【ECTRIMSとPACTRIMS (平成21年9月27日)】

 表題のECTRIMSは、European Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosisの略です。一方、PACTRIMSはPan-Asian Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosisのことです。前者は全欧州、後者はアジア太平洋州(東は日本から、西はイランまで、南はオーストラリア、ニュージーランドを含む)の多発性硬化症(Multiple Sclerosis, MS)の学会です。他に、ACTRIMSは北米(America)の、LACTRIMSは南米(Latin America)のものをいいます。アフリカにはまだありません。

 今年のECTRIMSは9月9日から12日までドイツのデュッセルドルフで第25回総会が開催されました。欧州に限らず、米国、カナダ、南米、アジアなど世界各地からの参加者があります。今年の参加者は5000人を越えたということです。これは、欧米の神経内科関連の学会では、毎年4月に開催される米国神経学会(American Academy of Neurology, AAN)の年次総会に次いで大きな規模の学会といいます(日本の神経学会総会は4000人以上の参加がありますから、世界的には大きな学会といえますね)。

 ECTRIMSには日本からも大勢のMS研究者が来ていました。私も今回で4回目の参加となります。九大からも若手が4人ほどポスター発表しました。私は、招待講演での参加ですが、講演時間はたったの15分にすぎません。盛りだくさんな内容なので、他のシンポジウムの講演者も講演時間は15~20分です。私のはというと、二日目の午後2時から午後3時45分のEpidemiology(疫学)のシンポジウムです。総論的な講演が二つあった後に、各論としてロシアのMSの疫学、ラテンアメリカ、中近東、サウジアラビアと続いて、最後にアジアのMSの疫学というテーマで私が話すことになっています。ポスターセッションの発表が午後3時半から始まるのに、どういうわけか、私の分だけはポスターセッションの時間帯にはみ出していて午後3時半から午後3時45分という設定です。世界各地の疫学をやるので、しかたなく最後にアジアも付け加えたという感じでしょうか。

 中近東のMSの疫学をイランの人が話した後にサウジアラビアの人がまた話すのも日本側から見ると解せない。同じイスラムでも宗派が違うので両方入っているのかしらん。わからない。会場は、Room 1という階段教室をものすごく大きくしたような部屋。MSの疫学の話も世界各地のを、ロシアではどうだ、アルゼンチンではこうだとかやっていたら、イランのあたりでもううんざりしてきて席を立つ人が増えてくる。サウジにさしかかると、この人は風邪を引いているらしくて全然聞き取れない話しぶりで、内容も何を言いたいのかさっぱりわからない。ポスターセッションの開始時間も近づいてきたので、ボロボロ席を立つ人が続く。もうちょっとまともに話してくれないと皆出て行ってしまう。この分では僕のときは空席ばかりだなとみじめな気持ちになる。日本のMSの疫学については、第4回全国MS臨床疫学調査に協力してくれた日本の全てのMSに関わる臨床家、研究者を代表して話すことになるので、少しでも多くの人に聞いてほしい。それに、今回のプログラムを見渡すと招待講演の演者は、中近東を除くアジアからは僕一人だし。

 だいぶ空席が目立ってきたが、気を引き締めて壇上にあがる。タッチパネルに触れると矢印が映写されているスライド上に出てくると、スライド係りの人は説明してくれたが、全然出ない。指が痛くなるくらいパネルを叩いてもやっぱり出ないので焦る。ドイツというのにしっかりしてくれよと言いたい気持ち(あとで他の人も出なかったと聞いた)。しょうがないので、台上にあったポインターで後ろのスライドを振り返りつつさし示しながら話す。でも今年の3月末に北海道に呼ばれて菊地さんと痛飲して意識をなくしたとき以来頚椎がおかしくなって頚を回すと猛烈に痛む。痛みをこらえつつ、時差ぼけの頭で必死に英語を話す。15分の予定だったけれど、20分近くなったか。そんなにはない機会なので、言いたいことは皆話す。時間オーバーで会場からの質問はカット(よかった)。大汗をかいた。

ECTRIMS 図1図1

  まあ、だれも聞いてくれてないだろうなと思ったが、終わって席にもどると、Brain誌のeditorのCompstonさん(彼は視神経脊髄炎=NMOはMSのプロトタイプという考えで、私たちの立場にも理解がある)、スイスの神経放射線科の教授のRadueさん(この人とはいっしょにMRIの教材作りをやったことがある)、米国のMS協会でMS診断のMcDonald基準などの作成に携わっているReingoldさん、ブラジルの神経内科の教授でAlvarengaさんのお弟子さん(ご主人が病気で今回は残念ながら彼女は来ることができなかったということ)、オーストラリアのCarrollさん(オーストラリアのMS協会の研究関係のchairmannでPACTRIMSの副会長)などが話しに来てくれた。ああ、聞いてくれていた人たちもいたんだなあ、よかったという気持ちになる。磯部さんが講演の模様を写真に取ってくれた(図1、どうもありがとう)。

Compstonさん、Reingoldさんは、ぜひ私のスライドがほしいというので、帰国後送ったところ礼状をいただいた。15分でも話をしてよかった。この前九大神経内科に来て講演と回診をしてくれたRansohofさん(Neurologyのassociate editor)は、15分の講演が30分、60分の講演よりよほどむずかしいと言っていた(彼もECTRIMSでは15分の講演時間)。これは私も同意見で、短いほど聴衆にわかってもらうのは難しい。

 

 今回のCharcot賞には、オーストラリアのMSを専門とする神経病理学者であるPrineasさんが選ばれました。Prineasさんはアメリカが長く、そちらでは死にそうな方のそばに控えていて、なくなられたらすぐに固定液を灌流していたといいます(少しでも新鮮な病理標本を得るため)。Prineasさんは、MSの一番新鮮な病巣部位では、脱髄の起こる前に髄鞘をつくるオリゴデンドロサイトのアポトーシス(自殺死)がみられるので、免疫反応は二次的に起こっているにすぎず、オリゴデンドロサイトが不明の機序でアポトーシスを起こすのが一次的な障害とする説をこれまで提唱しておられます。受賞講演の最後には長年連れ添った奥様への感謝の言葉を述べられました。その際に、感極まって涙ぐみ言葉が続かなくなってしまいました。感動的でした。

 Prineasさんは、自験例でもNMOでは言われているようにアストロサイトのAQP4が広汎に脱落しているので、アストロサイトが一次的な標的で脱髄は二次的とする説を支持すると表明されました。次いで、MSでも脱髄の起こる前の一番最初の病巣(prephagocytic lesion)では、AQP4がまず失われているので、NMOとはおそらく異なる機序でMSでもアストロサイトが最初に障害されており、これが第一次的で脱髄は二次的と考えられるとの驚天動地の新説を発表されました。MSでもアストロサイトが一次的な標的とする説は初めて聞きました。今、一般に広く言われているのは、MSでは脱髄が第一次的な障害で、他方NMOでは抗AQP4抗体がアストロサイトを障害するのが第一次的であり、両者は全く別物とする説です。ただ、MSの病巣でも、時期によりAQP4が喪失することは、Mayo groupのAQP4がNMOで脱落するというBrain誌に発表された最初の論文にも明記されています(論文中のFig. 3)。教室の松岡君も学会発表で、通常型MSでも病巣によってはAQP4が広汎かつ選択的に脱落することを報告しています。Mayo groupもPrineasさんも松岡君もたぶん同じようなMSの病巣をみているものと思われます。


 僕はPrineasさんの説が正しいとは思いません。これらのMSの病理所見は、MS、NMOにオーバーラップする部分、共通した病的機序があり、抗AQP4抗体は二次的に作用していることを示唆しているのではないかと私は思います。AQP4に対する自己免疫だけでNMOの全てが説明されるとしたら、中枢神経髄鞘のないところにはAQP4が存在していても炎症が起きないのは変な話です。AQP4が存在して中枢神経髄鞘が存在しない場所というのは、たとえば、腎臓、胃、網膜などです。特に網膜はミューラー細胞というアストロサイトがいて豊富にAQP4を発現していますが、NMOで網膜に炎症は起こりません。NMOの視神経病巣は球後視神経炎といって眼球の外(後ろ)に病巣が生じます。また末梢神経髄鞘も障害されません。これらのことは、中枢神経髄鞘を標的とする炎症、特にT細胞による炎症が、病巣のトリガーとなっていることを示していると私は考えています。今、抗AQP4抗体陽性例では中枢神経髄鞘に反応するT細胞が多く存在するということを示した論文を私たちは投稿しているところです(でもこれも採用までにはだいぶ嫌がらせされそうな気がする)。

 ところでECTRIMSも参加者は、各地のメーカーさんがお金を出して送り込んでくる一般の神経内科医が多いと聞きます。必ずしもMSの臨床家、研究者が多いというわけではありません。メーカーがお金を出すのは、MSは医師数・患者数に比して売り上げの規模が大きいから(これがもっとコモンなありふれた病気だと、仮にMSと同規模の売り上げとすると、関わっている医師数・患者数はもっと膨大になるので医師一人あたりの売り上げは少なくなる)。MSは高価な分子標的薬が次々と開発されているので、この傾向は当分続くものと思われます。

 というわけでECTRIMSは金持ち。たった15分の招待講演だったが、旅費と宿泊費はECTRIMSがもってくれた(登録費も本来は高いけれどタダ)。ホテルはシュタインゲルベルガーパークホテルというそれは立派なホテルで、ドイツオペラライン劇場の隣にあり、オールドタウンにも歩いてすぐ。宿泊は5泊全て向こうが持ってくるものと思っていたら、出発の前の日になって秘書のタカタさんが実は一泊分足りませんでしたと言う(タカタさんとても優秀な人で私が日本語で言うと英語で向こうに伝えてくれるのでとても助かっているが、ときどき空港で一泊するようなスケジュールを立ててくる)。前日でどうしようもないので、一泊くらい同じホテルでよかろうと思って自費での延泊を依頼する。すると驚いたことに、一泊290ユーロも請求された。両替は1ユーロ130円なので(実際には150円くらいの率でとられた)、1泊37700円(実質43500円)という途方もない金額だった。こんなに高いホテルに泊めてくれていたとは知らなかった。ECTRIMS全体では今回の招待講演者の数は80人を越える。ECTRIMSは大金持ちだった。

ECTRIMS 図2
図2

一方、我がPACTRIMSはどうかというと、これは本当に貧乏。Central Scientific Committee のchairmanをしているので、プログラムの決定、演者・session chairperson(座長)の参加・講演依頼を、実質的に一手に引き受けている。今年は香港で会場費がとても高いので、9000ドルしか講演者には回せないとか言われる。これでは誰も呼べない。各セッションのchairpersonは、自分でfundをみつけて来ることができる人に限る。大変だけれど、ECTRIMSも25年前には50人未満で始まったということだし、PACTRIMSも人口は世界最大なのでいつかECTRIMSなみにリッチになる日がくるであろうと期待する。ECTRIMSの事務局が11月20、21日と開かれるPACTRIMSの案内をプログラム集の最終ページに好意で載せてくれた(感謝)(図2)。ちなみに一般演題の締め切りは9月30日となっているので、日本からもたくさん応募してほしい(9月27日までに44題の申しこみがあっている)。
 土曜日には総会も終了し、ホーフガルテン(ドイツで初めてできたというとても大きな市民公園)からゲーテ博物館、オールドタウンを散策し、ライン川を川下り船で遊覧する。夕日のライン川を船は流れる。川面を渡る風に吹かれつつ船上でビールのジョッキを傾けソーセージをつまむ。うまい。ライン川というと大河の印象だけれど、このあたりの川幅は故郷の番匠川とたいしてかわらないような気もする。人はみな大河の一滴という。我もまたMSの研究という大河の一滴。

 

平成21年9月27日
吉良潤一