九州大学病院検査部  2005年4月1日
検 査 だ よ り
第26号

■臨床検査標準化と臨床化学■
    濱崎 直孝
 太古の時代から人類は病気の原因を追求してきた筈であり、その追求の手段は“観察と記録”であったと思われる。観察の対象は、最初は、患者そのものであった筈だが、17世紀後半頃から患者が出す尿、糞便などの生体成分にも対象が広がってきている。“観察”の行き着くところは“分析”であり、今日の“臨床化学”という学問体系に育ち上がったわけである。臨床化学体系確立に決定的な役割を果たしたのは、1934年のFolling によるフェニールケトン尿症の発見である。患者の尿を分析することで病気の本態を突き止めることができる実例を示し、以後、臨床化学は確固たる学問体系として確立し今日に至っている。最近では、学問が細分化され「臨床化学とは生化学検査に関する学問」と勘違いする人々が多くなっているが、決してそうではなく、「臨床化学とは生体成分を化学的(科学的)に分析して、疾病発症の機序を明らかにすると共に疾病の診断治療に指針を提供する学問」である。
 臨床化学(臨床検査といっても良い)の基本は生体成分の科学的定量分析であり、科学的定量分析に必要なものは「正確性」と「精密性」である。分析された測定値は再現性があり、その測定単位(dimension)が同じであれば、その数字を単純に比較検討できなければならない。残念ながら、これまでの臨床化学分析は科学的定量分析とは言い難い部分があった。「臨床検査測定値はそれぞれの病院に特有なものであり、患者が転院すれば検査はやり直すのが当然で、別の病院の臨床検査データは利用できない」のがこれまでの臨床化学分析であった。しかしながら、現在では、検査試薬の整備と分析機器の発達で臨床化学分析に普遍性が備わり、別の病院の臨床検査データを共通に利用できる(臨床検査データの標準化の)環境が整ったといってよい。臨床検査に関わっている我々の認識を改めるだけで、臨床検査データの全国的な標準化は可能になりつつある。臨床化学の当面の重要課題の一つは、地味ではあるが、臨床検査データの国内的な標準化の完成である。その結果、臨床検査のデータベースが完備し疾病の診断・治療基準が標準化され、日本の医療の質が格段にあがることになる。ごく最近、日本における臨床検査の標準化を実現すべく、臨床検査に関連している学会や企業集団を全て統合して「臨床検査標準化基本検討委員会」が日本臨床検査標準化協議会の中に設立された。この活動は世間の注目を集めており、本年1月18日の日本経済新聞1面に大きく報道されている。
 画期的な技術革新の視点で眺めれば、Kary Banks Mullis(1993年にノーベル化学賞受賞)が行ったPCR (polymerase chain reaction) 法の開発がある。PCR法の開発で遺伝子検査が容易に検査室でできるようになり、遺伝子検査が臨床検査として定着した。その一つの反映として感染症検査が徐々に様変わりしつつある。特に、ウイルス感染症に対する臨床検査は劇的に変化しつつある。DNAチップなどの技術的整備が進むと、感染症検査は近い将来大きく様変わりする筈である。さらに、ヒトゲノム解析の成果と標準化された臨床検査データベース化の完備を組み合わせると、臨床検査の予防医学への貢献は計り知れないものがあると推測される。今日までの医療は最大公約数的な医療であったが、近い将来には、標準化された臨床検査データベース化とこのような技術革新を利用することで、個々の体質にあった治療が可能になる(テーラーメード医療の具現化)。
 さらに遠い将来としては、次のようなことが起こるのではないかと考えている。現時点では臨床化学検査には、採血などをして、生体成分を採取してくるのは必須である。しかし、このような侵襲的な方法ではなく臨床化学検査ができるようにするのが理想的である。遠赤外線を用いて果物の中の糖度を非侵襲的に測定する方法は農業の領域では実用化されていると聞く。現在でも血中ヘモグロビンの酸素飽和度は非侵襲的に測定でき実用化されている。このような非侵襲的な方法で臨床化学検査ができるようになると素晴らしいと考えている(文献1)。     (検査と技術 32巻13号1459 (2004)から一部改変して転載)

文献
1.濱崎直孝:最近の臨床検査。臨床と研究 951, 549-552 (2004)
 

■正しい検体の採取から検査部までーその16
( 濱崎直孝 )
 

検体の保存:どうしたら検体を“新鮮”に保てるか?

 臨床検査は検体を測定して身体の状態を推し量り診断・治療に利用するものであるから、測定する検体はできるだけ採取した時の状態を保っておく必要がある。今回はそのための方策について述べる。
 まず、検体を“新鮮”に保つ10項目の原則を以下に箇条書きにする。
1 検体の種類や安定性で対策が異なる。検体が変化する主要な要因は
  ・血液細胞による代謝    ・蒸発と昇華
  ・化学反応         ・バクテリアによる分解
  ・浸透圧による変化     ・光による変化
  ・ ガスの拡散
  などがあるので、これらの要因を念頭に入れた対応をする。
2 できるだけ早く搬送し保存時間を短くすると検査結果の信頼性が高くなる。
3 検体を長く保存しなければならないときは、冷やしておくとよい(但し、例外がある!)。
4 検体は密封容器で保存すること(蒸発防止!)。
5 冷蔵庫で保存していても蒸発・濃縮するから注意。
6 使い捨ての検体採取セットを利用すると、保存で起こる問題は減少する。
7 分離剤を用いると、血清や血漿の収量が増す。
8 検体容器を振ったり揺すったりしない(搬送システム)。溶血が増える。
9 採血容器はいつも立てておくと凝固反応が促進される。
10 感染性のある検体はラベルを貼り、特に、取り扱いに注意する。

 以上10項目の原則と次の8項目の注意点を守ると良い。
1 原則として全血では保存しない。1時間以内に血清分離するためにも採血後45分以内に検査  室へ搬入すること。
2 解糖系を阻害しておくこと。解糖系が働いているとグルコースは低下し、乳酸は増加し、pH   は下がる。抗凝固剤と解糖阻害剤を添加することで解糖系を適切に阻害できる。
3 直射日光を当てない。ビリルビン、ビタミンC、ポルフィリン、葉酸やクレアチンキナーゼ活  性などが低下する。
4 できるだけ検体が空気と触れるのを避ける。この注意を怠ると蒸発や昇華が起こり、不揮発性  物質の濃度が高くなる。特に、採血検体量が少ない場合や採血量に比し表面積が大きい容器に  入っている時は注意が必要である。
5 全血を冷蔵庫で保存してはいけない。保存するときは血球を分離した後に血漿(血清)として  保存する。尿を冷蔵庫で保存するとカルシウム、リン酸マグネシウムや尿酸などは沈殿する。
6 幾つかの検査項目によっては、検体を凍結保存してはいけない。凍結保存をしてはならない検  体の種類と検査項目のリストをまとめておくとよい。
7 解凍した検体で非常によく起こる間違いは、解凍後の検体の混和が充分にできていないことで  ある。高濃度の物質がまず解凍され容器の底に溜まり、濃度勾配が容器内でできる。
  正しい解凍法:解凍後は泡が立たないように注意して数回転倒混和する。沈殿物がないかを観  察する。必要ならば暖めながら注意深く解凍する。
8 検査結果の再確認や追加検査などの目的で検査後の検体を保存する場合は、  検体の名前などの識別情報を確認しておく。
 
 以上、検体を“新鮮”な状態で保存するための要点をまとめた。
■検査の充実を目指して その2
 検査部では年明け早々にいくつかの出来事がありました。一つは検査部の勤務が2交代制に移行したこと、もう一つは外来検査室を開設したことです。いずれも試行的な運用ですが、4月からは本格的な運用を目指しています。
 前者の2交代制勤務の導入では、16時間勤務(従来の当直) 当日は16時30分から翌日10時までの勤務となり、16時間勤務開始・終了前後の「非番」などで勤務をしない日が従来の当直に比較し一日増えることになります。さらに、土・日曜日の日勤(従来の日直)による「振替休日」を含めると毎日5名から最大7名の欠員が生ずることになります。このような状況で従来どおりの業務をこなすには大きな支障が起きており、早急な改善が必要と考えています。具体的には煩雑な手技を必要とする検査項目の外部委託などを考えていますが、院内で実施する検査に比較してデータに対する精度や報告時間が気にかかるところではあります。部内での人員配置を検討し、できる限り診療側にはご迷惑をおかけする事のないようさらなる努力をする所存であります。また、検査部2交代制勤務は、各科・各部配属の検査技師のご協力によって支えられている面があります。この紙面をお借りして各位に感謝申し上げます。
 外来検査室の開設は、病院の中期計画・中期目標の方針に沿ったものですが、従来の内科外来検査室をベースとして全科対応型の「患者様を動かすことなく検査ができる」外来検査室を目指しています。主な検査は尿定性・沈査の一般検査、心電図検査などですが、従来各科で実施していた検査を検査部で一元的に行うことで、精度の高い検査データを提供することができ、さらに病院情報システムに検査データを登録することで時系列データとして参照が可能となるなどデータ管理の利便性が確保されるものと考えております。現在の病院建屋の構造上、検査部本体と外来各科の導線が長いため採血から結果報告までの時間が必要以上にかかる部分がありご迷惑をおかけしている面もありますが、この欠点を補完する意味からも将来に向けて、この外来検査室が各科へのサービスや情報提供の発信源の一つとなるよう検査部一同がんばりたいと考えています。
 このように年明け早々、風邪をひく暇もないほど検査部一同多忙を極めておりますが、さらなる充実をめざし日々努力中であります。
 交代制勤務の導入や外来検査室の運用で各科にご迷惑をおかけするかもしれませんが、その節は何なりとご連絡、ご指摘下さいますようよろしくお願いいたします。
♪外来検査室より

 外来棟1階に外来検査室が4月(5月)より稼動します。
 メンバーは西岡祥子・原田佐紀子・ 渡邊恵利子・牛之Mさやかの4人で開始します。
 尿一般検査(尿定性・沈渣)をメインに、妊娠反応・便潜血反応(化学法・免疫法)、緊急時の心電図などの外来検査を行います。場所は外来採血室前の男女トイレの間になります。尿検査は従来各科で行っていたものを外来にて一本化し検査します。尿検査は非侵襲性に採取でき、腎臓や泌尿器系の疾患のみならず多くの疾患でも異常を呈することから、自覚症状など身体の異常を訴える前に尿検査によって疾患を早期発見することは、早期治療や疾患の進展防止に貢献しているといえます。また、排尿の開始と終わりを捨てた中間尿が検査には最適ですので、患者様への説明もお願いします。採尿は基本的に採血室前のトイレを利用して頂くことにします。しかし従来どおり各科に在るトイレを使用していただくことも可能です。その場合はメッセンジャーの搬送になり若干時間がかかると思われますので、ご協力をお願いいたします。
 検査開始と同時に、項目依頼もオーダリングになります。また、インフルエンザ抗原検査など、迅速にできる検査も取り入れていきます。
 要望などありましたらお知らせください。
 臨床現場に近い検査室を目指していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
                               連絡先:5308 文責:西岡
 

■ちょっと一息♪                      ペンネーム:白いかもめ
 検査部鉄分検査室よりI

《さくら、さくら》

 春の到来を告げる桜前線が、日本列島を南から北へと駆け抜ける頃となった。
桜は、バラ科サクラ属に属している。日本には、約10種類ある。山桜、大島桜、薄墨、枝垂桜、寒桜、筑紫桜等200?300ほどの園芸品種が知られている。最も有名なのは、染井吉野Prunus yedoensisであるが、この園芸品種が誕生したのは江戸後期のことである。
 万葉集に
     見渡せば 春日の野辺に 霞立ち
        咲きにほえるは 桜花かも  
  
 と歌われたり、在原業平の

     世の中に たえてさくらの なかりせば
        春の心は のどけからまし

 という和歌で歌われている桜は、もちろん染井吉野ではない。
桜前線は、福博には例年4月第一週頃にやって来る。太平洋岸では、概ね数日程度のずれで前線は移動する。桜の花のもとでの入学式は、そうした地域だけの話である。ところが、ここから先は速度を落とし、北上して行く。仙台辺りは、4月20日前後、弘前辺りは、5月の連休の頃である。連休明けの頃、いよいよ桜前線は津軽海峡を越え北海道に上陸する。オホーツク海沿岸の網走辺りには、ようやく5月下旬に到達する。桜前線に従って一緒に列島を北上して行くと結構桜三昧ができそうである。
 以前流氷が接岸する頃、北海道の鉄道に乗った事がある。結氷し陸地と湖の境が白く溶け込んで判然としない網走湖岸を走る石北本線の列車に乗った時に、たまたま乗り合わせた地元の老人と話をした。戦前国後島に居たそうで、そこでは6月に桜が咲き美しい季節だときかされた。ただしその桜は、染井吉野ではなく千島桜の由。
 福博の春の花暦は、ゆっくりと経過する。ところが、東北や北海道では、北へ行く程花暦が圧縮されてくる。満開の梅の側に桜が満開という光景も見られ、福博の人間は思わず「何てこった!」と思わず言ってしまうことになる。福島県の三春は、梅と桜と桃の花が同時に見られる事に因んで名付けられた地名である。何とも優雅な名である。まさに、緯度が高く成る程、春は洪水の様にやって来る。

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 鉄道にも《さくら》がつい最近まであった。先日の3月1日のダイヤ改正で、ブルートレインの元祖と言える寝台特急《あさかぜ》と一緒に寝台特急《さくら》も、廃止された。
 大正8年(1919)8月20日のダイヤ改正で、東京―下関間に3等急行列車が誕生した。大正12年(1923)7月1日のダイヤ改正で特急に昇格し、昭和4年(1929)9月15日のダイヤ改正でついに《櫻》と愛称が付けられた。昭和17年(1942)11月15日に関門トンネルが開通すると《櫻》は、下関から鹿児島まで延伸されたが、戦争末期廃止された。
 昭和31年(1956)11月19日のダイヤ改正で東京―博多間に寝台特急《あさかぜ》が、登場した。国鉄本社が予想した以上に好評で翌昭和32年(1957)夏には、同じ区間に臨時特急《さちかぜ》が運行された。これも好評で、その年の10月1日のダイヤ改正で特急《さちかぜ》が、東京―長崎間に定期列車として走り出した。翌年、《平和》と改称された。そしてついに、昭和34年(1959)7月20日のダイヤ改正でブルートレイン化し《平和》から《さくら》に改称された。戦前の《櫻》の名跡を継いだもの。
 昭和40年(1965)から平成11年(1999)の期間《さくら》は、東京―佐世保間にも走っていた。機関車の先頭に桜の花の意匠のヘッドマークを付けて東京から一緒に走ってきた列車は、長崎本線と佐世保線の分岐駅である肥前山口駅で長崎へ向かう列車と佐世保に向かう列車に解結されていた。
 昭和50年(1975)年3月10日のダイヤ改正で山陽新幹線博多駅が開業(今年は30周年!)した事と、航空路の発達で次第にブルートレインの乗車率は低下して行った。ブルートレインの斜陽化の時代を迎えた。食堂車の廃止や平成10年(1998)年12月4日のダイヤ改正で寝台特急《はやぶさ》との併結などが行われたあげく、ついに今春《さくら》は、桜前線の到来を待たずに退場して行った。
 廃止直前の最後の月となった2月は、「鉄分」高値の人々が沿線各地に集結し《さくら》を撮影する光景が見られた。東京駅と長崎駅で発着する《さくら》に次々とカメラのシャッターがきられていた。併結された《はやぶさ》が解結され熊本へと南行し、《さくら》が長崎へと西行する鳥栖駅での様に多数の人々がカメラを向けた。また、閑散としていた《さくら》車内も往年の賑やかさが戻り最後の輝きを見せた。
 下りの寝台特急《さくら》は、博多から長崎までの間、あろうことか後発の3本の《かもめ》に抜かれてしまっていた。特急が3本の特急に追い抜かれる程、ゆったりと走っていたという事である。有明海の海岸線に沿ってなめるように走る区間は、車窓風景を満喫でき天気が良ければ海越しに雲仙の山塊をゆっくりと愛でる事ができた。《白いかもめ》は、振り子列車の特性を活かしその区間を足早に駆けて行く。
 ところで、《つばめ》の復活のように再び《さくら》が復活することがあるのではないかと早くも予想中。現在部分開業している九州新幹線が全線開業した時新大阪―鹿児島中央間に直通列車を走らせる案があるらしい。この列車名に《さくら》が相応しいのではないかと密かに期待しているのだが...........
  尚、門司港駅傍の九州鉄道記念館で、走行する列車に掲出されていたヘッドマークを見る事ができる。

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 福岡市地下鉄1号線・空港線大濠公園駅には、桜の花が咲いている。福岡市地下鉄1号線・空港線、2号線・箱崎線建設時、各駅にシンボルマークとシンボルカラーが決められた。各駅に駅のシンボルマークを設けたのは、国内初の事だった。大濠公園駅のシンボルマークは、桜の花である。
 各駅のシンボルマークは、地元出身のグラフィックデザイナー西島伊三雄が手掛けたものである。福博に暮らしていれば、作者を知らなくても彼の作品は、ポスターなどで目にしているはずであるほど福博の生活文化の一部となっている。実は、駅のシンボルマークも代表的なものの一つである。
 今年の2月3日福岡市地下鉄3号線・七隈線が開業した。緑色のリニアモーター式4両編成の列車が走り出した。七隈線天神南―橋本間12 km 、全16駅にもシンボルマークが設けられている。これらも彼の手によるものである。
 七隈線各駅コンコース壁面に駅のシンボルマークとその由来、並びにそれに因んだ彼の描いた童画の陶板が飾れている。七隈線を利用される時少し時間のゆとりがあれば、立ち止まって陶板を目にされてはいかがであろうか。
 駅のシンボルマークは、機能的で殺風景になりがちな地下鉄駅の空間に吹き抜ける一陣の涼風の感がある。特に桜坂駅の駅のシンボルマークは、7枚の花びらが舞う様を意匠化している。その《さくら》吹雪に、ついつい去って行った《さくら》を連想してしまう。  
  
  

* 「鉄分」高値とは、鉄道趣味の程度が高い事の意。
■感染制御のために(3)
検査部医員  内田 勇二郎
九州大学病院におけるインフルエンザウイルス抗原患者状況について
  日本における2003年/04年シーズンのインフルエンザ定点報告患者数は約79万人、それから推計される日本全国の患者数は約923万人で、最近10シーズンでは中規模の流行であった。分離されたウイルスの大部分はAH3型で、A/Fujian(福建)/411/2002類似株が9割を占め、わずかにみられたB型は山形系統に属するB/Shanghai(上海)/361/2002類似株が約8割であった。AH1型はほとんどみられなかった (IASR Infeccious Agents Surveillance Report (http://idsc.nih.go.jp/iasr/25/297/tpc297-j.html))。当院においては、A型71患者、B型5患者でA型が93%を占め、全国とほぼ同様の結果であった。2003年/04年シーズンの流行はA型が2004年1月中旬から発生し2月をピークとして3月中旬まで続いた。B型は2004年2月下旬から散発的に発生し5月中旬に1例認められた。
 ところが、この2004年/05年シーズンは、全国的にもB型陽性患者の割合が多く、しかもA型B型同時期に流行してた。当院でもB型は2005年1月中旬の発生に始まり2月初めにピークとなった。A型は1月下旬に始まり、あまりピークを作らずに発生している。今シーズンのB型の陽性率は、3月○○日現在で??%と昨年と大きく異なった。
 インフルエンザワクチンの有効性については、CDCの報告によると、65歳未満の健常者では発病に対する有効率が70%〜90%、一般高齢者では肺炎やインフルエンザでの入院に対する有効率が30%〜70%、死亡に対する有効率が80%である等と要約している。一方、国内における論文でもワクチンは有効であるとの結論が導き出されているが、感染に対するワクチンの有効率はA型で68〜80%、B型で43〜44%とややB型に対する有効率がA型に比べ低い結果が得られている(厚生労働省報告書より)。
 抗ウイルス薬のノイラミニダーゼ阻害薬はすでに日本では広く使用され、オセタミビル(タミフルョ )は、世界の生産量の60〜70%が日本で使用されている。しかし、B型インフルエンザでは、ときどきオセタミビルの効果が悪かったという報告がされており、今年のインフルエンザには、感染した側も治療した側も苦慮したことが予想される。
(参考文献)
インフルエンザ Vol.6 No.1 2005.1
■アメリカ留学記(4)                      
                                                   隈 博幸

 最近は地球温暖化のせいで、冬の寒さの厳しさも昔ほどではなくなったような気がします。20〜30年前までは、ここ福岡でも数度は雪も積もり、学校の校庭で雪合戦や雪だるまを作って遊んでいたのですが、近年はそうゆう光景も見かけなくなりました。そこで今回は、私の留学先であったアーカンソー州の気候について少し書いてみたいと思います。
 アーカンソー州はアメリカ合衆国でも比較的南部に位置しているため、どちらかというと「暖かい」地域に属しています。春は短く1ヶ月くらい、5月になると気温がぐんぐんと上昇し30度を超える日が多くなります。8月になると最高気温が40度になることもしばしばです。新しい造りの家はどこもクーラーがあるので室内にいれば問題はありませんが、古い家にはエアコンがついていないことも珍しくは無く、そういう家の住人(やはりご老人が多いのですが)には夏の暑さが大変こたえるようです。事実、毎年暑さのせいで何人もの犠牲者が出ています。また、98年には熱波がアメリカ南部を襲い、アーカンソー州だけでも200名以上の方が亡くなられました。そのときの最高気温は46度だったそうです。アメリカでは温度表記が摂氏ではなく華氏のため、100度を超えることも珍しくありません。摂氏で言うと35度、なんていう場合でも、華氏表記で最高気温110度(!)といわれると、もはややる気を失ってしまうのは私だけでしょうか(責任転嫁ですけど)?
 冬は福岡と同じくらいの寒さですが、まれに雪も積もります。福岡でも積雪があると交通がマヒしますが、あちらではほとんどの人が交通手段を自家用車に頼っているため(田舎だからなのですが)、その被害はもっと深刻、というかお気楽で、みんな外に出ません。たった2cmの積雪でも、スクールバスはストップしてしまうので学校は休校、多くの会社も社員が出勤してこないため臨時休業、スーパーやレストランも閉まってしまいます。私が初めて積雪に遭遇した際、いつものように大学に出勤しましたが、研究室をはじめほかの実験室にも事務室のオフィスにもヒト1人おらず拍子抜けした記憶があります。そのとき以来、「雪が積もったら休み、昼間に降りだしたら様子を見つついつでも帰れるように準備しておく」と頭の中に刷り込まれました。
 2000年の冬でしたか、ひどいアイスストームがアーカンソー州を襲ったこともありました。現地にいた日本人に聞いたところによると、樹木は凍りついて枝や幹が折れ、道路をふさいでいたるところが通行止め。そうでなくても外出はほぼ不可能で、雪の重さで電線が切れて広い範囲で停電、都心部でも復旧が遅れていて、ひどい所では一週間以上も停電が続いたそうです。夏場と違い、暖炉のある家が多く凍死することはなかったようなのですが、一時期はその燃料である「まき」が高騰して困った人も多かったようです。ちなみに、なぜ「現地の日本人に聞いた話」なのかというと、私たち家族は前日に正月休みをとって日本に帰国していたからなのです。運が良かったといえばそれまでなのですが、もし1日帰国が遅れていたかと思うと今でもゾッとします。アメリカで忘れてならない気候の現象として、春先に多く発生するトルネードがあります。メジャーリーグに移籍した野茂投手の投法もトルネードと言ったりして、日本でも聞いたことがある人が多いと思います。簡単に言うと「竜巻」なのですが、規模が非常に大きく、3階建てのアパートなどは建物ごと吹っ飛んでしまうような竜巻です。一旦発生すると数日は消えないため、各テレビ局とも画面の片隅にトルネードの進路を表示して注意を呼びかけます。ちょうど、日本の台風情報のようなものですが、トルネードそのものの半径が小さいため(せいぜい数キロから10数キロメートル」、表示される範囲も狭く、非常にリアリティを感じます。本当にすぐ近くまで接近すると、トルネード警報が発令されてあたり一面にサイレンが鳴り響き、注意を呼びかけます。とはいっても対処のしようがほとんどないのでどうしようもありませんが。一度私の住んでいたアパートの数キロを小さなトルネードが通り過ぎたことがありましたが、そのときはアパートの窓からはっきりと確認できました。規模が小さかったので被害もあまりありませんでしたが、「あんなのに巻き込まれたら死ぬかも」と恐ろしく感じたことも記憶に残っています。
 カリフォルニアなどでは年中温暖で、次に留学するなら絶対あの近くだな、などと思ったりもしましたが、今思うと日本(特に福岡)にいたままでは体験することができなかった自然の脅威を身をもって体験し得たと思えば、貴重な体験だったなぁと思います。でもやっぱりカリフォニアですかね・・・
                                    
■自己免疫疾患と検査について
 生物の免疫細胞は自己と非自己を区別し、自己の組織や細胞に対して反応を起こさないようにできています。(免疫的自己寛容)。
 発生の過程や免疫応答の過程において自己寛容が誘導されますが、いろいろな現象で自己寛容の破綻が起こり自己反応性が誘発され自己免疫疾患が発症されると考えられています。
 自己免疫疾患には、臓器特異的自己免疫疾患と臓器非特異的自己免疫疾患に分けられ、当検査部では表に示している項目を検査しています。                        連絡先 5754(免疫検査室)
■編 集 後 記
 第26号の巻頭は臨床検査の標準化です。臨床検査の標準化とは一言で言えば異なった病院での検査データを直接比較できるようにしようというものですから、何をいまさらと感じる方も多いかと思います。アメリカで測った1cmと日本で測った1 cmは当然同じものと誰しもが認めます。しかし検査の世界では、たとえばALTの値が50と言っても、たとえそれが隣の病院のものでも意味が違い直接比較できないことに疑問が感じられて来ませんでした。九大病院検査部は福岡県の主要な病院と協力して、10年以上にわたって地道に県内の検査値の標準化に取り組んできました。今やその努力が認められて、福岡方式は日本全国のお手本になり、この方式に則って日本全体の検査値を標準化しようという研究組織が、濱崎部長を中心として、日本の度量衡単位の総元締めである産業技術総合研究所と共同で立ち上がっています。
 一方世界でも、検査法と検査標準品の世界標準規格を検討し定めるJoint Committee on Traceability and Laboratory Medicine (JCTLM)と言う組織が、世界の度量衡単位の総元締めであるパリの度量衡研究所(メートル原器とキログラム原器が保管されている)で2002年に創立されました。私も(濱崎部長の代理で)、日本側代表の一員としてこの創立会議に参画することができたのは幸いでした。九大病院検査部が日本のそして世界の検査標準化に確固とした地位を占めているのは、まさに誇りとするところです。 
                                        (康)