【新しい年を迎えて(2006年1月8日)】

  新しい年を迎えました。私は12月22日が誕生日なので、年末に51歳になりました(秘書さんからシクラメンの鉢植え、病棟・医局の皆さんから花束をいただいてうれしかった)。年をとると本当に時の過ぎるのが早く感じられますが、これは生理的な現象で、人はみなそう感じるように脳がなっているということです。年をとればとるほど時間が早く過ぎるので、年をとればとるほど時間を大切にしたいと思います。

  九大病院は本年3月末にII期棟に半分が引っ越しです(既に外科は3年前にI期棟に移っているので、今回は内科が引越し)。半分といっても、約1300床の半分ですから、半分で普通の大学病院くらいの規模になりますので、大変です。神経内科は34年ぶりに新しい病院でのスタートになりますから、期待も大きいものがあります。神経内科は、病棟は7階に入りますが、2階に脳・神経関係の各科が共同で利用するブレインセンターが新しくできます。このような高度で総合的な脳機能解析センターは全国にも数少ないので、西日本の有数なセンターに育ていきたいものです。臨床に役立ち、患者さんに成果を還元できるセンターであるとともに、大学病院ならではの高度先進医療の開発研究にも貢献できるようであれば、いいなあと思っています。

  ところで、昨年は韓国の教授のES細胞ねつ造問題や、阪大医学生のNature Medicine掲載論文のねつ造、東大教授の脳のsiRNA論文のねつ造疑惑など、科学者の倫理が問われた一年でした。これは、科学の世界の競争の厳しさが根底にあるのは間違いありません。臨床の領域でも競争の厳しさは基礎医学と変わりません。ただ基礎ほど白黒がはっきりしていませんから、灰色の領域は広いと思います。
  このようなねつ造問題を見聞するにつけ思うのは、研究においては、ネガティブな(失敗の)結果はネガティブできちんとデータを詰めることの大切さです。きちんと間違いないデータを出したネガティブな成績は、それはそれで意義があります。臨床の教室における研究は、たとえば、ある疾患について、延々と研究データを積み重ねていく一連の大きな流れに沿ってやらざるを得ないところがあります。したがって、一連のプロセスの中で不可欠ではありますが、一つの研究のテーマとしては地味でおもしろそうに見えないこともありますし、とてもポジティブな成績が得られそうにないこともままあります。しかし、ステップとして、これは押さえておかないといけない、そういう研究に臨床教室に籍をおいていると順番としてあたることはあります。展望のなさそうにみえる研究でも、ネガティブはネガティブとしてデータをきちんと詰めて出せる人は、いずれいい研究にめぐりあえたときも詰めをきちんとした、間違いのないデータを出せるものです。

  研究が地味で、あるいはポジティブなデータにならなくて、よその研究者がいい発表をするのをじっとみているだけということは、よくあります。そこはやはりじっと耐えることが大切。こういう状況に耐えて研究を続けることができる人だけが本物の発見ができると思います。研究には、すぐれた着想力が不可欠ですが、同様に忍耐力が要ります。次々と派手な成績しか出すことしか頭にない人は、ねつ造に走ることになります。だから、若いうちは、地味な研究にじっくり取り組んだり、論文がなかなか通らなくて苦しんだりといった苦労も必要です。研究者人生も日が当たるときばかりではないので、そういう経験が役立つときがあります。
  今年はなんとか頑張って、本物のいい研究成果を世に出したいと願っています。