【教授も10年やると―――― (平成23年9月19日)】


 教授も10年やるとアホという話になった。これは7月のある日の日本神経学会理事会の昼食どきのサコタ先生との雑談である。理事会の席次はフリーで、サコタ先生も私も議長席に向かって左手側に座ることが多いので、理事会では隣り合わせになることがよくある(サコタ先生は話がおもしろいので退屈しない)。

 今どきの医学部の臨床系の教授は10年もやるとアホになるというのは、ウーーン、あたっているといわざるをえないか。とりわけ、国立大学の独立行政法人化と初期臨床研修必修化の前後の激動の10年を国立大学医学部の臨床系教授として過ごした人は、本人は自覚していなくてもアホ化がずいぶん進んだのではないかと思う。

 サコタ先生は阪大神経内科教授を退職されて国立病院機構の病院長を務めておられる。大学教授をやっている間は、忙しくて論文を読む暇もなかったが、今は週に20編は最新の論文を読んでいるという。サコタ先生は、国立病院の病院長はヒマという。病院長をしておられる病院は大幅な黒字病院と聞いているので、左団扇の病院長ならではのご発言かもしれないが。

 教授になると会議がとにかく多い。自身が学会などの委員会の座長をやっているものについては、(事務員や教室員も使うわけにはいかないので)自分自身で前もって下準備やら手配やらをしないといけなくて相当に時間がかかる。おまけに土、日も学会・研究会から講演会・研修会の類、各種委員会やら審議会やらが入って、月に1日くらいしか日曜もゆっくりと休めない。福岡は、日本全体でみると西のはずれにあるから、毎週のように飛行機で出張となる。2011年(10月以降は予定)の福岡県外への出張回数は、40回(うち海外出張は7回)で61泊(加えて機上泊が10回ほど)、日数は合計100日に達する。毎年こんな感じ。東京への日帰り出張も多くて、これは結構消耗する。飛行機の金属疲労と同じで、10年も教授職を務めると、慢性疲労が澱のように溜まってくる。教授になったときは、一番下の子はまだ1歳だったので、こんな調子でよく3人子供を育てられたものと思う。父親はおらんでも子供は勝手に育つんやなあと感慨深い(こんなことを書くと女房に怒られるか)。

 また、メールは便利だが、一番厄介ともいえる。毎日、50通は国内・国外から返事を要するメールが入る。特に英語の返事はめんどうね。メールへの対応だけで午前中の貴重な時間が過ぎてしまうことも少なくない。出社して2時間はメールを見ることは禁止にしている会社もあると聞く。メールでやりとりするようになって、加速度的に物事の進み方が早くなったが、その分物事を深く考える時間が減ったと感じる。メールをいきなり送りつけて返事を当然のように要求するのもおかしな話と思う(手書きの手紙のころが懐かしい。このため、僕はときどきは万年筆で手紙を書いて出すようにしている)。ただ、現代にあってはそんなことは言ってもおれない。

 それと論文・講演スライド関係が時間を食う。論文関係には二通りあって、一つは国際誌のeditorial boardを4つほど務めているため毎週3、4編くらい投稿論文の査読がくる。英語で査読結果を書かないといけないので、ほとんどひっきりなしに査読文書を書いている感じ。もう一つは、教室員の研究論文や症例報告、学会抄録の修正・指導で、これは相当に時間がかかる。もっともこれは本業だから当然だけれど。なかには「てにをは」から教えていけない、どうしようもないのがいて、これは膨大に時間がかかる。国語ができないのを医学部に入れてはいかんわと思いながら、ひとつひとつ修正を入れていく。でも僕はこういうのはわりと好きなので、あんまりは苦にはならないけどね。あとは講演のスライド作り。これも本業なので仕方ない。若い人の作ったスライドを自分の講演の一部に転用させてもらうことも多いけれど、僕は絵を描くのが好きだったこともありカラフルな色合いとデザイン的な図柄が好みで、自分の好きな色と図柄、字体に作りなおすことが大部分である。したがって、診療(回診、新患外来、再来患者外来)を除くと、会議、メール、論文・スライドが時間を食うベストスリーといえる。

 こんなわけで、論文や学術誌を読んで勉強する時間がそもそも絶対的に足りない。アホになるはずである。だいたい10年も医学部教授を務めると、関係の学会総会(学術大会)の会長をして、それを花道に引退するのが、普通の教授の出処進退である。たまたま人がおらんから若いのに教授になってしまったので、まだまだ僕は先が長い(この9月から教授職も15年目になった)。ここでぼけるわけにはいかない。最近驚いたことに、脳卒中学会は今年から脳卒中専門医の更新はWeb上での試験でやるという。冗談ではない、この年(56歳)になって、もう試験は受けたくない。同級生は一般企業なら定年退職しているのもいる。年を取ると新しいことをなかなか覚えられないし、パソコンを扱うのは苦手だし、正直試験は困る。名古屋のソブエ先生と脳卒中専門医の更新試験の話になったときに、受けようか迷っていると言っていた。更新試験は3回チャンスがあるというから、ソブエさんが受けて通るなら僕も受けてみようかなあ。神経学会の教育委員長を務めながら落ちるわけにもいかんし。

 ところで、この夏休みは、層雲峡、ウトロ、阿寒などの温泉めぐりをした。仕事柄、外国出張が多いが、僕はやはり日本の自然のなかの温泉が一番いい。この夏、北海道ウトロの日没と沖縄は宜野湾の日没を見ることができた。ときには息抜きがないとやっていられない。

 8月末にシンガポールであった今年のPACTRIMSでは、ラッフルズホテル(写真1)のLong Bar(写真2、3)でシンガポール・スリング(写真4)を楽しんだ。隣接のレストラン(ロングバーステーキハウス)のステーキは、オーストラリア産の和牛でこれは結構おいしかった。スズムラさんやタナカさんが誘ってくれるので、国際学会での飲み会はありがたい。神経学会は51卒(昭和51年卒)くらいで活躍している人たちが多い(昭和50年卒は医学部でいうと東大入試がなかった年の入学にあたるので、その下は2年分の競争があった関係かしら、昭和51年卒は層が厚くて優秀な人が多いような気がする)。何人も優れた教授がいて今の学会の指導層となっている。スズムラさんやタナカさんもこの前後で、僕(昭和54年卒)よりはちょっと上になる。ゴーイチ(昭和51年卒)くらいの人たちがどっと定年退職したら、学会で誰と飲んだらいいものかちょっと寂しいね。

写真1

写真1.ラッフルズホテルは、外観も屋内もコロニアル風の雰囲気が濃い。ラッフルズホテルは、イギリスの植民地時代の1887年の開設である。コロニアル様式のホテルで、当時は欧州人にはスエズ以東でもっともすばらしいといわれたという。今の建物は1989年に改装されたもの。白い外壁と濃い緑の熱帯植物のコントラストが見事。多くの名士、セレブリティ―が宿泊したことで知られるが、最低でも一泊7万円もするので、もちろんラッフルズホテルは高すぎて僕らには泊まれない。(今回は、私はカメラをもっていくのを忘れたので、これらは全て田中正美先生にいただいたものです)

写真2
写真2.ロングバーの看板。渋くていい色合い。

写真3
写真3.ラッフルズホテルのロングバーでは、小ぶりの殻つきピーナッツが各テーブルに前もって置いてあって(テーブルの中央の箱)、客はポリポリとこの塩味のきいたピーナッツを食べながら、カクテルを楽しむ。ピーナッツの殻は全部床にポイ捨てなので、テーブルの間の床上にはピーナッツの殻が山と捨てられている。勢いジャリジャリと殻をつぶしながら歩くことになる。天井にはゆったりと大きな扇風機の羽根が回っている。ピーナッツの殻をついばむスズメやハトが店のなかに飛び込んでくるのには驚いた。スズメは多すぎて店のウェイターさんもいちいち追い払わないけれど、さすがにハトは糞を落とすためか追い払っていた。ゴム農園をイメージしているというのにも納得。ウェイターさんにとってもらった写真はピンボケ気味だが、これくらいぼやけている方が白髪も皺も目立たないでいいね。

写真4


写真4.これがかの有名なラッフルズホテルのシンガポール・スリング。この写真ではよくわからないけれど、実際はもっと鮮やかな赤みがかった色合い。ジンベースの甘酸っぱい味わいで塩辛いピーナッツによくあう。赤色はチェリーブランデーの色合い。

 PACTRIMS(アジア太平洋州の多発性硬化症の国際学会)ではシンガポール事務局のOngさん(中国系)に2005年のカリフォルニアワインをプレゼントされた。PACTRIMSの設立以来Science Program Committee Chairmanをしている関係で事務局のOngさんとはしょっちゅう学会運営でやり取りしているので、これはその関係でのお礼。これはうまそう。家に持ち帰って女房への土産にして一緒に飲まねばと思う。シンガポールのチャンギ国際空港は、航空会社のカウンターでチェックイン後に入ってすぐのところと、飛行機に乗り込む直前と2か所で手荷物検査がされる。入口の分は何も言われることなく通過したのに、飛行機に乗る直前の所で、係官からこのワインはどこで購入したかと聞かれる。エーッ、シンガポールの友人にもらったkind giftですがと答えると、シールをしていないから没収だという。ボトルの封も切っていないのになんでと抗議する。ボトルを入れている袋にシールがしていないからダメだと、メチャクチャなことを言う。どうすればいいかと聞くと、航空カウンターに行ってシールしてもらえと平然と言う。あと15分で飛行機は出るのにどうやってこの広い空港で入口の外にあるチェックインカウンターまで戻れというのか。ここで頑張らねばワインが飲めないと猛烈に抗議するけれど無視される。今までずいぶんと海外旅行も経験したが、ボトルの封を切っていないアルコール類を没収されたのは、これが初めて。ヒドイやつらだ。これから手荷物でアルコール類を飛行機に持ち込むときは、必ずチェックインカウンターで袋にシールしてもらおう。

 今年は、PACTRIMSで磯部さんがPACTRIMS Young Investigator Awardを、神経免疫学会で松下君と磯部さんがYoung Neuroimmunologist Awardを受賞して、本当によかった。来月オランダで開かれるECTRIMS(欧州の多発性硬化症の国際学会)では吉村君の演題が出した二題ともBest Presentation Awardの候補になっている。吉村君のは多発性硬化症の遺伝疫学・環境疫学に関する臨床研究で、この手の研究は欧米では面白いと言ってくれるが、日本では流行らないので、神経免疫学会でもポスター発表にしかならなくて全く注目されない。今までECTRIMSでは九大神経内科からは松岡君と僕もBest Presentation Awardの候補にはなったが選ばれるまでは至っていないので、今年はぜひ頑張ってチャレンジしたい。もっとも世界中からの参加者6000人の中で選ばれるのは数題だけだから、アジアからは相当に厳しいか(クリアカットなデータが出る基礎研究なら受け入れられやすいが、多発性硬化症はアジア人には少ないので日本の臨床研究は欧米に数で負けてクリアな結果が出にくく圧倒的に不利)。今年も演題を出す5人全員がECTRIMSのTravel Award (Grant)に選ばれてよかった。ECTRIMSはPACTRIMSと違って大金持ちだからアジアからの若手にもTravel Awardをたくさん出してサポートしてくれる。松下君もECTRIMSではoral(口演)に選ばれている。欧州人からのサポートの期待に応えるべく皆でいい発表をしたいものである。

 

 アホ化していると言われつつも、これからの期間でぜひ臨床研究の実をあげたい。@九大神経内科と関連病院神経内科をウェッブで結んでの広域臨床研究、A国際共同の臨床研究、B基礎研究者と連携した神経疾患の基礎研究の3点を推進していきたい。そうすれば、いつかインターナショナルにも認められる時がくると思う。65歳の定年退職まで若い人を育てて、臨床研究と国際共同研究の枠組みを作り次の世代に引き継ぎたい。


平成23年9月19日
吉良潤一