九州大学病院検査部  2006年12月10日
検 査 だ よ り
第31号

新しい検査部のありかた‐目に見える検査部へ  康 東天

この2006年8月1日付けで臨床検査医学分野教授に就任しました。前年度3月31日をもって濱崎前教授が退任され、新年度の4月からは第3内科の高柳教授を兼任の検査部長として、検査部は運営されて来ました。検査部としては当面その体制に変化はありませんが、この8月は新しい検査部作りへ向けた事実上の出発点となるのかと思います。私が福岡大学の臨床検査医学、九州大学の生化学教室を経て、ここ検査部に移ったのは1996年11月ですから、現在ほぼちょうど10年が過ぎたことになります。この10年間、九大病院の検査部はずいぶん変貌を遂げました。その変化を内部から見つめても来ましたし、関わっても来ました。前教授、前技師長、そして現技師長を含む全ての技師たちの努力があって、現在の九大病院検査部が日本の臨床検査を牽引する存在であることは自他共に認めるところであると自負しています。今後も日本のリーダーであり続けるために、さらには世界のリーダーとなるためには、検査部員のこの自負心こそがその力の源泉であろうと考えています。この自負心を担保する実力を獲得する機会を全ての部員が持てるようにすることで、日本で最もレベルの高い、最も信頼できる、そして最も特色のある検査を提供し続けたいと考えています。

  現在、臨床検査技師の仕事場は検査部の中だけにあるわけではありません。感染制御委員会のメンバーとして、院内感染の防止や薬剤耐性菌の増加防止へ無くてはならない役割を果たしています。治験審査のスムーズな進行のために検査のコーディネートにも積極的な関与を開始しています。今後の適切な栄養管理のためには、検査による栄養状態の評価を欠かせません。すでに全国で多くの病院で検査技師が栄養評価に重要な寄与をしており、当検査部でも今後しっかり寄与できるようになりたいと考えています。このように、多くのチーム医療の現場に目に見える形で検査技師がすでにそこにいます。また、診療サイドからの新しい検査の要望にも、対話を重ねながら柔軟に対応できるようにありたいと考えています。つまり単に要望を聞くだけでなく、その要望された検査のあり方についてこちらからも積極的に発言あるいは助言するというクロストークを通じて、診療を直接行う側にも検査技師が目に見える形でそこにいることをわかってもらえるよう努力するつもりです。
 

生化学検査Tからのお知らせ

平成19年1月10日以降下記の項目に変更があります。

@血清CHE、血清アミラーゼ及びAMY‐ISOの基準範囲の変更
   検査部は施設間差是正を推進する立場から 全国の検査値の標準化に対応します。
   このため、基準範囲が変更になります。

CHE      従来 107〜233 U/L     変更後 214〜466 U/L

アミラーゼ  従来 50〜159 U/L      変更後  42〜132 U/L

上記基準範囲は暫定福岡県共有基準範囲です。今後3年計画で検証する予定です。

AMY-ISO (アミラーゼ-アイソザイム)
        膵-アミラーゼ  従来 10〜65 U/L     変更後 8〜54 U/L

AHbA1c報告値の変更
   HbA1cも全国の検査値の標準化に対応します。このため高値の報告値が若干下がります。
        (従来法5.8%    変更後5.7%、従来法10%    変更後9.5%)

      (日本糖尿病学会準拠であることには変わりはありません。)
      Y=0.89X + 0.55   r=0.999  Y:標準化対応法、X=従来法

BCRP(C反応性蛋白)最少報告値の変更
   CRPは測定感度改善に伴い、0.01 mg/dl まで報告することができるようになります。

C血清アルブミン測定方法の変更
   血清アルブミンの測定を共存物質による影響の少ない、改良型BCP法に変更します。
     (これに伴う基準範囲の変更はありません。)
      Y=1.27X - 1.28   r=0.975  Y:改良型BCP法、X=従来法(BCG法)

 これらの変更にご理解を頂きますようお願致します。

ご不明な点がございましたら検体検査室(化学)  内線5756 までお問い合わせください。

           唾液‐アミラーゼ 従来 10〜120 U/L   変更後 8〜100 U/L

検査の充実を目指して その7 検査部技師長 栢森 裕三

臨床検査データの標準化

国民の健康志向を反映し、各地域における健康診断事業が総花的に行なわれてきている。そのような中で、厚生労働省から平成21年を目途にして、新たな健診事業を開始する方針が示された。急増しつつある生活習慣病、取り分けメタボリックシンドロームの該当者、予備軍を減らすため、保健指導を必要とする者を的確に判断するための健診項目が新たな新事業において選択された。LDL-コレステロール、尿酸などの項目である。

 臨床検査においては、長年検査データの標準化が叫ばれ、多くの地域で基準となる測定法や標準物質の開発が行われ、施設間のデータ差を小さくする活動が行われてきた。世界的な検査データの標準化、共有化の流れが、ようやく本流となって来ている。2002年、世界的な計量標準の団体(国際度量衡局など)、医療に関係する団体(WHO、国際臨床化学会)、相互認証機関(ILAC)、そして試薬製造団体が中心になり、2002年JCTLM(検査医学のトレーサビリティーに関する合同委員会)という組織を立ち上げた。これは、各国のもっている標準的測定法、標準物質を提示してもらい、それによって各国の検査データを標準化しようと言う活動である。この活動は、国際的検査室認定事業と大きく関係しており、われわれが取得したISO 15189認定もこの線上にある。これらJCTLMの活動に対する日本の対応としては、産官学をあげて検査データの標準化、データベース化のシステム構築が行われてきている。この活動において、九州地区の精度管理方式は今や我が国における地域を代表する活動として注目されている。現在福岡県では、初期診療に必要な検査データは90%以上の施設で同じデータが出されている。本年から、従来の福岡県を中心とする精度管理母体(福岡大学病院、久留米大学病院、産業医科大学病院、飯塚病院、九州大学病院の各検査部からなる福岡県5病院会、技師会、医師会)に加え、九州地区における国立大学病院すべてが加わり精度管理事業を活発化させている。同時に全国国立大学病院全施設でもデータ合わせを開始しており、各々の地域における基幹となり、近い将来には検査データはどの地域においても標準化ができ、同じベースの検査データで診療ができる時代が来るものと期待している。当面は、平成21年の厚生労働省が目指している新規健診事業項目の標準化に対応するために、われわれの検査部も力を入れ、これらの活動を行っていきたいと考えている。
 

■正しい検体の採取から検査部まで ‐その21 ■ 濱崎直孝(現:長崎国際大学薬学部)

今回は前回に続いて、凝固検査用の採血についてです。

凝固検査用の採血(その2)

4.検体の採血

 採血はシリコンコートしてある採血管に採取する。クエン酸と血液との混合比を1: 9 で混ぜ、凝血がないのを確認し 2,500 g で15分間遠心する。もし、目に見える溶血があれば凝固検査用検体としては用いてはいけない。このような溶血検体では凝固因子が活性化されている可能性がある。脂血症や黄疸がある検体は光度計測定に影響を与えるので注意が必要である。

5.検体の運搬

 PT、APTT など凝固検査用検体を採血したら、検体は冷却することなく室温(22〜24℃)の状態で検査室まで届ける。冷却すると第VII 因子が活性化されPT 時間が短縮するので、凝固検査用検体は冷却しないで検査室へ運搬するのが大切なことである。不安定な凝固因子の測定を行いたいときは、すぐ検査できる環境で採血するか、できるだけ素早く検査室へ届ける必要がある。

6.凝固検査の一般的な注意点

・凝固検査は原則として採血後、直ちに検査をするのが望ましい。その場合は、全血を遠心分離後、そのまま遠心分離機内においていて構わない。

・採血した試験管は密閉しておくこと。開栓するとpHの変化が起こり、測定結果に狂いが出る。

・直射日光に当てたり、高温にさらさないようにする。

・凝固測定用検体は冷却してはいけない。冷却すると第VII 因子が活性化されPT 時間が短縮する。

・採血後直ちに検査ができない場合は、充分に遠心し乏血小板血漿(platelet-free plasma; 5000platelet/ul 以下)の状態にして凍結保存をする。

・凍結血漿を検査する場合は、凍結検体は37℃で注意深く解凍し、解凍が完了したら、素早く、しかし、穏やかに転倒混和し検査に用いる。

・凍結融解を繰り返してはいけない。

7.検体の保存

 検体を冷却すると血液凝固因子の中で、第VII因子、第XI因子、第XII因子が活性化されるので、冷却してはいけない。冷   却した検体では第VII 因子が活性化されPT 時間が短縮するけれど、不安定因子である第VIII因子の関与が大きい APTT 時間の測定用検体を保存しなければならないときは、冷蔵保存が良いとされている。室温でも冷蔵保存でも、血球と血漿を分離しない状態で保存しても良い。採血後4時間を超えて保存しなければならないときは、血漿を凍結して保存する。-20℃保存では4週間まで、-70℃で急速に凍結して保存すれば6カ月まで保存可能である。真空採血管で採血後開栓することなく室温で保存しておれば24時間はPT 時間測定に用いてよい。しかし、同じ条件で保存した検体で APTT 時間を測定すると10-15%の活性低下(APTT 時間の延長)が見られる。

 第V 因子と第VIII 因子は不安定な凝固因子である。第VIII 因子活性を測定したい場合は採血後直ちに4℃で血漿分離し、血漿は凍結して(-20℃〜-70℃)保存する。-20℃で保存した場合は、2週間以内に測定に用いなければならないが、-70℃では1年間は安定である。凍結検体を解凍するには特別の注意を払って行わなければならない。凍結検体は37℃で注意深く解凍し、解凍が完了したら、素早く、しかし、穏やかに転倒混和し検査に用いる。

 8.線維素溶解(線溶)活性の測定と血栓溶解療法のモニタリング

 フィブリン分解産物(fibrin degradation products: FDP)検査用検体は1ml 血液当たり10単位のトロンビンと1835 単位のトリプシン阻害剤(大豆由来)を含んだ容器に採血する。トロンビンを加え残存フィブリノーゲンをフィブリンに変換しておかないと、残存フィブリノーゲン由来の産物でFDP が高く出る。採血後に採血容器内(in vitro)で起こるFDP の産生は、プラスミン活性を大豆由来のトリプシン阻害剤、または、アプロチニンで阻害し、抑える。一方、D-ダイマーの測定はクエン酸採血血漿を用いて行ってよい。

 ストレプトキナーゼやウロキナーゼを用いた血栓溶解療法のモニタリングには EDTA(または、クエン酸)とアプロチニンを含む採血管に採血する。アプロチニンはストレプトキナーゼやウロキナーゼで活性化されたプラスミンを阻害する。使用するアプロチニンは1ml 血液当たり150 KIU(カリクレイン阻害活性)になるようにクエン酸(最終濃度10 mmol/l)または EDTA(最終濃度4.2 mmol/l)溶液に加えておく。

 組換えプラスミノーゲンアクチベータ(rt-PA)の阻害にはD-フェニールアラニン-プロリン-アルギニン-クロルメチルケトン(PPACK)を最終濃度5mM になるようにクエン酸(最終濃度10 mmol/l)または EDTA(最終濃度4.2 mmol/l)溶液に加えておくと効果的である。

 以上で、凝固検査の注意点は終了です。

ちょっと一息♪                      ペンネーム:白いかもめ
 検査部鉄分検査室よりO

《虹の松原と筑肥線》

毎年11月になると、福岡市地下鉄天神駅で色彩に富んだヘッドマークを付けたJR九州の電車を目にするようになる。<唐津くんち>の意匠のヘッドマークである。唐津くんちの曳山は、14台あり、製作順に一番山、二番山と名づけられている。その曳山がヘッドマークに描かれている。<鉄分>高値の人は、このヘッドマークを目にすると<今年も残り少なくなってきたものだ。>とつい思うものである。

唐津くんちは、毎年11月2日から4日までの3日間行われる。祭は約400年の歴史があるが、現行の曳山は、文政二(1819)年の刀町の赤獅子が最初である。これに刺激され、その後各町で曳山が製作されていき、最後の山となる十四番山の江川町の七宝丸は、明治9(1876)年と明治維新後まで製作が続けられた。

曳山は、漆の一閑張りが特徴である。粘土で型を作ってその上に和紙を何枚も張り、その後で粘土を抜き取り、更に和紙の上に漆を何度も重ね塗りをし、最後に金箔や銀箔を施して仕上げる手法である。


福岡市地下鉄1号線・空港線をJR九州の電車が走りだしたのは、昭和58(1983)年3月22日博多−姪浜間が通じた時からである。といっても、当時は実はまだ国鉄時代であり正確には国鉄の電車であった。国鉄筑肥線と福岡市地下鉄との相互乗り入れによるもので、国鉄線と地下鉄の相互乗り入れは初めてのことであった。それまでの首都圏の地下鉄と他鉄道との相互乗り入れは私鉄との間で行われていた。

ところで、現在の筑肥線は、実は1本の線で繋がっていず、途中で切れて、姪浜−唐津間42.6 kmと山本−伊万里間25.7 kmとに東西に分かれてしまっている。その元になったのが、この相互乗り入れである。それまでは、博多−伊万里間が繋がった線区であった。

この筑肥線の歴史は、複雑である。

大正期唐津や伊万里の経済界を中心に博多へ通じる鉄道を敷設しようという動きが起こり、大正7(1918)年後の北九州鉄道株式会社となる北九州軽便鉄道株式会社が設立され、大正12(1923)年まず福吉−浜崎間が開通した。その後徐々に東西に延伸し、昭和10(1935)年山本−伊万里間が開業し、全通した。昭和12(1937)年には、国有化され国鉄線となった。

地下鉄との相互乗り入れ前の筑肥線は、唐津中心街まで伸びてはいなかった。唐津中心街のある松浦川左岸に対面した右岸に東唐津駅が設けられ、ここでスイッチバックして右岸沿いに上流に向かい松浦川の川幅が狭くなったところで渡河して伊万里へと向かっていた。唐津の街は、松浦川河口にあり、河口部の川幅は広くなっているため工費を節約するため鉄橋を上流側に設計したためである。

 昭和58(1983)年3月22日に福岡市地下鉄1号線・空港線と筑肥線の相互乗り入れが開始された。この際、現行のように筑肥線が、東西に分かれてしまう結果となった。(旧)東唐津駅が廃止となり、(新)東唐津駅が設けられ東から伸びてきた線路がそのまま西へ伸び松浦川を渡河し、和多田を通って唐津駅に達することになった。(旧)東唐津−山本間が廃線となり、(旧)東唐津、鏡、久里の3駅が廃止された。これにより、筑肥線は東西に分断され、唐津−山本間は唐津線が連絡することとなった。

また相互乗り入れにより筑肥東線の博多−姪浜間も廃線となった。相互乗り入れ以前は、博多駅から筑肥線の列車は発着していた。博多を出た列車は、筑前蓑島、筑前高宮、小笹、鳥飼、西新と通って姪浜に達していた。博多―姪浜間のこれら5駅が廃止となった。西鉄天神大牟田線とは平尾駅で立体交差していた。この廃線区間は、現在でも点々とその跡をたどることができる。一部は、道路になり筑肥新道となっている。この廃線区間は、地上線で、住宅街を縫うように走っていた。急行<平戸>という、筑肥線、松浦線、大村線経由で博多−長崎間を結ぶ急行までもが走っていた。

相互乗り入れとなった筑肥東線は、直流電化された。九州内の国鉄の電化は交流で行われてきたため、筑肥東線が唯一のJR九州の直流電化線区である。今年ついに首都圏から姿を消した103系電車が元気に走っている。


唐津の名は、<唐>の津か<韓>の津に由来する。古代より大陸や半島との交流の重要な結節点であった。

<魏志倭人伝>に登場する邪馬台国の所在地をめぐっていろいろな場所が候補に挙げられている。この<魏志倭人伝>に登場するその他の国名で現在地がほぼ特定されているのは、対海国、一大国、末廬国、伊都国、奴国あたりぐらいまでか。唐津を含む一帯が末廬国として記され文献的に遡れる。


近年日本でもスキューバダイビングが人気をよんでいる。

このきっかけの一つになったかもしれない映画がある。

<二キータ>、<レオン>、<フィフス・エレメント>、<ジャンヌ・ダルク>、<トランスポーター>などで知られるリュック・ベッソンが、監督をした<グラン・ブルー>(1988)がその映画である。世界で初めて素潜りで水深100mに達した記録を持つジャック・マイヨールをモデルにした映画である。ベッソン自身、両親がスキューバダイビングのインストラクターであり、ダイビングに子供の頃から親しんでいたことがこうした映画を作るきっかけになっているのかもしれない。彼の映画にはダイビングの浮遊感を形象化したような場面がよく登場している。

ジャック・マイヨールは、昭和2(1927)年上海のフランス租界に赴任していた建築技師の二男として生まれた。当時長崎−上海間に上海航路が就航していて、これを使って上海の欧米人の多くが、避暑に日本にやって来ていた。首都圏の欧米人の避暑地が軽井沢であったのに対して、上海の欧米人の避暑地は雲仙や唐津であった。昭和10(1935)年頃虹の松原には外国人向けホテルがいくつか建っていた。マイヨール家は毎夏、虹の松原の<東屋ホテル>に逗留した。この唐津のリゾート開発と筑肥線の開通とが関係している。北九州鉄道は、昭和2(1927)年に<北九州鉄道沿線名所遊覧図>を発行している。この時点では、博多−東唐津間のみであるが、作画は鳥瞰遊覧図の異才・吉田初三郎によるもので、虹の松原が強調して描きこまれている。大正期から昭和初期にかけて観光ブームが起こっているが、この観光ブームに視覚的に寄与した一人が吉田初三郎である。全国各地の鳥瞰遊覧図を手がけているので作者は知らないまま彼の作品を見たことがある人は多いかもしれない。

ジャック・マイヨールは、虹の松原の海で母から泳ぎを習い、6歳の時地元の漁師から素潜りを習った。10歳の時、七つ釜で運命的な体験をする。イルカの群れに出会い、その中の1頭のイルカに親密な感情を抱いたのだった。13歳まで上海で過ごしたマイヨール家は、第二次世界大戦勃発のため父の故郷マルセイユに引き上げた。

青年に達したマイヨールは、世界放浪をし、30歳の時にはフロリダにいた。地元新聞の記者などをしていて、マイアミ水族館に取材にいき、水中取材で素潜りを披露したのがきっかけでイルカの調教師の職を得ることとなった。イルカと水中で長く一緒にいたいため潜水の技術の習熟に本格的に取組んでいくこととなる。そして、昭和51(1976)年閉息潜水で人類初の水深100mを達成した。更に、昭和58(1983)年には水深105mを達成した。

昭和45(1970)年伊豆半島沖で水深76mの当時の世界記録達成時には、マイヨールは唐津を再訪し七つ釜にも足を運んでいる。彼にとって唐津の海は、少年の海であった。

<魏志倭人伝>には、「又、一海を渡る、千餘里、末廬国に至る。四千餘戸有り。山海に濱(そうて)居る。草木茂盛し、行くに前人を見ず。好んで魚鰒(ぎょふく)を捕え、水深浅と無く皆沈没して之を取る。」と記述されている。マイヨールが唐津の漁師から習った潜水は<魏志倭人伝>の時代まで木霊している。アワビ(鰒、鮑)の貝殻は縄文期の貝塚からも検出されており、潜水漁法は縄文期まで遡れる可能性が大である。


今年の唐津くんちは、もう終わってしまったので、未見の方はぜひ来年ヘッドマーク付きの電車で足を運ばれてはいかがであろう。

唐津へ向かう車窓は、<魏志倭人伝>の経路であり、途中昨年9月23日開業した九大学研都市駅を通過する。医系は、馬出キャンパスに留まるが、他学部は伊都キャンパスへの引越しが五月雨的に始まっている。この伊都キャンパスの最寄り駅である。県境を越え平坦地に出てくると幅約500m、長さ4.5kmのクロマツを中心とする虹の松原が車窓いっぱいに広がって見える。その反対の車窓には、伝説に彩られた鏡山が聳えて見える。虹の松原が尽きたところで松浦川を渡河するあたりから唐津城が目に飛び込んでくると唐津駅はもう近い。 

 クロマツの根元に生えるのがキノコの松露である。このキノコに見立てたのが唐津銘菓の松露饅頭である。唐津訪問の折にはぜひ唐津焼の茶器と合わせて賞味されたい。虹の松原の潮騒が聞こえてくるかもしれない。



七夕コンサートの報告

検査部の有志が第20回七夕コンサート(2006/7/11)に出演して、歌と演奏を披露しました。

コンサートの構成

  修猷館高校 

1.ヴァイオリン2重奏 @「リュートによる古代舞曲とアリア」よりイタリア−ナ
                   Aアイネ・クライネ・ナハト・ムジーク

      2.コーラス @Love, Day After Tomorrow
             Aハナミズキ
             B島人ぬ宝

九州大学病院検査部 天の川音楽隊

1.七夕演奏隊     @「ラッデッキー行進曲」
                   A「青春の輝き」(カーペンターズ)

2.七夕聖歌隊 @「アメージング・グレイス」
               A「君をのせて」(映画「天空の城ラピュタ」より)
               B「Hail Holy Queen」(映画「天使にラブソングを」より)
               C「I believe」

出演者は、休みの日も出てきて猛練習をし、当日は涙と笑いと感動で終りました。この時間、職場に残って仕事をしてくれた検査部の皆さんにも感謝しています。
 アンケート結果のご紹介(沢山ありましたので、抜粋させていただきました)

“すばらしいコンサートでした。元気をいただきました。最後の合唱では涙が出ました。”
“皆さんの上手さに圧倒されました。それと心のこもった暖かいメッセージが伝わってきて涙が出ました。”
“私たちを楽しくさせよう、盛り上げようという気持ちが伝わってきました。自然に手が動き、体が揺れるのを感じました。七夕ということで、浴衣で登場してくださったり、細やかな飾りつけなど、私たちの目も楽しませてくださいました。ご努力に感謝します。”
“心が安らぎました。”
“最後にみんなで歌った「見上げてごらん夜の星を」で心が一つになっていると感じました。どうかこのコンサートが「百年続きますように」いえ、もっともっとです。”
“元気出た〜!”
“このコンサートに関わった全ての人にとびっきりの感謝!!”(文責 豊福)

アンケートにご協力いただき、ありがとうございました

検査部では2006年7月、各診療科に対しアンケートを実施いたしました。急な申し出にも関わらず、300名を超える方々から回答をいただきました。実際に医師・看護師を始めとする医療スタッフの方々や患者様と接する機会の少ない我々にとって、こうして生のご意見・ご感想をいただけることは大変ありがたいことだと思っています。

今回、沢山の方から「以前より良くなった」というご意見をいただきました。2年前のアンケート結果を元に、努力した結果だと思います。その反面、一部の応対の悪さ(特に時間外)やシステムトラブル時の対応などに対する苦情も見受けられ、まだまだ改善すべき点があることを実感させられました。
 また、取り入れて欲しい項目として、「時間外での感染症検査」「血沈」「病棟の尿沈査」などの意見が多く、輸血の搬送に関しては「日勤帯でもメッセンジャーで運搬して欲しい」というご要望を沢山いただきました。
 全てをすぐに実現させることは困難ですが、出来る限り御要望にお応え出来るよう、今は話し合いを進めているところです。
 ある程度対策の見通しがたちましたら、また改めて報告させていただきます。

 本当にお忙しい中、ありがとうございました。(文責 山口)

新人紹介

☆小宮 陽子☆

 平成10年より循環器内科で勤務してまいりましたが、平成18年7月より検査部に配属となりました。

 現在はハートセンター生理検査部門で超音波業務に従事しております。

 これから習得しなければならないことも多くとても緊張していますが、初心にかえってさまざまなことを学んでいきたいと思います。

 よろしくおねがいいたします。

★河原 吾郎★

 こんにちは。8月1日から九大病院勤務になりました河原吾郎といいます。
他病院で生理検査や血液検査、緊急検査等を担当し、今回この九大病院では先進予防医療センターでの心エコー業務とハートセンターでの循環器検査業務を担当することになりました。

 臨床検査技師としては7年目になりますが、ここ九大病院では新人で、臨床検査技師としての経験もまだまだ未熟なため、専門性を高めるため初心に戻りがんばっていきたいと思ってます。

 ドクター及びコメディカルスタッフ、先輩技師の皆様にはご迷惑をおかけする事もあると思いますが、ご指導の程よろしくお願い致します。

感染制御のために(9)       検査部助手  内田勇二郎

トイレは“御手洗”

11月10日は「いいトイレ」の語呂合わせで「トイレの日」でした(日本トイレ協会、1986年制定)。日本には昔からトイレを表す言葉がたくさんあります。はばかり(人目をさけて用を足すところ)、ご不浄、遠方(人目の届かないところで用を足すところ)、便所(仏教用語で、外ではなく部屋で用を足せるため便利なところという意味)、手水場(ちょうずば:神社の手を清めるところから)、雪隠(トイレ掃除を熱心にする和尚とその寺の名前から)、更にその他、東司(とうす)、後架(こうか)、高野山、閑所、装者所(よそものどころ)などなど。ちなみにトイレは「化粧」や「身支度」を意味するフランス語のtoilette(トワレット)に由来し、日本で御手洗がトイレを表すことと似ているともいえます。設置処理方法が語源と考えられるものに厠(かわや)があります。“厠”自体は中国からきたもののようですが、“かわや”の原型は縄文時代や弥生時代の遺跡から既に川で直接排泄する習慣があったようです。

川に糞便を流していた時代、更に糞便を肥料に使用していた時代は寄生虫を中心とした感染症が重要であったと考えられますが、その後公衆衛生が良くなり排泄物を介した感染症は特に日本ではあまり考えられなくなってきたようです。

 ここで突然、病院感染症の話に入ります。病院感染症には、菌交代現象を含めた患者自身が保有する病原体によっておこる内因性感染症と、医療従事者・医療器具を介して伝播する外因性感染症があります。易感染性の患者が病院という限られた空間に密集しているため病原性の低い菌でも感染する可能性が生じます。その中で問題となる抗菌薬耐性菌には、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)、バンコマイシン耐性腸球菌(VRE)、基質拡張型β‐ラクタマーゼ産生菌(ESBLs)、多剤耐性緑膿菌(MDRP)などが挙げられます。感染制御において感染経路を把握しておくことは重要であり、その経路には接触感染・飛沫感染・空気感染があります。上記の耐性菌の感染経路別予防策としては、喀痰などの呼吸器材料から分離され、しかも人工呼吸器を装着している場合は特に飛沫感染対策が必要となりますが、一般的には接触感染対策が中心であり、その基本は手指衛生であります。医療従事者に必要となるのは『一処置一手洗い』であり、手袋をつける前後にも手指消毒が必要でとなります。患者側は、見舞い客を含めて徹底した手指消毒、個室もしくはコホーティング、接触頻度の高い環境表面の消毒などが重要です。

 最近増加しつつある耐性菌で特に重要とする点があります。バンコマイシン耐性腸球菌や大腸菌やクレブシエラなどのESBL産生腸内細菌についてです。腸球菌や腸内細菌科の細菌は、いわゆる腸内の常在菌であるため、腸内に多量に増加し保菌状態になる可能性があります。腸内細菌科の大腸菌は糞便1g中106〜108個もあります。

当院においても過去において、感染例までには至りませんでしたがVREによる院内伝播の事例がありました。その原因として共同トイレの使用が最も考えられたため、トイレ使用時の手指・便座消毒も含めた接触感染対策により終息しました。具体的には、手指消毒薬による便座の拭き取り、手洗い場における液体石鹸やぺーパータオルの設置、蛇口が自動でないところはペーパータオルで蛇口を閉めるなどです。

 時代によって気をつけなければならない感染症は変化してきています。トイレ使用後の手洗いは、毎日何度もすることであり、時には疎かになりがちです。医療従事者が再度徹底した手指消毒をすることにより、患者様また見舞いに来られた方にも適切な指導ができるものと思われます。院内感染対策の基本は、『一処置一手洗い』ですが、トイレは“御手洗”であることも再度意識する必要があると思います。

編 集 後 記

今年は、検査部にとっていろいろなことがあった1年となりました。春先に、生理部門の北病棟への引越しがあり、日常業務を継続しつつ新しいシステムの構築を行ってきました。また、3月31日付けで前任の臨床検査医学分野の濱崎教授が退任となり、後任に8月1日付けで康 東天教授が就任しました。4月からは、第三内科の高柳教授が検査部長を兼任され検査部を運営しています。
 昨年から引き続いた新病棟への引越しが完了し、ようやくあわただしさが一段落し、日常業務に専念できるようになりました。
 7月にアンケートを実施しましたが、現場からいろいろな御要望をいただきました。このアンケートを元に臨床の場との間の風通しをよくしていくよう努力してまいります。今後の紙面に改善点について御報告していく予定にしています。よろしくお願いします。
 臨床の場と検査部とのシームレスな体制を目指し、最終的には患者さんの利益に還元できることを願っています。それこそが、<人と人が重なる検査部>といえるものになるのではないかと思います。

ところで、七夕コンサートに今回初めて検査部の有志が参加し、歌や演奏を披露しました。コンサートのアンケートでは、<元気をもらえた>というものもあったようです。こうした声こそが有志の人々にとっていい心の贈り物になったものと思います。コンサートに携わった人々ならびに聴いていただいた人々に感謝します。                                  (原)