【ある学位審査に思う(2008年7月21日)】

  学位審査というのは、いうまでもなく博士号を授与されるにふさわしいかの審査をする場である。医学博士号は、一般に他の学部の博士号より取りやすいと言われている。 その申請は、大学院(九州大学では医学府、他大学では医学研究科など)で4年間学び、筆頭著者として書いた英文論文が査読のある学術誌に採用された上で、それを学位論文として日本語に訳したものとあわせて提出する。 これを過程博士(甲種)という。大学院に進学しなくても相応の研究歴があり、筆頭著者の英文論文があれば、それを提出して申請することも可能である。 これは論文博士(乙種)といわれる。大学などで教職を得た場合は、甲種の博士号を有している方が、給与は高くなる(僕は乙種なので、いくら高いかは知らない)。 ただ学位論文を提出しただけではもちろん不十分で、博士号を授与されるにふさわしい学識を有しているか調査するのが、学位審査ということになっている。 先ごろ、東海地区の某大学医学部で、指導教授自身が学位審査の主査となり、論文提出者から多額の金品を受け取っていたことが、大きく報道された。 指導教授が主査なんかになるのは、もちろんおかしい話で、筋が通らない。 通常は、その大学院生を指導した教授とは、別の教授が主査(通常1名)と副査(九大では2名)になり、その院生が本当に医学博士号に値する人物であるか、提出された論文に関する事項の質問を通して、その学識や人格を問うのである。 九大医学部の場合は、20分ほど論文提出者が論文の内容を、スライドを使ってプレゼンテーションし、その後に40分ばかり主査・副査からの質問が行われる。 質問は副査から順次行い、最後に主査が一番の責任者として細かい点まで詳しく追求するのが、慣わしである。これは九大医学部の場合、公開審査で誰でも傍聴できる。 指導教授が主査なんかになっていたら、不正の温床となるのは当たり前のことである。

  Epilepsia(てんかんの国際専門誌、Impact Factorは3台後半)の今年の6月号に教室の高瀬敬一郎君の研究論文が掲載されている。その別冊が届いたので、手にしてみると14ページに及び大論文である。 これは、難治性てんかんの原因として最も重要なfocal cortical dysplasia(FCD、局所脳皮質形成異常)の新しい動物モデルの作成を報告したものである。 従来、新生ラット児の頭部に寒冷外傷(頭部に液体窒素などの極度に冷たいものをつめたプローブを当てて脳に寒冷外傷を作成する)を加えて、FCD様のものを作ることはなされていた。 この仕事では、ラット胎児を取り出して寒冷外傷を頭部に加え母体に戻し無事出産させて、顕著な脳皮質形成異常と異所性灰白質の形成を起こすこと(神経細胞の胎児期における移動を障害したため)に初めて成功し、てんかん原生の亢進(てんかんへのなりやすさ)がみられることを示したものである。 このモデルでは海馬てんかんを生じやすく、臨床的にもFCDがあると海馬てんかんを起こしやすいことに対応しており、興味深い。 IF8~10~のジャーナルに最初投稿したが、大変残念ながら、新生ラット児のFCDをやっているグループ(おそらく)から厳しいコメントを受け採用には至らなかった。 しかし、これは世界で初めての技術・モデルで、我々のところでしかできない(ラット胎児の脳なんてものすごく小さいからね)。もっとも進んだFCDの動物モデルといえる。 これは高瀬君の大学院4年間の学位論文となった。

  この仕事で本当にすごいと私が思うのは、学位論文審査で調査委員の佐々木教授(九大脳外科)に、「近年まれにみるすばらしい仕事」と激賞されたことである。 佐々木教授は東大医学部出身でメスも頭も切れるので、学位審査では佐々木先生にあたると論文提出者は鋭いコメントでメッタ切りされる。 学位論文審査の調査委員(主査と副査)は、九大医学部の場合は教授会の投票で上位3名があたるので、極めて民主的である。 ただ、神経内科から学位論文を出した場合、ほとんど器械的に脳研の他の3教授(脳外科、神経病理、臨床神経生理)が選ばれる。 このため、神経内科の教室員は佐々木教授の厳しいコメントに泣かされてきたものである。うちの教室員の仕事がほめられたのを聞いたことは、もちろんない。 もっとも泣かされるのは、うちの教室員に限らず他の教室員でも同じことである。ついこの間も、私が主査のときに、いつものように副査の佐々木教授の厳しい追及が続く。 副査なんだからたいがいで鉾先を納めてくれないかなあと思っていたら、あまりの厳しい追求に、突然、論文提出者がバタッーと昏倒した(プレゼンをする論文提出者は当然質疑応答まで立って行う)。 よりによって僕が主査のときに、なんてことだと思ってかけつけると、単なる失神とわかって一安心。頭を低くしてしばらく横になってもらう。 落ち着いてから椅子に腰掛けてもらって、残りの質疑応答を無事に終えた。(それにしても、言葉だけで気絶させるとは、100年を越える九大医学部の学位審査の歴史でも初めてのことかもしれないね。) その佐々木教授から誉められたのだから、高瀬君の仕事は立派なものだ。

  話が脇道にそれるが、てんかんはとても多い病気で、わが国では有病率は100人に1人といわれている。 小児患者は小児科で診るが、成人患者については昔は精神科が診ることが多かった。今、精神科でてんかん患者を診ることは減ってきている。 代わりに神経内科医でてんかんを専門にしている医師が増えていっているかというと、残念ながらそうでもない現状である。 日本では、静岡のてんかんセンター(国立病院機構静岡てんかん・神経医療センター)がもっとも有名であるが、西日本には有名なてんかんセンターはない。 教室では重藤寛史講師(現臨床神経生理学教室講師)を中心としたてんかん研究グループが臨床と研究を行っている。 昨年ブレインセンターに入った最新の脳磁図(magnetoencephalography, MEG)を用いた臨床研究と、高瀬君の仕事のような実験てんかん研究が主体である。 来年度、百道浜に新設移転する福岡中央病院に睡眠・てんかんセンターを立ち上げることが決まっている。 重藤君に責任者として行ってもらうが、九大病院ブレインセンターと連携して、てんかんの診療と研究を進められるよう期待している。 九大病院ではfunctional MRIを用いた研究に制約があり難しいので、福岡中央病院の3 tesla MRIでのfunctional MRIと九大病院のMEGを併せた研究が進められるといいのだが。 いずれにせよ、成人てんかん患者診療に日本の神経内科医はもっと積極的に取り組むことが望まれている。教室のてんかん研究グループの一層の奮闘を期待したい。

Epidemiological and biochemical aspects of progression in multiple sclerosis

  ところで今年の2月ごろオランダのGroningen大学のDr. Marcus Kochという神経内科の若い先生がThesisを私宛に送ってくれた。 Thesisというのは、日本語でいうところの学位論文のことである。欧米の人は、学位論文としていくつかの論文を一冊のものにまとめ上げることが多い。 これは彼がこれまでに英語でまとめた18編ほどの論文を10章からなる一冊の本にまとめて学位論文として出版したものである。私はこの人のことは全く知らない。 ただ、学位論文のテーマにあなたも興味を持つと思うのでと、わざわざオランダから献本してくれたものである。 タイトルは、Epidemiological and biochemical aspects of progression in multiple sclerosisとなっており、表紙を北斎の富岳36景の1幅が飾っている(左図)。それは立派なものである。

  初期臨床研修必修化後は、若手医師の専門医志向が強まっていると聞く。専門医を目指すことはとても大事で、大学院よりも臨床の現場で修練を積みたいという人のためのコースも、もちろん医局では設定している。 ただ、学位をとることにも大きな意義はあると思う。医学博士号が他学部より取りやすいとはいっても、英文学術誌にきちんとした英文論文を筆頭著者で載せるのは、それなりに大変な仕事である。 論文博士という道も用意されているので、必ずしも大学院に行く必要はないし(私も臨床神経生理の飛松君も大学院には行っていない)、社会人入学(夜間に授業を受ける)という道も作られている。 実験研究に限らず臨床研究でももちろんいいので、専門医と並んで学位をとることを奨めたい。 昔は、学位自体は足の裏に付いた米粒のようなものだ(とらなくてもよいがとらないと気持ち悪い)と言われていたが、今の若い人にとっては学位なんて米粒以下のようで、取る必要は全く感じていないようである。 しかし、学位を得るプロセスにはそれなりに学ぶところがあり、これは臨床の現場では学ぶことはできない類のものである。 初期臨床研修必修化後は大学医局に属さず、一般病院で専門医をめざす若手医師が増えているという。 このような人に専門医資格をとったり、一般病院での臨床に飽きたりなくなったりしたら、大学院に進むことをお奨めしたい。 大学院だけ大学に来て研究してみたいという人は、医局の人事の枠に入る必要はないので、大学院で学んでみることも人生を豊かにすると思う。 若いときの4年間をかけての研究論文には、様々な苦労や思いがたくさん詰まっており、どのような学術誌に掲載されたものであれ、当人にとってはかけがえのないものである。 学位審査はその仕上げであって、いい仕事の出来上がりを皆でお祝いしたいという意味もあり、本来、誇らしいものである。 日本の学位も欧米での学位くらいに社会に尊敬されるものでありたい。(まあ最後の締めくくりに厳しい先生に調査委員があたると気も引き締まっていいかもしれないね。喜びもひとしおということ。)

  しかし、学位審査で気絶するのはさすがにみっともないので、我々神経内科医も脳外科医に負けないよう日ごろから体力をつけ、佐々木教授をうならせるようないい仕事を学位論文として提出したいものである。