【プラハ・台北・メルボルン(2007年11月18日)】

  この原稿は、Melbourne(メルボルン)のTullamarine airport(タルマリン空港)で、くたびれ果てて書いている。午前10時10分発の予定で、午前7時30分に空港に入り既に6時間待ったが、機材の整備遅れでいまだに帰りの飛行機に乗れない(結局出発は4時間以上遅れて午後2時30分となった)。真夜中に成田空港に着いても、成田から羽田のバスはないだろうなと心配する。この1ヵ月半の間に、プラハ、台北、メルボルンと出張が続いた。1週おきの海外出張の最後で、さすがに疲労がたまって1昨日から風邪をひいている。おまけに昨夜はシンポジウムの打ち上げでワインのボトルを数人で5〜6本はあけていて、完全に二日酔い状態である。一刻も早く横になりたい。(結局、この日は成田空港からJALのチャーターバスが夜12時過ぎに出発し品川駅まで運んでくれ、そこから羽田まではタクシーで行って羽田エクセルホテル東急に午前2時にチェックインした。メルボルンのホテルを現地時間で午前7時/日本時間午前5時に出て21時間の長旅となった。メルボルン行きも霧のためタルマリン空港に着陸できず、アバローン空港にいったん降りて給油し霧が晴れてタルマリン空港に到着したので21時間かかっており、オーストラリアは福岡からだとやはり遠いと実感。)

  この時期、プラハ、台北と行った神経内科医は、日本人でも多発性硬化症(multiple sclerosis、MS)を専門にしている人では何人かいたはずである。プラハでは、第23回のECTRIMS (European Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosis) が開かれ、台北では第5回のPan Asian MS Forumが開かれたためである。ECTRIMSやMS Forumのことは前にもこのコーナーで取り上げたことがあるので、今回は詳しくは触れない。昨年初めてECTRIMSに出たときは、スペインの風土と食事がすばらし過ぎて会場にはあまりいなかったが、今回は最初のセッションから最後のセッションまで全て出席し、しっかり勉強した。とりわけ最終セッションのAlastair Compston教授(ケンブリッジ大、Brain誌のChief Editor)のCharcot賞受賞講演はすばらしかった。Campath1H(ヒト化抗CD52モノクローナル抗体、CD52は全てのリンパ球上に発現しており、この抗体の投与で全てのリンパ球数が激減する)のMSの早期治療効果を話された。年1回のたった2回きりの投与で3年の間再発がほとんどなくなり、障害の進行が全くなかったというすばらしいものである。ただ対象は発症5年以内くらいの早期のケースとなっている。つまり、発症後年月がたって投与された場合は、障害は進行する(既に炎症を反復してしまったような例では、炎症を契機とした神経変性が進行するのを防ぐことができない)。今回の治験では、副作用として、一部で甲状腺の機能異常(バセドウ病など)と特発性血小板減少性紫斑病を発症しているが、いずれも注意深い経過観察で対応可能なものである。現在、グローバルの大規模臨床試験が進められており、日本もそれに加わることができれば、早く医療保険で認可されることになるのだが。
  Charcot賞(MSの疾患概念を確立したフランスの神経学者にちなんだもの)は、MSの研究・臨床に大きな貢献のあった人が2年に一回選ばれて、本ECTRIMSで講演する。MSの研究の世界では、もっとも名誉のあるもの一つである。Compston先生の受賞の紹介を、Alan Thompson(Institute of Neurology, London, UK、MS journalのChief Editor、MS journalはECTRIMSの機関誌)が行った際に、歴代の受賞者のリストがスライドで示されていた。その中に、欧米以外からただ一人Yoshigoro Kuroiwa(九州大学神経内科初代教授)の名前があった。大変に誇らしいことである。ただ、黒岩先生はなくなられてからの受賞だったので、残念ながら講演はされなかったはずである。今回、この最終セッションでは、本会でもっとも優秀な口演発表とポスター発表の受賞者への授与式も行われた。Best poster賞の5名の中に日本からは慶応大の先生が入っており、すばらしい受賞の発表だった。九大は今回ECTRIMSに初めて演題を出したが、3題のうち小副川君の発表と、松岡君の発表がそれぞれ候補にノミネートされたことでよしとし、この次の機会にさらにがんばろう。

  ところで、この忙しいときになぜメルボルンにいるかというと、MSRA (Multiple Sclerosis Research Australia)のScientific Meeting: Progress in Multiple Sclerosis Researchによばれたためである。 MSRAは、オーストラリアのMS協会の研究部門が独立したようなものである。米国などでは、MS協会は、患者ケア・ピアサポートから研究の支援まで全てを行っているが、オーストラリアでは、ケアとリサーチを分離させて、それぞれにより専念させ、うまくいっているということである。懇親会で一つ席を挟んで隣に座った女性は同協会の幹部で、オーストラリアのsenator(上院議員)をしていたが、娘さんがMSを発病し今は協会の活動(資金の獲得などロビー活動)をしているということである。欧米やオーストラリアのMS協会は歴史もあり、MSが一般によく知られている(若年から中年成人ではもっとも多い神経疾患である)こともあって、パワフルである。

  このMSRAの医師側の責任者が、Bill Carroll(西オーストラリアPerth、Multiple Sclerosis誌のassociate editor)である。彼とは世界神経学会でいっしょに座長をして以来、よく声をかけられる。MSRAは、年に1回、オーストラリア全土からMSの研究者を集めて2日間のシンポジウムを行っている。若手からベテランまで、基礎研究からリハビリ、精神科的側面の研究まで、それぞれ発表があり、口演とポスターで最優秀賞が一人ずつ最後に表彰される。MSRAは大きなファンド(研究資金)をもっており、ここでの発表は研究者にとって研究費を獲得するうえで意義の大きいものようである。そのファンドの申請の査読は海外の研究者にまで依頼されており、きちんとした評価をされてファンドを受ける者が選ばれている(その査読まで私のところに回ってくるので、いいように使われているなあという感じ)。
  シンポジウムは、University of MelbourneのThe Royal Melbourne Hospitalに隣接して建っているThe Walter & Eliza Hall Institute of Medical Research (WEHI)で開かれ、参加者は全体で100人くらい。University of MelbourneはMelbourne市の中心部から歩いて北へ10分ほどの距離に広大な敷地を有している。石造りの大きな大学の建物と緑豊かな庭園は、さすがにオーストラリアでも有数の大学の風格がある。イタリア移民の多いCarlton地区に隣接しており周りは小さいカフェーがずらりと通りに並んでいる。アカデミックな中にも開放的な雰囲気がある。金曜日は午後にはもう学生がカフェでビールを飲んでいる。Melbourneはオーストラリア第二の都市で、移民の国らしく街にはありとあらゆるエスニックの料理店が並ぶ。Melbourneを歩いて一番驚いたのは、アジア人の多さである。これはほとんど大部分が中国人である。チャイナタウンはもちろん大学の周囲にも若いアジア人が無数にいる。オーストラリアで二番目によく話されている言語は、マンダリン(北京語)ということである。次期オーストラリア首相がマンダリンも話せる人物になりそうなのも、むべなるかなである。それとブッシュからくるハエが無数にいるのに閉口する。振り払うのをちょっと怠ると、鼻の穴に一匹入ってきた。

  ミーティングでは、私を含めて4人が招待講演者となっていた。会は基礎的研究の性格が強いアカデミックなもので、招待講演者は、私を除いていずれも基礎の神経科学に足場をおいた研究者であった。地元からは、John W Prineas教授(現在は、シドニー大学の名誉教授、MSの神経病理学者)が招待されており、MSの最初期の病理について講演された。prephagocytic area(病巣の一番先端・最外層)では炎症細胞浸潤はなく、ミクログリアの活性化とオリゴデンドログリアのアポトーシスのみがみられ、phagocytic zone(より内側)になると血管からの活性化macrophageとCD8陽性T細胞の浸潤がみられる。それよりさらに病期が進むとCD4陽性T細胞が浸潤してくるという(トリガーは炎症ではないということですね)。この話は、弟子のBarnettさんがAnn Neurol誌(2004年)に論文を発表している。Barnettさんを九大にお呼びしたときに、その話しを一度聞いたことがあるので知っていたが、実はこのMSのアポトーシスの話は40年前にNew Yorkのアルバートアインシュタン医科大学にいたころに気付いたものであるという。MSの最初期の病理というのは、なかなか得られないので、原因につながるもっとも重要な点ではあるが、わかっていないことが多い。

次の頁へ →