【未来の患者さんのために(平成21年2月28日)】

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  松本君は論文の書き方がよくわからないということで、私をlast authorに入れてラフな原稿をメールで送って相談してきました。私は脳血管内外科は全く専門外ですが、一読してこのままでは絶対通らんなと思いました。新しいことをやっているのはわかるけれど、このひどい書き方では無理。科学的な論文の書き方、構成という点で難がありました。初めての英語論文ですから、仕方ありませんが。ただ、意外に英語は上手。たいしたアドバイスはできませんでしたが、editor(編集長)がrevision(書き直し)に回してくれたのには驚きました。Editorも公正に新しいものを見る目があるなあ、なんぼひどい書き方の論文でも、というところでしょうか。Revisionは2、3回やらされたけれど、ほとんど自力でこなして採用になりました。誰か知らんが、新しい点に着目して、論文の仕上げに付き合ってくれたassociate editorもえらいと思いました。次の頚動脈ステント留置術時の血管内超音波検査の英語論文はもっとスムースに採用になることでしょう。

  論文は投稿する側も大変だけれど、実は投稿される側も本当に大変。私は臨床神経学の編集委員長をやって4年になります。臨床神経学は邦文誌で、神経内科臨床を学び始めたばかりの人が筆頭著者で論文(症例報告)を送ってくるのが大部分です。これはもうピンからキリまで。新規性はあるけれど、誤字だらけの日本語の文法もおかしいような論文を平気で送ってくる。もうちょっとましな日本語を書いてよと言いたくなります。Corresponding author(投稿論文の責任者・指導者)の教授の顔を思い浮かべながら、どんなに忙しいか知らんが、あんたもうちょっとしっかり論文書きを指導してよ、という感じ。臨床神経学の編集委員長をやって初めて論文の書き方もろくに教えない教授がいることを悟りました。ぶつくさ言っても仕方がないので、よその大学、よその病院からの投稿論文の修正作業をしていきます。ひどい投稿論文を何時間もかけて修正していくのは疲れる作業です。再投稿、再々投稿ともなると、投稿する方も大変とは思うけれど、投稿される側もなんでこのくらいの修正がスムースにできんのか、との思いはあります。ただ、これもいくらかでも明日の患者さんのためになるか、という思いでしています。世のeditorはみなそうだと思います。

  どこも市中病院は医師不足で日々の診療に追われ、目の前の患者さんのことで手いっぱいです。でも、従来知られていない、こういう患者さんを診た、こういう知見を得た、こういう治療が効いた、ということは自分だけ知っていても、それで救われる患者さんは自分のところに来た人のみに限られるから、やはり新しい知見は英文であれ邦文であれ、論文にして出した方が世のためになります。忙しい診療の毎日で論文まで手が回らないということは多々あると思うけれど、未来の患者さんのために論文にすることが大切。このことが将来の医療の質を高めることにつながります。わが国の医療の世界は、今、市場経済の中に放りこまれようとしています。しかし、利潤追求だけでは質の高い医療は担保されないのは明らかです。症例報告であれ臨床研究であれ、論文書きなんてのは利潤追求とは一番縁遠いわけですが、明日の医療の質を高めるためには不可欠です。忙しい日々でお互い大変ですが、明日の医療の質を高めようという使命感をキープすることが大切ですね。

  最後に一言付け加えますと、臨床の研究がおもしろくなるには年季を要します。私も1987年に九大病院に初めてMRIが導入されたときから多発性硬化症の専門再来を始め、臨床研究をスタートさせましたが、研究としておもしろくなったのは、10年後にAnn Neurol誌に多発性硬化症の論文が採用されてくらいからです。忙しい日常診療のなかでの地味な症例の集積作業は、いつ実るとも知れず、しんどいものがあります。私は医師・大学の業界のことしか知りませんが、他の領域の仕事でも同じではないかと思います。仕事を続けていれば、おもしろくなる、あるいは、継続してこそ初めて到達できる部分がある、と思います。
  ということで、目の前にいる患者さんの向こうにいる未来の患者さんのことも考えながら、使命感をもって仕事を続けたいですね。

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