【新人を迎える日に(2007年4月8日)】

  今年は全国的に桜の開花が早く、福岡でも例年より早く花見のシーズンとなった。このため、今年は4月2日に医局の花見会(新人歓迎会)が開かれた。ここ何年かは、市内の西公園の坂を上ってすぐ左手の場所が指定席となっている。既にやや満開を過ぎていて、風が吹くと桜吹雪になる。アルミのヤカンに酒を直に入れて七輪で燗をつけるので、紙コップに注がれた酒は黄色く濁っている。紙コップで飲む黄ばんだ酒とはいえ、桜の花びらがふりそそげば駘蕩とした気持ちになる。
今年は4月1日が日曜日なので、2日は新人にとっては初出勤の日となった。神経内科の病棟は、医師は専門医研修(後期研修)を大学病院で始める5名と、1年目と2年目の初期研修医各1名の計7名が新人である。看護師は、以前からの17人に新人の11人が加わると隣に座っている師長さんに聞いた。従来、神経内科の病棟を希望する看護師さんはゼロであったが、今年は神経内科の病棟を希望する新人の看護師さんが多くいると聞いて、ますます気持ちがよく酒がすすむ。   11人も新人の看護師さんがいるとさぞ華やかになるところだが、残念ながらこの日は初期研修医も看護師もオリエンテーション中で、専門医研修を始める5名以外は、病棟にはまだ配属されていない。今年の病棟はベテランの医員クラス3名をいれて病棟医計10名でのスタートになる(病床数は30床)。昨年度は男ばかりでやや無味乾燥気味な時期もあったが、今年は女性が6名で、皆元気がいいので今年は質量ともに女性上位(男性陣には失礼)。
  思い起こせば、僕が神経内科を学び始めたときは、柴崎浩先生(京都大学名誉教授、世界臨床神経生理学会理事長)が病棟医長、田平武先生(国立長寿医療センター研究所長)が病棟副医長だった。初代の故黒岩義五郎教授もまだお元気で回診をしておられた。うちの病棟は、伝統的にいわゆるオーベンはおかない。病棟医長、病棟副医長が直接オーベンとなって病棟医を指導するので、僕は柴崎先生、田平先生の指導を直接受けた。これが神経内科医としての僕の原点となっている。
  新人は今日のスタートの日の思いをいつまでも大切に、ベテランは新人のころの初心を思い出して気持ちを新たにしたい。

  今年は、4月6日から8日まで4年に1回の日本医学会総会(第27回)が大阪で開かれた。初日の開会式に引き続いて、宇沢弘文東京大学名誉教授が、「Life is Short, Art is Long―いのちを守る―」とのタイトルで特別講演をされた。経済学者で文化勲章受賞者である宇沢先生は、医療は社会的共通資本(Social Common Capital)なので、医療に株式会社を導入し市場経済に任せるのは誤っている、経済に医療をあわせるのではなく、医療に経済をあわせるべきだと明快におっしゃられた。東大経済学部長をされていた当時、フランスの大学の偉い方が来られて、「フランスでも日本と同じように大学に様々な圧力があって改革が行われたが、東大は何も変えなかった点が偉い」と言われたと話し、昨今の国立大学の独立行政法人化による急変を嘆くような趣旨の発言があった。
今は市場経済がきびしく大学に持ち込まれつつあり人員も教室費も削減され、その一方で競争的研究資金取りに走らされる、きっちり研究費を管理され短期間での業績を評価されるという流れにある。これでは、じっくりものを考えて長いスパンで研究を行う余裕がなくなり国立大学の持ついい伝統まで削りとられることになりかねない。赤字は減っても大学の良さがなくなっては元も子もない。
  宇沢先生は講演のなかで医学の父ヒポクラテスについてふれられた。有名な「Life is Short, Art is Long」とは、医聖ヒポクラテスの言葉である。日本語では、人生は短く、芸術は永い(芸術は人生を超えて永遠である)と訳されることが多いが、ここでのArtは医術のことだそうである。なぜ医術が永いのか、それは、医術を師が弟子に伝えていくからだという。また、人生は短いのに医術の修得は果てしがないという意味でもあるようだ。なるほど、そう考えれば、かのヒポクラテスがArtと言った理由が納得いく。
  自分自身は神経内科学教室の伝統をどのくらい受け継いできているかは、はなはだ心もとないが、教室のDNAというのは、たぶん見えない形で同門の多くの人達に伝えられていると思う。若い人は、大学病院や関連病院で同門の諸先輩に接するなかで、教室の伝統を体得していってほしい。 今年は酒を半分くらいに控えて、教室の伝統の医術を若い人に伝えることに精を出そう。