九州大学病院検査部  2007年8月24日
検 査 だ よ り
第33号
検査の充実を目指して その9■     検査部技師長 栢森 裕三
 <メタボ健診>

 今年は梅雨明け前後に台風が来襲し、福岡の水不足も解消されたようです。一方では、新潟でまた地震があり、その前の中越地震と同程度の大きな被害をもたらすとともに原発の危うさを露呈する結果となってしまいました。被災に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。 さて前号でも触れましたが、厚生労働省から平成20年4月(前号では平成21年度と書きましたが、勘違いでした)から新たな健診事業を開始する方針が示されました。いわゆるメタボ健診 (標準的な健診・保健指導プログラム)ですが、この事業の概略は、①健診項目の改訂、②保健指導対象者の選定と階層化、③保健指導対象者への面接等による個別あるいはグループ指導体制の確立、④保健指導のプロセスと必要な保健指導技術の確立、⑤健診・保健指導員の研修体制、である。 この中で検査部に関係する事柄としては、①の健診項目の改訂です。この改訂の基本的な考え方は、「保健指導プログラム」でも述べられている通り、「糖尿病等の生活習慣病、とりわけ内臓脂肪症候群(メタボリックシンドローム)の該当者・予備群を減少させるため、保健指導を必要とする者を的確に抽出するための健診項目とする。」とされ、項目の血液検査項目が義務付けられました。 脂質項目として中性脂肪、HDL-コレステロール、LDL-コレステロール、肝機能検査(AST、ALT、γ -GT)、血糖検査(空腹時血糖又はHbA1c検査)、尿検査(尿糖、尿蛋白)です。さらにこの健診において医療保険者は、異なった検査施設での被保険者のデータを一元的に管理し、そのデータをもとに保健指導を実施しなければならないと定められています。このため健診実施施設は、どこで検査をしても互換性のある検査データを報告する必要があります。例えば、生活スタイルなど変化がないにもかかわらず、福岡県の健診施設で測定したHDL-コレステロールのデータは正常だったのに、翌月に東京に転勤して測定したら異常になってしまったのでは適切な指導ができず、メタボ健診の前提は大きく崩れることになります。 臨床検査においては、長年検査データの標準化によって多くの地域で施設間のデータ差を小さくする活動が行われてきました。このため、義務化された8項目のうち6項目までは日本医師会等の精度管理調査によれば多くの検査施設で互換性のあるデータが出せます。しかし、HDL-コレステロールとLDL-コレステロールに関しては、日常検査に使用している測定法が多様で、臨床検査に利用できる適切な標準物質がわが国では十分に整備されていません。現在、標準物質についてはメタボ健診開始を目標に、独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)「知的基盤創成・利用促進研究開発事業」の委託事業である「臨床検査用標準物質の研究開発」において、独立行政法人産業技術総合研究所と特定非営利活動法人日本臨床検査標準協議会(JCCLS)が協力体制を取り、実用的なLDL-コレステロールの標準物質作製のための検討が行われており、その中間報告はJCCLSのホームページ(http://www.jccls.org)で公表されています。また、基準測定法についてはアメリカ合衆国のCDC (米国疾病対策予防センター)の基準法が世界的に認められていますが、正確性を維持しつつより簡便な方法が現在検討されています。このようにわが国の臨床検査分野において、メタボ健診を側面から支援する活動が活発に進められています。また、全国の臨床検査技師・衛生検査技師の団体である日本臨床衛生検査技師会が中心になり、検査実施施設における臨床検査データの互換性を検証・維持するシステムを構築するための活動が本年度から開始されています。近い将来、どの地域においても同じ質をもった検査データで診療ができる時代が来るものと期待しています。
■内海健先生が検査部にお見えになりました!!


2007年6月1日付けで臨床検査医学准教授(検査部副部長)として赴任しました。これまでは生化学的、分子生物学手法を用いて癌の耐性機構の解明、分子標的治療の探求を主に研究してきました。これらの経験を通して検査部に貢献できればと考えています。九大病院検査部の第一印象は体制化された組織であり、率先してのISO取得、世界的検査標準化の中心メンバーとして日本をリードしている組織だと認識いたしました。検査部としては素人の私ですが今後は臨床の医師との橋渡しとしてまた、研究の出来る検査部を目指して一助になればと考えています。
正しい検体の採取から検査部まで ‐その23 ■  濱崎直孝(現:長崎国際大学薬学部)
 

メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)防止のための健康診断義務化を厚生労働省が決定して以来、臨床検査データの標準化が関連各部門で密かに注目されていますが、それと同時に、注目されているのが、正しく検体採取を行い、正しく検体を保存し検査室まで運搬するなど、様々な“検査手順の適正化”についてです。今回と次回はこのような臨床検査実施に際しての細かいが大切な問題点についてまとめてみます。


臨床検査の問題点(1)

試薬に特有な、また、分析機器の分析原理(例えば、液状分析なのか、ドライ分析か;直接法なのか、間接法か)に特有な様々な問題点がある。このような問題点について、幾つかの例を挙げる。

毛細血管血採取の問題点

支持体に固定化した試薬を利用して毛細血管血の測定を行う場合、採取のやり方で正しく測定できるかどうかが決まる。毛細血管から血液を採取する場合、指先穿刺で血滴から毛細血管血を採取することになるが、指先を直接サンプル塗布部に触れないようにして毛細血管血を付着する。追加の検査をするときは、改めて、別の部分を穿刺する。このような測定法は毛細管現象を利用している場合が多く、ヘマトクリットが高い検体では血漿量が少なくて反応部分に届く血漿量が不足して正しい測定が行われない場合があるので注意を要する。ドライケミストリーの測定原理は検体中に含まれる妨害物質を分離できる場合があるが、一方で、妨害物質が同じように支持体を移動する場合は、妨害物質の影響が非常に大きく出てくる現象も起こる。

除蛋白の有無で測定結果が違う(高脂血症患者検体でも同様な注意が必要)

蛋白質はその分子自身の体積がある。即ち、血清(血漿)中に含まれる蛋白質は一定の容積を占めている。その容積は含まれている蛋白質濃度と分子量で決定される。通常の検体では1ml の血漿の水分量は 0.93 ml と言われている。一定容量の検体を用いて測定する方法では、除蛋白後の1ml は除蛋白前の血漿 1.07ml に相当する(1.07= 1/0.93)ので、除蛋白をした検体量1mlは除蛋白をしていない検体量の1.07ml分の検体を測定していることになり、検体中の低分子物質(グルコースなど)の量は約5%(理論上は7%)高くなる。同様な容積排除効果が血中のトリグリセリド(中性脂肪)にも当てはまる。5,000 mg/dl (57 mmol/l)トリグリセリド(中性脂肪)を含む血液では、約5%以上高値を示す。

全血でのグルコース濃度と血漿でのグルコース濃度

 グルコース濃度を全血と血漿で比較するとかなり違うことがある。これも、血球による一種の容積排除効果である。赤血球は高濃度のヘモグロビンを含んでおり、血漿中のグルコース濃度は全血中のグルコース濃度よりも15%程高くなる。それ故に、血漿と全血でWHO の糖尿病の診断基準が異なる。

電解質(Na+, K+, Cl-, HCO3-)

血液を保存している間にグルコース濃度が低下すると、赤血球内のカリウムが細胞外に出て、代わりに、ナトリウムが赤血球内へ入る。また、血液が空気に触れるなどして炭酸ガスが血中から逃げると、赤血球内重炭酸イオンが細胞外へ出て塩素イオンが細胞内へ入る。このような現象があるので、全血は電解質の測定にはあまり適していない。冷蔵保存している血液のカリウム濃度は室温保存のカリウム濃度よりも高い。その理由は、冷蔵で保存すると赤血球膜のNa+,K+-ATPase 活性が抑制され赤血球中カリウムが血漿中へ漏出するためである。

微量成分

微量成分の分析では検査過程の汚染が重要な意味を持つ。微量成分を測定する場合はその成分が含まれていないと確  認されている容器で検体採取を行わなければならない。

脂質

内在性リパーゼの作用で保存中にトリグリセリド(中性脂肪)は低下し、グリセロールは上昇する。この変化は個人差が大きく、最初のトリグリセリド(中性脂肪)濃度と減少量との間には相関がない。

クレアチニン

クレアチニンの定量をヤッフェ法で行う場合、検体の保存が長くなるにつれて見かけ上クレアチニン濃度が上昇する。その程度は血清や血漿よりも全血で強く出るし、保存の温度が高ければ影響は強い。ヤッフェ反応に作用するクレアチニン以外の物質の影響であるので、現在では、ヤッフェ法での測定は推奨できない。

一般的注意

試薬、分析方法、分析機器などの違いによって妨害物質も異なるし、検体採取から検査までの操作での注意点も違ってくる。検査する項目が同じでも検査に用いた方法や分析手段が異なると、必ずしも直接比較できないことがある点に留意しておかねばならない。検査を始めるときは、試薬の性質、分析方法の原理、分析機器の性質などを熟知して測定を行う必要がある。


 

感染制御のために(11) ■     検査部助手  内田勇二郎
暑い季節もやっぱり感染症!!― メタロβ-ラクタマーゼとアシネトバクター ―メタロβ-ラクタマーゼ(MBL)とは、従来β-ラクタマーゼに比較的安定とされていた第三・第四世代セフェム薬やカルバペネム薬も分解することができる、細菌が産生する抗菌薬不活化酵素である。Stenotrophomonas maltophilia やBacillus cereus などでは、MBLが染色体性にあることが知られていたが、1990年代初め頃からその遺伝子がコードされている伝達性のプラスミドを持った菌が発見されてきた。主なMBL産生菌は、ブドウ糖非発酵菌と腸内細菌である(表1)。ところで、Acinetobacter sp.を含むブドウ糖非発酵菌には、Pseudomonas aeruginosa(緑膿菌)、Stenotrophomonas maltophilia、Burkholderia cepacia などがあり、後者の2つはPseudomonasに含まれていた時代もある。このブドウ糖非発酵菌は、土壌、水などの自然環境に普遍的にいる菌で、更に低栄養状態でも増殖可能であり消毒薬にも自然耐性があるため、病院環境の水周りには必ず存在するといってもいいという特徴がある。九州大学病院では、2001年頃から緑膿菌に対してMBL検査を開始し、2004年頃からブドウ糖非発酵菌を中心として他の菌種に対しても、チェックをするようにしている。当院において、メタロβラクタマーゼを産生する菌は、Acinetobacter sp. が最も多く、その他、緑膿菌も含むブドウ糖非発酵菌でほとんどを占めている(図1)。Acinetobacter sp.のMBL産生率は2005年に10%を超えるピークをみせ、その後低下している(図2)。セフタジジム(CAZ)やイミペネム(IPM)の耐性率においても、2005年に増加しその後徐々に改善しているが5年前に比べるとまだ耐性率は高い(図3)。したがって、Acinetobacter sp.のMBL率や耐性率の増加の原因一つに病院環境への定着も考えられる。夏は食中毒の季節で、細菌性腸炎をおこす病原性大腸菌などの分離が多くなる季節であるが、その他にも臨床検体で分離検体数が季節変動する菌がある。少なくとも、当院においては、春はインフルエンザ桿菌、夏は緑膿菌、冬はモラキセラが多く分離される。MRSAを含む黄色ブドウ球菌は季節変動を示さない。緑膿菌と同様、ブドウ糖非発酵菌であるAcinetobacter sp.は緑膿菌以上に気温に一致した変動をする。福岡の平均気温と九州大学病院におけるAcinetobacter sp.の新規分離患者数を比較するとほぼ一致していることがわかる(図4)。おそらく、この菌は病原性が低く人に定着するより環境中にいることが多いことからこのような季節変動をすると考えられる。

 耐性菌の出現にあまり季節は関係ないように感じられるかもしれないが、暑い季節はメタロβラクタマーゼ産生アシネトバクターによる感染症の発生や感染管理にも注意する必要があり、院内感染を未然に防ぐように気をつけなければならない。
 




 

ちょっと一息♪                      ペンネーム:白いかもめ
 検査部鉄分検査室より⑱

かもめは西へ

先月7月1日博多駅に30年前の国鉄時代の485系の特急列車<かもめ>が姿を見せた。これは、<かもめ>誕生70周年を記念した臨時列車で、博多―長崎間を1往復した。

JR九州の看板列車の一つとして、博多―長崎間に現在<白いかもめ>が運行されているが、<かもめ>の歴史は古く、日本の鉄道史上由緒深い名称の一つである。
  
戦前の昭和4年(1929)鉄道省が、列車愛称の公募を行った。このとき第8位に<鷗>が入った。昭和12年(1937)東海道本線東京―神戸間に特別急行列車<鷗>が登場した。戦前の<鷗>は、戦況の悪化に伴い昭和18年(1943)2月15日をもって廃止された。戦後の混乱が落ちつきを見せ始めた昭和28年(1953)京都―博多間の特急列車として<かもめ>は復活した。昭和36年(1961)10月からは、それまでの蒸気機関車に代わって気道車キハ82系が投入された。運転区間も京都―長崎・宮崎と変更された。昭和40年(1965)10月からは、宮崎行きが廃止され、鹿児島本線経由西鹿児島行きとなった。更に昭和43年(1968)10月からは、西鹿児島発着の編成は<なは>とし分離され、筑豊本線経由佐世保行きの列車が<かもめ>に変更された。長崎行きと佐世保行きが小倉以西で並行して走ることとなった。山陽新幹線新大阪―岡山間開業でも京都―長崎・佐世保間の運行は変わらず続けられたが、昭和50年(1975)3月の山陽新幹線博多延伸に伴い<かもめ>は廃止となった。<かもめ>の2度目の復活は、昭和51年(1976)7月1日の長崎本線・佐世保線全線電化の時に訪れた。エル特急<かもめ>として、485系電車特急が走り出した。この車両が、<かもめ70周年記念号>として先月7月1日に走ったのだった。その後、昭和62年(1987)国鉄が解体され、<かもめ>はJR九州が引き継いだ。経営企業が代わったことを印象付けるため国鉄色の485系電車は、赤い塗装に変更され<赤いかもめ>になった。昭和63年JR九州は、新製特急車両783系ハイパーサルーンを鹿児島本線の特急<有明>に投入し、平成元年(1989)から<かもめ>の一部に投入した。その後<つばめ>型車両の787系が、<かもめ>として運用されたりしたが、平成12年(2000)3月に885系<白いかもめ>が登場し、現在に至っている。少々煩雑であるが<かもめ>の歴史は、以上のように西遷の歴史である。         
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 <白いかもめ>が駆け抜ける長崎本線は、鹿児島本線鳥栖駅から分岐し、佐賀を経由し、肥前山口で佐世保線が分岐し、肥前鹿島経由で有明海沿いに諫早に達し、長崎へ向かう。
  ところが、以前は別の経路が長崎本線であった。  長崎本線は、明治24年(1891)の鳥栖―佐賀間の開業から営業が始まった。  長崎側からも建設が行われ、明治31年(1898)11月27日大村―諫早―長与間が開業し、鳥栖―早岐―長崎間が全通した。
  肥前山口から現在佐世保線が分岐しているが、当初は長崎本線は現在の佐世保線を経由し、早岐から諫早まで現在の大村線を経由していたのだった。
 有明海沿いを走る肥前山口―諫早間は、当初有明線と呼ばれていたが、この区間が全通して、昭和9年(1934)路線分離が行われ長崎本線に編入され、現行の長崎本線が誕生した。大村湾沿いを走る早岐―諫早間は大村線となった。  ところで、江戸期の幹線路として長崎街道があった。九州内おける唯一の幕府直轄の街道で、小倉常盤橋を起点とし、黒崎、飯塚、原田、田代、神崎、佐賀、北方、嬉野、大村を経由し長崎に至る。この経路に、現在九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の予定経路はほぼ重なっている。九州新幹線新鳥栖から分岐し、佐賀、肥前山口、武雄温泉を経由し、ここから大きく左に曲がり南下し、嬉野温泉、新大村、諫早と経由し長崎に至る計画となっている。この開業に伴い、旧有明線にあたる長崎本線区間は、JR九州から切り離される計画になっていて、沿線自治体がこのことに難色を示して宙釣り状態になっている。  近年長崎街道沿線は、「砂糖の道・シュガーロード」として再認識されてきている。奈良期には砂糖は、日本に入っているが、主に薬用であったようである。一般の食用に広く用いられるようになるのは、南蛮貿易のころからとみられる。江戸期オランダ、中国との貿易港として唯一の港となった長崎は、日本の砂糖輸入の受入れ地として、砂糖の食文化が育ち、また上方、江戸への輸送経路となった長崎街道沿線に砂糖の文化が広がっていった。  長崎を代表する菓子の一つのカステラは、元禄期には製造されていた。長崎には、砂糖と飴を加え煮詰めて作る細工菓子もある。くんちの庭見せや結婚式や仏事の際に飾られている。小城には羊羹、佐賀には丸ぼうろがある。飯塚からは明治以降にたくさんの菓子メーカーが育っているのも江戸期から繋がったものである。京都の和菓子などと異なり卵を材料に用いた菓子が多いのも特徴の一つであり、食文化の伝播として興味深い。  菓子ばかりでなく、料理にも砂糖をよく用い、一般に西九州の料理は甘口で、東日本の食文化の人の中には甘すぎると閉口する人もいるくらいである。  現在、砂糖は安価に手に入るものであるが、江戸期においては高価なものであり、砂糖をふんだんに用いること自体大変贅沢なことであった。長崎において甘口の料理が発達する要因の一つになったのかもしれない。

今月は、原爆忌である。  第一目標の小倉上空が雲に覆われ投下を断念したB29<エノラ・ゲイ>は、第二目標の長崎に向かい、昭和20年8月9日11時02分長崎市松山町付近上空から原爆を投下した。  長崎本線電化と同時に6,173 mの長崎トンネルが開通し喜々津から現川経由で短絡する新線が運用されている。従来の大村湾側の長与経由の旧線も併用されているが、<かもめ>は全て新線経由である。丘陵地を縫って長崎トンネルに入り抜けるといきなり長崎の市街地に飛び込む車窓風景の展開は劇的である。稲佐山が見えると浦上駅だ。  この浦上駅は、開業時は長崎駅であった。開業8年後延伸され現在の長崎駅が開業し、旧長崎駅は浦上駅と改称した。  浦上駅は、爆心地から約1km南にあり駅は壊滅している。駅構内には、碑が建立されている。  長崎の中心的医療機関であった長崎医科大学(現・長崎大学医学部)は、爆心地から約0.5 kmに位置し壊滅的状態となった。このため初期の救護活動はかなりの困難を伴ったものとみられる。  長崎本線も被爆し市内は不通となった。当時の極限的混乱状態で複数の関係者の記憶の一致が見られない点があり、確定的なことは言えないが、当日負傷者を収容した救援列車は4本運転されたようである。最初の列車は、定刻であれば松山町辺りを通過して長崎へ向かっていた311列車と考えられている。定刻より遅れ長与駅停車中に原爆に遭遇し、爆風で列車の窓ガラスは粉々になった。線路状況を確認しながら市中心部へ向かい、道ノ尾駅で全乗客を降ろし、さらに中心部へ向かった。この間も線路沿いに続々と避難する被爆者とすれちがっている。枕木も燃えている状況下で道ノ尾―浦上の中間点付近まで進むのがやっとで、ここで700人ほどを救援し、諫早に輸送した。  おそらく当日は救援列車は4本運行されたようで、約3,500人の被爆者が諫早、川棚、大村、早岐へと輸送されたとみられている。  本格的復旧作業は翌10日より始まり、11日22時15分長崎駅発最終列車より運行が再開した。  爆心地より南約2.4 kmの長崎駅は、昼頃より出火し、夕方までに駅舎本館は灰燼に帰した。戦後ステンドグラスのある三角屋根の駅舎が建てられたが、改築され現駅舎となっている。「アミュプラザ長崎」と駅舎の間に丸屋根がかけられ、<かもめ広場>と名付けられたオープンスペースとなり、くんちをはじめとした催しが行われている。  一方、長崎の市内電車である長崎電気軌道は、被爆により全線不通となり、車両16両を消失し、多数の職員が犠牲となった。復旧には時間を要し、11月25日になって蛍茶屋―西浜町―長崎駅前が再開した。長崎駅前―浦上駅前間は、翌昭和21年(1946)2月上旬に、浦上駅前―大橋間は、昭和22年(1947)5月16日に再開した。  長崎中心部は、浦上地区とは丘陵地で遮られ直撃を免れている。長崎県庁近くの新興善国民学校は、爆心地から南約3kmに位置するがそれでも爆風は強く校舎の窓ガラスは粉々となり室内の器具は倒れ散乱するほどであった。この戦前の鉄筋コンクリート造りのモダンな校舎が、新興善特設救護病院として市内の医療救護活動の中心となった。  新興善小学校は、長崎市中心部3小学校統廃合により、平成9年(1997)閉校となり、平成16年(2004)校舎は解体され、残念ながら救護活動の中心となっていた建物を見ることはできなくなった。  尚、長崎県内はもとより近県からも医療救護隊が、続々と長崎入りしている。熊本医科大学と並んで当医学部からも救護班が出動している。  ところで、長崎原爆を題材とした文学作品がいくつか存在する。  当時、学徒動員先の兵器工場で被爆した林京子の<祭りの場>は、被爆の状況を描いている。井上光晴の<明日~1945年8月8日・長崎>は、原爆前日の日常生活のディティールを描きこんでいる。被爆を描くのではなく原爆で唐突に蒸発するであろう日常を描いている。この小説は、<TOMMOROW 明日>という題で映画化もされ御覧になられた方も多いかもしれない。          

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<かもめ70周年記念号>が、姿を見せた7月1日の博多駅は、九州新幹線博多駅乗入れのための工事の只中にあった。現在、<つばめ>と<かもめ>と名付けられた大型クレーンが2機が鎌首をもたげている。まさに博多駅ビル解体目前の駅前の風景を呈している。

博多駅には、<かもめ>、<つばめ>、<はやぶさ>と多数の在来線特急が飛来しているが、九州新幹線博多駅乗入れで新駅ビルともども鉄道風景が一変する。

   戦後<かもめ>が西遷し長崎発着になったのは、長崎の戦後復興の区切りの象徴の一つとなっていたのかもしれない。
 



 
■お知らせ■
☆外注検査追加のお知らせ   抗CCP抗体(抗シトルリン化ペプチド抗体)をH19年7月1日より受託開始しました。間接リウマチ(RA)の診断効率に優れていて、予後予測因子としても期待されている項目です。診察、リウマチ因子(RF)測定、画像診断などの結果から、間接リウマチと確定診断できない者に対して診断の補助として測定されます。保険適用項目ですが、原則として1回を限度として算定、また以下の項目のうち2項目以上を併せて実施された場合は、主たる項目1つに限り算定となっています。【IgG型リウマチ因子(IgG-RF)精密測定、C1q結合免疫複合体(IC(C1q))精密測定、抗ガラストース欠損IgG抗体(抗GAL欠損G)精密測定、マトリックスメタロプロテナーゼ(MMP-3)精密測定】

中分類

保健点数区分

保険点数

検査項目名

採取容器

測定法

基準範囲

単位

報告に要する日数

免疫検査

D014-15

210

抗CCP抗体

茶栓

EIA

4.5未満

U/mL

3~6日
 
外注検査受託中止のお知らせ
測定試薬販売中止のため、HTLV-Ⅰ抗体(FA法)が7月5日より受託中止になっております。代替検査として、院内検査のHTLV-Ⅰ抗体(CLIA法)があります。中分類は、ウイルス検査Ⅰです。初回はHTLV-Ⅰ抗体定性をオーダーし、陽性だった場合、2回目からはHTLV-Ⅰ抗体定量をオーダーしてください。保険点数が異なりますので、注意されるようお願い致します。参考:HTLV-Ⅰ抗体定性の保険点数:85点    HTLV-Ⅰ抗体定量の保険点数:190点       問い合わせ先:検査部外注検査5768又は受付5771 PHS:2425
■新人紹介■
林 真実

今年の春に九州大学の保健学科を卒業し、4月から血液・凝固部門でお世話になっています。ルーチンでは分からないことだらけで、皆様には大変ご迷惑をおかけしております。
一つ一つ仕事を覚えているところなので、これからもご指導よろしくお願いします。

 牧 由希子

4月から化学搬送でお世話になっております、牧 由希子です。働き始めて4ヶ月、福岡での生活にはだいぶ慣れてきましたが、仕事はまだまだ分からないことが多く、日々お姉様方に指導していただいています。出身は南国鹿児島です。 早くこの検査部の戦力になれるよう努力していきたいと思っています。よろしくお願いします!!

 丸山 奏恵

血液・凝固部門に所属しています。出身は広島県です。福岡の暑さにバテ気味です。趣味はパンを作ったり、絵を描いたりすることだったのですが、あまり長続きしていません。まだまだ勉強不足で未熟者ですが、どうぞよろしくお願いします。                

■編 集 後 記■
 平成19年度も順調にスタートし暑い夏が終わろうとしています。4月より3人の新人を迎え検査部も新しい風が吹いています。まだまだ残暑が続きますが感染症にはご注意を!検査部も院内感染予防に力を注いでいます。康部長と栢森技師長の熱いメッセージいつもありがとうございます。ところで、プロフェショナル仕事の流儀という番組があります。ある看護師の言葉「プロフェショナルとは自分のやることを分かっていて、本当に責任をもってやる人のことですね。そして行動に移す人です。考えてばかりいないできちんと行動に移す。責任を分かって行動に移すということですね。」 (看護師 北村愛子)九大別府に戻られた小松さんの奮闘ぶりが伺えます。今後も交流を蜜にし、連携を高めていくことが両検査部の発展につながると思われます。Specialist と Generalistを育成するシステムに両検査部は取り組んでいます。  10月には検査部50周年が執り行われます。この間の歩みを1冊の記念誌としてまとめます。検査部OBも含めた盛大な会になりますので皆様も奮ってご参加をお願いします。 

 将棋ファンならずともご存知の羽生三冠(王位、王将、王座)。彼の揮毫(きごう)に「克己復礼」があります。「謙虚にして積極的に生きるこの姿勢こそすべての向上の源泉である」 との意味です。 見習いたいものです。                                  (内海)