基礎科学の成果に基づく臨床医学のパラダイムシフト:神経内科も診断から治療の時代に

------神経内科や脳に関心がある研修医・医学生の皆さんへ(平成21年6月6日)】

(本稿は、平成21年6月6日に開かれた九大病院・関連病院内科系研修医のための入局の勧誘を兼ねた講演会での講演原稿に手を加えたものです。スライド原稿の一部を載せていますが、それらは様々な論文・総説・出版物から採用したことを、最初にお断りします。)

スライド1
スライド1

 本日は、基礎科学の成果に基づいた神経内科の臨床での大きな変化、今起こりつつある診断から治療へというパラダイムシフトについて述べたいと思います。本稿を読まれた研修医や医学生の方が、医師不足の深刻な神経内科に関心をもってくれるよう願っています。(スライド1)

スライド4
スライド4

 神経内科が対象としている臓器は、中枢神経(大脳、小脳、脳幹、脊髄、視神経)、末梢神経(運動神経、感覚神経、自律神経)、骨格筋と多岐に渡り、それを侵す疾患も極めて多彩です。このため、従来より神経内科のパラダイム(典型例という意味です)は3つのない、つまり、わからない、治らない、もうからないであると言われてきました。その典型が、筋萎縮性側索硬化症をはじめとする神経難病です。(スライド4)

スライド5
スライド5

 この神経難病を大きくながめると、炎症に基づくものと神経変性に基づくものとに分けられます。炎症の代表で、もっとも多いのは多発性硬化症であり、世界で約250万人の患者さんがいます。中枢神経髄鞘を標的とする自己免疫疾患と考えられており、脱髄性炎症を基本的な病態とするものです。しかし、病初期から髄鞘のみならず軸索や神経細胞も障害され、神経変性(神経細胞死)も早くから起こっていることが示されてきています。
 他方、神経変性のうちもっと多いのはアルツハイマー病で、現状でも世界で2500万人ほどの患者さんがいると言われています。この病気では脳にアミロイドと呼ばれる不溶性の蛋白質が蓄積して神経細胞が死んでいきます。加えて本来神経を保護するグリアの活動がとても盛んになり、グリア炎症と呼ばれる火事場のような事態に陥り、一層神経の障害を早めるとされています。(スライド5)

スライド6
スライド6

 多発性硬化症は、30歳くらいで発病し再発を繰り返しながら、徐々に進行し、10年もすると重い後遺症を残す方が半分以上です。再発寛解期には、MRIでガドリニウムにより造影される新しい病巣がたくさん検出されます。同時に不可逆性の脳の萎縮が進んでいきます。従来は、ステロイドパルス療法で再発の期間を短くすることしか手だてはありませんでした。(スライド6)

スライド7
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 しかし、ここ10年ほどは、我が国でもインターフェロンベータ製剤が導入され、再発率を減らすことができるようになりました。ただ、減らすといってもたかだか30%程度減らすだけで、しかも隔日に皮下注射しないといけませんから、患者さんの身体的な負担は大きく、インターフェロンベータ製剤を使っても、患者さんのQOLは高くならないという結果を報告する人もいるくらいです。(スライド7)

スライド8
スライド8

  しかし、多発性硬化症の動物モデルでの基礎的な研究成果から、多発性硬化症の病態機序に重要なステップが解明されてきました。多発性硬化症はTリンパ球が起こす疾患です。リンパ球はリンパ節を経由して全身の血管を循環しています。ですから、リンパ球がリンパ節から出て行く移出というプロセス、そして、リンパ球が血管から脳に入っていくために血管内皮に付着する接着というプロセスが決定的に重要です。これらのプロセスを阻止する分子標的療法がごく最近開発されてきました。(スライド8)

スライド9
スライド9

 その一つ、ナタリズマブは、リンパ球が血管内皮に接着するときに使うVLA-4という分子に対するモノクローナル抗体です。これはリンパ球がVLA-4を使って血管内皮のVCAM-1に結合するのをブロックします。その結果、リンパ球は脳の中に入っていくことができず、脳の中では炎症が起こらないというわけです。(スライド9)

スライド10
スライド10

 ナタリズマブでは、ガドリニウムで造影される新しい病巣の発生を90%も抑制することが示されています。しかし、一方でリンパ球が脳に入るのをほぼ完全にブロックしますので、脳の免疫監視機構が低下する結果、本剤を1年以上使用すると、致死性で有効な治療法のない進行性多巣性白質脳症が、数千人に1人という頻度で発生します。ピンポイントに作用する分子標的療法は、精妙な免疫バランスを狂わせてしまい、思わぬ副作用を起こすことがあるので、注意を怠らないことが大事です。(スライド10)

スライド11
スライド11

  FTYは日本の企業が開発した新薬です。リンパ球がリンパ節から出て行くときにはS1P1受容体にS1Pが結合しないといけません。FTYは、このS1P1受容体に作用して、その発現を減らします。この結果、リンパ球はリンパ節から出て行くことができません。(スライド11)

スライド12
スライド12

FTYの最近の欧米の治療成績では、年間再発率が治療前に比し90%減ったということです。多発性硬化症の患者さんは、平均で1年に1回の再発を起こしますから、この薬を使うと10年に1回しか再発が起こらない計算になります。日本でも私が代表者になって治験が進んでいます。本薬のいい点は内服で効くという点です。このため患者さんにとっては大きな福音となることでしょう。他にもAlemtuzumabなどTリンパ球を破壊するようなモノクローナル抗体の治験が進んでおり、このような分子標的療法を発症後5年以内くらいの時期に導入することで障害の進行・神経変性が食い止められるのではないかと期待されています。ただ、このような薬剤はいずれも末梢から作用するものなので、末梢から免疫細胞が入らなくなっても中枢神経の中で限局したグリア炎症が継続し長い経過で神経細胞が死んでいく懸念が残されています。これは今後5年、10年と経過を見ていかないと決着が付かない問題でしょう。(スライド12)

 

スライド13
スライド13

  一方、認知症は、世界の60歳以上人口の約1割が罹患し、脳血管障害や循環器疾患、骨疾患などよりも患者数は多いとされています。わが国だけでも200万人の患者さんがおり、年間医療費は4兆円といわれています。(スライド13)

スライド14
スライド14

 

認知症の半分以上はアルツハイマー病です。本症の患者さんの脳にはアミロイドベータと呼ばれる不溶性の蛋白質が沈着し、神経細胞が次第に変性して(死んで)いきます。アミロイドベータを過剰に産生するように遺伝子改変したマウスで人と同様なアルツハイマー病が起こることから、アミロイドベータの脳への沈着が本症を起こすと考えられています。(スライド14)

スライド15
スライド15

  アミロイドベータに結合する化合物が発見され、それを放射線標識することで、脳へのアミロイドの沈着を安全に検出することができるようになっています。アルツハイマー病の患者さんでは脳に多量のアミロイドが沈着しているのをアミロイドイメージングで見ることができます。このような患者さんでは脳の神経細胞が死んでいくため、脳の糖代謝が低下しています。高齢の発症前の方ではアミロイドの沈着が検出されますが、神経細胞がまだそんなに死んではいないので、脳の糖代謝までは低下していません。その他の原因による認知症では脳の糖代謝は低下しますが、アミロイドは沈着していません。アミロイドの沈着のイメージングからアルツハイマー病の早期診断が可能になろうとしています。(スライド15)

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