【平成18年度を迎えて(2006年4月9日)】

  先週は、医局恒例の花見が西公園でありました。九大病院の染井吉野も満開でした。桜の花が散り始めると、キャンパスの銀杏の木がいっせいに新緑に萌え出します。「さまざまの事思ひ出す桜かな」とは、有名な芭蕉の句ですが、毎年のさまざまな新しい出発のことが桜の花とともに思い出されます。

  大学・大学病院のいいところは毎年若い人が入ってくることですね。今年、九大神経内科病棟では3名の新人が専門医(後期)研修を始めました。これらの人たちにとっては、これから2〜3年の間に神経内科学の基盤を作ることがとても大切です。これは、将来、難しい患者さんにあたったときや、臨床で悩んだときに立ち返るレファレンスとなるベースキャンプみたいな場所を自分のなかに作るということです。この意味で、この原点をしっかり作っておかないと、将来大きな仕事、いい仕事はできません。私も同期は3人でした。26年前の神経内科病棟での研修は本当に懐かしい思い出でいっぱいです。柴崎先生(京都大学名誉教授)の病棟医長回診は本当に勉強になりました(柴崎先生の当直医回診には必ずついて勉強させていただきました。先生にとってはおじゃまだったと思いますが)。
  医療技術の修得は大切ですが、大学病院でスタートする専門医研修では、先人が積み重ねてきた神経学の膨大な学問を学ぶこと、神経学の診察手技と解釈、診断の考え方を自分のものとすることが特に大事です。一般病院では、常時10人超の患者さんの主治医になりますが、大学病院では、平均5人くらいの患者さんを受け持ちます(うちの場合だと、30床を病棟主治医6人で分担するのが平均)。ですから、一般病院よりは受け持ち患者さんも少ないので、一例一例しっかり勉強するのが大事。日常臨床で忙しいですが、教科書を系統的にもれなく読んで勉強するのが大切です。
  このような基盤をしっかり作っておかないで、技術の修得だけに先走ると、自分の専門の技術にはまったときはいいが、それ以外のケースや専門技術を適用すべきか否かの判断で危うくなる場合があると思います。神経内科は、脳のみならず、脊髄、末梢神経、自律神経、筋肉まで幅広く学び、これらのすべてを一通りカバーできるように勉強することが望まれます。脳血管障害だけに走ると、それ以外が全く診れないので、麻痺一つをとってもすべての麻痺を診れなくなります(自分が専門の脳血管障害による麻痺しか診れない)。それでは様々な訴えの患者さんを診ないといけない総合病院の神経内科の責任者は務まらないと思います。

  新人以外の人も年度当初にあたって様々な今年度の目標・計画を立てたことと思います。病院は日々の仕事が忙しくて大変ですが、年度ごとの自分なりの目標は立てておいた方がよいですね。
  大学神経内科の教授は、本来の大学神経内科の仕事以外に様々な役職・業務がまわってきますので、なかなか自身の年度の目標を立てる暇もないといったところです。今年は、なかでも九大病院の総務担当副病院長、厚生労働省免疫性神経疾患調査研究班長、日本神経学会編集委員長、福岡県難病医療連絡協議会長の4つが重要かつ忙しいですね。

  九大病院では、新病院でブレインセンターが開設され、いよいよ今週(平成18年4月12日)から業務を始めます。今まではなかなか入院していただかないと検査が難しかった高次脳機能関連の検査が外来レベルでできるようになります。10月か12月くらいには最新鋭の脳磁図、128チャンネル脳波計もブレインセンターに入ります(但し、九大病院はとてもいい所にスペースはくれましたが、新しい機器はいっさい買ってくれませんでしたので、これら最新鋭の機器は借金で返済していかないといけませんが)。外来レベルで高次の脳機能の継続的な検査が様々な角度から行えるようになるでしょう。増加の著しいアルツハイマー病などの認知症への対応も今まで以上にスムースになると期待されます(脳の健康クリニックとして精神科と共同してやってきましたが、認知症情報プラザとしてスペースがとられています)。また、私が専門としている多発性硬化症でも高次の脳機能を指標にした治療効果の判定に役立つものと期待しています。神経内科としては、ブレインセンターを病院全体の有用なセンターとして、ひろく様々な診療科に有効利用してもらえるよう運営していくことが、今年の大きな目標の一つです。

  副病院長としては地域医療連携センター、病棟部門、広報、患者サービスなどを担当します。経営(企画)担当と違い、総務はあらゆる雑用係りみたいなものですが、病院は日々の診療の積み重ねが大事ですから、九大病院の日々の診療がよりよいものになるよう、病院全体を見渡して、これからさらに2年間務めていきたいと思っています。

  厚生労働省の神経難病関係の研究班長を努めていますと、年度ごとの研究費が減額になると本当につらいものがあります。幸い平成18年度は先週末に通知があり昨年度より1割程度研究費が増えていたので、一安心です。これは各研究班員一人一人の研究努力と、事務局を務める村井君(講師)と教授秘書の田中さんが夜遅くまで頑張って立派な報告書を仕上げてくれたおかげですね。神経免疫班の3大疾患は、多発性硬化症(MS)、重症筋無力症(MG)、ギラン・バレー症候群(GBS)です。神経難病の研究にあっては、一朝一夕で画期的な治療法が開発できるわけではないので、地道な臨床研究の積み重ねが大事です。このため、MS、MG、GBSともに、オールジャパンで広く臨床研究者を集め、全国臨床疫学調査を行い、その成績をベースにして日本人の特性に配慮した治療ガイドラインを作成することを大きな目標にしています(私は広く研究者を集める方針がよいと思いそれでいきましたが、少数精鋭にして一人あたりの研究費を大幅に増やす方式もありえます)。私が班長を務める期間はあと2年ですが、MSは15年ぶりの全国調査とその主要部分の解析が終了し、MGは18年ぶりの全国臨床疫学調査を現在実施中、GBSはわが国に多く重症な軸索型に焦点をあてた臨床調査の準備がスタートしていますので、目標は達成できるものと思っています。

  平成17年度より編集長を務める「臨床神経学」は、昨年度久しぶりに投稿論文数が前年より増えました。今年から創刊以来投稿が日本神経学会会員に限られていたのをやめ、誰でも投稿できるオープンな雑誌に変えました。来年度くらいを目処に本誌の電子ジャーナル化に向けた検討を進めることが今年度の大きな目標(課題)です。論文の査読は臨床神経学の投稿論文はもちろんですが、内外の雑誌から毎週1~2編査読依頼が送られてきます。査読には時間をとられますが、たとえば臨床神経学をいいジャーナルにしようと思えば査読システムをきちんとすることが不可欠です。そう思って面倒くさがらずに丁寧にやるよう心がけています(ただ日本の神経内科の教授のなかには臨床神経学の査読は、ほとんどまともにやってくれない方もいます。ブラックリストはある程度できているので、そういう方には査読はできるだけ送らないようにしていますが)。

  福岡県難病医療連絡協議会では、これまでは福岡県重症神経難病ネットワーク事業のみを行ってきましたが、加えて難病相談支援センター事業を立ち上げることになりました。今年度から予算がわずか(厳しい県の財政のなかで予算を獲得された課長、係長さんにはごめんなさい)ですがつきましたので、とりあえずメディカルソーシャルワーカー(MSW)を1名入れて事業を立ち上げることになりました。とりあえずの難病相談支援センター(仮)は九大病院におきますが、本来的には県のほうで難病相談支援センターの施設自体を作っていただきたいものです。当面は、新しく採用されたMSWの方と現在の福岡県重症神経難病ネットワーク事業の難病コーディネータとの連携がうまくいくように、MSWの方に難病の相談事業・ネットワーク事業の経験を積んでもらうことにしています。このような連携と相談事業が軌道にのったら、MSWの方はむしろ九大病院から外に出て患者さん・ご家族がより相談にいきやすいところに難病相談支援センターを立ち上げるのが、患者さん・ご家族のためにはよいのではないかと思っています。

  最後に自身の研究のことを少し書いておきますと、1997年に教授になってからは、若い人の論文を仕上げることを専らにしてきましたので、私自身がfirst author(筆頭著者)の英文原著論文が出版されたのは、2002年が最後です。しかし、若手もある程度育ってきたので、今後はデータを出すばかりでなく英文論文を書いて仕上げるところまで、若い人自身と指導教員でやってもらい(若手にできるだけ自分で英文を書いてもらうのは、一流英文誌に論文を通すところまで自力でできないとresearch neurologistとしては一人立ちとはいえないことによります)、その分、私自身は再来での臨床観察をベースにしたfirst authorの論文を再び書いていきたいと思っています。最近では、視力もだいぶ衰えて老眼がひどくなって回診のときに瞳孔の対光反射が見づらくて困ったり、坐骨神経痛で腰が痛いので回診を4時間立ちっぱなしで診察し続けるとさすがに左足がしびれてきて困ったりしています。しかし、最近読んだ歌集(鳥海昭子著)のあとがきに、「人はよく、人生はある所から下り坂になるなどと言います。でもわたしは、生きるということに下り坂はなどないと思うのです。生きているかぎり、いつも上がり坂。」とあり、様々な忙しいことはありますが、一神経学者として毎年first authorの英文臨床論文を書いていきたいと思いを新たにしたところです。