九州大学医学部附属病院検査部  2004年2月10日
検 査 だ よ り
第23号

新たな年を迎えて思うこと

                       検査部技師長 栢森裕三

 皆様 明けましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願い致します。

 さて、昨年一年を振り返りますと、新病棟への移転を機に検査部の組織内容は大きく変わったと思っています。それはいくつかに分かれていた従来の検査室が搬送システムを導入することで一つに集約されたことがあります。これにより人の流れに変化が起こり、お互いの検査のカバーが出来るようになったこと、一部の例外はあるものの検査結果の迅速な報告が可能になったことが上げられます。さらに、この移転後に続く新たな診療サービスとしては6月から新規開始した細菌検査システム、迅速検査システムがあります。細菌検査システムは検査結果のウェブでの提供で今まで以上の情報と迅速な検査を目指し、院内感染情報の発信を積極的に進めて参りました。迅速検査システムであるPOCT(Point of Care Testing)は限定した診療科のみでの試験的な提供を行っており、本年も要望の多い測定項目を増やし継続する予定です。また、生理検査の新項目も6月に開始しました。このように検査部としては昨年冒頭から大変な一年で、とにかく移転に伴う新システムを澱むことなく運用し、診療サービスを順調に提供することを第一義と考えて参りました。そこで次の一年ですが、本年4月からいよいよ九州大学も独立行政法人化に移行します。昨年の年明けとともに始まった移転に伴う「多忙さ」とともに今度は「厳しさ」が加わります。経営感覚も必要になってきます。さらにより一層のサービスが必要になります。検査部門としてのサービスの対象は外部においては患者様であり、院内においては医師、看護師の皆さんをはじめとする医療スタッフであります。これらにお答えするために、本年は検査部の内部環境のより一層の整備と二期工事完成後に旧病棟から移転する生理部門の技師教育の充実を目指し、これらを通して充実した検査情報を提供したいと考えています。さらにこのような目に見える「サービス」だけではなく、目に見えない「サービス」も考えています。それは接遇の改善・充実です。「今更-----」、「当たり前-----」との言葉も聞こえて来そうですが、具体的内容は別にお示しするとして、とにかく改善し充実することを今年の目標の一つとしたいと考えていますので、少し長い目で見て下さい。よろしくお願いします。

「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」

 中国・初唐の詩人劉廷芝(りゅうていし)の有名な詩の一文ですが、人生のはかなさについて詠んだ詩とされています。新年早々縁起でもないこととお思いになるかもしれません。しかし、はかない人生だからこそ充実して事に当たる決意も生まれるものです。少し青臭いですが。

 皆様に実り多き一年でありますようにお祈りします。

正しい検体の採取から検査部まで−その13    
                           濱ア直孝

 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。新しい年になっても「正しい検体の採取から検査部まで」のシリーズはまだまだ続きます。今年の最初は、前回(検査部だより第22号)の続きで、血清 (serum) と血漿 (plasma) に関する事項です。この「血清と血漿」との事項とは直接的には関連しておりませんが、ごく最近、日本国内で市販されている真空採血管の滅菌の問題が浮き彫りにされ、採血時の感染に関しての注意が議論されています。ただ、これは、本末転倒の議論で、感染の危険性があるような採血管を市販しているのが問題なのですから、採血管のメーカーは滅菌している採血管を供給していただければ良いのです。噂によると、欧米では滅菌した真空採血管でないと市販できないので、日本の真空採血管メーカーも欧米向けには滅菌して供給しているとのことです。国内向けの真空採血管も滅菌して供給して頂くことを願っています。

 さて、本題に入ります。前回は、血清、血漿についてそれぞれの特徴、臨床検査に用いる場合の長所、短所を纏めました。今回は、血漿の種類と血清や血漿を分離する時の注意点について纏めます。

 血漿の種類

 凝固系の検査には幾つかの種類の血漿を用いることがある。表1にまとめているように、血小板が多く含まれている血漿、血小板が少ない血漿と完全に血小板がない血漿を遠心の条件で作ることができる。それぞれの用途に応じて使い分ける必要がある。

表1

血漿の種類                     遠心条件

  platelet-rich plasma    150xg200xg,      5
  platelet-poor plasma    1,000xg2,000xg,    10
  platelet-free plasma     2,000xg3,000xg,   15-30

血清や血漿を分離する時の注意点

  1. 血漿を分離する時は、採血後、2分以内に血液と抗凝固剤とが充分に混合せねばならない。但し、泡が立つような混合の仕方をしてはいけない。

  2. 分離剤が入った試験管で血清または血漿を分離後、冷蔵庫に保存している検体を再度遠心してはならない。再度遠心するとカリウム、無機リン酸、LDH ALT が異常に上昇する。

  3. 血清を利用しようとするときは、凝固反応が完全に終了するまで待って血清を得なければならない(室温で30分間)。凝固反応が不完全である血清を測定に用いると、分注機での採取量が不正確になったり、分析機のチューブが詰まったりする。

 採血管キャップの色分けによる識別

 EDTA、ヘパリン、クエン酸やシュウ酸などの抗凝固剤の他に、いくつかの添加剤が血液採血には用いられる。採血時の混乱を防ぐために、採血管のキャップを色分けする方式が広く用いられている。EDTA を含む採血管のキャップは藤色、ヘパリンは緑色、クエン酸は青色である。フッ素あるいはヨード酢酸などの解糖阻害剤とヘパリンまたはクエン酸などの抗凝固剤を含む採血管のキャップは灰色である。このような色分けは ISO(国際標準化機構)の標準化の申し合わせに従っている。九大病院もほぼこの分類に従っているが、抗凝固剤の種類と採血管のキャップの色を、一度は自身で確認されることをお勧めする。

今回はここまでにします。

 

新規測定項目開始および測定法変更のお知らせ

免疫部門より

○新規実施項目

 ガストリン放出ペプチド前駆体(ProGRP)精密測定

 基準範囲:              46 pg/ml以下
 検体量:              血清 0.5 ml(茶スピッツで採取)
 測定日:              火曜日、金曜日
 
検体提出にあたっての注意点
  検体採取後のProGRPは時間経過とともに低下していくことが知られています。したがって、検体採  取後は速やかに提出をお願いいたします。また、病棟などで検体を保存する場合は、速やかに血清分離後、−20℃以下で保存して下さい。

○測定法変更項目

 HCVコア蛋白質

 酵素免疫測定法からC型肝炎ウイルスを高感度でとらえる化学発光酵素免疫測定法定量測定に変更いたします。
 
HCV-RNA定量法と良好な相関関係を示します。
 なお、従来はオーダーリング画面上、「HCV抗原」と表示されていた項目です。

 基準範囲:              50 fmol/l以下
 検体量:              血清 0.5 ml(茶スピッツで採取)
 測定日:              水曜日

                           連絡先 内線 5753


各病棟の医師・看護師のみなさまへ

生理検査室より

 以前行ったアンケート調査で生理検査室に寄せられた要望に関していくつかお知らせがあります。

 心電図、肺機能、脳波検査の呼び出しの際に、レントゲンなど他の検査の予定があればお知らせください。その検査の帰りに寄っていただいてかまいません。
検査結果についてすぐ知りたい場合、
WEBから検査結果を参照することができます。是非ご利用ください。   
 脳波検査の予定のある患者様は、できれば前日に洗髪をしてください。

                           連絡先 内線 5762


7回  「鉄分検査室より」    白いかもめ

《博多駅今昔》

  数年前の新年度が始まってしばらくした頃に、帰路の西鉄天神大牟田線の車中で嘘のような会話を小耳に挟んで愕然としたことがあった。どうも東京の本社からその春福岡転勤となった若い男性サラリーマン氏が、地元採用らしい同僚らと話しているところであった。

 「福岡転勤を命じられたので最初は新幹線で行こうと考えたんですが、博多まで新幹線で行けるけど、その先博多から福岡まで乗り換えなくてはいけないので面倒なことが分かって新幹線は諦めました。飛行機だと直接乗り換えなしで福岡に行けるので結局飛行機にしました。やって来てみたら同じ街だと分かりました。」

 文献上《続日本紀》に記された約1250年前の天平宝字三(759)年三月二十四日条において博多大津として初出する「博多」に対し、「たかだか」400年前黒田氏の筑前入国により建設された城下町に名付けられた「福岡」の歴史の浅さによるのか、複雑な思いをさせられた。蛇足ながらヨーロッパの文献では、1548年刊のポルトガル船長Jorge Alvaree編集の報告書にFacataとして初出する。

   どうも「博多」の方が全国的に流通しているような印象である。博多織、博多人形、博多ラーメン、博多万能ねぎ、博多とよのかといった具合である。近年は、福岡ダイエーホークスや福岡ドーム、アビスパ福岡と「福岡」を耳にする機会が全国的に増えてきておりこうした誤解、混乱は少なくなるかもしれない。 アビスパ「福岡」のホーム・スタジアムは、「博多」の森球技場というのも一興か。 

   都市を代表する駅は一般には、都市名を冠した駅名である。長崎駅しかり、東京駅しかり。どうして福岡市の代表駅は、博多駅なのだろう?

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 江戸期博多と福岡は、別々の都市として存在していた。那珂川を挟んで博多と福岡の二つの都市が並立する《双子都市》であった。博多っ子の博多と城下町の福岡は、ことばも博多弁と福岡弁というふうに異なっていた。

 明治期になっても両者は別々の行政区分であった。明治5(1872)年5月筑前は32区に分けられ福岡は1区、博多は2区となった。同年9月には32区は14〜16大区に統合され、福岡は1大区、博多は2大区となった。その後明治9(1876)年には9大区に統廃合され、福岡と博多を合わせて1大区となった。更に明治11(1878)年に1大区は福岡区と改称された。明治22(1889)年の《市制及び町村制》が公布され、全国で31市の一つとして福岡市が誕生した。かくも明治期は政治行政制度が目まぐるしく変化していたのだった。

 さて良く知られているようにこの福岡市発足に当たって「市名問題」が大問題となった。福岡部の人々は、「福岡市」にすべしと主張し、博多部の人々は「博多市」にすべしと主張した。もちろん博多部の人々の中には、江戸期同様に福岡部と分離して博多部だけで独立すべしという意見もあった。紆余曲折はあったものの結果として、「福岡市」に決し、その見返りとして建設計画が進んでいた鉄道駅名が「博多駅」となった。

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 九州内初の鉄道開通駅の一つとして博多駅は、福岡市発足と同じ年の明治22(1889)年12月11日に開業した。平屋木造瓦葺の駅舎前には、現在であればタクシーが並ぶところだが、人力車がずらりと並んだ。この博多駅の場所は、現在の博多駅の場所とは異なっていた。現在の博多駅より約600m博多湾側に以前は位置していた。おおよそ祇園交差点付近に当たる。旧博多駅構内の地域に、博多警察署や博多区役所などが現在建っている。出来町公園には、《九州鉄道発祥の地》の碑がある。旧駅の中心部は、大博通りに当たりそこに碑は建立できず、駅構内のはずれに当たる所に碑が建てられた。その碑の両脇にはC61の動輪が置かれてある。「鉄分」高値の人にとっては、聖地である。

 ところで開業時の初代の博多駅舎は、すぐに手狭となり明治30(1897)年頃から改築の話が出てきた。明治39(1906)年6月に工事が着手され、明治42(1909)年3月10日にルネサンス様式二階建ての二代目博多駅舎は落成した。尚、この年の福岡市の人口は、8万人であった。

 この二代目駅舎は、戦火を潜り抜けた。昭和20(1945)年6月19日23時11分から2時間に渡って福岡大空襲があった。マリアナから飛来したB29二個大隊221機が来襲し焼夷弾を投下し、福博は灰燼に帰した。概ね大博通りより西側が被害を受けた。東流れの区域は戦災を免れた地域が多く古い町並みの面影が今もある。九大病院は被災を免れ、負傷者の治療のため大混乱した。病棟屋上からは、福博の街が火の海と化しているのが目撃された。飯塚方面からでも福博の方向の夜空が山越に赤々となって見え、ただならぬ事が起こっているのではないかと思ったという目撃証言もある。博多駅も被災した。幸い駅舎は、罹災を免れた。連合軍は、駅舎内の部屋を司令官室として接収した。戦後、大陸からの引揚者が博多港に多数上陸し、焼け野原になった中を歩いて博多駅に辿り着き故郷へと帰還していった。また逆に半島や大陸へ帰還しようとする人々の流れも見られたが、不幸にして戦後の冷戦構造の中で人生を翻弄されてしまうこととなり慙愧に耐えない。

 この戦争末期から終戦直後の時期の福博を描いた小説に、岡村和夫の《志賀島》がある。彼は、福岡市出身で福岡大空襲を体験している。昭和50(1975)年の第74回芥川賞をこの作品で受賞している。少年の目で見た福博が描かれている。

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 戦時中名称のある特急は消滅していた。ようやく昭和24(1949)年9月15日特急《平和》が、東京―大阪間に走り出した。九州では、昭和28(1953)年3月15日特急《かもめ》が、博多―京都間を10時間で結んだ。戦後復興が鉄道でも進んできた。昭和31(1956)年11月19日東海道本線全線電化に伴う全国的ダイヤ大改正で、画期的な寝台特急《あさかぜ》が登場し東京―博多間を駆け抜けた。

 こうした中で二代目博多駅舎も次第に狭隘になってきた。実は、既に戦前に博多駅移転改築案が提案されている。昭和33(1958)年本格的に移転改築計画が動き出した。新博多駅は、高架駅の純旅客駅とし、貨物取り扱いは吉塚駅に集中することとなった。

 新博多駅は、昭和38(1963)年12月1日開業した。これに合わせて、市内電車の路線も新博多駅経由に変更された。三代目の現駅舎の誕生からしばらくの間、旧駅舎は取り壊されずに残っていて、両者を区別するため「新博多駅」と新駅は呼称されていた。開業時筑紫口側は、区画整理されたものの更地のままのところが多くその先には農地が広がっていた。ビルが林立する現在から想像できない光景であった。

 その後、昭和50(1975)年3月10日山陽新幹線博多延伸で、《ひかり》が博多駅に乗り入れた。更に、昭和58(1983)年3月22日に福岡市地下鉄が、博多まで伸び、これに伴い筑肥線博多―姪浜間が廃止となった。

 ところで現在博多駅には、駅長が2人いる。けしてドッペルゲンガー現象ではない!この奇妙な事は、実は昭和62(1987)年4月1日に始まった。エイプリルフールではなくて、この日国鉄分割民営化が行われ、旅客部門は全国が地域分割され6JRが発足したためである。九州内の在来線はJR九州が引き継いだものの、九州内の最大の収入源の新幹線博多―小倉間を含む山陽新幹線全線はJR西日本が引き継いだ。このため博多駅駅長が、2人いることとなった。更に地下鉄博多駅まで加えると駅長は何と3人となる。

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 東京駅にも2人の駅長がいる。東海道新幹線はJR東海、東北新幹線・上越新幹線はJR東日本と新幹線の経営主体が異なっている。JR東海の東海道新幹線とJR西日本の山陽新幹線は、直通列車が運転されている。ところがこれらとJR東日本の新幹線とは、直通運転が行われていない。東京駅で新幹線を乗り継ぐには「改札」を通過しなければならない。JRになって面倒なことになってしまった。利用者からすれば、使い勝手がいいに越したことはないのだが.......

 て、手狭になった東京駅の新幹線ホームに、更に長野新幹線が乗り入れたためその分、中央線ホームが上に持ち上げられている。

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 ところで、いよいよ本年3月13日に九州新幹線新八代―鹿児島中央(現・西鹿児島)間が開業する。既に新幹線800系車両の試運転が現在行われている。大きく九州内の時間地図が書き変わるのだが、博多まで全通するまでいましばらくある。この博多延伸時に、九州新幹線用のホームが必要となる。ちょうど東京駅に、長野新幹線が乗り入れた時のようなこととなる。山陽新幹線側の在来線ホームが潰され九州新幹線ホームが設置される予定である。このホームの改変に合わせ、博多駅駅舎改築が計画されている。三代目博多駅駅舎建築の場合と異なり、今度は営業しながらの改築となる。難工事が予想されるため博多延伸まで時間的余裕は、あまりない状況である。はたして、四代目博多駅駅舎は使い勝手のいい設計になるのだろうか?

もう数年もすると三代目の現・博多駅駅舎は、思い出となる。

      

■新人紹介■               

本年1月から検査部の助手兼務となりました下野と申します。

これまで内科における感染症診療を行いながら、Infection control team における活動にも参加させていただいております。常々検査部から発せられる検査結果の重要性には痛感しております。私は感染症が専門ですので検査部、特に細菌検査室と臨床との橋渡しを強化するために少しでもお役にたてたらと考えております。よろしくお願いいたします。

          下野 信行


人事交流(2)鹿児島だより

      人事交流鹿児島記                                     
                           検査部 須田正洋

 平成14年4月から一年間鹿児島大学医学部附属病院にお世話になった。52歳の単身赴任である。鹿児島の街は坂だらけであった。官舎は紫原三丁目で坂の上であった。附属病院も桜ヶ丘の丘の上であった。通勤は徒歩、通称うさぎ道。紫原の丘を一旦、宇宿(うすき)に下り、今度は桜ヶ丘を登る。病院の裏の山道である。この上り坂が半端じゃない。毎朝、覚悟を決めて、さあ〜登るぞ、きばいもんそ(薩摩弁で頑張るぞ)と老体に言い聞かせて一歩を踏み出す。桜島を背中に背負った形でぜーぜーと急坂を登りきり、振り返ると桜島がいつも笑っている。夏場は汗が滝のように噴出す。検査室に着くと着換えは低温試薬庫である。冷風が心地よく、ずっとここに居たい気分だ。一汗かいて一日が始まる。このようにして始まった鹿児島の生活が新たなカルチャーショックを与えた。@に信号が長いこと、Aにタイマーが鳴っても止めないこと、Bに日本一墓場がきれいなこと。花(生花)を見たければ墓場に行くのが最善だ。通勤路に二ヶ所墓場があり、よく花の写真を撮りに墓場に寄ったものだ。

 検査部は丸山教授を初め16名の定員技師と18名の非常勤、パートの技師から構成される。検体数も九大のおよそ半分である。フローサイトメトリーの勉強と血液形態検査と髄液検査のルチンで一日の経つのが何と早いことか。この地はATL(成人T細胞性白血病)の患者様が多く、えっこれがATLというような今までみたことのないATL症例を何例も経験できた。毎月一回、参加は内外を問わず、定期的に血液形態勉強会を開催した。あっという間の一年であった。主婦業の辛さが身に沁みた一年でもあった。帰福してからまだ一度も鹿児島を訪ねていない。そろそろ鹿児島を懐かしむ今日この頃である。濱崎先生ありがとうございました。


 感染制御のために(1)

九州大学の緑膿菌分離の現状について     
                      検査部医員  内田 勇二郎

 緑膿菌感染症の治療には、わが国ではカルバペネムなどのβ-ラクタム薬、キノロン薬、アミノ配糖体薬が使用される。これらの抗菌薬に耐性を示す菌株が1990年ごろより臨床で問題となってきており、その中で、特に多剤耐性緑膿菌(感染症新法第5類)が治療を困難にしている。

 そこで、九州大学病院において、20036月から12月にかけての緑膿菌分離頻度および傾向について報告する。緑膿菌の分離頻度の高い検体である喀痰の総検体数(同一患者の重複を除く)は804検体、うち緑膿菌は108検体(13.4%)分離された。血液培養においては、血液培養提出検体数838検体、血液培養陽性検体数100検体(11.9%)のうち、緑膿菌分離数は10検体(血培陽性の10.0%)と高い分離頻度であった。喀痰より分離された緑膿菌の耐性率を比較すると、IPM/CS17.3%と非常に高く、その他、LVFX 12.0%AZT 11.2%CPZ 11.1%PIPC 8.2% CAZ 7.1%AMK 3.1%であった。多剤耐性緑膿菌は3.1%であった。

 上記期間内に10回以上(分離期間平均122日)緑膿菌が分離された患者(14人)について、耐性化の傾向を検討した。緑膿菌分離当初より耐性もしくは中間型であった患者数は、IPM/CS 4名(29%)、LVFX 2名(14%)、AMK 2名(14%)であった。感受性緑膿菌から耐性へ変わった患者数は、IPM/CS 6名(43%)、LVFX 3名(21%)、AMK 2名(14%)であった。緑膿菌初分離から耐性菌分離までの平均日数(カッコ内は範囲)はそれぞれ35日(995日)、16(7−22)94日(67-121日)であった。

 緑膿菌はもともと弱毒菌であるが自然耐性があるため易感染者に対しては重要な起因菌の一つである。当院でも喀痰検体の13.4%で分離され、更に血液培養陽性の10%を占めている。日本ではカルバペネム薬の使用頻度が高く、当院もそれを反映して、緑膿菌の17.3%にIPM/CS耐性菌が認められ、更に緑膿菌の分離が持続すると耐性化が進む傾向も示唆された。

 当院分離の緑膿菌の感受性傾向からみると、感受性試験をもとに、カルバペネム薬の使用をできるたけ避け、ペニシリン系もしくはセフェム系抗生剤の単独もしくはアミノ配糖体薬との併用が望ましいと考えられる。またこのような耐性菌を院内で増やさないためには、基本的ではあるが院内感染防止のための手洗いが重要である。


九州大学病院におけるISOの取り組み         
                        検査部副技師長  江頭貞臣

近年、優良企業として位置付けられていた病院がつぶれるという現実があります。病院の経営改善のため、検査部の外注化(ブランチ化やFMSなど)も現実のものとなっています。また、国立大学病院は,本年4月より独立法人化になり、検査部の機構もそれに合うように再構築を行わなければなりません。検査部再構築のためのひとつの選択肢としてISO収得を目標に活動しています。

 検査部各部署より任命された代表者によるISO収得プロジェクトチームは、定期的に会議を開催している。この会議の内容は、各部署へ持ち帰り全員に展開され部署単位で活動を行います。

ISO収得の対外的なメリットは、患者・医療スタッフの信頼度および満足度の向上、職員のモラルアップ、優秀な人材の確保などが期待される。

 検査部内のメリットとして、責任と権限の明確化、業務の標準化とマニュアル類・品質記録類の整備、誰にでもわかるルール・仕組みの策定、ミスが起きた際の是正・予防システムの整備、内部監査システムの導入により異なる職務の理解が深まり職員間のコミュニケーションも深まる、ローテーションなどによる品質の低下防止に対しても有効であるなど、従来から実施してきたことがより明確になります。

 その結果、医療事故を含む業務上のミスを減らす。仮に問題が発生しても、記録が残っているため、発生源にさかのぼって的確に対応できる。業務の透明化により個人の仕事が組織的な仕事になり職員間のレベル格差が縮小し、新規職員の早期戦力化が期待できる。職員間のチームワーク強化により自発的な業務改善意識が高まる。

現在の活動は、ISO 15189 Medical laboratories ? Particular requirements for quality and competence を購入し勉強会を行いながら、要求事項に沿ったマニュアルなどを作成中である。


■編 集 後 記

現在、院内感染と耐性菌の発生は病院管理上大きな問題となっています。特に院内感染はこれを完全に制御できれば入院医療コストは相当に削減されるとの話もあり、医療費の増大が国民医療保険制度の根幹を揺るがすまでになっている現状では、単に患者サイドから見た医療の質の向上といった一病院管理上の問題を越えたテーマともなっています。

 検査部細菌検査室では以前より院内感染制御委員会に参加しMRSAの報告など積極的に院内感染防御活動に協力してきましたが、今年1月より感染症の専門家である病態修復内科の下野先生が兼任助手として検査部に参加していただけることになりました。すでに去年より細菌検査室を主に担当してくれていた内田医員と協力し、検査部の細菌検査室の九大病院での感染症管理システムに果たす役割がいっそう強化されるものと大いに期待されます。これを機に、検査部の内田医員に細菌検査室から見た九大病院の感染症の実態と院内感染防止のための情報を提供するためにシリーズ“感染制御のために”を始めることになりました。すでにある“正しい検体の採取から検査部まで”シリーズともどもご愛用くださるようお願い申し上げます。

                                (康)