【シーグレープの木の下で:葉月雑感 (平成22年8月31日)】

  バリ島デンパサール空港から福岡に戻ってくると、ものすごく暑い。赤道直下のバリよりさらに熱い。夕方にはスコールのような激しい雨が降る。処暑を過ぎても福岡の熱帯夜は続く。その8月も今日で終わり。酷暑の8月にあれやこれや思ったことを記す。

 この8月6日に第500回になる脳研カンファレンスを当神経内科が主催した。脳研カンファレンスは九大脳研を構成する4教室が外部の講師を招いて主催する。特定のスポンサーがいるわけではないので、主催教室がそれぞれ自身で経費を負担することになる。したがって、年にそう何度も開くことができるわけではない。1963年の脳研開設以来47年を経て、やっと第500回に達した。脳研4教室がいつ脳研カンファレンスをやってもかまわないので、神経内科が第500回を主催したいからといって必ずしもできるというわけではない(ナンバーは開催順ということ)。それで、このところ立て続けに神経内科で脳研カンファレンスを企画し、幸い節目となる第500回目は国立自然科学研究機構生理学研究所の池中一裕教授(副所長)を特別講演の演者にお招きして開くことができた。
 外部講師をお呼びしての会ということもあって、脳研カンファレンスは近年では広い講義室を使っていたが、この数回は脳研会議室で開くようにしている。これは、脳研出発の原点に立ち返って初心を新たにすることが大切と思うからである。広い講義室にチョボチョボと聴衆がいるよりは、狭いけれども演者に密着しての方が質問も出て盛り上がるように感じる。学内での講演会だが、最近は関連病院の神経内科にも広く案内を出して、若手専門研修医もできるだけ参加するよう誘っている。
 池中先生の講演タイトルは、「グリア細胞の新たな機能と脳制御への関与」というもので、抑制性アストログリアが神経興奮を抑えたり、オリゴデンドログリアがいくつもの神経軸索を束ねて軸索の太さや伝導スピードを調整したりといった話はことのほかおもしろかった。私自身も、「多発性硬化症・Balo病・視神経脊髄炎を結ぶコア」という演題で一般講演を話させてもらった。第500回を機に九大脳研設立時の熱気を取り戻したいものである。

 8月もお盆を過ぎると、秋の終わりまで国内、海外とも学会シーズンがスタートする。先日、10年ぶりにパスポートを更新した際に数えてみると、このところ毎年平均6回の海外出張となっている。今年度は、既に5月に台湾神経学会総会招待講演で台南に出張しているが、8月下旬の神戸での国際免疫学会(ワークショップの座長)を皮切りに、8月末にバリ島での第3回PACTRIMS(招待講演2題とscientific program committee chairman)、9月にサンフランシスコでAmerican Neurological Association (corresponding member)、10月にスェーデン(イェテボリ)でECTRIMS(招待講演)、12月にイタリア(フィウッジ)でEuropean Charcot Foundation(招待講演)、年明けの1月にフィリッピン(マニラ)でQuadricentennial Neuoscience Summit of University of Santo Thomas(招待講演)と続く。4月にはハワイで開かれるAmerican Academy of Neurologyで半日かけてのシンポジウムのcoordinatorを引き受けている。だいたい毎年6回のうち5回くらいは招待講演だけれど、僕のクラスでは招待といっても全額旅費なんかを出してくれるのではなくて手出しも相当にあることが多い。

 

写真1写真1。Special Scientific Sessionでの招待講演の模様。このセッションは、第3回PACTRIMSでも科学的なレベルが一番高かったと思う。

 バリ島は今は乾季(4月から9月)であるせいか、日本よりはよほど過ごしやすかった。第3回PACTRIMS (Pan-Asian Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosis)は、ヌサ・ドゥアビーチにあるグランドハイアットバリで8月26日から28日まで開かれた。開催期間が3日間に及ぶのは初めてのことである。招待講演は20題、一般演題は93題に及んだ。参加者は年々増えて、今回は330名に達した。日本からは10名くらいの参加数で、バリ島までの旅費、ホテル代、学会への登録料を合わせると結構な額になるためか、今回は少ない。多いのは、韓国、中国など。これには理由があり、日本人を除く参加者の8ないし9割は、薬品メーカーの各国のブランチが参加者の費用を丸抱えしているためである(日本人は法規制の関係があるのでもちろん自費での参加)。PACTRIMS地域外からの招待講演者の旅費・宿泊費などはPACTRIMS学会本体が負担するが、PACTRIMS地域内からの招待講演者に対しては学会は何ら負担しない。これは上記のようにPACTRIMS域内の参加者は薬品メーカーの各国支社が費用を丸抱えしているので、学会が負担する必要がないせいもある。割を食うのは、まじめにやっている日本人ばかりなので、学会事務局に交渉して日本人の招待講演者は4泊分のホテル代や学会登録料は無料にしてもらった。それくらいは当たり前と思う。招待講演では、アジアのMSのWesternization(西洋化)についてと、Balo病のglial cell biology(グリア細胞生物学)について話し、まあ好評だったのではないかと感じている(写真1)。

写真2写真2。第3回PACTRIMS学会賞の受賞式。真崎君に表彰状と賞金(些少ですが)を授与。真崎君の発表は堂々として立派なものだった。

 今年のPACTRIMSの学会賞は、インドのLekha Panditさん、韓国のHo Jin Kimさん、慶応大の中原仁先生と、うちの真崎君に決まった。Award Committeeは、私が委員長で、錫村さん(名古屋大)も委員で入ってくれているが、日本人受賞者2名はいずれも海外の人の推薦による。中原先生のは、オリゴデンドログリア前駆細胞に発現するFcγ受容体を刺激するモノクローナル抗体を新規作成し、この抗体によりオリゴデンドログリアの成熟を促して髄鞘を形成させるというもので、極めてオリジナリティーが高い。 真崎君のは、多発性硬化症(MS)のvariant(変異型)と考えられているBalo病での、自己抗体に依存しないアストログリオパチーの提唱とその解析で、これは世界的にみてもうちのオリジナルのアイデアである(写真2)。Panditさんは、欧米人のgenome-wide association studyで発見されたMS感受性遺伝子多型を、インド人のMS患者でたくさん系統的に調べたもの(結果は欧米人MSでの結果と同じ)。Kimさんのは、システマティックにアクアポリン4(AQP4)の蛋白・ペプチド作成を行いELISA法を開発したというもの(これは既に同様な方法での抗原精製とELISA法の開発が千葉大神経内科からなされている)。したがって、両者ともよくやってはいるけれど、既報の後追いという面は否めない(委員会でもこのようなコメントがあった)。まあでも日本が独占するというのもどうかという面はあるし。PACTRIMS全体のレベルは着実にあがってきてはいるが、欧米の後追いでない独自のアイデアに基づいた研究が出てくるのには、まだ少し時間がかかるというところか。Panditさんとは現在インドの視神経脊髄型MSに関して共同研究を行っており、Kimさんには抗原精製のもととなるAQP4 vectorを提供したので、よく知っている。お二人とも次世代のアジアのMS研究のリーダーになることは間違いないところだろう。

 Balo病(同心円硬化症)は従来オリゴデンドログリオパチー(Lucchinettiらの提唱するPattern III)に分類されているけれども、実はその上流にアストログリオパチーがあるとの新しい仮説を僕らは提案している。第1弾は既に松岡君が今年Acta Neuropathologica (Impact factor=6.397)に発表し、今は第2報を投稿中で、真崎君の発表はこのラインの第3報に当たる。興味深いことに、Balo病巣(同心円病巣)はMS患者ばかりでなく、視神経脊髄炎(NMO)の一部でもみられ、自己抗体によらないAQP4 astrogliopathyがBalo病、MS、NMOで共通して存在し、同心円状脱髄病巣を起こしていると私たちは考えている(これが現在投稿中の松岡君の論文)。教室のMS研究グループ、ALS研究グループが、ミクログリア、アストログリアの研究に着手して、炎症、グリア、神経変性の三角関係が、とてもおもしろくなってきたと思う。

 ところで、松岡君の第1弾と第2弾は、実のところ一つにまとめてBrain誌に最初投稿した。しかし、シングルスペースで5ページほどにも及ぶ詳細なreviewer(査読者)のコメント付きで落とされた。共著者にKiraと入っていたら落とすというような研究者も何人かはいる。今回の査読者の一人は、間違いなくMayo ClinicのWeinshenkerさんだろうと思うが、この人はこれだけよくけなせるなあというくらいきついコメントを僕らには寄せてくるのが常である。先に述べた来年4月のハワイでのAmerican Academy of Neurology (AAN)年次総会での2011 Integrated Neuroscience Session (INS)は、一つのテーマをめぐって午後1時から午後5時までの間に招待講演4題、一般投稿からのワークショップ5題、関連の一般投稿のポスターレビューをやるというものである。その12のシンポジウムの一つにどういうわけかopticospinal MS(視神経脊髄型多発性硬化症)がとりあげられ、Weinshenkerさんと僕が全体のcoordinatorとして招待された。全体のテーマがneuromyelitis optica(視神経脊髄炎)なら僕のところに話は来ないだろうし、僕自身も引き受けるつもりはない。AANがINSのテーマをneuromyelitis optica ではなくてopticospinal MSとしたのは、ハワイでの開催ということでアジアを意識したものと思う。それはそれでありがたいことだが、よりによってWeinshenkerさんとペアとは参ったなあ。Coordinatorの仕事は、この8月から既にスタートしており、最初は研究者や臨床家の間でopticospinal MSをめぐってどのようなpractice gap(見解の相違)があるかという点を文章化するところから始まった。僕と彼の見解は世界で一番隔たりがあり、180度違う。最初からバトルにならざるをえない。僕は英会話が苦手で英語の勉強は苦痛でやらないけれど、今回ばかりはさすがに英会話を勉強して臨もうかと思う。ハワイのAANには、ぜひアジアからこのテーマに関してたくさんの一般演題の投稿があってほしい(もちろんopticospinal MSという題ではなくてneuromyelitis opticaというタイトルでの投稿でかまわない)。白熱の議論を期待したいものである。


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