【外国づいている1ヶ月(2008年6月27日)】

  今年度は、厚生労働省の神経免疫班の班長や九大病院の副院長などの忙しい業務も終わりましたので、外国から講演に来てくれないかという誘いがあれば断らずにほいほいと引き受けています。 臨床の教室をやっていますと、外国から呼ばれることはそうしょっちゅうはありませんし、断ると付き合いに響くようにも感じます。 また、教室の業績の宣伝ということもあるわけです。気軽に引き受けていたら、今年は計8回外国に行くことになってしまいました。 これは臨床の教室をやっている立場ではさすがに多すぎるし、体力的にももたないなあと、引き受けすぎを反省するが後の祭り。 通常の学会出席・発表は1回のみで(これも英文誌の編集委員会があるので行かないといけないわけですが)、後の7回は招待講演になります。 米国に計3回と、あとはカナダ、タイ、マレーシア、中国、韓国ですね。特にこの1ヵ月間は、デンバー、サンフランシスコ、バンコクと隔週で行ってきましたら、さすがに時差ぼけで睡眠リズムが変になって、今週の横浜の神経治療学会の会場ではほとんど居眠り状態でした。 明日は朝から医局旅行で由布岳に登ったあとに宴会ですから、途中で倒れてしまわないかと心配です(大雨のため登山は中止に。大変残念。その分若い人と卓球を楽しめてほどほどでよかったです)。  旅行中の往復は、外国だと要する時間が長く、飛行機の中ではあまり眠れませんから、もっぱらスライドの仕上げにいそしむか、スライドができているときは論文の査読をするかです。 私は英会話が下手ですから、スライドだけは外国人でも一目見てわかってもらえるよう時間をかけて作ります。 査読の方は、昨年は、和文論文の査読を70編、英文論文の査読を30編、計100編(再投稿も含めて)行いました。 毎週2編ほど来るので、仕事が忙しくてうっかりしているとすぐたまってしまいます。 臨床神経学の編集委員長もあと1年で引継ぎなので、来年6月からは行き帰りももっとゆったりできるのではないかと期待しています。

  デンバーは、5月の最後の週に5日間Consortium of Multiple Sclerosis Centers (CMSC)の年次総会に呼ばれていきました。 私は今回初めて行って知りましたけれど、CMSCは米国のMSセンターの集まりで20年くらい前からやっているそうです。 今年は2000人くらいの参加者があり、年々増えていっているとのこと。 MSセンターなので様々な職種の人が参加しており、その6〜7割は看護師で、後は神経内科医、他のコメディカルなど。 MSの最新の基礎・臨床の研究成果、治験成績が5日間にわたって紹介され、米国のMS専門ナース、リサーチナースは、こんなレベルのものも勉強するのかと感心します (日本ではMS専門ナースというのは、私の知る限りその存在すらゼロですが)。 ただ後ろの席で基礎の講演で最初のスライド以外は全くわからなかったと言い合っていたから、理解度は千差万別といったところでしょう。


巨大な赤い岩が林立している。

私がここに出たのは、Mayo ClinicのWeinshenkerさんが視神経脊髄炎(Neuromyelitis optica, NMO)のセッションをオーガナイズするので彼に呼ばれたというわけです。 彼と、MayoのPittockさん、UCSF(University of California San Francisco)のCreeさん、私の4人が30分ずつ講演を行いました。 だいたい今、世界中でNMOとMS(multiple sclerosis)は別物ということが定説になってきており、これはNMO-IgGという疾患特異的なマーカーの有無により区別できるということですね。 これがMayoと東北大を中心として提唱されているものです。もうこの説に公然と異を唱えているのは少数派になってしまいました。
  デンバーは福岡からは遠く、成田、ロスアンゼルズ、デンバーと乗り継いでいくので、25時間ほどもかけて現地時間27日の夕方にホテルに着く。 28日は朝8時から、Weinshenkerさんとホテルで朝食を共にする(この人は朝食を一緒にしようと声をかけてくれる。プラハでも朝食だった。眠いけど)。 しかし、彼はまたなんで、このMayoグループの定説になってしまったものとは違うことを講演するのが、100%確実な私を呼んだのか理解できない。 わざわざ日本から丸一日かけて行って、Mayoグループに迎合するような話をするつもりはさらさらないので、講演では言いたいことを言う。 講演の後、昨年、九大で回診してくれた、Munschauerさん(SUNY at Baffalo、神経内科教授)が話しにきて、 「とてもいい話だったが、Mayoとは違うことを言っていたな」と言う。それを言うために来たんだが、他の人にもわかってもらえたかしらん。

Weinshenkerさんは、よく声をかけてくれて、ありがたいが、うちからメジャーな雑誌に投稿した論文をことごとく落としているのは、この人。これは間違いないと思う。 ただ、彼は、1996年にAnn Neurol誌に私がアジア型MSは通常型MS(いわゆるMS)とは別の病気(論文ではdistinct disease entityと書いた。 ここではまだアジア型MSという言葉を使い、1999年の山崎君のBrain誌の論文でopticospinal MS, OSMSという言葉を用いたが、疾患の定義は1996年による)とした点だけは、認めてくれている。 それ以外は、この人はいっさい認めていない(アジア型MS=OSMSは独立した疾患単位であるが、NMO-IgG陽性はこれとはオーバーラップしないというのが私の立場)。 Mayoではスタッフはweek dayの出張は、年間に18日しか認められないそうで、いつもとんぼ返りということである。 これは外国も含めて遠方からの多くの金持ちや著名人などを診ているためで、その診療における評判を維持するには仕方がないところなのであろう。
  デンバーは、米国中西部にあって、ここから西はロッキー山脈というところである。その丁度ロッキー山脈が西へと始まる大平原との境目を見に行く。 バッファロー・ビルのお墓がある丘のうえから眺めると、テーブルマウンティンが二つぼっかりと盛り上がっている。 コロラドは、スペイン語で赤い土地という意味で、Red Rocks Parkの鉄を多く含んだ巨大な岩石は赤い(自然の景観を生かした巨大な野外コンサート場になっています)。 デンバーではboar(雄豚)の肉がおいしかった。


左右の赤い岩に挟まれた野外コンサート場から大平原を望む。
左側彼方にデンバーのスカイクレーバーがわずかに見える。

   帰国後1週あけて、サンフランシスコへ。白人が圧倒的に多いデンバーと異なり、道行く人はアジア人が多い。 これはナパで開かれた世界神経眼科学会(International Neuro-Ophthalmology Society, INOS)の総会に呼ばれたためである。 ここでもMS/NMOのセッションで話す。Mayoグループも呼ばれていたが、僕は僕の見解を言う。 時間オーバーで座長が必死にやめさせようとするが、それでも話す。 そもそもINOSの依頼を受けたのは、宿泊費と旅費くらいは出してくれるものと思ってOKしたのに、会に参加登録をした後になって、実は旅費は出ないといってくるのは、ほとんど詐欺ではなかろうか。 旅費分くらいは話したいと思っているので、座長の制止を無視して、まとめのスライドまで話す。にらまれたので、たぶんもう二度とは呼んでくれないだろうな。 しかし、後で会長からとても評価の高い講演だったとメールが来たので、お世辞とはいえ、一安心する。 ディナーでは川崎医大眼科名誉教授の田淵昭雄先生(アジア神経眼科学会理事長)から、神経眼科医のゴッドファーザーWiliam F Hoyt教授を紹介され、日本語の名刺をいただいた (神経眼科のとても有名な教科書を執筆された伝説上の人と思っていたが、お元気であるのに驚いた)。


INOS会場のSi lueradoリゾートはゴルフ場が有名。

  会が終わった最終日の午後はゆっくり観光したいところだが、UCSFのHauserさんを訪ねる。 これは、彼がリーダーとなって英国のCompstonさんなどとMSの遺伝的背景の解析を行っているグループに、西日本6大学のグループとして共同研究に参加するため、その打ち合わせである。 着いて3日目の時差ボケで眠い時間帯であるうえに、昨夜のディナーでナパワインがあまりにおいしく飲みすぎて、とても眠い。 しかし、HauserさんやOksenbergさんの説明を聞きながら居眠りするわけにもいかないので、必死に目を開け続ける。 このあたりのゲノムワイドのSNPの話は専門ではないので、文献や分厚いプロトコールを渡されて英語で説明を聞いてもほとんど私にはわからない。 教室の磯部さんを日本側の担当者に振ることにしので、あとは彼女に任せよう。


INOSのディナーで田淵先生や香港、シンガポールの眼科の先生と。
既にもうだいぶ酔っ払っている。

何が出てくるかはやってみないとわからないので、とりあえず先のことは気にしないで、ナパワインとマヒマヒをごちそうになる。 UCSFは、2年後に今は分散している様々なラボを一箇所に集めた、MS、認知症、てんかんなどのクリニカルリサーチセンターを新設するそうである。 そのことに大変期待を持っている様子である。米国の都市では、僕はサンフランシスコが一番好き。 ただ、住居はボストンやニューヨークよりも倍くらい高いと今回聞かされたので生活は大変かもしれない。 国際化の時代にあって、どことも共同しないというわけにもいかないので、いろいろと迷った結果、このグループとつながっておくことにする。


テーブルマウンテンの向こう(東)は大平原。
左端(西)はロッキー山脈へつらなる。

  14日深夜帰国し、20日の午前にはバンコクに向けて発つ。 これは、アジアのMS Consensus Group Meetingのワークショップでの講演2題をするためと、今年新たに設立されるPACTRIMS(Pan-Asian Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosis、MSのアジア・太平洋地域の国際学会) のexecutive committee(理事会)に出席するためである。 苦手な中でも聞き取りやすい米語の世界から一転して、ほとんど聞き取れないシングリッシュ(シンガポール英語)とオージーイングリッシュ(オーストラリア英語)の世界へ。 講演自体は、もう顔なじみになった面々の前でするので、別になんでもない。時差も2時間程度でここでは問題にならない。 しかし、ここで一番の問題は、PACTRIMSのscientific committeeのchairmanを、電話でのteleconferenceでわけもわからないうちに振られてしまっていることである。 だいたい日本から自費を払ってまでPACTRIMSの年次総会に行こうかという人はいないだろうと思う。 同じ金をかけるなら、欧州のECTRIMSか、北米のACTRIMSに行って、MS研究についての最新の情報を得たいと思うのが人情だろう。 scientific committeeのchairmanというのは、何かプログラムのアドバイスくらいをするのかしらんと割りと気軽に考えていたら、これは大違いでプログラムそのものを作るんだということが今回出て初めてわかった。 PACTRIMSがカバーするアジア・太平洋地域には様々の国が在る。 ざっと、Northeast Asia Regional Committeeに、日本、韓国、中国、モンゴル、台湾、香港が、Southeast Asia Regional Committeeに、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポール、インド、インドネシア、イランなど、Pacific Regional Committeeに、豪州、ニュージーランド、フィリッピンが含まれる。 国の数や人口からいけば、世界でもっとも多数を占める。 scientific committeeのchairmanの仕事というのは、これら諸国からのdelegate(代表者)の様々な意見を拝聴しつつ、ECTRIMSやACTRIMSにも伍するくらいのプログラムを組むこととわかった。 この地域は大雑把に言うと、MS研究が世界に匹敵するサイエンスのレベルにあるのは、両端(北端と南端)のみで、その間は症例報告から臨床報告のレベル。 PACTRIMSに求めるレベルも全然違う。中央地域のレベルに合わせて教育的なプログラムを主にやっていたら、両端からは誰も来ない。 両端の発表ばかりでは、中央地域に不満が高まる。みなわけのわからない英語で言いたいことを言っているなかで、絶妙のバランスをとる仕事を要求されるのが、scientific committeeのchairmanと悟った。 もっともscientific committeeや、その下部組織の三つのregional committeeのメンバーを選んで了解を得ながら組織していくなかで、この困難さは漠然とは感じていたのだが、やはりそれが現実のものになったということ。 プログラムを組んだら、今度は招待講演者への依頼までやらねばならない。
  バンコクからの帰りの便は、深夜0時54分発である。飛行機のなかではひたすらプログラムを組む作業を続ける。福岡国際空港には午前8時に着く。大学に直行。 プログラムを組み終えて、scientific committeeのメンバーにメーリングリストで流す。さすがに疲れて、その日の午後は早引けする。

  国際化も現実のものとなると、口で言うほど楽ではないねと痛感した1ヵ月でした。