【薬指からみた研究:UST400周年記念シンポジウムに出席して (平成23年2月8日)】


 私は、この1月19日から21日にかけてフィリピンで開かれた国際シンポジウムに呼ばれて行ってきました。University of Santo Tomas (UST)という、フィリピンで一番格式の高い私立大学の設立4世紀(400周年)記念シンポジウムが開催されるので、ぜひ講演に来てほしいという依頼でした。USTは、日本でいえば慶応義塾大学と早稲田大学を合わせたような位置づけで、過去にこの大学から4人もフィリピンの大統領を輩出している私学の名門です。しかし、最初にこのシンポジウムの話を聞いたときは、1/4世紀か40年の間違いではないかと思って聞き返しました。でも実際には400年前にスペイン人のコロニーの中に、アジアで最古の大学が設立されたという驚くべき話でした。日本では徳川幕府ができた頃ですね。

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写真1.フィリピン料理の数々。手前オレンジがバロバロ。その右隣がグリーンマンゴーのスライス。名前は忘れましたが、大きな魚は美味。
写真2
写真2.黄色のがグリーンマンゴージュース。手前左は、UST神経内科のチーフレジデントのBuhatさん、左奥は1年目のレジデント、手前右がピネダさん。レジデント4年目で、投票によってチーフレジデントは選ばれる。チーフレジデントを務めることはとても名誉なこと。今年は女性2名が同票で甲乙付けがたく半年交代でチーフレジデントを務めることになったという。

 出発日の福岡はとても寒く、最高気温2度くらいの凍えるような天候から、わずか3時間半ほどで熱帯のマニラへ着きました。マニラは北緯14度にあるため、今はフィリピンの冬にあたり、比較的過ごしやすい気温ということです。それでも25度前後といったところでしょうか。幸い空港では、以前うちに留学していたピネダさんが出迎えてくれました。ピネダさんはUSTの卒業生で、九大神経内科留学から戻った後は、マニラから北へ50Kmほどいった故郷のパンパンガ州でアンヘレス大学(University of Angeles)神経内科で准教授(責任者)をしています。パンパンガ州には1991年の大噴火で有名になったピナツボ山があります。ピネダさんは現在パンパンガ州のNeurological Associationのプレジデントを務めているということです。着いた日の夕食には、フィリピンの郷土料理店に連れて行ってくれました。フィリピンの料理名をみても、どれが口に合うかさっぱりわかりません。私は今Balo病に関心がありますから、とりあえずBalo Baloという料理を注文することにしました。これは写真(1)手前のオレンジのやつですが、フィリピンの料理は、バロバロとか同じ音節を繰り返したような名前が多いのが特徴です。ここでは、グリーンマンゴーが一番おいしかったです。マンゴーは完熟したのを食べるものと私は思っていましたが、まだ青いマンゴーはスライス(写真1のオレンジの右隣の黄緑の)もジュース(写真2の黄色のジュース)もサワーでとてもフレッシュな味わいでした。

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写真3.ソフィテル・フィリピン・プラザホテルの部屋から臨むマニラベイのサンセット。
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写真4.マニラベイに望むソフィテル・フィリピン・プラザの敷地。
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写真5.メトロマニラ中心街のスカイスクレーパーをホテルから遠望。

 メトロマニラ(マニラ首都圏)は、マニラ、ケソン、パサイ、マカティ、キアボ、エルミタ、マラテなど17の市や町の集合体で、東京都と同じような感じですね。マニラは、マニラベイ(湾)に注ぐPasig River(パシグ川)の流域に拓かれた街です。シンポジウムの開催されたソフィテル・フィリピン・プラザは、マニラベイに臨む南部パサイ市の海外沿いにあり、マニラ湾に沈む夕日がとても美しいところです(写真3)。マニラ湾沿いのベイワォークは気持ちがいいですが(写真4)、海は汚くてとても泳げるようなものではありません。ホテルからはマニラ中心部に林立するスカイスクレーパーが望めます(写真5)。

 USTは、パシグ川のすぐ北の庶民の町、キアボにあります。このあたりにはマニラの大学が多く集まっています。大学生は皆制服を着ていますから、学生街は制服の群れであふれています。フィリピンの人は小柄な人が多くて大学生も制服を着ているので高校生か中学生くらいにしか見えません。制服は大学、学部によって異なり、現地の人にはすぐわかるということなので、大学生は悪いことはできませんね。ただ、見ると大学の入り口に長蛇の列。何を入り口に並んでいるのかと思って尋ねると、あれは武器の持込をチェックしているとのこと。テロの警戒かと聞くと、学生間の武力闘争を防ぐためということでした。日本の大学は平和でいいなあ。

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写真6.USTの正門。人の大きさからわかるように見上げるような巨大さ。さすが400年の歴史の重みあり。


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写真7.USTの名前が刻まれた広場の前で。

USTの周りは、ゴミゴミした民家がびっしりと立ち並び、ああ東南アジアだなあという感じ。雨季のマニラはしばしば洪水があり、以前にも大きな洪水で何人もが死んでいます。USTのあたりは特に水はけが悪いようで、パシグ川の洪水が起こると病院に閉じ込められるとのこと。USTは庶民の町のど真ん中に建っていますが、それは立派な大学でした。正門は太平洋戦争でも唯一破壊されなかったという堂々としたものです(写真6)。この正門のあたりが広場になっていて、とても緑が美しい(写真7)。USTは蛸足大学ではなく全ての学部が一箇所に集まっていて、一つのキャンパスとしてはカソリック教大学で世界最大ということです。

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写真8.UST病院の入り口。現在新しい病棟を建築中ということです。
写真9写真9.Department of Neurology & Psychiatryのスタッフ案内。現在のchairmanはダビッドさんという貫禄のある女性。
写真10写真10.神経内科病棟の看板。電気生理のラボ、脳卒中ケアユニットなどは別棟にある。

 UST病院(写真8)は、privateとcharityの病棟があります。神経内科は精神科といっしょで、Department of Neurology and Psychiatryとなっています(写真9)。これは米国式で、神経内科は内科ではなく、精神科といっしょになっています。つまりここでレジデントをすると神経内科と精神科の両方の専門医になれることになります(私は日本も米国式にしたらいいのにと個人的には思っています)。神経内科病棟(写真10)ではprivateの方が22床で個室か2床室で、charityの20床は10人部屋が二つ(男性と女性部屋が一つずつ)となっています(精神科の閉鎖病棟は別棟)。神経内科のレジデント(写真11)は毎年4名採用され、4年間のコースなので総勢16人でこれらのベッドを診ていることになります。privateの方は、スタッフ(教授など総勢23名)が主治医になり、だれそれ教授の患者ということになりますが、実質的にはレジデントが主治医でスタッフの指導を受けて診療にあたるわけです。privateの分の料金(売り上げ)はというと、これはスタッフのポケットに入るそうです。charityの20床は、10人部屋が二つ(男性と女性部屋が一つずつ)です。さして広くない部屋に10人ずらりと並んでいますが、とてもベッド数が足りないということでした。教授連中はprivateのクリニックをやって稼いでいますから、日本なんかとは違って金持ちです(私は世界中の医学部の教授を見て回る機会がありますが、日本の国立大学医学部の教授が一番お金がありませんね)。UST医学部は、1学年400人もいて、校舎は医学生であふれています(写真12)。フィリピンは米国式ですから他の学部を出てからmedical schoolに入るシステムなので、医学部は4学年です。したがって、USTには計1600人の医学生が在籍していることになります。フィリピンの医学部は比較的入るのは難しくないということですが、そこに在籍して卒業までいくのが難しいということです。医学生は、2対1で女性が多く、特に神経内科は圧倒的に女性優位ということ。チーフレジデントも女性でした。

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写真11.UST神経内科のレジデント室で若いレジデントと。皆、とても優秀で、当然ですが英語はペラペラ。

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写真12.校舎はどの階も医学生であふれている。

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写真13.学会でも懇親会でもまず賛美歌で始まる。USTには芸術学部があり、セミプロの人たちが出てくる。

 フィリピンの学会で一番驚いたことは、学会はまず賛美歌を歌って始まることです。プログラムの開始時刻になると、壇上にぞろぞろとコーラスグループが出てきます(写真13)。これはいったい何が始まるのかと思っていると、DVDでフィリピンの教会などカソリック関連のシーンが流されるとともに、出席者一同起立を促されて賛美歌が始まります。ミンダナオ島のあたりでは、イスラムが活発に活動していますが、ミンダナオでもムスリムは、実際は10%くらいでしかないと現地の人は言っていました。フィリピンがアジアで唯一のカソリックの国であることを実感します。一方、製薬メーカー主催のランチセミナーは、ロック調の華々しい音楽とともに司会者が出てきて開始です。各講演の始まりと終わりには、またこのけばけばしいミュージックです。このノリは、フィリピンはアジアというより太平洋を挟んでラテンアメリカに近いか。
 日本からは私以外は、順天堂大学の服部信孝教授が呼ばれていました。私は2本ほど多発性硬化症関連の講演をしました(ただ到着後に渡された最終版のプログラムは、講演時間も講演の順序も変更になっており、スライドは全て作り直し)。米国、欧州、オーストラリアから10数名もの神経内科医が呼ばれており、レベルの高いシンポジウムでしたが、驚いたことにフロアからの質問はいっさい受け付けません。私にとっては、フィリピン英語はとても聞き取りづらいので、質問がなかったのはありがたかったけれど、国際シンポジウムというのに若手からの質問を封じるのはどうしてかしらん、あるいは変な質問が出るのを懸念してかなあ。

  

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写真14.UST美術・科学博物館(UST Museum of Arts and Science)の入り口で世界各国からの招待講演者一同で記念写真。服部先生は遅れて来られたのでここには写っていません。

 招待講演者を招いての懇親会は、UST構内で開かれましたが、先立ってUST美術・科学博物館(UST Museum of Arts and Science)のツアーがありました。フィリピン最古の大学だけあって、様々な自然科学、民俗学・考古学の資料が集められ展示されています(写真14、15、16)。懇親会では子豚の丸焼き(レチョン)がおいしかったですね。
 丁度、私が九大神経内科に入局したころに、USTから数ヶ月から2年ほどの滞日期間で何人かの若手医師が留学してきていました。30年ぶりにお会いすると、当時は中洲に出かけていくばかりの遊び人にしか見えなかった人たちが皆教授になり、UST神経内科のChairmanを何人もが務め、フィリッピン神経学会の会長をされた方も何人かいます。CondeさんはUSTの前Chairmanで、若手レジデントに恐れられる存在になっていました(写真17)。Navarroさんは、脱髄から脳卒中に研究を変えて、フィリピンの脳卒中医療のリーダーになっていました(写真18)。ただ一人まじめだったChuaさん(写真19)は、当然ながら今は国立フィリピン大学(University of Philippine、UP)病院の神経内科のChairmanになっていました(UP病院は日本でいえば東大病院にあたり、UPとUSTはそれぞれ国立、私立の雄ということでライバル関係にあります)。うちにもいろいろな国から若手神経内科医が留学してきていますが(常時5人ほど)、まあ30年もすれば、世界各地でリーダーとなっていることでしょう。遠い将来のことも思って、仲良くしておいた方がいいですね。

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写真15.USTでの懇親会の記念写真。最前列でまわりの人を押しのけている女性がUST Neurologyのchairmanのダビッドさん。きゅうくつそうですね。

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写真16.このかわいい動物の剥製は、ジャコウネコ(英語ではCivet)です。この糞のなかのコーヒー豆を集めて作ったものが、世界一高価なルアクコーヒー。バリ島で買ってきたものをこの正月に家族で飲んだが、確かにいつも飲むコーヒーとは違ってとても滑らかな味でした。やはりジャコウネコのお腹の中を通ってきたものは違う。

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写真17.コンデさん。シンポジウム前夜に中華料理店で。マニラには巨大な中華料理店がたくさんあり、ここもその一つ。フィリピン経済は中国系が握っている。コンデさんは、九大に留学していた当時は20歳代後半でしたが、あと2年ほどで定年退職を迎えるとのこと。退職後は、今も週末にやっている果樹園を経営されるといいます。他大学の看護学部の学部長をしている奥さんに稼がせて、自身は悠々自適。うらやましい限り。

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写真18.ナバロさんとUSTの懇親会場で。奥に座っている白髪の紳士は、米国のシュッタ(Schutta)教授(ウィスコンシン大学神経内科の以前のchairman)。九大神経内科にも来られたことがあり、当科2代目の故後藤教授のご友人。

写真19
写真19.チュアさん。中国系ですね。お互い髪が薄くなり白髪になり太りました。

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写真20.世界遺産のサン・オウガスチン教会。入り口はたいしたことはありませんが、中はすごい。

 シンポジウムでの講演後には、スペイン人によるフィリピン統治の拠点であった城塞都市イントラムロス(500ないし600メーター四方の城壁が残っている)とその中にある世界遺産San Agustin(サン・オウガスチン)教会を訪れました(写真20〜22)。それからマカティ市にあるフィリピン最大のショッピングセンターに連れてもらいましたが、これが大渋滞。米軍のジープを乗り合いバスに改造したとかいうジプニーは、すし詰めで街中を駆け抜けていきます。これは1回7ペソ(14円)で、ルートのどこからでも乗れてどこででも降りることができるので、現地の人にとってはとても便利な足となっていますが、同時に交通のジャマにもなっています。自転車に乗っている人はほとんどみかけませんが、これは車に轢かれる危険があって、life-threateningということです。ただ、自転車にサイドカーを付けたペディキャブがちょこまかと走っているのは頻繁に見かけます。バイクにサイドカーを付けたトリシクルも走っています。驚いたことに高速道路を、カレッサと呼ばれる馬車も走っています(本当は高速道路には馬車は入ってはいけないようですが)。何でもありという感じで、マニラの渋滞のひどさもむべなるかな。

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写真21.サン・オウガスチン教会の内部。

写真22
写真22.周囲の民家。道路は石畳。家はスペイン統治時代をしのばせる造り。

 夕方ホテルに戻ろうとすると、激しいスコールです。これが熱帯のスコールかと実感できるくらいの強烈な雨と雷でした。ショッピングセンターのアーケードの隙間からそれこそ滝のように雨水が降り注ぎます。乾季には珍しいということですが、雨季には当たり前のことのようです。マニラがしょっちゅう洪水になるのも頷けます。パサイ市にあるホテルからマカティ市のショッピングセンターまでは7Kmほどの距離に過ぎませんが、ホテルに迎えを頼んでも、折からのスコールで迎えのバンがくるまでに1時間半ほども待たされました。 今年はフィリピンも異常気象のようで、乾期なのに雨が多く、例年より温度が低いということです。

 ところで、おしまいにタイトルの薬指のことについてふれますと、「競争と公平:市場経済の本当のメリット」(大竹文雄、中公新書)によれば、成功している証券トレーダーは薬指が人差し指より10%以上長いという話です(ケンブリッジ大学の神経科学者の研究成果による)。妊娠3ヶ月までに胎内で暴露されたテストステロンの量が多いと薬指が長くなるということです。一流サッカー選手、横綱・大関は統計的に有意に薬指が人差し指より長いというデータがあるようです。これはテストステロンの量が瞬間的な判断力や筋肉量に関係しているためと説明されています。Proceedings of the National Academy of Science USA(アメリカ科学アカデミー紀要:一流学術誌ですね)に掲載の論文によれば、ビジネススクールの卒業生は、唾液中テストステロン濃度が高く薬指が人差し指に比べて長いほど、ハイリスク・ハイリターンの投資銀行などの金融機関に就職する確率が高かったということです。薬指が長いとギャンブル好みといえそうですね。私も薬指が10%くらい長く、学生時代は麻雀におぼれたくちですから、この説は頷けます。さて、医学研究者は薬指が長い方が向いているか否か?斬新な発想とイチかバチかに賭ける冒険心には薬指が長い方がいい気がします。一方、いい研究成果を得るには、瞬間的な判断力のみが重要というわけではなく、じっくり考え続ける能力がとても大切なことは論をまたないでしょう。この面からは、薬指はあまり長くない方がよいかもしれません。自分はというと、通説とは異なるギャンブル的研究を好むのは薬指が長いせいかもしれないと妙に納得。薬指の長さに応じた、それぞれの持ち味を生かして、おもしろい研究成果を挙げたいものです。そして、その成果を世界のいろんなところに行って発表できれば、これはいうことはないですね。今年は、マニラ、ハワイ、台北、サンディエゴ、アムステルダム、リオデジャネイロに行く予定です。北京とイランも呼ばれてはいますが、忙しいうえにこれ以上危ないところに行くのはちょっと無理かなあ。

 


平成23年2月8日
吉良潤一