【子年に思う、ピンチヒッターの12年(2008年3月9日)】

  新年の挨拶の時期はとっくに過ぎているわけですが、大学で働く者は年度で動いていますから、3月が平成19年度の終わりで、来月から平成20年度が新しく始まるなあといったところです。特にこの1月末から3月初めの時期は年度の終わりの報告書の作成や新しい年度の予算の獲得(ヒアリングなど)で一番忙しく、新しい年のことをゆっくり考える暇もなかったという感じです。神経免疫班の報告書や研究成果のパンフレットもでき、今年度最後の講義や講演も終わり一段落したところで、この所感を書いています。

  子(ね)の年は、十二支の最初で新しい一回りのスタートの年です。平成20年代の始まりということもあり、新しいサイクルが始まるんだという気持ちになります。12年前の子年は1996年です。この年、私は助教授で安穏に研究をしていたのが(当時は今よりよほど臨床業務がのんびりしており助教授は研究に勤しむことができた)、急に前教授が入院されたこと(加療後になくなられました)で生活が一変しました(教授が長期不在時の助教授という立場は、権威も人事権もありませんから、つらいものがあります)。安穏な研究生活から突然に忙しい生活になりました。前の前の教授もその少し前に在任中になくなられていましたので、本当に非常事態で教室・同門に他に駒がなく私にお鉢が回ってきました。当時の神経内科・脳研の教室員・教員は皆、私が教授になることには反対でした(私は時を経ずして外に出されるものと思われていましたのでこれは当然ですね)が、教授会での賛意が多くたまたま代打で教授になってしまいました。振り返れば、24年前の子年1984年は米国で髄鞘蛋白の生化学研究から多発性硬化症(MS)の免疫学研究に意を決し転じた年でした(その後は1996年にAnn Neurol誌にMSの臨床研究の論文が掲載されるまで12年間私のMS研究は停滞し長い長いトンネルの日々でした)。36年前の子年1972年は九大医学部に入学した年です。12年というのは人生の一つの時代が過ぎたことを実感するに見合う長さと思われます。

  教授になってからの10年間(平成10年度から19年度の10年間:正確には平成9年の半ばになりましたから10年半になりますが)は、国立大学の独立行政法人化、初期臨床研修必修化、九大病院の新病院への移転と何十年に一回というイベントに立て続けに振り回されました。特にこの6年間は厚生労働省の免疫性神経疾患調査研究班長、4年間は九大病院の総務担当副病院長として内外の管理行政的な業務が加わり、疾風怒濤の忙しさでした。九大医学部の臨床の教授になると年間50〜60回ほども出張があり、福岡市からだとどうしても泊まりにならざるをえません。たとえば平成19年度は丁度60泊になります。当科は前3代の教授は全て在任中に不治の病にかかり既になくなっていますから、とにもかくにも教授としてこの10年間を無事に生き抜けたことにまず感謝したいと思います。この12年で一番残念なのは家庭を十分顧みる余裕がなかったこと。先の子年当時は、3番目の子供がまだ0歳でした。その子もこの3月で小学校を卒業。気が付けば、もう私は家庭では粗大ゴミです。

  私は、この3月で厚生労働省の神経免疫班長も終わりですし、九大病院の総務担当副病院長も終わりです。神経免疫班は厚生労働省の難病関係の研究班では最大規模のもので重責でした。また副病院長も丁度国立大学の独立行政法人化の時期にあたりましたから、裏方の総務担当としては実に多くの委員会・ワーキンググループに関わり大変でしたが、いい勉強になりました。3月で九大医学部脳神経病研究施設長も終わり、福岡県の特定疾患審査会長も終わります(臨床神経学の編集委員長と福岡県難病医療連絡協議会会長は続けます)。一区切り、前半戦が終わったなあという心境です。普通、臨床の教授は、丸10年も教授を勤めると年齢的にあと数年で定年退職のことが多いのですが、私は前記のような事情でたまたま若くして教授になったものですから、丁度あと一回り12年残されているわけです。

  丸10年やって、うまくいかなかった失敗点を反省して、もう一度チャレンジできる機会があるのは、とてもありがたいことだと感じています。ふりかえってみてリーダーとして一番大切なのは、誠意だと思います。後半戦は肩の力を抜いて、でも誠意をもっていい仕事をしたい。これからは教室以外の管理行政業務は控えめにして、職業人としての最後の12年を一神経学者として研究・診療・教育の第一線に立って全うしたいと思っています。

  日本全体としてみると、この12年は、失われた10年と言われる低迷とその後の厳しい改革の時代にあたります。国立大学も構造改革の大きな荒波をもろに受けた時代でした。しかし、昨今は、TOYOTAがGMを実質的に世界の自動車販売台数で抜き去ろうとしていることや、manga(アニメ)などの日本のポップカルチャーが世界を席巻していることに象徴されるように、日本の力が盛り返しつつあるようです。

  これからの一回り12年が自分にとってどのような時代になるかを、人は前もって予測することはできません。過ぎ去ってしまってから、ようやく自分の人生にとってはどのような時代であったかを振り返ることができるだけです。しかし、予測不能なりにこれからの九大神経内科にとってのキーワードを考えてみますと、エデュケーション、グローバライゼーション、プロフェショナリズムといった言葉が思い浮かびます。日本語で意訳すると、次世代教育、国際化対応、専門性の更なる追求といったところでしょうか。

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