【この8月のやれやれ(2008年9月8日)】

  中華風のオリンピックも終わり、やれやれやっと博多の街も暑さがやわらいだ。この夏、もはや夕立というさわやかな季語では表せないほどのどしゃぶりに日本各地が見舞われた。 九州は亜熱帯地域になったにちがいない。つい先週、韓国に呼ばれて行ったが、同様な酷暑とスコールのごとき雨であったという。

  この夏は、PACTRIMS (Pan-Asian Committee on Treatment and Research in Multiple Sclerosis)のcentral scientific committee chairman(科学委員会委員長)に選ばれたことから、11月21日、22日にクアラルンプールで開催される第一回年次総会のプログラム作りに追われた。 日本で開催される学会のプログラムを日本で作るのと違って、マレーシアで開かれる国際学会のプログラムを日本で作るわけだから、実際には大きな困難があった。 何より6月末のバンコックでのPACTRIMS理事会で開催の方針が決まってから、開催までわずかな期間しか残されていない。総会の5つのシンポジウムの招待講演者、座長など、40人ほどのメンバーをアジア・太平洋地域、そして欧米から選んで招待状を送り、マレーシアまで来てもらわないといけない。 世界の著名な学者はだいたい1年くらい前からハードスケジュールが決まっている。できたての海のものとも山のものともわからないアジアの国際会議に、ちょっときてくれないかと期日が迫ってから頼んでも二の足を踏むのが人情である。 なかには、invitation letterを全く無視する人もいる。だから、たとえ言い訳をあげて断られても、返事をもらうとありがたく感じられる。 丁度、夏のバケーションの時期に重なったので、招待状を送るには間の悪い時期でもあり、このあたりの英語でのやりとりにはとても時間がかかってたいへんだった。

  結局、欧米の著名な研究者の方からはinvitation letterへの返事は全員いただいたが、開催まで間がないので、PACTRIMSには関心はあるものの、既に予定が埋まっており変更できないということで断られることが多かった(でも次回はよろしくお願いしますと頼むことができるので、これはこれでかまわないと思っています)。 また、マレーシアは、中東以外ではアジアでもっともイスラムが厳格な国である。このため、ユダヤ系の学者には多く断られた(医者にはユダヤ系の方が多いのですが、神経内科・神経科学の領域でも同様です)。 ユダヤ系とはいえ、そんなに断らなくてもいいじゃないかと私には思えるのだが、現実には、テロにあうのを恐れているとのこと。ユダヤ系の方にはイスラエルと居住地の二重国籍の方もおられ、なかには親族がイスラエルで高官を務めているので、無理だということもあった。 (どの方がユダヤ系であるかはある程度わかりますが、奥さんがイスラエルの高官の娘とかはさすがに知りませんから、こういうのは断られても仕方がないですね。ざっとアジア・太平洋地域の20余りの国が、PACTRIMSには参加しています。 医療のレベルも科学のレベルも様々な地域のバランスをとるのは、大変な作業です。売り込みを丁重に断るのも仕事のうちです。それでもいろんな方に助けてもらって、どうにかプログラムをアップロードするところまではきました。 プログラム自体は8月下旬には完成しましたが、体裁を整えるのに時間がかかって遅れたようですが。)

  やれやれこれでやっと一仕事終わったかと思っていると、今度は応募してきた一般演題のabstract(抄録)が、クアラルンプールから私の方に次々と転送されてくる。これは一般演題の採否とそのプログラム作りまでやらされるのかと頭が痛い。 なんでマレーシアでやる国際学会のプログラムまで日本人の僕が日本で作らんといかんのかと頭にくるが、マレーシアではやる人がいないので仕方がない。 今後、さらにyoung investigator travel awardやbest presentation awardなどの学会賞をフェアーに決定していくという、みんなの恨みを買わざるをえない仕事をこなさないといけない。 国際学会を新たに立ち上げるときは、president(会長)やexecutive committee chairman(理事長)になって御輿に乗る方が、財務委員会委員長(オーストラリアのCarrollさん)や科学(学術)委員会委員長をやるより楽ね。たぶん。

写真1
写真1:日本語で案内してくれたボランティアの方とPark先生と。
達者な日本語は千葉県で農業関係の試験場にいたためとか。

  8月末には2泊3日でソウルで開かれたKorean MS meetingに招待され、講演してきた。韓国はこの夏日本よりも金メダルの獲得数がよほど多く、酒席も韓国焼酎とオリンピックで盛り上がる。 韓国の人は、野球の勝因はスピリッツという。でも聞くと、韓国では、金メダルを取ると死ぬまで毎月年金が支給され、兵役にも行かないでいいとのこと。やれやれ星野ジャパンが惨敗するのも無理はないね。 講演会の翌日は日曜日で夕方のフライトだったので、ソウルから30キロほど南のスウォン(Suwon、水原市)に韓国のPark(朴)先生(ソウル大学神経内科教授)が案内してくれた。 スウォンは李王朝の最大の行宮があったところで、日本軍により破壊されたという李王朝時の建物や城壁が再建されている(写真1)。チャングムの誓いはここで撮影されたという。確かにテレビで見た庭、建物、甕、釜、衣装などそこここにあるではないか(写真2)。

写真2
写真2:チェゴサングンの衣装を付けた等身大パネルの前でPark先生と。なぜかチャングムではなくて敵役のチェ一族とチャングムの母親の友人だったと思うチェゴサングンがパネルになっていた。

スウォンの城は、韓国の城郭では唯一世界遺産に登録されている。他にもより大規模な城はあるが設計図など保存されているのはここだけなので、世界遺産になったという。
  市の周りをぐるりと城壁(高さ6〜7m、長さ約5.5キロメートル)が取り囲み、それに沿ってトラム(幌バス)が走る。この感じは、日本の城とはだいぶん違い、やはりここは大陸で騎馬民族の侵入を防ぐような作りになっていると感じる。 城壁に上れば、9月を運んでくる風が心地よい(写真3)。スウォンは骨付きカルビで有名なところで、昼日中からたらふく韓国焼肉とものすごく辛いキムチやらニンニクやらをおびただしい量食べた。 おかげで夜我が家に帰りつくと3メートル先からでも臭いといわれる。翌朝の再来はさぞかし臭かったと思う。(すみませんでした。)

写真3
写真3:スウォンの城壁の上で。城壁の中に街があり川が流れている。

  韓国では医師不足はないとPark先生は言う。Park先生が医学部を卒業したころは4つくらいしか医学部がなかったが、その後どんどん増えて今では40くらいにもなり、毎年約4000人の医師が韓国では世に出る。 逆に日本では1983年に当時の吉村仁厚生省医療保険局長が医療費亡国論を発表して以来、医学部定員は減らされたままである。しかし、日本でもやっと厚生労働省が医師の絶対数不足を認め、来年から急遽医学部の定員を過去最大規模まで増やすことがこの8月に決まった。 でも実際に戦力になる医師が増えるのはざっと10年後であろう。そのころには僕はもうほとんど引退に近くなっている。してみると、僕は丁度、日本の医学・医療の業務が対数カーブで増える一方、医学部卒業生が減らされるというわが国の絶対的医師不足の半世紀を医師として過ごすことになるのか。

  医学部卒業生が増えるのは、わが国の将来にとって必要不可欠で遅きに失しった感はあるが、とてもいいことである。社会的な要請に応えるのは国立大学の使命であり、医師増に向けた努力を惜しむべきではない。 しかしそれでもなお、やれやれと感じないわけにはいかない。教育、とりわけ医学教育には手間暇がかかる。医学生10人につき教員1人が必要といわれる。九大医学部では段階的に入学者数を増やす方向と聞いているが、仮に1学年10人増やすとなると、6学年で60人なので、少なくとも6人医学部教員数を増やしてもらわないと勘定があわない。
  九大は、今は1学年100人の定員であるが、過去1学年120人の定員だったことがある。だから今の教員数であと1学年20人増やしても大丈夫かというと、そうはならない。 120人受け入れていた四半世紀前は、国立大学病院では診療収益やら平均在院日数やらは全く気にしないでいい時代であった。 10年前と比較しても今は、当神経内科でさえ平均在院日数は75日くらいから25日くらいへと3分の1程度に短くなっている。つまりこれは病棟診療が3倍忙しくなったことを意味する。 教育負担についていうと、僕らが医学生のころは、神経内科の臨床実習は6年生のときに医学生が4人ずつ1週間交代で回るだけだった。今は、4〜5年生の臨床実習(1週間半)の4〜5人と6年生のクリニカルクラークシップ(4週間)の4人とが同時に回ってきて、病棟は教育しないといけない学生であふれかえる。 神経内科は学生教育に時間がかかる。これは学生とともに患者さんに接しながら問診から神経学的診察所見のとり方、そしてその解釈・意義まで教えないといけないからである。 事実、以前九大での何かの学生教育にかけている時間調査で、臨床各科のなかで神経内科は教授クラスでは二番目に、准教授・講師クラス以下では一番長く学生教育に時間をかけているとの結果であった。 かくのごとく医学部定員数が過去最大であったころに比べて、現在はめちゃくちゃに忙しくなっている。
  現状の教育資源のまま1、2割も医学生の定員を急遽増やして教育の質を保つのは容易ではない。医学部定員数を増やそうとするなら、その前に医学部の教員数を増やすという計画がこないとおかしい。 卒業したら卒業したで、今度は増えた研修医を実地で教育しなければならない。医学生教育はマスではできないから、教える側の手当てを十分してからでないと、医師の粗製乱造は避けがたい。 このあたりは、全国医学部長病院長会議でしっかり文部科学省や世の中へ表明してほしいものである。 もっとも6人くらい教員が増えても九大は臨床だけで30くらいも診療科があるから、神経内科に教員増が振られる可能性が高いとは思われないが。 診療・教育の負担2割増しで研究活動水準を保つのはたいへんなことである。とても昔のように個人プレーで頑張り続けられるとは思われない。 これは人を集約しチームでますます協力し合っていくしかあるまい。

  戦力になる若手医師が増えてくるのは10年も先のことだから、やれやれ当面、若手医師の奪い合いは続きそうである。来年の入局者数は今ひとつ伸びていないので、もう一人でも二人でも飛び込みで入局してくれないかしらん。

  それにしても、この夏、ウサイン・ボルトの走りはすごかった。わずか100メートルで世界の銀メダル走者とあれほど差がつくとは、とても同じ人間と思われない。 随分前にジャマイカに呼ばれて片道二日がかりで講演に行ったことがあるが、確かに手足の長い黒人がたくさんいて、ジャングルに近いディスコで夜通し踊っていた。あんななかから、こんなとてつもない才能をもった個人が生まれてくるんだなと感慨深い。 でも100メートル走のファイナリストはいなくても400メートルリレーで銅メダルをとった日本の走りは感動的だった。日本は、チームワークと技で勝負するしかないね。