【アルツハイマー病研究の最前線 〜当神経内科教室からのレポート〜(2005年1月17日)】

  九大神経内科では、大八木講師を中心にアルツハイマー病の神経生化学的研究に取り組んできました。この度、大八木講師の原著論文がFAEB journal (impact factor 7.172) に掲載され、欧米のいくつかの雑誌からその論文の内容についての取材がありました。欧米でも大変注目されている研究なので、ここで紹介します。

  一般にアルツハイマー病のような痴呆性疾患は精神科が診るのが普通でした。しかし、アリセプトのような症状を有意に(明らかに)改善させる治療薬が使われるようになったこともあり、神経内科でも積極的に痴呆性疾患の診療と研究に取り組むようになってきています。当教室では、大八木講師を責任者として平成12年12月より精神科と共同で、脳の健康クリニック(物忘れ外来)を設置し、痴呆の診断と治療に協力してあたっています。脳の器質的な障害面とこころの面の両面から早期診断と治療にあたっており、大変好評です。全国的にも神経内科と精神科で共同診療している(同じ患者さんについて神経内科医と精神科医がそれぞれの立場で時間をかけて診察し、検査成績を含めて毎週ケースカンファレンスをもち、治療方針を決めている)のは、大学病院では九大病院だけです。神経内科、精神科両者で丁寧に診察したうえで話し合って治療方針を決めていますから、診断の精度が上がり、治療方針にも偏りがなく、現時点でベストの診療が行われていると思います。また、脳の健康クリニックの外来は、神経内科のスペースに設けられており、患者さんも敷居が低くなったようで早期に受診される方が増え、早期診断・早期治療開始が可能になってきています(神経内科外来での電話予約制になっています)。

  アルツハイマー病は原因不明の難病でしたが、その研究は分子レベルで急速に進歩してきています。アルツハイマー病では、神経細胞外にアミロイドベータ(Aβ)という難溶性のペプチドから成る凝集物がたまります。これが中枢神経系で神経細胞アポトーシス(神経細胞の自殺のようなものです)やシナプス障害を起こしたり、ミクログリアなどを活性化し様々な神経細胞を障害する物質を産生したりすることで神経細胞が死ぬ機序が、神経細胞死のメカニズムの一つとして想定されています。Aβを過剰に産生するようにしたマウス(トランスジェニックマウス)では、脳にアルツハイマー病と同様な病理変化が起きます。したがって、神経細胞外のAβの蓄積は病因の全てではないかもしれませんが、主要な部分を構成すると考えられます。最近、このAβをワクチンとして使い、これでマウスを免疫してAβに対する抗体などの免疫反応を起こさせると、脳内にたまったAβが除去されてマウスの痴呆症状や病理変化が善くなることが示されました。次いで、欧米では実際に患者さんでもワクチン療法が試みられました。Aβに対する抗体が誘導された患者さんの一部では、痴呆症状の改善が得られ進行も抑えられましたが、残念なことにごく一部の患者さんで脳炎が生じました。このためワクチンの臨床応用はストップしていますが、現在より安全なワクチンの開発が動物モデルで進められています。

  ここで大八木講師のチームの研究は、神経細胞内のAβの蓄積に焦点を当てた画期的なものです。この数年、アルツハイマー病患者やその動物モデルの脳の神経細胞内にAβ(特にAβ42)が蓄積することが注目されています。大八木講師らは、国立長寿医療センターの田平武研究所長と共同で、モルモットの神経細胞の初代培養系において酸化的ストレスを負荷すると、神経細胞内のAβ42(これはAβのうち凝集を起こしやすいペプチド部分です)の蓄積が著しく増加し、細胞質から核内へ以降することを見出し、さらに核内ではAβはp53という蛋白の転写を促進し、その産生を高めることを初めて証明しました(下図参照)。このp53は神経細胞のアポトーシス死を誘導する作用があることから、酸化ストレスの負荷から神経細胞の核内へのAβの蓄積、p53の産生亢進、そして神経細胞死に至るカスケード(経路)が考えられました。アルツハイマー病の脳では酸化ストレスが増大していることやp53が過剰発現している事が既に示されています。

  このことは、上記のワクチン療法で神経細胞外のAβの蓄積を除いただけでは、神経細胞内のAβが除去されない限り、一時的には善くてもまた神経細胞死が進む可能性があることを示している点で重要です。実際に、アルツハイマー病の痴呆の重症度は細胞外Aβの蓄積(老人斑)の程度ではなく、神経細胞数の減少に相関すると言われています。したがって、この研究成果はアルツハイマー病の治療戦略に再考迫るものといえ、世界的にも注目されたわけです。現在、当教室では、神経細胞内Aβの蓄積を抑制する薬剤や、Aβからp53産生にいたる経路をブロックする方法を研究しています。これによりアルツハイマー病の新しい治療法が開発できるのではないかと考えています。

  大八木講師ほか大学院生2名、技官1名で研究を行っていますが、まだまだ人手が足りません。田平武国立長寿医療センター研究所長も、そのもとでAβのワクチン療法の開発に取り組んで世界をリードしている原英夫研究室長も当教室の出身(神経内科神経免疫研究グループ)です。今後、アルツハイマー病のワクチン療法が実用化されるようになると、このような神経免疫療法とその副作用に詳しい神経内科医がアルツハイマー病の早期診断と早期治療に関わる機会が一層増えるものと思われます。ただ精神科医との良好な診療関係を保ち、共同で診療を続けることがとても大切と私自身は考えています。医学部出身者であるなしにかかわらず、この方面の研究に関心を持って参加してくれる人を募集しています(医学部出身者以外には大学院の医科学修士や博士のコースが用意されています)。

  今後もアルツハイマー病の分子レベルでの病態の解明と新しい治療法の開発、そして早期診断・治療に当教室では力を注いでいきたいと考えています。臨床教室といえども、大学院大学にあっては学問を究めるという姿勢がとても大切と考えます。より深く学び研究するという点では、大学が国立病院機構の病院や医療センターより勝っていると思います。2005年の年初にあたり研究への決意を新たにしているところです。

図.細胞内Aβ42蓄積/アポトーシス経路とその抑止を目的とした治療標的
図.細胞内Aβ42蓄積/アポトーシス経路とその抑止を目的とした治療標的

  酸化ストレス等により細胞質のAβ42蓄積が促進。その一部が核へ移行し、p53発現を促進し、アポトーシス死を誘導する。治療戦略としては、p53作用の抑制、Aβ42の核移行の抑制、細胞質Aβ42の分解促進が考えられる。