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写真7
写真7:左から通訳をしてくれた王さん、呉先生、私、張さん、梅さん、臨床研究所のスタッフ

  学会では、以前、九大神経内科に留学していた梅風君さんに会うことができた(写真7)。懐かしい。中国に戻って若返ったようである。今は、河北医科大学第四病院神経内科で副科長(教授)として活躍している。 梅(メイ)さんは、2000年4月に中国に幼いお子さんとご主人を残し、当初、産業医科大学神経内科に研究生として来日し、その後に同年6月26日に急に手紙で九大神経内科の大学院に入りたいと言ってきた。英語も日本語もさっぱりダメで、そもそもコミュニケーションが全くとれなかったのを思い出す。 もちろん研究の経験は全くなかった。それでも、人柄が良さそうだから、うちに受け入れた。4年半在籍して、J Neurol Sci誌に筆頭論文2編、Brain誌やNeurology誌に共著論文4編が掲載されたので、彼女の教授就任には役立ったろうと思う。 ちなみに中国では、impact factor (IF) 5以上が一流誌として昇進でも高く評価されるという。このためIF5以上のジャーナルをさがして投稿するらしい。



写真8
写真8:江西省人民医院臨床研究所の実験室の一部

  講演が終わると、呉先生が会場を抜け出して、江西省人民医院へと案内してくれた。江西省は人口1億人。南昌は、8年前に訪問したときには、メインストリートに溢れ返る自転車の列にあきれたものだが、今回は自転車の影も形もなく自動車の洪水である。 この変化を目のあたりにすると、中国がしゃにむに石油獲得に走らざるを得ないのも納得できる。この間に中国の石油消費(9.7%、2007年)は、日本(5.8%)を追い抜いて米国(23.9%)に次ぐ世界第2位となっている。

写真9
写真9:江西省人民医院臨床研究所の培養室

  江西省人民医院は1897年の設立以来100年を越える江西省で二番目に大きい病院である。 1400床の大病院である。呉先生は九大神経内科を経て、米国クリーブランドクリニックのレーナー研究所に1年ほど留学し、この病院の神経内科長となって帰国した。 現在は、副病院長、臨床研究所長(写真8、9)として活躍中である。呉先生の神経内科は、当初16床でスタートし、30床、40床、そして80床へと増床してきた。15人の医師でこの80床を運用している。

写真10
写真10:江西省人民医院神経内科名誉科長(名誉主任)の任命状

ここは江西省の公立病院であるけれど、各診療科はそれぞれ科ごとに収益を出し、その収益から医師の給与・ボーナスが出るのだそうである。いきおい各科所属の医師が増えると一人頭の給料は減る計算になる。 いったん各科で医師を採用したらその医師はずっとそこにいるため、科長は医師をふやしたがらないという。自分の取り分が減るからである。共産主義というけれど、よほど日本の大学病院より資本主義だね。 呉さんは医師を積極的に採用し増やしていっているとのこと。将来は160床をめざしているという。 あとで呉先生の奥さんの王さん(中国は夫婦別姓で、王さんは同病院で心エコーの主任医師を務めている)に聞いた話では、科長になると勤務を夕方早々に切り上げて、その後は病院には出て来ないが、呉さんは夜も病院に行って遅くまで働いているという。 呉さんの神経内科は医師の希望者がとても多いという。何よりのことである。病棟で全員そろって挨拶をし、MRIのコメントを求められる。医師も看護師も若くてピチピチした元気のよさそうな人ばかりである。僕は、江西省人民医院の神経内科の名誉科長にこの度任命された(写真10)。 病院長の時先生(専門は肝臓移植)から任命状をいただいた(写真11)。とても名誉なことである。

写真11
写真11:任命状を時病院長より授与

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