【プロフェッサーのハンマー(2007年9月28日)】

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  ところで、ハンマーの柄の部分の先端は、できるだけ尖ったものがよいと教えられていた。これは腱反射をみたら次にハンマーをくるりと持ち替えて柄の先端で足の裏をこすって、下肢の病的反射誘発させるためである。これは神経内科医なら初診時に必ず行う。初めて下肢の病的反射を記載したのは、Babinskiで1896年に発表している。これは足の裏をとがったもの(安全ピンなどでする場合もあるが、簡便なので昔はハンマーの柄の先端を使っていた)でこすると、親指(趾)が背屈する現象をいう。通常は、足の裏をこすると足底反射により足指は底屈するが、中枢神経の錐体路に病変があると背屈するようになる。これをBabinski徴候(またはBabinski反射)という。Babinksiの発表以来、幾多の神経内科医が足の裏以外のところをこすったり、つまんだり、指を引っ張ったりして、親指の背屈を起こす方法を発表して、自分の名前を冠してきた(xxx徴候といった具合)。Babinski反射以外は、その変法という位置づけである。
  日本人では唯一北海道大学神経内科名誉教授の田代邦雄先生が、1986年にJ Neurol Neurosurg Psychiatry(1986; 49: 1321)誌上に、Reversed Chaddock method(逆チャドック法)として新しい変法を報告されている。Chaddock法は、Babinskiの原法に次いでよく行われるもので、足の甲の外踝(くるぶし)の下を外側から内側へこすると、親指の背屈が誘発されるものである。田代先生の方法は、逆とあるように足の甲を内側から外側にこするものである。以前に田代先生に九大で回診していただいた際に、田代の変法をあざやかに患者さんで実演してくれた。Babinksiの原法がもっとも出やすいのだが、なかにはそれ以外の変法の方が出る人もいるので、Babinskiの原法で今ひとつ反応がわかりにくいときには、他の変法を用いるのが一般的である。この際に、先の尖ったもので力いっぱいこすった方が、刺激が強くなり病的反射を誘発しやすいので、ハンマーの柄の先はより尖ったものがよいとされていた。しかし、同じ柄の先端で次から次に様々な患者さんをこすり続けるのは、衛生上も問題がないとはいえない(安全ピンも同様な理由でよくない)ので、今は爪楊枝を使ってこすり使い捨てている(欧米には、さすがに爪楊枝はないが、同様なディスポのものがあると聞いている)。したがって、今では必ずしもハンマーの柄の先は尖っていなくてもよいのである。ところで、実際にハンマーの柄の先や爪楊枝なりで自分の足をこすってみると、これはひどく痛い。田代先生の変法はBabinskiの原法も含めて第15番目の方法になるという。しかし、今時、15箇所もこすっていたら、患者さんに逃げられてしまうのは間違いあるまい。

  ハンマーは一般内科の先生でも膝蓋腱反射くらいはみることがあるかなと思う。日本では今の医療保険では、腱反射をみるのに神経内科の専門医がハンマーで叩いても一般内科医が叩いても、診察料はいっしょである。神経内科医の専門医試験は、ペーパーテストと実地テストがあり、実地ではハンマーの振り方も含めて神経学的診察手技をしっかりチェックされる。いいかげんなハンマーの振り方では通らない。神経内科専門医が患者さんの神経学的所見をきちんととることで、必要のない人までMRIなどの高額な検査に回すのを大幅に少なくすることができる。
  昨今は、脳外科などでは診察の前にCTやらMRIやら画像をとることが多いという話も聞く。画像で異常がなければ、神経内科に回される(もちろん画像で異常があっても脳腫瘍などでなければ神経内科に回ってくる)。最初から神経内科で神経学的所見をきちんととっておけばと思うことは多い。MRIは機械が1台数億円である。ハンマーは一本1500円で買える。1回MRIを撮影すれば単純撮影でも3割負担で1万円近くとられる(診療報酬請求額としては3万円くらいになる)が、神経内科の再来の診察料は神経学的診察をどんなに丁寧にやっても3割負担で210円(診療報酬請求額として700円)にすぎない(MRI一回の50分の1である)。日本神経学会では神経学的診察の手技料を医療保険で認めてくれるよう長年に渡って要望を出しているが、いまだにかなえられていない(来年の改正ではなんとか認められるのではないかといううわさがあるが、これは改正の度にささやかれることである)。脳外科などでMRIをバンバンとられるのに比べれば、神経内科の神経学的診察に多少の診察手技料をつけてもなんということはないのである。神経内科医がきちんと診察すれば、不要な高額画像撮影を減らすことができ、我が国の医療費の削減につながるのは確実である。

図2
図2. 入局祝いに贈る入局年を刻んだハンマー

  僕は教授になってからは、九大神経内科に入局してくれた人には、名前と医局名・入局年を刻んだハンマーを入局のお祝いにプレゼントするようにしている。僕自身も名前と医局名・入局年入りのがほしいと思って、自分で買って名前と医局名・入局年(1979年)を刻んでもらった(図2)(1字分刻むのに500円かかるので、刻み料の方がハンマー本体より高額になるのが普通である)。名前と医局名・入局年を刻み込むには、柄のところが幅広の日本製のハンマーでないと無理なので、柄の長さは短いやつである。これだと的確に振れるようになるのに年季がいる。

  あなたがもっとも自信をもって使えるものは何かと聞かれて、ハンマーと答えることができるようになるには、まだまだ修業が必要である。