【シスコ・ギックリゴシ・ヨーテボリ:最近甲斐のあったこと (平成22年11月13日)】


 この季節は、夕方ともなると福岡の街は黄砂で乳濁した靄にかすんでしまう。僕の眼鏡のレンズには細かい微粒子がびっしり付着する。この前にこの欄に一文を書いてからもう2ヶ月経った。この季節、日本の大学の研究者は学会出張やら来年度の研究費の申請書やらで忙しい。11月10日締め切りの来年度の文部科研費(文部科学省科学研究費補助金)の申請が終わって、12月14日締め切りの厚生科研費(厚生労働省科学研究費補助金)の申請まで、ちょっと忙しさも谷間となるので、この2ヶ月のことなどを今日は綴っている。

 僕は9月12日から15日まで米国サンフランシスコで開催された第135回American Neurological Associationに参加してきた。シスコでは、ヒルトンアンドタワーズに泊まった。ここはユニオンスクエアにも学会会場のマリオットマーキーズホテルにも歩いて5分ほどと近く絶好のロケーションにある。福岡のJTBにホテルは頼み、5泊で83000円(1泊16600円)と聞いていたが、受付ではこの価格では朝食抜きでインターネットができない低層階の部屋だといわれた。朝食もいらないし低層階でもかまわないが、5泊6日過ごすのにインターネットができないでは困る。仕事は世界中どこにいても追いかけてくるのが、今の世の常である。やむなくインターネットのできる部屋をと頼むと、そこは高層階で朝食・インターネット付きがセットになっており、1日あたりさらに50ドル余分に払う必要があるという。物価の高いサンフランシスコでは1泊16600円は許容範囲内と感じていたが、4250円追加で払って結局1泊2万円を越えた。今時、高級ホテルでインターネットができない部屋というのはほとんど詐欺だなと感じながら部屋に入る。
 部屋に入ると、そこは42階で、シスコの中心部からゴールデンゲートブリッジを遠望できるすばらしい景色であった。4000円アップにもやや納得。シスコの風景は一日のうちでもめまぐるしく変化する。朝・夕は霧に包まれ、一面が真っ白で42階にいても何も見えない。昼どきは、ゴールデンゲートブリッジの赤とサンフランシスコベイの青のコントラストが鮮やかである。夜には何万ドルだかの夜景が拡がる。黄砂で福岡の街が霞むのは情けないが、霧に街がけぶるのはシスコのいいところ。

 秋のAmerican Neurological Association (ANA)は、春のAmerican Academy of Neurology (AAN)に比べると、余程こじんまりとしている。これはひとつには、establishされたプロフェッサーのクラブ的な雰囲気があるためである。もちろん海外の若い人もポスター発表など可能でオープンになっているが、一般演題でのポスターの数はさほど多くない。全部で281題に過ぎない。日本からは34題(12%)。海外のなかでは多い方であろう。
 海外の教授などは会員の推薦を得てCorresponding memberに選ばれることが可能である。Corresponding memberは、ANAのExecutive committeeに出席することができる。同委員会では、海外から参加したcorresponding memberの名前が呼び上げられ、委員会で名前が呼ばれたら立ち上がって軽く挨拶をする。向こうにしてみれば、海外からよく来てくれたという感じで、こちらとしてはわざわざ日本から参加してますよというアピールになるかと思っている。日本人でcorresponding memberの方は多いと思うが、今回来ていたのは、僕と阪大の前の前の神経内科の教授の柳原先生だけだった。いつもよくおみかけする顔はなく、日本人の現役教授のcorresponding memberの参加は、僕以外はなかった。僕だけでも出ておいてよかったかもしれない。ANAの日本人の参加がこのところ少ないのは、最新の発表が毎年春にAANであるので、そちらにでれば十分という合理的な判断があると思う。僕はこちらの方が小さくて知り合いの方にもご挨拶しやすいのでいい。それに口演会場が一つなので、自分の専門以外の分野の進歩をレビューで聞くことができるのが助かる。

 今回驚いた発表を二つあげると、一つはSoriano Lectureship(これはとても名誉な賞)で受賞講演された、ドイツはチュービンゲン大学のMathias Jucker教授の、アミロイドベータが感染するというもの。すなわち、アミロイドベータの沈着を起こすいくつかのトランスジェニックマウスで、アミロイドベータの蓄積が起こる随分前に、アルツハイマー病脳に蓄積したアミロイドを腹腔内に接種すると、脳にアミロイドベータの沈着が起こる。接種された異常凝集アミロイドを腹腔内にいるマクロファージが貪食して脳へ運び、そこで異常な構造の凝集したアミロイドベータが正常なアミロイドを次々に異常凝集アミロイドベータに変えていくというもの。これはプリオン病と極めて類似しているといえる。続いてあったTau蛋白の異常な凝集の拡がりにおいても、プリオン病同様なメカニズムが提唱されていた(ワシントン大学Marc Diamond教授)。異常な構造をとって凝集した蛋白は、マクロファージを介して感染する????
 もう一つは、Jacoby Lectureshipの受賞者で、Annals of Neurology Prizeの受賞者でもある、ペンシルベニア大学のJoseph Dalmau教授の自己免疫性脳炎の話で、抗VGKC抗体によると考えられてきた辺縁系脳炎は、実は真の抗原は別にあり、LGI1というシナプスとシナプスを接着する細胞外蛋白であったということ。またMorvan症候群も抗VGKC抗体によって起こる一群の症候群の一つとされていたが、これもCASPR2という軸索の傍絞輪部に局在する蛋白に対する自己抗体で起こるというもの。抗VGKC抗体症候群の疾患概念が大きく塗り替えられることになる。第3日目の午後には、クリーブランドクリニックのRansohoffさんがオーガナイズされた、抗体による神経障害のシンポジウムがあり、とても勉強になった。医学は本当に着実に進歩するものである。AAN会場ではJournal of the Neurological Science誌のLisakさんに、同誌のeditorial boardに入らないかと声をかけられる。Multiple Sclerosis誌のeditorial boardには既に入っているので、さらに論文の査読の仕事が増えるけれど、これはまあ断れない(英語論文の査読は、再投稿分も含めるとだいたい年間80から100編ほど僕はやっている)。

写真1写真1。Pier 1.5のペルーレストランにて。左から、僕、Joeさん、Oksenbergさん、磯部さん。

 シスコでは、寿司・焼き鳥、中華、タイ料理、ステーキ(米国のステーキがイマイチだったのは残念)と各国の料理を楽しんだが、一番おいしかったのがペルー料理。これは、今度磯部さんが留学したUCSFのHauserさんのところでの直接の指導者になるOksenbergさんが連れて行ってくれた(写真1)。Pier 1.5にあり、とてもおいしいのでお奨めである。様々なシーフードの味付けは日本料理に近く日本人の口によくあう。Oksenbergさんはアルゼンチンの出身でワイン通である。磯部さんともどもニュージーランドのおいしい白ワインをいただいた。ラボはいい人が多くて安心である。忙しい中、日程の都合をつけてシスコまで行った甲斐があったというもの。

 サンフランシスコはまだ夏時間だったので、日本との時差は16時間あった。ヒルトンホテルを午前10時(日本時間では翌日の午前2時)くらいに出て午後1時過ぎの便で成田へ向かう。成田から羽田を経て福岡に帰ると家に着くころには午後11時にもなっている。福岡から海外にいくとどうしても20時間はドアツードアでかかってしまう。翌朝は午前6時前には起きて某社の治験の会に出るため東京に日帰り出張である。治験の会に出て夜はさすがにくたくたになって自宅に帰り着き、1週間ぶりに30分ほどジョギングして寝る。翌朝、歯を磨くときに腰を曲げた後に背を伸ばした瞬間にグキッと不気味な低音が腰に響く。次の瞬間、余りの痛さに腰が立たなくなった。15年ぶりのギックリゴシ(ぎっくり腰)である。前のときは子供がまだ小さかった頃、ころがったボールを取りに柵を飛び越えた瞬間に立てなくなった。今回は背中を伸ばしただけで、ギックリゴシになるとは。これは歳のせいか、このところの強行軍のせいか。

 19日の日曜日と20日の敬老の日は、あまりの痛みに全く動けない。トイレには這って行った。大きくなった子供たちはおかしがるばかりで、こんなときに頼りになるのは古女房しかない。23日の秋分の日は日本神経免疫学会の新規治療委員会で日帰り東京出張である。今回は、錫村理事長が貧乏学会のなけなしのお金を奮発してくれて、外部講師を招請して行う講演(勉強)会を兼ねての委員会である。委員長だから行かないわけにはいかない。ずいぶん前に作った腰痛のためのコルセットをすると腰の痛みは和らぐが、メタボの腹が締められて苦しい。あっちを立てれば、こっちが立たず。痛みをこらえつつ会場に着くと、驚いたことに講師の先生が蒼白な顔で会の直前になって言う。「数日前から体調が悪くて、めまいと吐き気がするので、病院に行かせてほしい。」こっちの方が病院に駆け込みたいんだが。直ちに救急車を呼んで委員の埼玉の野村先生がご子息のおられる虎ノ門病院に付き添って行ってくれたので、事なきを得た。勉強会はスライド原稿をプリントアウトしておいたので、これを見ながら、この方面に詳しい外部委員である長崎大の池田正行教授が解説をしてくれてとても勉強になったし、引き続いて行われた委員会は実りの多いものとなった。痛みをこらえて行った甲斐があったというもの。


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