【研究の融合をめざして: ポストゲノム時代の臨床医学研究者に必要なことは(2005年7月18日)】

  研究は厳しいものです。研究自体の厳しさと欧米との競争の厳しさがあります。大学で研究に従事するということは、プロの研究者として研究することであり、当然趣味とは違う厳しさがあります。一方、研究は大変おもしろいものともいえます。臨床的研究であれ、実験的研究であれ、研究はとてもおもしろくわくわくする一面があります。研究には多くの困難がありますが、これらを乗り越えて、いいデータが得られた喜び、意外な結果がでた驚き、そしていいジャーナルにacceptされたうれしさは何ものにも換えがたいものがあります。

  医療は人間を相手にしたアートの側面が多大でありますが、医学は科学であり、医学者は科学者に他なりません。では科学者としていい発見を成し遂げることができる必要条件とはどんなことでしょうか。これまでの私のつたない経験から、いい科学者の必要条件を考えてみますと、@常識を越えた発想ができることと、A実験の詰めがきちんとできることの2点が挙げられましょう。この2点はいわば必要条件、必要とされる資質といったものですが、なおこれのみでは十分でなく、B懸命に努力することが重要です。そして、長く研究を継続するには、科学を愛する、科学が好きということが不可欠でしょう。加えて臨床医学の研究者としては、常に患者さんへ研究成果を還元するということを心の中に留めておきたいものです。

  ゲノム科学の長足な進歩により主要な遺伝性神経・筋疾患のほとんど全てで原因遺伝子が発見されました。今はこのような遺伝子がどうして病気を起こすかの病態機序の解明に研究の中心は移ってきています。一方、神経疾患の大部分は遺伝性でない(いわゆる孤発性の)脳・神経の難病であり、その原因はいまだ不明のままです。私たちの教室ではこのような原因不明の脳・神経難病の解明と治療法の開発を大きな研究テーマとしています。下図に当教室の研究の方針をシェーマ的にまとめてみました。私たちの教室では、マクロレベルの研究として、若く健康な脳と、年老いた脳、疾病に陥った脳のネットワーク解析を行っています。最近では機能的MRIや各種大脳誘発電位を組み合わせて脳の各部位がどのように機能的に連関してネットワークを形成しているかを非侵襲的に検索することができるようになりました。若い人でも年老いた人でも脳の形、大きさはそんなに違いませんが、同じような課題を行っても、若い人と年とった人ではそのタスクの遂行に用いられる脳の活性化部位と脳のネットワークが大きく異なります。疾病に陥った脳が同じように課題をこなすことができても、その際の脳の活動部位は大きく違っています。このような脳のネットワークの可塑性が次第に明らかになってきています。この方面の研究は今後大きく発展すると思いますが、これは谷脇助教授、重藤助手を中心としたグループが研究を進めているところです。

  一方、ミクロの分子レベルの研究は、変性と炎症とに大きく分けられます。前者は、神経細胞の代謝、ストレス、軸索伸長、細胞骨格などの異常という神経生物学(neurobiology)的な面から脳・神経疾患における神経細胞死を研究しており、大八木講師、菊池助手が中心的なメンバーです。後者は、神経免疫学、微生物学、血管生物学といった立場から脳・神経疾患の病因、病態を研究しています。こちらは、私、村井講師、小副川助手、三野原リサーチレジデントが主なメンバーです。変性と炎症は従来、概念的に大きく離れていてほとんど接点がありませんでした。しかし、炎症性神経疾患の代表である多発性硬化症においても、炎症による髄鞘の脱落のみならずニューロンの変性が漸次進行することが神経障害の主たる理由とみなされるようになりました。このプロセスに免疫学的機序、サイトカインを介する機序ばかりでなく、神経細胞の代謝や神経伝達物質の受容体を介する過剰な興奮の寄与が大きいことがわかってきました。他方、神経変性においても、筋萎縮性側索硬化症における炎症機転の関与が明らかになったり、アルツハイマー病でワクチン療法の効果から免疫機序を介する難溶性のアミロイドの除去が病態の制御に極めて重要であることが示されるなど、神経変性における炎症の意義が理解されるようになってきました。したがって、変性と炎症は大きく二つの研究グループとしてやっていますが、今後ますます相互の研究の理解と協力が必要です。筋萎縮性側索硬化症をはじめとする運動ニューロン疾患は教室の大きな研究テーマですが、菊池君と院生の田中君を中心に既にこの疾患では炎症と変性の両面からの研究を始めているところです。今後、私たちの教室では、ますます融合的に研究を進めていくことが大切と考えています。変性と炎症のみならず、ミクロレベルからマクロレベルまで融合的に研究を展開していくことをめざしています。
  ただ私自身も神経免疫学が専門なので、あまり神経生物学のことは知りません。この9月から菊池君を中心に医学生や研修医で脳・神経系に関心がある人を対象にneurobiologyの書籍の輪読会をすることを教室では企画しています。そのうち案内がホームページに出ると思います。私もここで体系的に勉強しなおしてneurobiologyの最先端の全体像をつかみたいと思っています。

  この2年間初期臨床研修必修化のスタートに伴い新卒入局がなくなっていましたが、来年度から再開されることになります。うちは入局の勧誘を自粛していたというか、大幅に出遅れているというかで、今のところ来年度の入局予定者は0ですね。巷の市中病院には若手医師があふれ、一方、大学では若手医学研究者が枯渇するようでは、日本の大学の医学研究の先行きが危ぶまれます。今の研修医は大学での医学研究のことをどのように考えているのかわかりませんが、医学部卒業者の何割かは研究に携わる(一時的か終生かはさまざまでしょうが)ようでないと日本の医学の将来は危ういと思います。 私たちの教室は、しっかりした専門医教育と、そしておもしろい研究のチャンスを提供できると思います。日本の医学の未来のためにも多くの研修医が大学に戻ってきてほしいと期待しています。

  蛇足かもしれませんが最後に一言。研究のことは別にしても、おそらく、大学以外で神経内科の専門医教育を系統的に高いレベルで受けるのはまず無理と思いますから、神経内科をやりたい人は従来のように大学に戻るのが賢明と思います。大学を離れて初期研修を一般病院でした研修医で大学に戻ってみようかという人は、どこの大学出身者であれ、私たちはウェルカムです。これからは、何年間か一般病院で忙しく働いて、大学に戻ってみようという人が増えると思います。私たちの医局は、もともと様々な大学出身の中途入局者を受け入れてきた歴史がありますから、この点は問題ないですね。ちなみに今年の入局説明会は、7月23日(土曜日)と8月27日(土曜日)の2回を予定しています。なお来年度(平成18年度)の九州大学病院の医員採用の受付は9月1日から30日まで、大学院の受験申し込みも8月29日から9月1日まで(受験日9月30日)となっています。

図:九州大学神経内科における研究
図:九州大学神経内科における研究