症例報告は神経内科の原点 (平成23年7月2日)】


 3月の終わりくらいに福岡では九大病院や街路のコブシが満開になります。真白なコブシの花言葉は、友情、そして歓迎とされています。この4月には全国各所で新人を迎えていることと思いますが、今年は3月の東北大震災の大ショックで新人の歓迎もままならないという地域が多いことでしょう。被災された方々、現場で救助と復興に尽力されておられる方々の大変さを思うと胸が痛みます。私たちも神経難病ネットワークの難病コーディネーターのメーリングリストを通じて、震災後直ちに九州・西日本地域での人工呼吸器下の神経難病患者さんの緊急の受け入れ可能病院リストを作成し、厚生労働省に提出しました。現実には九州まで患者さんが搬送されることはありませんでしたが。今回、自衛隊には人工呼吸器管理下の筋萎縮性側索硬化症患者さんを3名まで同時に運べる空飛ぶICUのような飛行機があると聞きました。心強いですね。今後、九州地域でも神経難病患者さんの長期のケアなどで、震災地への医療協力ができることがあれば取り組みたいものです。

 今年度、私たちは6人の新しい入局者を迎えました。昨年度、前々医局長のサカエ君の入れた新人8人は、医局長に似てか、最後までmean+2SDを越えるようなユニークな人材が多くて、回診をしていても私はおもしろかったです。将来どんなneurologist(神経内科医)になるかとても楽しみです。新人は全員九大病院の医員として病棟医になりますから、病棟医長はさぞかし大変だったと思います。もっとも九大神経内科では、教員は概ね医局長の次は病棟医長を勤めてもらっていますので、医局長が自分で入れた人の面倒を次の年には病棟医長として自分でみることになります。前医局長のタカセ君の入れた今年度の新人は、さすがにしっかりした人が多くて、意欲・バイタリティーとも高く、近年では一番臨床ができそうな感じです。充実した研修医生活を送ってほしいものです。九大神経内科を活用して自己実現を図ってもらえれば、それが一番いいと私は思っています。

図1
図1. 初代黒岩義五郎先生と、そのモットー

 1963年4月1日に九州大学医学部附属脳神経病研究施設が設立され、同年9月1日付けで初代黒岩義五郎教授が発令され、脳研内科部門ができました(図1)。実際に九大病院で独立した診療科として神経内科がスタートしたのは、1964年6月1日です。これが日本で最初の独立した神経内科となりました。私たちの神経内科は、神経難病の研究と診療を行うものとして設置されました。わからない、治らない、もうからないで、診断がついたらハイそれまでヨ、という科と思われていました。神経内科は神経難病を診る科であるというのがパラダイムであったといえます。ついでに、脳卒中も診ている、あるいは認知症も診ている、てんかんも診ているという感じですね。

図2
(クリックで拡大)図2. 福岡市における認知症医療連携システム

 わが国は、2030年ごろに、50歳以上、65歳以上、70歳以上人口の絶対数のピークを迎えるということです(人口問題研究所推計)。2030年には、50歳以上が54%と日本人の半数を超えると推測されています。この高齢者層で頻度が高く大きな社会問題になっているのが、認知症、脳卒中、高齢者てんかんです。神経内科は当然これらの神経疾患の診療に取り組むことが社会から要請されていると思います。

図3
図3. 大八木准教授の発見を報じた毎日新聞。(他に読売新聞、朝日新聞などにも掲載された。)

 認知症については、平成13年に脳の健康クリニックを神経内科・精神科で協力して九大病院神経内科外来に設置し、12年目を迎えます。平成18年4月には九大病院に脳神経疾患の統合的な高度の診断検査センターであるブレインセンターが設置されました。さらに平成21年11月には福岡市認知症疾患医療センターとして指定されました。いずれも私がセンター長を務めています。福岡市認知症疾患医療センターは、平成22年度には960件の医療相談を受け付けました。相談でもっとも多かったのは鑑別診断の依頼で、外来新患での認知症鑑別診断は、過去最高の年間643名にのぼりました。福岡市医師会の尽力により福岡市での認知症診療システムに多数の認知症相談医(83名)、認知症協力医療機関(38病院)が参加していただくこととなり、本システムは稼動しつつあります(図2)。認知症は患者数が膨大であるため、かかりつけ医の先生が日常は診ていただくのが基本です。鑑別の難しい例、BPSDなどのケアや社会的対応面での困難な例、身体合併症の治療を要する認知症例などの、困難事例を当センターでは主に引き受け、医師会や行政とスクラムを組んでいきたいと考えています。また、3月には大八木准教授の発見したアルツハイマー病の新薬開発の記事がマスコミに報道され、相談が殺到しました(図3)。

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図4. 福岡県で脳梗塞の患者数の多い病院ベスト5。(読売新聞報道による。)

 脳卒中については、今年2月6日付けの読売新聞に福岡県内の医療機関ごとの2009年の脳梗塞患者数が掲載されていました(図4)。これによるとベスト5のうち2つは九大神経内科の関連病院でうちから多数の神経内科医を派遣して、健康保険で認められたStroke Care Unit (SCU)を運用している病院(済生会福岡総合病院と飯塚病院)です。他に、福岡市民病院、小倉記念病院でも保険で認められたSCUの運用を脳外科と協力して行っています。脳血管にステントを入れる日本脳神経血管内治療学会認定専門医資格の取得者も2名になりました。今後ますます脳血管内治療に取り組む神経内科医が出てくることでしょう。この4月からは、鳥居さんの尽力によりオンラインで九大病院神経内科と脳卒中診療を主とする関連病院神経内科4病院で脳卒中患者を前向きに登録してデータベースを構築する事業が始まりました。毎年1000例のデータベース登録を実現可能な目標としています。
てんかんについても、以前にこのコーナーで紹介しましたが、てんかんの新しい動物モデルの開発、脳磁図を用いたてんかん焦点の研究などが進んでいます。24時間てんかんビデオ脳波モニター室を作って10年になりますが、脳外科と連携したてんかん外科を含む総合的なてんかん診療が重藤診療准教授を中心にした当科のてんかんグループによって進められつつあります。

図5
図5. 神経内科のパラダイムシフト

 「神経内科は神経難病をやっている」、これは今も昔ももちろん変わりません。が、神経難病ネットワークや難病相談支援センターの10年以上に及ぶ活動を経て、診断したらハイそれまでヨの時代から、診断からケア・生活就労支援まで関わる時代になりました。さらに、神経内科は、神経難病を診るついでに脳卒中やっている、認知症やっている、てんかんやっているから、神経内科は脳卒中やっている、神経内科は認知症やっている、神経内科はてんかんやっている、と自他ともに認める時代をめざすことが肝要です。そのためには、精神科医や脳血管内科医に学ぶべきところは学んで、私たちの領域を拡げていく努力が欠かせません。神経難病の先端的な研究に取り組み、かつ脳卒中、認知症、てんかんにも取り組むのは、少ない人数では本当に大変なことです。神経内科の診療領域は実は極めて広大ですから、皆それぞれ自分の一番の専門分野ではスペシャリストであると同時にそれ以外の分野ではジェネラリストとして関わっていくことが求められます。神経内科の自分のライフワークである専門分野ではスペシャリストとして他の人たちをリードする一方で、それ以外の分野ではジェネラリストとしてその分野のスペシャリストに協力・連携していく姿勢が大切です。大学病院、関連病院の神経内科医が広く相互に協力することでマンパワーの不足は補っていくことができるものと思います。そうしてこそ、「わからない」、「治らない」、「もうからない」の従来の神経内科のパラダイムから、「わかる」、「治る」、「喜ばれる」へシフトできると考えます(図5)。

 ところで、新人は1年間うちの病棟とブレインセンターでしっかり研修してもらえれば、大学病院での神経内科研修期間は終了です。しかし、それで大学病院神経内科での研修が修了したわけではありません。担当した貴重な症例を症例報告として論文にまとめて、はじめて大学病院での研修は修了です。私が教授になってから、日本神経学会の機関誌である臨床神経学誌上にうちの病棟から研修医に報告してもらった症例報告は、これまでに72編になります(他に現在4編が投稿中)。教授就任後の入局者は79名ですので、臨床研修必修化の開始に伴い入局がなかった2年間を除いて、毎年平均6.5名の入局があり各自1編臨床神経学誌に症例報告を書いてもらっている勘定になります(英文で症例報告できる場合ももちろんあり、同期間のうちの病棟からの英文症例報告は23編となっていますが、それはそれでなおのことベターですね)。臨床神経学誌に筆頭著者で症例報告を書く機会は、専門医研修の最初の1、2年くらいしかなかなかありませんから、ぜひ経験した意義ある症例を埋もれさせないで、論文にまとめてほしいものです。そうすることで神経学への理解が深まり、神経内科医・神経学者としての第1歩となります。教授在任中に100人・100編を達成したいと願っています。

 次の時代には、これらの若い人たちによって神経内科の領域がさらに切り拓かれ、「も」から「を」の時代になることを期待しています。