九州大学病院検査部         2004年6月15日
検 査 だ よ り
第24号
アンケートにご協力いただき、誠にありがとうございました。

 2003年12月にアンケートを実施したことを覚えていらっしゃいますか?
その際、実に240名もの医師・看護師・その他医療スタッフの方から貴重な御意見を頂くことができ、
今まで気付かなかったこと、改めなければならないことが沢山みえてきました。
一度にすべての御要望に応えることは困難ですが、少しずつ出来る事から始めたいと思っております。
特に多かった御意見・それに対する対応を、検査部ホームページに掲載しています。
詳しくはそちらをご覧下さい。
 また、検査だより・検査部ホームページの周知度は、約半数でした。
皆様に活用していただけるよう、ホームページをリニューアルする予定です。       
 まだまだ不十分な点もあり、ご迷惑をお掛けするかと思いますが、これからもどうぞ宜しくお願い致します。 
                    2004.6  検査部 一同(担当:山口・船城)          

 緑の季節を迎えて        検査部技師長 栢森裕三
 
 桜の季節が過ぎ、木々の緑が一層あざやかさを増す季節になりました。
 4月から新たな気持ちをもって九州大学病院に就職された方々は各職場での仕事に慣れたことでしょう。検査部でも今年は4名の英気あふれる新人が入部されています(医療技術部検査部門としては5名ですが)。検査部の将来を担う若者の今後を期待するところです。
 さて、時を同じくして九州大学病院(九州大学)も4月から独立行政法人として新たなスタートを切り、新たな目標に向かって船出をしたわけですが、組織が成功するかどうかはその組織に属する個々の部署が如何に連携して相乗効果を生み出すかにかかっていると思います。組織の連携と申しましたが、検査部としましてもできるところから実施するように考え、まず看護部との連携をスタートさせました。
 4月の看護部新人に対するオリエンテーションに参加させて頂きました。これは、従来看護部内で検体の提出方法や注意点を教育していたのだそうで、今年から検査部の主任技師が各々の部門での検体提出方法や採取方法、保存方法などについてお話させて頂きました。また、特
に最近では院内感染の問題がクローズアップされていますので、日を改めて看護師長さんクラスを対象に細菌検査に関係する内容をお話させて頂きました。face to faceで話をすれば、以前から問題になっていた検体提出時あるいは提出後の行き違いは少なくなるはずです。看護師教育から検査関係のカリキュラムが廃止されていると聞いておりますが、検査部が率先して協力することでその辺の溝を埋める努力が必要と考えています。さらに、昨年10月に発足した医療技術部の構成部署である放射線部、リハビリテーション部、臨床工学部門、そして歯科部門とも協力して検査部が病院に対して何ができるか、ひいては患者様に何ができるかを考える必要があります。
 ところで、5月下旬から輸血システムの運用方法が変わりました。これは現在、遺伝子細胞治療部の宮本敏浩先生が中心となって構築を進めておられますが、検査部も輸血検査の部分が一部関連しますのでお手伝いをさせて頂いているところです。検査部のホームページを通して輸血検査に関する情報はお伝えすることに致しますが、不明な点があれば何なりとお申し付けください。
今後も病院内の横のつながりが重要になると思います。検査部としてもサービス部門として「一歩前へ」踏み出す努力を継続したいと考えております。
 どうぞ宜しくお願いいたします。
正しい検体の採取から検査部まで-その14       濱ア直孝

適切な採血管の選択
 前回は血漿の種類や血清と血漿分離を行う時の注意点について述べた。臨床検査検体は適切なタイミングで適切な部位から適切な採血管に採取しなければ適切な検査はできない。今回は血漿を用いて検査する場合の抗凝固剤や添加剤の種類とそれぞれの特徴について述べる。

抗凝固剤と添加剤
・ヘパリン(硫酸化されたD-グルコサミン、D-グルクロン酸、L-イズロン酸からなるムコ多糖体)
 ヘパリンは アンチトロンビン(AT)による活性型X因子(factor Xa) 阻害活性を増強する。低分子ヘパリン(分子量 1,000〜10,000; 平均分子量 4,000〜5,000)は通常のヘパリン(分子量 3,000〜30,000;平均分子量 15,000)に比べて抗トロンビン活性が低く抗活性型X因子活性が高い。ヘパリンはリチウム塩、ナトリウム塩、アンモニウム塩などが市販されており、尿素窒素(BUN)の測定方法によっては測定結果に影響がでる。遺伝子検査を行う検体は決してヘパリン採血をしてはいけない。ヘパリンがポリメラーゼ活性を阻害するので過った検査結果になることがある。
・EDTA
 EDTA はカルシウムをキレートすることで抗凝固作用を発揮している。EDTA は血球検査を行う時に用いるが、詳細は数号後の検査だよりでまとめる予定である。
・クエン酸
 クエン酸もカルシウムをキレートすることで抗凝固作用を発揮している。原則として、凝固検査にはクエン酸採血を行う。クエン酸の影響については凝固検査用検体のところで詳細に述べる。
・解糖系の阻害剤
 フッ化ナトリウムやリチウムヨード酢酸は解糖系の阻害剤で血糖値を測定する場合に用いられる。マンノースとフッ化ナトリウムを用いる方法も推奨されている。抗凝固剤のNa2EDTA(1 mg/ml)やシュウ酸カリウム(2 mg/ml)と併用する場合はフッ化ナトリウムの濃度は 2.5 mg/ml (60 mmol/l)にしないと解糖系の阻害効果がでない。
 フッ素は解糖系酵素のエノラーゼ活性を阻害してグルコースの代謝(分解)を阻止する。ヨード酢酸はグリセルアルデヒド-3-リン酸デヒドロゲナーゼ活性を阻害する。このような阻害剤の効果がでるまでに、血液と混和後約3時間が必要だが(この間、健常人の場合ではグルコースが 9 mg/dl 低下すると言われている)、その後は少なくとも3日間はグルコースは分解されない。しかしながら、白血球数、赤血球数や血小板数が高い血液では初期のグルコースの低下量は 9 mg/dl よりもっと増える。新生児ではヘマトクリットが高いので、採血後、解糖系阻害剤を添加しないで室温に放置しておくと68%のグルコースが5時間で代謝(分解)されると言われている。この問題を解決するために、解糖系の最初の酵素であるヘキソキナーゼの阻害剤を用いることが推奨されている。そのような阻害剤としてマンノースが注目されており、フッ素とマンノースの組み合わせでグルコース代謝の阻害効果があると報告されている。マンノー
スの阻害効果(拮抗阻害)は短時間しか続かず、採血後4時間までしか効果がない。しかし、3時間以後はフッ素の阻害効果が出てくるので、マンノース(2 mg/ml)とフッ化ナトリウム(2 mg/ml)の組み合わせは、フッ化ナトリウムやヨード酢酸単独使用で効果が出ないような検体についても、採血後のグルコース
代謝(分解)の阻止効果がある。図1に解糖系阻害剤の効果を示す。
・細胞の保存
 抗凝固剤と他の添加物の混合、例えば、ACD(acid-citrate-dextrose)は赤血球の保存剤として用いられてきた。ACD の組成はA、B の2種類がありA 組成とB 組成の血液との混合比は違う。ACD-A 組成と血液の混合比は(1: 5.67)であり、ACD-B 組成と血液との混合比は(1: 3)である。ACD 保存液で赤血球を保存すると、1〜6℃で21日間保存できる。

  以上、今回は抗凝固剤の特徴と解糖系阻害剤について述べた。
図1 血中グルコ−ス(血糖)の変化と解糖阻害剤の効果
 
お知らせ
  インフルエンザ抗原検査 オーダー方法変更のお知らせ

◇オーダー方法変更項目 
インフルエンザ抗原検査

 変更日:平成16年5月6日
 検体提出時間:24時間受付
 検体提出場所:平日8:30〜17:15        細菌検査室
        平日17:15〜翌8:30及び土日祝日 時間外(緊急)検査室
 <詳細は以下の通りです>
 従来、日当直時間帯のインフルエンザ抗原検査は医師が実施していましたが、時間外(緊急)検査室にて24時間対応とし、検査は臨床検査技師が実施することに致しました。
 これに伴い、オーダー方法が変更となります。オーダー画面の「細菌」より入って項目依頼していたものが、「検体」よりのオーダーとなります。詳細は以下の通りです。 図も参照してください。
従来 変更後
細菌 時間内 時間外
検体 検体
特殊検査材料 ■検査部検体検査 ■時間外夜間休日検査
インフルエンザ抗原 インフルエンザ抗原 インフルエンザ抗原
インフルエンザ抗原 インフルエンザ抗原 インフルエンザ抗原

 
オーダーできる時間帯
時間内…平日8:30〜15:00
時間外…平日15:00〜翌8:30、土日祝日               問い合わせ先:細菌検査室(5757) 


  輸血検査システムのバージョンアップについて

 昨今、輸血に関する医療事故が報道され大きな問題となっております。検査部では輸血製剤の安全な払い出しと病棟での適切な使用をお願いして参りましたが、より安全な払い出しと実施ができるように従来の輸血システムのバージョンアップを行いした。これに伴い運用方法が変わりました。 皆様におかれましては周知の程、宜しくお願いいたします。
 なお、各病棟、手術室には輸血担当者が運用のご相談に伺いますので、宜しくお願いいたします。
  新規運用開始予定日時:平成16年5月29日(土) 午前8時00分    問い合わせ先:輸血検査室(5868)
  針刺し事故について

@ 針刺し事故により検体提出の必要が生じた場合、直ちに検査部へその旨を電話で伝え、被災者の採血を行い、 検査部受付に提出する。汚染血については検査の必要があり同意が得られた場合に採血を行い提出する。
 HIV検査については、被災者、汚染血ともに同意書が得られた場合にのみ検査を行う。
A 検査部受付にて依頼書に必要事項を記入し、検体を手渡す。
B 結果報告は検査部より書面で行う。検査が終了したことを電話で報告し、検査結果は封書に入れて直接手渡し  する。
C 被災者は、公務災害の認定手続きが必要になることがあるので、所属の部長、総合診療外来当番医(TEL5300)、総務課職員掛(5030)に事故発生の連絡をする。       問い合わせ先:免疫検査室(5753)
 
 第8回  鉄分検査室より  《つばめ返し》          白いかもめ

 戦前から歴史を刻む職業野球は、戦中一旦途絶えていた。昭和25年(1950)セントラルリーグとパシフィックリーグの2リーグ制でペナントレースが始まった。セントラルリーグは、読売ジャイアンツ、松竹ロビンズ、阪神タイガース、中日ドラゴンズ、広島カープ、大洋ホエールズ、西日本パイレーツ、国鉄スワローズの8球団でペナントを争った。パシフィックリーグは、毎日オリオンズ、西鉄クリッパーズ、阪急ブレーブス、南海ホークス、大映スターズ、東急フライヤーズ、近鉄パールスの7球団で構成されていた。一目瞭然、鉄道関連企業が経営陣として目立つ。プロ野球もかつては<鉄分>が高かった。
 国鉄スワローズは、もちろん現在のヤクルトスワローズの前身に当たる。この国鉄スワローズ時代のエースは、金田正一投手で、その後読売ジャイアンツに移籍してそこで昭和44年(1969)引退したが、通算400勝、4,490奪三振、防御率2.34の大記録を残している。スワローズは、国鉄時代にリーグ優勝を経験できなかった。ヤクルトスワローズになってから、広岡監督に率いられて昭和53年(1978)リーグ優勝、日本シリーズ優勝を初めてはたした。その後も、野村監督の下で平成5年(1993)、平成7年(1995)、平成9年(1997)、若松監督の下で平成13年(2001)と日本シリーズを制した。
 国鉄が球団を持つ際に、球団名をどうするかということで面白い経緯があった。球団名は、強そうな名前が相応しいと、<国鉄コンドルズ>と決まりかけた。ところが、これでは<国鉄混どるず>ではないかとあえなく却下された。そこで、戦後復活した特別急行<つばめ>に因んで、スワローズとなった。<国鉄座ろうず>という次第。
 蛇足ながら、西日本パイレーツは1年でセントラルリーグを脱退し、西鉄クリッパーズと合併し、昭和26年(1951)西鉄ライオンズが誕生した。その数年後に、福博の人々が平和台球場に熱狂する黄金時代を迎えることとなる。
☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
 日本の鉄道で、特別急行が初めて走ったのは、明治45年(1912)のことであった。新橋―下関間を結ぶもので所要時間は25時間8分であったが、現在のような愛称は付けられていなかった。特急に愛称が付けられるようになるのは、昭和になってからである。不況下の乗客増をねらって鉄道省が、昭和4年(1929)に愛称を公募した。
1位 富士 2位 燕 3位 櫻(さくら) 4位 旭(あさひ) 5位 隼(はやぶさ)
6位 鳩  7位 大和 8位 ?(かもめ)
 昭和4年(1929)9月15日時刻改正で、東京―下関間の特急2往復に初めて愛称が付けられた。1、2列車に<富士>、.3、4列車に<櫻>と命名されたが、2位の<燕>は温存された。この当時国鉄は、画期的な高速度旅客列車運転計画を進めていた東京―大阪間を従来より2時間半短縮の約8時間半で駆け抜けた。この列車のためにスピード感のある<燕>の名称が取り置かれていたのだった。そして、昭和5年(1930)10月1日時刻改正で、東京―神戸間に<燕>が登場した。東京09時発―神戸18時着、神戸12時25分発―東京21時20分着で、所要時間を短縮するために駐停車駅は、横浜、国府津(下りのみ)、沼津(上りのみ)、名古屋、大垣(下りのみ)、京都、大阪、三宮に限定した。
 この初代<つばめ>は、C51蒸気機関車が客車を牽引するもので最後尾に展望車が取り付けられ、<超特急>の象徴となっていた。登場時、東海道本線は御殿場経由であり、傾斜の急なこの箱根越えが難所になっていた。
 その後、丹那トンネルの開通による昭和9年(1934)12月1日全国時刻大改正で、御殿場経由が解消され、東京―沼津間は電化され、新鋭電気機関車EF53が牽引するようになり蒸気機関車との付け替えのため上り下りとも沼津停車となった。これにより、東京―大阪間は、7時間で結ばれ、戦前の最速記録を作った。しかしながら、戦時中全ての特急は廃止となった。
☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
戦後復興期、昭和24年(1949)9月15日時刻改正で特急が復活した。東京―大阪間1往復の<へいわ>で、9時間で結んだ。<燕>の筋の列車であったが、当時の気分を反映した命名となった。しかし、この名は不評で、翌年昭和25年(1950)元旦から<つばめ>に改称され、復興の象徴となった。こうした中で、プロ野球の2リーグ制のペナントレースが、開始されたのだった。2代目<つばめ>が、東海道を飛び交うようになった。
 昭和25年(1950)10月1日時刻改正で、<つばめ>は、東京―大阪間を8時間で結び、ようやく戦前の水準に戻った。
 昭和31年(1956)11月19日東海道本線全線電化完成による時刻改正が行われ、<つばめ>は、全線電気機関車EF58牽引となり東京―大阪間を7時間30分で結び、戦前の水準を越えた。
☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
<つばめ>の復活の一方、国鉄は特急電車の開発を進めていた。昭和33年(1958)11月1日東京―大阪間1往復、東京―神戸間1往復の特急電車<こだま>が登場した。東京―大阪間を6時間50分で結び、特急電車時代の幕が上がった。<つばめ>もこれまでの電気機関車牽引から、昭和35年(1960)6月1日時刻改正で直流電車に置き換えられた。これまで特急の象徴であった最後尾の一等展望車が廃止となった。これが、3代目<つばめ>である。この電車<つばめ>は、広島まで足を伸ばすようになった。
 次の画期は、昭和39年(1964)10月1日の東海道新幹線の開業である。<つばめ>は、東海道本線から姿を消し、新大阪―博多間を9時間10分で結ぶ新幹線連絡特急となった。博多に<つばめ>が飛来するようになった。
 昭和40年(1965)10月1日時刻改正で、交直流特急電車に置き換えられ<つばめ>は、名古屋―熊本間を走るように変更となった。優等列車の地位を降りた<つばめ>の運用は脇役的なものとなった。
 昭和47年(1972)3月15日山陽新幹線新大阪―岡山間開業で、<つばめ>は九州内と新幹線を連絡する特急となった。岡山―博多間を6時間04分で連絡した。昭和48年(1973)10月1日時刻改正では、岡山―西鹿児島間の<つばめ>も登場し、ついに西鹿児島まで飛来してきた。
 西へ西へと飛んできた<つばめ>は、昭和50年(1975)3月10日山陽新幹線博多開業で、消滅した。門司港・博多―西鹿児島間には、特急<有明>が走るようになった。
☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
昭和62年(1987)3月31日で国鉄は幕を閉じた。新たに発足したJR九州は、新しい企業イメージのために新型特急を開発し、利用者増加につなげようとした。博多―西鹿児島間4時間の移動する空間を楽しめるデザインを目指した、787系電車が、平成4年(1992)7月15日時刻改正で登場した。この特急の名称として<つばめ>が復活した。4代目<つばめ>の誕生である。つばめの黒を連想するような黒っぽい車体で、ビュッフェの空間が斬新であった。
☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
今年3月13日時刻改正で、九州新幹線新八代―鹿児島中央間が部分開業した。九州新幹線800系電車が、5代目<つばめ>として誕生した。4代目と打って変わって純白の車体である。これまでの新幹線車両に比べ和風のデザインで、白い車体に大きく<つばめ>とロゴが入っていて印象的である。車内は、西陣織の背もたれの木製の椅子、洗面所の入り口の八代産のイグサの暖簾、山桜のブラインドが目を引く。まさに初代<燕>の名を継承するにふさわしい列車といえる。
☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
この記念すべき開業初日に新幹線<つばめ>に試乗しようと、前売り指定席を旅行代理店に申し込んだのだが、予定の列車の座席が取れず愕然となった。キャンセル待ちでお願いしていたところ1週間ぐらいしてキャンセル待ちが取れたと連絡が入り胸をなでおろした。
 <リレーつばめ1号>で新八代まで行き、ホーム向かいの<つばめ1号>に乗り込むことができた。指定を取るのが大変だったため、当然満席に違いないと思い込んでいたのだったが、乗り込んでみると車内はガラ−ンとしていていた。ホームは混雑を極めていたが、入場券で入ってきた地元の人々がほとんどのようであった。おかげで盛大な見送りを受けて<つばめ1号>は、発車した。実際は乗らずに開業日の切符を入手した<鉄分>高値の人々がたくさんいたのかも知れない。しかし、一緒に乗車した人々はかなり<鉄分>高値の人の率が高く、全車両を視察してまわりかつ各車両の車内を撮影してまわる人が続出。しかも、乗車した車両に鉄道雑誌の取材陣が乗り合わせていてこれまた、湯水のようにバシャバシャとシャッターをきりまくり、なんとも賑やかな車内となった。この取材記はその後その雑誌に特集記事として載った。
 一般指定席も従来のグリーン車並みの乗り心地で、座席がゆったりとした設計になっていた。
 北陸新幹線、通称長野新幹線は山岳路線として知られていたが、九州新幹線は、それよりも勾配が急な区間があるもののあまり意識しないうちに駆け抜けた。<つばめ1号>は、途中停車のない速達列車で、新八代を出ると34分で鹿児島中央に着く。在来線では、約2時間かかっていたのが、大幅に短縮された。在来線では、海岸線をなめるように走る区間が多く、不知火海、天草諸島、甑島と車窓に絶景が広がるのだが、新幹線ではトンネルだらけで、海の景色は一瞬しか見ることができず、あっという間に鹿児島に着いてしまう。
  永年馴染んでいた駅名である西鹿児島駅が、新幹線開業に合わせて鹿児島中央駅と改称した。<つばめ1号>を下車したホームの駅名標に確かに鹿児島中央駅となっているのを見た。これまで、地元に人々は、<西駅>と呼んできた。これからは<中央駅>と呼ぶようになるのか?
 鹿児島中央駅地区再開発は、開業時完了していず、今秋完成の予定である。普請中の鹿児島中央駅を小1時間視察すると、上りの<つばめ>の車上の人となった。早朝鹿児島に向かい、昼には博多に戻り、新幹線で博多−鹿児島間が日帰り圏に入ったことを実感した。惜しむらくは、時間的余裕がなく新幹線途中駅の新水俣、出水、川内駅を視察できなかったこと。またの機会の楽しみに取っておくこととした。とまれ、<つばめ返し>の早業の試乗であった。
 
  新人紹介
検査部 輸血部門
藤原 阿沙美
検査部 搬送生化学部門
 草場 恵子
平成16年の春から九大病院検査部で働かせて頂く事になりました藤原阿沙美と申します。現在、輸血検査を担当しております。趣味は音楽(ピアノ、バイオリンetc.)などで、ここ検査部に様々な楽器を得意とする方が大勢いらっしゃる事にとても驚いています。
 これから明哲な検査技師になるべく勉学に励むとともに、積極的に社会との関わりをもち、チーム医療の一翼を担う者となるよう何事にも意欲的に取り組んでいきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。
はじめまして。九州大学医療技術短期大学部から来ました、草場恵子です。
 4月から搬送への配属となり、たくさんの技師さんに支えていただきながら、毎日楽しく働いています。まだまだ迷惑をかけてばかりの私ですが、少しでも早く一人前に仕事ができる検査技師になれるように、日々たくさんのことを学んでいきたいと思っています。皆さんにも受付等でお目にかかることがあるかと思いますが、ファーストフード仕込みのスマイルで元気にあいさつしていきたいと思います☆
これからどうぞよろしくお願いいたします。
検査部 免疫部門
井上 望
検査部 搬送生化学部門
藤島 章義
今春、名古屋大学を卒業し、免疫部門で働かせていただいております。これからたくさんのことを吸収し、一人前の臨床検査技師となれるようにがんばっていきたいです。ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、初心を忘れずにがんばりますので、これからもよろしくお願いします。 平成16年4月から検査部に勤務することになりました藤島章義です。信州大学医療技術短期大学部から神戸大学医学部保健学科に編入し、少し変わった学生生活を送ってきました。編入による2年間は研究を目的としていたため、臨床検査に対して疎かになりがちとなってしまいました。そのためブランクを感じています。
 まだまだ分からないことだらけで皆様にご迷惑をおかけすることも多々あると思いますが、ご指導の程よろしくお願いいたします。
臨床検査医学講座 助手
神吉 智武
今年の1月より助手となりました神吉です。大学院生時代から続けてきた研究をしばらく継続したいと切望していましたところ、産婦人科中野教授、検査部濱崎教授のお許しを得ることができ、しばらく臨床検査医学講座の助手として研究を続けさせていただくことになりました。現在は、自分自身のミトコンドリア遺伝子の転写、複製に関する研究を進めると共に、大学院生の指導、教育にあたっています。今後ともよろしくお願いいたします。
    感染防御のために(2)                    検査部医員 内田勇二郎
 カンジダ感染症の治療における注意点
 2003年1月から12月までの期間において、九州大学病院の一般細菌培養検査でCandida属が分離された検体は、喀痰が最も多く(31%)、喀痰・咽頭粘液を含めた呼吸器由来の検体全体では46%を占めていた(図1)。その他、便 15%、尿 11%、膣分泌物 10%であった。臨床上特に重要な検体である血液、IVH先端から分離されるCandida は、それぞれ全体の2%、1%であった。菌種の内訳では、Candida albicans が喀痰、尿において93%、87%を占めるのに対し、血液、IVH先端では40%、57%と分離割合が低かった(図2)。一方、C.glabrataやC.parapsilosisの血液やIVH先端から分離される頻度が高かった(血液:C.glabrata 27%・C.parapsilosis 27%、IVH先端:C.glabrata 14%・C.parapsilosis 29%)。
 
 


 Candida属の中で分離頻度の高い3菌種(C.albicans、C.glabrata 、C.parapsilosis)について3薬剤(amphotericin B (AMPH-B)、fluconazole (FLCZ)、micafungin (MCFG))の最小発育阻止濃度(MIC)による薬剤感受性成績を図に示した(図3a-c)。AMPH-Bは、すべての菌種に対して比較的安定したMIC値であったが、FLCZ、MCFGは菌種によりMICの異なる傾向が認められた。FLCZはC.albicans のほとんどに対してMIC値が低かったが、C.parapsilosis では一部低感受性、
C.glabrata に対してはすべての菌株が低感受性であった。米国臨床検査標準化委員会(NCCLS)のブレイクポイントがMIC≧64と定められた基準によると、C.albicans には耐性菌はなく、C.glabrata では13株中1株、C.parapsilosis では9株中1株の耐性菌を認めた。MCFG は、他の薬剤に比べ低いMIC値であったが、C.parapsilosis のMIC値はC.albicans や
C.glabrata より比較的高い値を示した。




  カンジダ感染症の治療において、MIC値は抗真菌薬の選択に有用な情報の一つとなるが、組織移行性や臨床治療成績も重要な参考である。米国臨床検査標準化委員会(NCCLS)では、抗菌薬の臨床治療成績や組織移行性などを考慮し臨床的ブレイクポイントを提示しており、当検査部細菌検査室でも薬剤感受性成績は、その基準をもとに感受性区分(S(感性)、I(中等度)、R(耐性))を表示している。しかし、現在のところ抗真菌薬の基準はFLCZ、ITCZ,5-FCしか定められていないため(表1)、AMPH-BやMCFGは感受性成績に感受性区分の結果を報告していない。また、S.Tawaraらは、血清アルブミン存在下ではCandida に対するMCFGのMIC値が128-256倍上昇すると報告している(表2)。また、AMPH-Bは組織への移行性が悪く、蛋白結合率も約95%と高い。ただ単にMIC値がよいから臨床効果がすぐれているとはいえないと考えられる。したがって抗菌薬の選択は、MIC値のみではなく薬剤のブレイクポイント、蛋白結合率、臓器移行性、副作用などを総合的に考慮すべきである。



   
 アメリカ留学記(3)  食糧事情編                    
                        隈 博幸

 日本人が海外留学する際、ある意味では一番気にするのが「食べ物」のことではないでしょうか?中国やフランスなど、想像するだけでおいしそうな伝統料理を持つ国ならともかく、アメリカやイギリスといった、一般的にはあまり食べ物に期待できない国に渡航するならなおさらです。今回は、その辺の事情について少しお話ししたいと思います。
 アメリカ料理といって想像できるものといったら、何でしょう?ステーキ、バーベキュー、ハンバーガー、フライドチキン・・・というところでしょうか。まさにその通りでした。街にはマクドナルド、ケンタッキーをはじめとするファーストフード店が立ち並び、レストランにも肉料理(しかもまずい)しかなく、シーフードといえばキャットフィッシュ(なまずの一種)が定番。怪しげなJapanese Steak House(厨房の、しかも明らかに中国人とわかるコックが曲芸をしながら調理する鉄板焼き)を除くと、sushiが食べられる日本料理店は市内に一軒しかありませんでした。そこで、お金はないが、外食で美味しい物を食べたい時に重宝したのが中華料理店。考えることは日本人も中国人も韓国人も同じようで、バフェ形式で安く、味も日本人好みな中華料理はいつも多くのアジア人で繁盛していました。
 アメリカの食べ物で「おいしい!」と感じたのものもあります。ニューオリンズのガンボスープ(日本流にいうなら海鮮雑炊)や、ボストン近郊の海辺の町のロブスターの塩茹でなどです。特にニューオリンズは以前フランスが統治していたこともあり、味付けは典型的なアメリカ風ではなく、美味しい物がたくさんあった記憶があります。
 もちろん、いつも外食ではなく、むしろほとんどは自炊でした。幸いアーカンソー州は米国一の米どころで、コシヒカリやササニシキを主に生産していましたので、おいしくて安い米は比較的簡単に入手できました(9キロで2000円程度です)。問題はその他の日本食で、味噌や醤油などは韓国人が経営する市内唯一の東洋食品店(ほとんどの品は賞味期限ぎりぎり)で買い、月に一度は日本人の経営する日本食料品店のあるダラス(片道600キロ)まで一泊二日で買出しにでかけたものでした。
 野菜や果物は普通にスーパーで手に入りますが、日本に比べると比較的安く、味も日本のものとあまり変わらない(ナスや一部果物を除く)ので、食費はさほどかかりません。例えば、赤肉メロン一個60円、スイカ一個150円、ジャガイモ9キロ200円、トマト5個で120円・・・といった具合です。エノキやシメジ、シイタケなども普通に売っていました。ここでも特筆すべきは牛肉でしょう。もちろんピンキリはありますが、最高級レベルでも100グラム500円程度、安い肉は部位にもよりますが100グラム30円程度でした。スーパーには塊しかありませんが、専門店に行くとスライサーが置いてありますので、「ティッシュのように薄く切ってくれ」と言えばシャブシャブやすき焼きも楽しめます。店のヒトには怪訝な顔をされますが・・・。
 スーパーには、他にも普通に置いてあるものとして「練りワサビ(チューブに入っているヤツ)」や「醤油(なぜかキッコーマン)」、「インスタントラーメン」、「豆腐」などがありました。ワサビは日本と全く同じものでしたが、醤油はやたら塩辛く、インスタントラーメンは茹でると油が浮いてきて、豆腐はなぜか紙パックに入っていて、しかも賞味期限が1年、冷奴で食べると味もそっけもないただの白い塊でした。どんな製法なのかは知りませんが、これらの食品は日本食料品店で買うことをオススメします。
 結局、都市により差はありますが、少しの苦労をいとわなければ手に入る食材は日本とあまり変わりません。外食に関してもアメリカ人の評判は当然あてになりませんが、周りの日本人や中国人に聞いて行くと、さほど大きな失敗はありません。慣れてくれば店の外観やただよってくる匂いでわかるようになります(笑)が、その頃にはもう帰国しないといけない時期に来ていたりします。知らないお店に飛び込んで、一口食べて逃げ帰ったりしたのも(もちろん勘定は済ませましたよ。レジに怪訝な顔をされたので、携帯電話を見せて「急に仕事が入った」とか言ってごまかしましたが)いい経験になりましたけど。

 編集後記
 今年も新たに4人の検査技師が検査部に加わってくれました。医員から助手としてその貢献がさらに期待される一人を含め、毎年のことですがこの4月から新しい検査部が出発することになります。去年より内田医員と細菌検査室の技師たちが力を合わせ、感染症の克服のため検査部からの情報発信をさらに高度にきめ細かくかつ臨床的に有用な形で行おうと、感染制御部や1内科の感染症グループと連携し努力を続けております。その一つの形が「感染制御のために」のシリーズ化であります。個々の感染症診療に対して助言行動も行う方向へも準備しています。更なる各診療科の協力をお願いいたします。                                                                                        (康)