【台南行 (平成22年5月5日)】

  春の台南は、青々とした水田がひろがり、山脈は遠くにかすんで見えない。山が近い台北から台湾高速鉄路(新幹線)で、1時間半余りで平野部に位置する台南市に到着する。台湾神経学会(Taiwan Neurological Society, TNS)の招きで、台南市永康で4月30日から5月2日にわたって開催された2010年台湾神経医学連合国際学術研討会(原文のまま、台湾の神経学会総会ということですね)に参加した。ゴールデンウィークの前半はこれでつぶれてしまったので家族の不興を買うが、2年続けて誘いを断るわけにもいかない。

 福岡から台北の台湾桃園(Taoyuan)国際空港までは2時間半もかからない。時差が1時間あるので、行きは時刻的には羽田に行くのと変わらない。ただ、空港の入国審査のところで手間取った。いつものようにパスポートを出すと、入国審査官が何度も指を折りながら数を数えている。出迎えも来ているのに何をやっているのか、早く通さんかいと思っていると、パスポートの残り期限が6ヶ月ないから入れませんと言う。エェーーー、そんなこと聞いてないが(確かに今年の10月12日がパスポートの期限ではある)。向こうに行けと言われるので仕方なく列を離れるが、どこに行っていいかわからずに途方にくれる。困った。台湾の神経学会に出れない。やむなく、グルッと回って別の係官の入国審査窓口に行く。すると、今度は大目にみてくれたのか、いい加減なのか通してくれた。よかった。これで学会プログラムに穴を開けないで済む。しかし、入るには入ったが、出るときは大丈夫かという不安が残る。が、気にしても仕方がない。


 今回はオフィシャルには、TNS(Ke(柯)理事長、Chi Mei Medical Centerディレクター)と台湾臨床神経生理学会(Huang(黄)理事長、Chang Gung大学神経内科教授)の招きとなっている(写真1、写真2)。 写真1写真2
写真1。台湾神経学会の感謝状。                      写真2。台湾神経生理学会の感謝状。

 両学会はいっしょに開催されており、なぜか私は臨床神経生理学会の方の特別講演のような感じになっている。でも実質私を呼んでくれたのは、数年前に九大神経内科に留学していた蘇(Su Jen Jen)さん、蘇さんの上司で台湾では最も多くの多発性硬化症(MS)患者さんを診療しているYan(楊)先生(国立台湾大学病院教授)と前台湾神経学会理事長のTsai(蔡)先生(国立陽明大学医学院副教授、台北栄民総医院神経科主任)である。蔡先生とはMS研究での付き合いが長く、アジア人の神経内科医ではもっとも信頼のおける人物と私は感じている。蘇さんは若い女医さんだけれども、今は国立台湾大学病院で講師をしている。国立台湾大学は台湾の最難関大学で日本の東大にあたり、国立台湾大学病院といえば、東大病院といったところである。台湾でも日本同様に医学部が全ての学部の中で一番難しいというから、蘇さんは日本で言えば東大理科III類から東大医学部を出たような人である。台湾大学も以前はペーパー試験で最上位の人のみが入れていたということだが、今は一部面接で入れるようになっていて、蘇さんはその面接官を務めているという。九大に留学しているときは、そんなにすごい人とは思わなかったけど、実は立派な人だったんだ。小さいお子さんを連れて二人で日本にきて2年間研究に携わったのは大変だったろうと思うが、九大医学部で医学博士号をとれて本当によかった。


 国立台湾大学病院は、旧台北帝大病院である(写真3〜7)。
写真3 写真4
写真3。国立台湾大学病院入り口。           写真4。同病院の入口に立つ。
写真5 写真6
写真5。大学病院に入ったところは大きなホールになっている。  写真6。なぜか螺旋階段が残っていて、歴史を感じさせる。

写真7
写真7。中庭もホテルみたいな感じ。

 100年を越える歴史があり、当時の建物は今も使用されていて、正面から入るとそれは風格がある。旧台北帝大病院の建物は、今は外来棟になっている。煉瓦作りで以前は緑色に塗られていたらしいが、黄色に塗り替えられ新しく見える。新病院が隣接して建てられており、神経内科病棟は新病院の中にある。新病院への地下通路には両側の壁に台湾大学病院の歴史がパネルで掲示されている(写真8、9)。


写真9
写真9。1935年には、台北帝大医学部となった。

写真8
写真8。渡り廊下のパネル。1895年の創立である。
台湾病院の名前で日本人の名前が記載されている。


隣接する医学部の玄関には、大学の象徴であるベルが飾られている(10〜13)。


写真11
写真11。玄関で楊先生と。台湾大学のロゴマークは
ベルを基調として学問の府を感じさせる。

写真10
写真10。医学部の玄関に飾られているベル。

写真12

写真12。国立台湾大学医学院と旧字体で読める。このもともとの漢字は、大陸の簡体字で教育された若い中国人は読めないという。もっとも台湾の人も、パソコンで入力するようになって漢字の書きをよく忘れるようになったという。日本人と一緒ですね。向こうには黄色に塗りかえられたレンガ造りの建物が見える。


写真13
写真13。大学の前で蘇さんといっしょに。後の戦前からある建物は修復されて医学博物館になっている(次写真)。

戦前からの建物は医学博物館となっており、その奥手に医師の像が展示されている(写真14、15)。医師の像は、台湾大学出身の医師が作成したもので、ゆりかごの赤ちゃんは、その息子さんで、今はFu Jen Catholic Universityの副院長で重症筋無力症が専門の神経内科医であるChiu(邱)教授という(写真16)。


写真15
写真15。医師の像。台湾大学の医師が作成し、
ゆりかごの赤ちゃんは、その息子さんで、Chiu(邱)教授
(Fu Jen Catholic University副院長、
重症無筋力症が専門の神経内科医)。

写真14
写真14。医学博物館の内景。奥手に医師の像が飾られている(次写真)。

写真16
写真16。台湾に着いた初日の歓迎会で。向かって左端がChiu教授、右端はTsai教授夫妻。私の右が黄理事長、左が朱先生。


こちらでは、Neurologyは神経科である(写真17)。外来には電気生理検査室・超音波検査室も広くとられ充実している(筋電図は何故か肌電図と書く。確かに表面筋電図は肌の上に電極を置きますね。)(写真18、19)。

写真18
写真18。神経生理検査室は、電子診断科という。
九大病院のブレインセンターに当たる。

写真17
写真17。神経内科の外来。主任教授がパーキンソン病が専門なので、そのセンターになっている。パーキンソン病は、台湾では、
巴金森症と書く。当て字ですね。

写真19
写真19。筋電図は、なぜか肌電図と書く。確かに表面筋電図は肌の上に電極を置くか。他は分かりますね。



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