【9回 ----- 北米の秋の一日に(2008年10月12日)】

← 前の頁へ

写真20
写真20:New memberに選ばれると歴代の会長さんと握手する。
握手して回っている野村芳子先生。Hauser教授の姿も隣に見える。

  犬も歩けば棒にあたるということで、行き当たりばったりでやってきても、国際学会に出ると多くの人に会える。書いていたらきりがないけれど。 イタリアはサルディニア島のCocco先生に久々に会った。3年前に福岡にお呼びしたときは、豊かな胸だけが目立って目のやり場に困る女性だったけれど、 今は米国に留学してMSの遺伝子多型を研究しているということで、胸のあたりもすっかり落ち着いた研究者らしい人になっていて、初めてまともにこの人を見ながら話しができた。 キューバのMS協会会長(President Cuban Society of Multiple Sclerosis)のCabrera-Gomez先生にもお会いした。この人は、ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブみたいな人で、診察用のハンマーを振るよりはピアノかギターの方が似合う感じ。 この人の論文は中南米の人には珍しくしっかり仕上げられており、何度か査読で採用にしたことがある。 キューバは視神経脊髄炎(Neuromyelitis optica, NMO)の全国調査を実施してNMO全例を集めてNMO-IgG抗体を調べており、陽性率は30%で抗体陽性例は脳病巣が陰性例より有意に多いということで、九大のデータと一致する。 キューバにぜひ来てくれという。マイケル・ムーアのSickoではキューバの医療がとてもすばらしく描かれていたので、一度実情を見てみたい思いは強いが、でも遠いね。 日本人では、瀬川小児神経学クリニックの野村芳子先生が、ANAのNew corresponding member(外国人会員)に選ばれた(写真20)。 私立病院に勤務する女性医師の立場で本当に立派なことである。先生には神経免疫班会議の重症筋無力症全国臨床疫学調査で、特に小児患者のパートでお世話になった。 早く調査結果を英語論文にしてほしいと言われる。村井君、頑張ってね。1万6000人の患者さんが待っているよ。

  帰りのサンフランシスコ行きの飛行機の窓から、ロッキー山脈のど真ん中に位置するソルトレークを眺める。 ソルトレークシティーの位置する巨大で平坦なバレーの上半分に湖が広がっている。見ると、そこここに泥が干上がったような広大な褐色の平地がひろがり、ところどころにポコポコと山嶺が盛り上がっている。 荒涼とした褐色の泥地にシティーを築いた人々の情熱に思いを馳せつつ米国を後にする。

  ところで、今回のタイトルにある9回というのは何かというと、神経免疫班で実施した多発性硬化症の全国臨床疫学調査の英語論文投稿回数のことです。9回目の投稿でやっと採用になったという意味です。 New Engl J Med誌に1回、Lancet誌に1回、Brain誌に2回(これはrevision=改定版を要請に応じて再度投稿して落とされました)、そしてMultiple Sclerosis誌に5回投稿して(つまり4回書き直しをして)re-re-re-revisionがようやく採用になったというわけです。 全部で9回の投稿ですね。今まで私が筆頭著者あるいは共著者で投稿した英文論文は200を越えますが、採用までに9回かかったというのは最高記録です。
  いずれのジャーナルでもeditorは好意的でしたが、reviewerがえらく批判的な方ばかりでした。普通は、4回も書き直しを要求されるようなことはないですね。 私自身もよく英文誌の投稿論文のreviewを頼まれますが、書き直しを3回以上要求することはまずありません。たいがい1回か多いときで2回書き直しをお願いするくらいです。

  Multiple Sclerosis誌のReviewer 2という方が、ものすごくうるさい人で、一つ一つコメントに丁寧に対応してrevisionを再投稿すると、また別の箇所を指摘してくるということの繰り返しが4回あったので、 さすがに私も頭にきて、editorにあまりにひどいとメールを送ってようやく採用になりました。 Multiple Sclerosis誌は、chief editorは英国のAlan Thompson、Asia-Pacific担当のco-editorはオーストラリアのCarrollさんで、二人とも好意的なので彼らに救われたというところでしょうか。
  このReviewer 2が、たぶんその前に投稿したジャーナルでも落とし続けた張本人ではないかという気がしてきます。 それは、reviewerが著者あてに返してくるコメントの書き方がよく似ていることによります。 私は英語が苦手なのでこの英語が英語圏の人なのかそれ以外の地域の方なのかよくわかりませんが、フランス語的な英語のような雰囲気を感じます。 話しているのを聞くとフランス人の英語はすぐフランス人とわかります。フランス語を話しているのか英語を話しているのか、よくわからないような日本人には聞き取りにくい英語を話すからです (これに対してドイツ人やイタリア人の英語は比較的聞き取りやすい)。 ただ文書では何人の英語かは、英語能力の低い私にはよくわかりません。もしフランス式の英語であれば、おそらくリヨンのグループではないかという気がします。 リヨン大の神経内科は、Devic病で有名なDevicが教授をして、その息子が教授を務めて、今はその孫娘の夫であるConfavureau氏が教授をしていると聞いていますから、がちがちのDevic病(NMO)の牙城です。 私たちがopticospinal multiple sclerosis (OSMS、視神経脊髄型多発性硬化症)とか、勝手なことを言っているのはけしからんというところでしょうか。

  これには延長戦があり、この多発性硬化症の疫学の論文は当初8000語を越える大論文で、あまりに長いので、Multiple Sclerosis誌ではそのうち病型の部分の記載の削除を求められ、5500語くらいに短くした形で採用になりました。 残りの約3000語の部分は、実は別の論文にまとめて通算10回目になる投稿をJournal of the Neurological Science誌(IF=2.315)にしています。 最近、その結果がrevision(再度書き直し)ということで返ってきました。そこで、今、11回目の投稿に向けた準備をしているところです。ネバー・ギブアップ。

  あのECTRIMSやANAの学会会場にいた誰かがreviewerになって辛口の査読をしたことは間違いありません。 疫学調査では、とてもおもしろい観察結果が得られることがよくありますが、このような質問用紙でする調査には、いかようにも批評は加えられます。 それに対抗できるようにしないといけないのはもちろんですが、すでに終了した調査に今さらあれをしていないとかこれをしていないとか言われても対応はできません。 そこはこの方法にはこのような留意点があるものの、この観察事実には出版されるだけの意義があると、editorial board(編集委員会)がある程度のところで判断する必要があります。 これがないと今回のように何度も不毛なやりとりをreviewerとの間ですることになります。このようなことを経験するにつけ、私は日本の神経学会も世界に向けて英文誌を発行すべき時期にきていると思います。 日本で行われた疫学調査には外国人にはとうてい理解できないような日本国内の事情もあります。 世界に向けて発信すべき観察結果がある場合に、迅速に自前の英文誌に発表できる体制になっていないのは、大変不幸なことだと思います。 まともな英文誌の発行には、ざっと2000万円くらいの費用が毎年かかります。 これは学会にとって大きな負担になりますが、9000人からいる会員の半分が毎年4000円から5000円余分に英文誌の購読のために費用を拠出してくれれば実現できます。 日本の神経学会の世界におけるプレゼンスを示すためにも、なんとかならんもんでしょうか。