【院生の論文がBrain誌に採用された(2005年2月20日)】

  教室の大学院2年生の石津君の論文が最近Brain誌に掲載されることになったので(現在印刷中)、前回に引き続き当教室の研究活動について述べたい。 Brain誌は英国の雑誌で神経学の領域ではもっとも伝統が古く、かつ権威がある。科学系の学術誌においては、impact factorがそのジャーナルの評価尺度の重要な一つになっているが、神経学領域では米国神経学会(American Neurological Association)誌であるAnnals of Neurology誌が、長く神経学領域でのトップの座についていた。しかし、2004年にBrain誌がトップの座を占めるところとなり、ジャーナルの歴史のみならず現在の評価においても神経学で最高の権威を有するジャーナルと目されるようになった(現在、impact factorはBrain誌が7.967、Annals of Neurology誌が7.717)。したがって、大学院2年目でfull articleがBrain誌に掲載されるというのは快挙といえよう。本人とともに喜びたい。

  この仕事の重要な点は、@多発性硬化症(multiple sclerosis、MS)というコモンな病気を対象にした臨床的な研究論文である点と、A髄液の分析に独自に開発した方法とごく最近他の研究領域で用いられるようになった新しい手法を神経領域に初めて応用したという方法の新しさという点にある。稀な病気を対象にするとか、動物実験をするとかであれば、比較的論文は採用されやすい。神経学領域で日常よく見かける病気、特にMSについては、欧米で日本より約10倍も有病率が高率であるため、その研究は日本では10倍は不利と言え(数が少ないので、患者さんからのサンプルを集めにくいことによる)、論文も欧米一流誌には採用が極めて難しい。そのなかでの快挙なのである(なお当教室からMSの研究論文がBrain誌に載るのは2回目)。

  2004年に私が班長を務めている厚生労働省の免疫性神経疾患調査研究班が15年ぶりに実施したMSの全国臨床疫学調査によれば、わが国ではMSは 1970年代以降生まれの若年成人(特に女性)で激増している。MSへのなりやすさは幼少期の生活環境の影響を強く受けることが疫学調査により示されているので、戦後日本の生活環境の西洋化・近代化により欧米並みのMS発症率に変化しつつあるものと推定される。

  これまで、髄液では、サイトカイン・ケモカインといった、細胞外に分泌され、白血球をはじめとする細胞群を活性化したり病巣局所に呼び込んだりする微量の成分を測定することは極めて困難であった。しかし、私たちは従来のELISA法に替わり蛍光ビーズサスペンションアレイ法を初めて髄液に応用し、少量の髄液中のサイトカイン・ケモカインを高感度多項目(16種)同時測定することに成功した(従来は1種ごとに数種がやっと)。かつ脆弱な髄液細胞の産生する細胞内サイトカインをフローサイトメトリー法により安定して測定することに初めて成功した(これは中国人留学生の梅さんの努力による)。これにより今まではほとんど不明であった髄液のサイトカイン・ケモカインの動態を詳細に知ることが可能になり、MSでは再発時にメモリーTh1細胞の産生するIL- 17/IL-8系が髄腔内(中枢神経系)で活性化していることが初めてつきとめられた。中枢神経系での病態が解明されると、その経路を特異的にブロックすることで新しい治療法が開発できる可能性が高い。今後、免疫機序の関与する神経免疫疾患の解析が進み、新しい治療法の開発へつながるのは間違いない。

  そればかりではなく、私たちは同様な解析法を、従来、神経変性疾患と考えられてきた筋萎縮性側索硬化症に応用し、髄腔内でのTh2型サイトカイン・ケモカインの活性化を最近見出した。私たちの方法とは異なるが、プロテインチップを用いて外国の研究グループが自閉症において中枢神経系と髄液でのサイトカイン・ケモカインの産生亢進をAnnals of Neurology誌にごく最近報告している。いずれの疾患もリンパ球などのadaptive immunity(獲得免疫)系の細胞の中枢神経系への浸潤や活性化はみられない。しかし、中枢神経系にはミクログリアやアストログリアなどのサイトカイン・ケモカインを産生するグリアとよばれる細胞群があり、ニューロンの生存と活動を支えている。このグリア系の細胞が様々な程度に活性化され、 neuroglial inflammation(神経グリア性炎症)といわれる、adaptive immunityの異常(自己免疫疾患は主としてこちらの異常がある)によるものとは異なった機序の炎症が中枢神経内で生じている可能性が高い。自閉症のサイトカイン異常を報告したグループの研究は、新しい方向の研究としてNature Neuroscience誌の評論でもとりあげられている。このグループは、自閉症の他にも運動ニューロン疾患(筋萎縮性側索硬化症)、アルツハイマー病、パーキンソン病などの神経変性疾患で同様なneuroglial inflammationが作動しているのではと考察している。上記のごとく、私たちも同様なラインで運動ニューロン疾患(筋萎縮性側索硬化症)でのサイトカイン・ケモカイン異常の研究を進めている。加えて、これらサイトカイン・ケモカインとともに各種神経成長因子の動態を追求している。

  私たちは、中枢神経にはadaptive immunityの関与したTh1型の炎症とグリアの関与するTh2型の炎症があるとの仮説を立てている。MSは、その急性発症・再発にはTh1型が主に関与すると考えられるが、MSにみられるニューロンの変性過程にはneuroglial inflammationの関与も大きいと予想される。このあたりは、これから大きな研究の進展が期待できると思われ、両者の機序を追及していくことが大事と考えている。私たちの研究チームにとっては、今回の石津君の研究はその第一歩である。異常を呈するサイトカイン・ケモカインが明らかにされれば、動物モデルを用いて、その意義を検証することが可能である。サイトカイン・ケモカインは、それらの様々な阻害薬もあり、サイトカイン・ケモカイン自体の投与も可能であることから、異常を示す経路の修飾は十分可能である(現在の技術で末梢血からの投与のみならず髄腔内や中枢神経の特定の部位への持続投与も可能である)。したがって、将来は、神経免疫疾患のみならず神経変性疾患においても、病態に関与している経路が明らかにされ、その経路を様々に修飾することが臨床の現場で可能になると予想される。神経難病の完治はすぐには無理でも、患者さんがQOLの高い生活を送れるよう病気の進行を遅らせたり、ある場合には部分的であるにせよ回復させたりすることが近い将来可能になると私たちは予想して研究開発に取り組んでいる。この方面に関心のある若い人たちの私たちの研究チームへの参加を期待したい。