性株はなく、最小発育阻止濃度(MIC)はすべて0.5μg/ml以下であり、耐性化傾向も認められなかった。
 肺炎患者の治療には、迅速かつ正確な起炎菌の決定が重要である。肺炎球菌性肺炎の診断法としては塗沫鏡検による原因菌の推定および培養検査が一般的に行われている。現在当院では、今年の5月から免疫クロマトグラフィー法を用いた肺炎球菌尿中抗原測定(Binax NOW Streptococcus pneumoniae )を行っている。検査開始から15分で結果が得られる迅速診断法で、感度は80.4%、特異度は97.2%との報告もある1)。また、尿中の抗原を検査するため、治療開始後で原因菌を分離できなかった肺炎に対する診断率の向上も考えられる。有用性の高い迅速検査として位置付けられるため、レジオネラ尿中抗原検査とともに是非とも有効利用して頂きたい。

1) Dominguez J, et al: Detection of Streptococcus pneumoniae antigen by a rapid immunochromatographic assay in urine samples. Chest 119: 243-9, 2001.
 
■編 集 後 記■
 年末でそれでなくても慌ただしい昨今、検査部はISO 15189の取得のために全員がさらに慌ただしく努力を重ねています。一言で言えば、検査部の検査があるべき一定の水準を越えていることを第三者機関に認証してもらうということですが、本当に大切なのは、現在の検査部の検査が望ましいレベルにあることを認証してもらうことではなく(認証されるまでもなく当検査部は世界的レベルを維持していると自負しています)、そのレベルが持続的に維持されることを保障する管理システムが整備されているかということです。技師長の栢森がその点について今回比較的詳しく説明しています。現在、管理システムマニュアルの書類が各部署ごとに積みあがっています。こんな厚い書類を本当にみんなが読むのかと思わないでもないぐらいです(笑)。今までは、信頼性のある検査の維持は、検査部という組織とその構成員の良心と衿持によって充分達成されて来たものです(今ももちろん達成されています)。実際ISO 15189の取得と維持には相当な費用もかかります。そんなことにお金をかける必要まであるかと思わないでもないですが、現在では、最近話題の耐震強度偽装の例を持ち出すまでもなく、組織の自尊心と自浄能力に対する信頼が大きく揺らいでいる時代です。現代はすべてに証明を必要とする時代なのでしょう。さて来年3月に生理系の検査部門が北棟に移り、検査部の新病院への移転が完了します。新年度からはISO 15189も取得しているはずで、新たな検査部として再出発の年となります。                  (康)