九州大学皮膚科学教室 ムラージュコレクション

九州大学皮膚科のムラージュ

九州大学医学研究院 皮膚科学教授(第6代)   
古江増隆
 
2011年吉日 

 1906年に開講した九州大学皮膚科学教室はすでに百年以上の歴史を経てきた。皮膚科学は体表の変化を記録し診断・治療を行う学問である。体表は個人の生活習慣、生活環境によって様々な影響を受ける。同じ皮膚病でも見た目が大きく異なるゆえんである。皮膚科学を医学生に教育する際には、皮膚の状態(皮疹ひしんという)を克明に記述させ、上記のような個人差も考慮しながら、診断と治療のすべを理解させることが不可欠である。コンピューターの進歩によって、現在は鮮明なカラー画像による講義が可能である。20世紀の初頭にはそんな技術はない。受診した患者さんにお願いし、学生と一緒に患者さんを診察しながら、皮膚科医の診方を伝授していた。しかしまれな皮膚疾患の患者さんが、常日頃受診されるわけではない。そのため、まれな皮膚疾患の皮疹は、絵画を用いて講義していた。しかし解像度が低く2次元の絵画では微妙な皮疹の状態は伝えきれない。そこで皮疹のムラージュを作成し講義に使用していた。

 ムラージュとはロウ細工のことである。スライドがない時代は皮膚科学の講義には欠かせないものであった。そのためムラージュという響きは皮膚科医になじみ深い歴史の重みを感じさせる。

 九大皮膚科には120体ほど(保存状態の悪いものを含めると200体ほど)のムラージュが現存している。このムラージュは、福岡美術会を組織した新島伊三郎(嘯風)によって700体ほど作成されたと記載されている(九州大学史料叢書第8輯63ページ)。幸い良好な保存状態のものが多く、視診ししんで鑑別診断を考え最終診断への道筋が想定できるほど精巧にできている。時間のある時は、これらのムラージュを医学生の授業に今でも使用している。現代教育にも十分に耐えうるほど巧妙に作成されているからである。臨床も基底細胞癌きていさいぼうがん29. 2003-4241),帯状疱疹たいじょうほうしん46.2586_7271),梅毒ばいどく21.1845_4823)など多彩である。まず学生に皮疹を記載させる。それから鑑別診断をあげ、最終診断に至る根拠を説明する。ムラージュの患者さんが、何歳ぐらいで職業はなんであったかなどを推定させる。そしてその疾患の原因、病態、基礎疾患、治療法について考えさせる。九州大学の歴史を味わいながら講義ができるのである。  

 ムラージュには支台の木枠に、三つのラベルが張ってある。向かって左には九州帝国大学皮膚科泌尿器科学教室および制作者名、中央のラベルには診断名、右側のラベルには教授名であるProf. K. Asahi(旭 憲吉初代教授名)が記してある。1910頃から制作されたこれらのムラージュは、まさに九州大学皮膚科の100年の歴史を見守ってきたことになる。医学の進歩によって原因や病態が解明されていくなかで、診断名が変遷していったものもあり、いろいろな意味で学生達は熱心に聞き入ってくれる(のような気がしてる)。

 歴史の古い大学や病院では、特にヨーロッパを中心に多くのムラージュが現存し、ムラージュだけを収めた博物館もたくさんある。日本でも帝国大学などの歴史のある大学でそれぞれに作成されたが、そのほとんどは長い歴史の中で風化消失してしまっている。九州大学皮膚科のムラージュほどの、良い保存状態のものは少ないかもしれない。たとえば水癌すいがん40.2197_4809)のように現在の日本ではみることのできない社会的な皮膚疾患のムラージュもある。ムラージュの存在によって、歴史を肌で感じることがいかに大切であるかが実感できる。ムラージュの作成者の芸術性の高さとその誇り高い職人技に感服せざるをえない。日本人が日本人の医学生のために日本人の患者のムラージュを作成し、それが脈々と使用されていることを考えると、九州大学百年の宝物にふさわしい代物である。

 最後に是非言及しておきたいことがある。ラベルに記載されている病名は判読できるものはそのままの綴りで記載した。しかし、各ムラージュの解説では現在の病名を用いている。現在の皮膚科学の進歩からすると、ラベルの病名が間違っていると解釈せざるを得ないものもある。その際には、あくまでも私が正しいと思う診断名で解説を行った。皮膚学教授としての責任を全うする必要があるからである。私の診断が間違っていないことを祈るのみである。時を経て正しい診断が下せるのも、これらのムラージュの皮疹が忠実に描写されているからである。制作者の技術の高さに深い畏敬の念を覚える。

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