【医局員の声: 藤井 敬之先生(平成23年入局)】2014年7月14日更新


 私は市中病院で初期研修医として2年間の研修を行った後、九州大学神経内科に入局しました。
 私は幼少時より喘息を抱えていたため、大学入学時には呼吸器内科を目指していましたが、大学在学中に父が脳卒中で倒れてからは神経内科を志望するようになりました。神経内科を学ぶようになり、神経内科の分野は脳卒中だけでなく、認知症、パーキンソン病、てんかん、多発性硬化症など多岐にわたっていることを知り、さらに強い興味を持つようになりました。
 現在は大学院に進学し、アレルギー性炎症と神経疾患について研究を行っています。九州大学神経内科には独創性の高い研究分野が多く、大学院生の意見も広く受け入れられます。研究する環境として、大変良いところだと思っています。
 また研究生活以外にも、登山、地引網、お花見などレクレーションも充実しています。今年は英彦山登山を行い、新入局員や病棟新人看護師さんを含め全ての参加者が登頂でき、大変思い出深いものとなりました。また地引網では、皆で力を合わせ綱を引きました。獲れた魚をその場で漁師さんに調理していただき、絶品でした。
 神経内科に興味がある方もない方も一度見学にいらして、九州大学神経内科の雰囲気を是非感じてください。お待ちしています。


医局旅行にて:さつき松原海岸で地引網


【医局員の声: 藤田 篤史 先生(平成25年入局)】2014年7月10日更新


 平成20年卒業、平成25年入局の藤田篤史です。
 私は市中病院で初期研修医として3年間の研修を行った後、後期研修医として2年間神経内科診療に従事し、その後大学院進学を機に九州大学に入局しました。

 学生時代や医師として働き始めた頃には脳神経外科医を志していましたが、初期研修で総合内科をローテートした事で内科の奥深さを知り、中でも、病歴・身体所見が診断の最も重要な決め手となる神経内科の魅力に引き込まれました。

 また、神経内科を受診される多くの患者さんには、日常生活の支障があり、それが本人だけでなく家族を含めた人生に大きな影響を及ぼすため、一人一人に沿った話し合いやサポートを考える必要があります。その様な診療姿勢が、私の幼い頃から思い描いていた医師像によく当てはまっていることも、神経内科を志望した大きな理由の一つです。

 日本で最初に神経内科が設立された九州大学は、当然、歴史と伝統のある大きな医局でありますが、メンバーは皆、穏やかで、優しく、私の様な九州大学以外の出身の先生も多数在籍されており、非常に雰囲気の良い環境です。
 神経内科としての基礎を築き、それぞれの専門分野へと進んでいく道も開けます。
 ますます高齢化していく社会で増えていく疾患を対象とする神経内科は不可欠な存在です。

 是非、これからの社会を支えるために一緒に働きましょう。


実験中の様子。


実験中の様子。


【医局員の声: 中村 優理 先生(平成23年入局)】



研究室での様子。

 平成19年卒、平成23年入局の中村優理です。私は初期研修2年を市中病院で行った後、引き続き一般内科の後期研修医として内科各科を2年間ローテートした後に神経内科を選びました。

 有名な医療漫画の「ブラックジャックによろしく」に、「箱の中身を当てるのに、箱の中身を開けて確かめるのが外科で、開けずに確かめるのが内科」というような一文がありますが、今は内科でも、CT・MRI等、様々な画像検査の発展著しく、箱を開けずにさも開けたような画像結果を得ることができるようになってきました。一方で、内科の本質である問診や身体所見をおざなりにして検査重視の医療に偏ってきている現実もあります。神経内科の領域でもMRI等が診断に寄与する所は大きくなっていますが、特に変性疾患の領域では画像の異常が出ないことも多く、「最終的に頼るのは自分の診察の腕である」という内科的な面が神経内科は強い科であると感じます。「精緻な診察を行い、箱の中身を開けずに確かめる」そんな内科的な面に惹かれて私は神経内科を選びました。 

 教授回診の際、教授は全ての新患さんの神経学的診察をされます。神経診察について入局後はみっちりと勉強でき、また、体系的に疾患にアプローチしていく、疾患について文献を調べて知識を深め、検査を組み立て、治療を行っていくというプロセスを学べました。今まで急性期病院にいた自分にとって、腰を据えて難病に取り組み、じっくりと考えることができた大学病院での日々は、非常に貴重な経験になりました。出会ったことのない疾患にも立ち向かっていく自信が(ちょっとだけ)つきました。平成23年入局の女性医師は私だけでしたが、同期を含め、先輩方もみんな穏やかで優しく、気負わずにとても良い環境で一年間働かせて頂き、感謝しています。

 神経内科の疾患は、その性質上「治らない」と思われている点から、研修医や学生さんから敬遠される傾向があります。しかし、日々新たな知見が出てきます。脳梗塞に関してはtPAや血行再建が、多発性硬化症には新薬が登場し、ALSの解明も進んでいます。治療ができる疾患はこれからどんどん増えると思います。神経内科の活躍の場もどんどん増えるでしょう。神経内科に興味のある方は是非一緒に働きましょう。


【医局員の声: 磯部 紀子 先生(平成15年入局)】


 磯部紀子(旧姓 黒木)といいます。 医師になって10年目です 。神経内科医として4年働いた後、九大神経内科学教室で博士課程に入り、学位を取得しました。 2010年10月より渡米し、カリフォルニア大学サンフランシスコ校で博士研究員 として、多発性硬化症についての研究をしています。


オクセンバーグ研究室の仲間と。前列左から3人目が筆者。
後列左から3人目は、同じく九大神経内科出身の松下拓也先生。


 私が神経内科に入ったのは、大学1年生のときのearly exposureで初めて神経内科を見学した際の印象の影響が大きいです。原因が不明な疾患、治療法がまだ限られている疾患も多く、それだけに患者さんも大変な思いをされることを知り、そして、その後の大学生活で神経解剖、臨床神経について学ぶにつれ、ますます神経への興味が深くなり、神経内科に入局しました。
 臨床の現場に入り、大学の神経内科病棟では、丁寧な診察、体系だった診断、必要な論文を検索して最適な治療法を決めていく手法を学び、市中病院では脳卒中を中心とした救急医療に携わりました。
 その後、臨床の中で印象が深かった疾患の一つ、多発性硬化症について、より深く研究したいと思い、現在の留学生活に至っています。

 神経内科は、大変幅の広い領域です。神経・筋を中心に、全身を診ますし、急性期病院での働き方から、大学でのじっくり腰を据えた診療、そして、療養型病院やリハビリ病院での医師の仕事、とあり、そのそれぞれが、同じくらい重要な神経内科医としての役割を担っています。そして、神経内科疾患の特徴上、患者さんが長期に渡って病気と付き合っていかなくてはならない場合が多いです。そんな時、医師側が患者さんに寄り添い続ける姿勢、覚悟が大切だなと実感します。私はまだ道半ばで研鑽を積んでいる段階ですが、もしかしたら、この点で女性医師が担える役割はより大きいのかもしれない、とも考えます。
 また、女性医師に限ったことではありませんが、医師人生のうちに、人生のイベントによって、働き方をかえる必要が出てくるときがあるかと思います。その場合、神経内科には、選択肢が比較的多いのではないかと思っています。
 神経内科の領域は未知なことが多い分、より私たちの世代に託されたことが多い分野です。眼の前の患者さんをより良い方法で治療する技術の習得、新しい治療の効果を確認する臨床試験、疾患の原因を探って、未来の疾患の撲滅を目指す研究と、目指す方向は人それぞれ違いますが、情熱を傾けられる方向が定まれば、医師の性別に寄らず、均等に挑戦するチャンスを医局に与えてもらっていると実感しています。

 最後に、私自身、まだまだ医師としても研究者としても発展途上にありますが、もし、九大神経内科に興味がある方、研究留学生活にご興味がある方、女医の働き方にお悩み中の方等に少しでもお役に立てましたら幸いです。是非、一緒に九州大学神経内科で神経疾患の謎に取り組んでみませんか。




【医局員の声: 小早川 優子 先生(平成17年入局)】


2007年度医局旅行の様子
研究室での様子。

 私は大学卒業後、市中病院で2年間の初期臨床研修を行い、その後大学病院神経内科で1年間、関連病院で2年間の勤務を経て、一昨年大学院に進学しました。大学病院で難病に向かう日々も、救急病院で忙しく働く日々も、療養型の病院でじっくり患者さんと過ごす日々も、実験で(たまに)新発見がある日々も、どれも自分にとってはやりがいのある毎日です。また私事ですが、昨年娘が生まれ、日中は学内の保育園に預けながら研究生活を送っています。女性医師にとっても、仕事と家庭の両立が可能な科だと思います。

救急疾患から変性疾患まで幅広く診療したい方、研究に興味のある方、男性にひけをとらずに働きたい女性の入局をお待ちしています。

2007年度医局旅行の様子
2007年度医局旅行の様子。最前列左から4人目が筆者。



【医局員の声: 白石 渉 先生(平成24年入局)】


Dr. Dyck回診時の様子
Dr. Dyck回診時の様子。中央が筆者。右が下純平先生。

 平成22年卒業、平成24年入局の白石と申します。

 私が神経内科を志したのは研修医の時、担当のALSの患者様が亡くなられ、その剖検に参加した時でした。患者様の頭蓋骨が外され、その脳を目の当たりにしたときの驚きを今でも鮮明に覚えています。中心溝を境に、著明に萎縮した一次運動野と、全く正常な一次感覚野が私の目の前に現れました。ALSは運動神経のみを侵し、感覚神経は正常である、という知識は持っていましたが、これほどまで、目に見える形で脳の形態に異常が出るのかと衝撃を受けました。

 現在、ALSには有効な治療法はまだ存在しません。1869年に、シャルコーが初めてALSを報告してから現在まで、140年以上の間、ALSに関して進歩したことは、人工呼吸器、胃瘻による寿命の延長と、リルゾールという、治療薬というには不十分な薬のみです。

 私は父親も神経内科なのですが、父親がある日私に言いました。「僕が神経内科を志したときは、これから新しい治療法が見つかると思った。でも、まだメチコバールもステロイドも現役だし、治らない病気は相変わらず多い。」と。また、父は自嘲気味にこうも言いました。「昔は神経内科は別名『3ない』科と呼ばれていたんだ。わからない、治らない、儲からない。でも、僕たち神経内科医は『あきらめない』。」

 先日、iPS細胞でノーベル賞を受賞した京都大学から、現在、アナカルジン酸を用いたALS治療薬の研究が進んでいます。エダラボンの治験も進んでいる最中です。私の父の時代にはまだでしたが、これから神経内科には間違いなく治療の時代が訪れます。

 その、神経疾患治療の時代を、築き、切り開いていくのには、今これを読んでいるあなたの力が必要です。頭痛、めまいのcommon symptomから、てんかん、脳卒中、脳炎、意識障害の鑑別、変性疾患、膠原病から整形外科疾患まで、当科が扱う疾患は幅広く、日々の診療業務に飽きることはありません。今、当科はあなたの若い力と知力を求めています。ぜひ、一緒に、新しい神経の世界を切り開いていきましょう。

Dr. Dyckとの懇親会の様子
Dr. Dyckとの懇親会の様子。後列左から4人目が筆者。前列左から2人目が下純平先生。


【医局員の声: 下 純平 先生(平成24年入局)】


 平成21年卒業、平成24年入局の高下 純平と申します。
 私は福岡県の急性期病院で初期研修を3年間行い、3年目は神経内科医として勤務し、現在は大学病院の病棟医をしています。私が神経内科を選択した理由としては、医師 になるきっかけとして脳という臓器自体への関心があったことがまず第一で、その後先ほど申し上げた初期研修での経験が大きいと思います。特に脳卒中の診療に携わる中で、血栓溶解療法や機械的血行再建術の進歩を目の当たりにして、これまでは治療が難しかった広範な虚血性脳卒中の患者様
へのアプローチが拡大していく様子にとても大きな衝撃を感じました。

 現在は大学病院で勤務中ですが、これまでとは違った複雑な疾患で苦しんでおられる患者様の診療にあたらせて
頂き、この領域の疾患の幅の広さに改めて驚いています。また、教授を含めた上級医の先生方の診察を間近に拝見し、
診断や治療が困難な神経疾患の患者様にとっての最後の砦としての高いプロ意識を感じます。研鑽中の身ですが、今まで感じることができなかった大切な情報を患者様の体を通して少しずつ理解できるようになってきている実感があり、医師としての成長を感じます。

 脳や神経は人間にとって最も重要な臓器の一つであるという思いますし、急性期の疾患から慢性期の疾患まで必要とされる分野は非常に広いですが、まだまだ同じ仕事に携わる先生方は少ないと思います。これからはきっと脳の時代です。是非一緒に開拓しましょう。