【十年一日のごとき冬の日に:十年続けてよかったと思うこと(平成20年12月吉日)】

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写真13
写真13:九大病院難病情報センター。

  この10年間で1人であった難病医療専門員が2人(産業医大神経内科を準拠点病院として1名追加配置)となったこと、九大病院の新病院の2階に難病情報センターを設置してもらえたこと(図13,14)、福岡県難病相談支援センターが九大病院難病情報センター内に設置されたこと、そこに難病相談支援員が配置されたこと (難病相談支援員の大道綾さんの活動は平成20年11月7日にNHK福岡にんげん交差点で、「あきらめずに寄り添う〜難病医療相談員」として報道されています)、ネットワーク参加病院が105から119に増えたことなど、少しずつ充実してきていると思います。 何よりネットワークに関心を持つ人、関わってくれる人が増えてきました。

写真14
写真14:九大病院難病情報センター内部風景。

全国の難病医療専門員が交流する機会を作るために始めた日本難病医療ネットワーク研究会も、前身の西日本難病医療連絡会以来10回を数えました(図15,16)。 全国から毎年200名ほどの参加者がある会に成長しました。日々の歩みは遅々としたものですが、10年前の状況を思い起こすと隔世の感があります。 研究会活動や難病ケアを通じて、林秀明先生(前都立神経病院長)、澤田甚一先生(大阪難病医療情報センター副部長)、福永秀敏先生(南九州病院長)、近藤清彦先生(公立八鹿病院脳神経内科部長)、中島孝先生(新潟病院副院長)、難波玲子先生(神経内科クリニックなんば院長)、 武藤香織先生(東大医科学研究所准教授)、荻野美恵子先生(北里大神経内科講師)、成田有吾先生(三重大准教授)など、神経難病ケアの領域で活躍しておられる先生方と知り合うことができましたし、大変お世話になりました。 熱意にあふれる方ばかりで、人間的にも濃い方が多いですね。この方面は。

写真15
写真15:第1回日本難病医療ネットワーク研究会当日。

  従来、大学病院はこのような筋萎縮性側索硬化症患者さんの長期療養には関わってきませんでした。大学病院は、「難しい病気の診断だけして、後はハイそれまでヨ」で、何もしないという批判がこれにあたります。 10年前のネットワークスタート時のシンポジウムで講演していただいた患者さんは、20年前私が大学病院の初診で診た方でした。発病当時、まだ小さいお子さんがおられたと思います。 私は全く何もできませんでしたが、ご家族の手厚いケアにより在宅で10年を過ごされ、講演では全身の麻痺があっても家庭で母親としての役割を果たされているというお話に、当時、揺り動かされる思いがしたものです。 九大病院には福岡県中から多くの筋萎縮性側索硬化症患者さんが受診されます。今では診断告知の時期から、立石貴久君(助教)の筋萎縮性側索硬化症専門外来、岩木さんの難病相談、臨床心理士の心理相談、 難病相談支援センターでの在宅・就労支援、ネットワーク参加の協力病院との連携とシームレスに診断からケアの流れが進むようになってきています。 もちろん、レスパイトケア入院先の不足、住まいの近くの長期療養先の不足、在宅往診医の不足、看護・介護のマンパワー不足と、課題をあげていけば、きりがありません。

写真16
写真16:日本難病医療ネットワーク研究会参加者の推移(第8回までの集計)。

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