ベイジーン・オーサカ・アムステルダム:ありがたいこと、未知のありがたさ (平成23年10月24日)】


 僕はこの2週間足らずの間に、北京(英語でベイジーン)、大阪、アムステルダムと、個性豊かな大都市をとびまわった。北京は、Controversy in Neurology (CONy)という訳のわからない国際学会での講演によばれてのことである。大阪は基盤研究所主催のシンポジウムでの講演、アムステルダムは、ECTRIMS (European Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosis)への学会出張である。ECTRIMSの発表自体はポスターだったので楽ちんだったけれども、座談会の司会や二つの編集委員会、サテライトシンポでの司会、タスクフォースの会合など休む暇もない。大阪とアムステルダムの谷間の1日は大学病院で多発性硬化症(Multiple Sclerosis, MS)患者さんの再来を20人ほどこなす。終わってみると相当な強行軍だったせいか、パリ経由の帰りの便ではくたびれて若手の英語論文をチェックする気力もなく、かわりにこの一文をしたためている。

 ベイジーン、オーサカ、アムステルダムの三都の間に何か特別な関連を思いつくというわけではないが、いずれも16世紀末から17世紀にかけて、興隆期の清、大航海時代に海上帝国を築いたオランダ、安土桃山時代の大城郭を擁した大阪と、世界史上に華やかな一時期を画している。北京もアムステルダムも僕は初めてで、それぞれ学会の終わった秋の半日を歩いて過した。

写真1
写真1. 故宮。清の宮殿、紫禁城が博物館となっている。秋晴れの午後、中国各地からの観光客でにぎわう。

 北京では天安門から建国路をテクテクと東へまっすぐ1時間歩く。それでも、まだまっすぐと片側だけで6車線もの路が続く。この建国路はたぶん有事には滑走路になるんだろう。首都といっても中国の地下鉄は最近やや不安もあるので、天安門から建国路をホテルまで1時間以上かけて歩いたのだ。これだけひたすらにまっすぐ歩き続けたのは生まれて初めて。それはそれは広大だった。歩いて初めてわかるこの果てしなさ。天安門広場も故宮もただ広いとしかいいようがない(写真1)。

 建物もここ北京では全てスケールが大きい。建国路の両側に立ち並ぶスカイスクレーパーには、超現代的なのから中国風の屋根や門が付け加えられたものまであって、雑然とした感が否めない。歩行者も、今の丸の内界隈を闊歩しているような人と戦後の白黒の映画フィルムでしかお目にかかれないような人が、時代を超えて肩を並べている。とにかく車が多くて、自転車なんかは全くみかけない。秋晴れだったにもかかわらず、空気はどこかくすんで透明感がない。北京人は信号無視でサッサッと歩いていくので、つられて出ると車に轢かれかねない。アスファルトの歩道を1時間も歩いたら、肺のなかまですっかり排ガスで汚れてしまった気がする。北京に育った医師は、北京は長く政治・文化の中心地で上海なんかよりいいという。北京はマンションの値段も日本の大都市とかわらない価格(数千万円レベル)で普通の中国人の年収からしたら大変な高額。北京は人間離れしたスケールで、僕は住むのはちょっと遠慮したい。

 アムステルダムは、自転車と運河の街だった。こちらはうっかり自転車道に足を踏み入れようものなら、猛スピードで駆けてくる自転車に轢かれそうになる。それを除けば、秋の半日を散策するには石畳の路はピッタリ。セントラル駅からマヘレの跳ね橋まで小一時間もかけてゆらゆらと歩く。明るい透明感のある空気のなかで運河沿いのベンチに座って、マヘレの橋が跳ね上げられるのをぼんやりと眺めていると、印象派の絵のなかに入り込んだような気持ちになる。橋のなかほどには赤白まだらの踏切棒があって、跳ね橋があがるときには、この踏切棒が降りてくる。運河にはボートハウスが係留されていて、それにさらに小さい筏がつながれていたりして、そこには庭みたいに草木が植えられている(写真2、3)。アムステルダムはスペースが限られているため、水上で生活している人も多いと聞いた。夜には跳ね橋はライトアップされ、とてもきれい。飾り窓街を夜歩くと、ランジェリー姿のおねえさんがピンク色にライトアップされ、白く長い手足で招く(写真4、5、6)。ちょっと住む分にはアムステルダムがいいか。

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写真2:アムステルダムの運河に係留されているボートハウスには、郵便ポストもついている。

写真3
写真3:ボートハウスには筏の庭が付いていたりもする。

写真4
写真4:ECTRIMSでの発表が終わって、アルゼンチン料理店でハイネケンで乾杯。スイス留学中の米川君が髭をびっしり生やしていたのに驚く。これはゲイ対策と聞いてさらにびっくり。

写真5
写真5:アルゼンチン料理で腹一杯になったら、5人でブラブラと飾り窓街を見学に。

写真6
写真6:運河沿いの飾り窓街は、風情がある。手前の怪しげなアジア人はうちの医局員。僕は酔っぱらっていて定かでないが、だれも入っていないと思う。

 CONyはディベートセッションしかないという異色の学会で、僕はメイヨークリニックのBrian Weinshenkerさんとディベートするという趣向である。今年は、ハワイでのAmerican Academy of Neurologyに続いて2回目のディベートとなった。企画する方はおもしろがっているのかもしれないが、英語の苦手な僕は一苦労。ハワイよりは今回の方がうまく我が方の主張を言えたような気がする。これは、臨床疫学から、アクアポリン4に対する液性免疫、髄鞘抗原へのT細胞性免疫、遺伝、神経病理まで幅広くデータが出そろってきたことによる。うちの神経免疫グループみなの頑張りのおかげ。でも一般的に投稿論文の査読者には敵陣が一人は入るような仕組みなので、こんなにディベートしていると、うちからの論文はますます採用されにくくなるなあ。

写真7
写真7:北京大学は学生数37000人を擁する中国トップの大学(世界ランク第37位)。北京大学医学部には4つの関連病院があり、北京大学人民医院は二番目の関連病院(Second affiliated hospital)。この写真の問診というのは外来部門のこと。

写真8
写真8:病院は夜にはライトアップされる。

写真9
写真9:外来にはLiuさん専用の診察室があり、実はこの人は偉かったということがわかった。

 CONyでの講演の前日には、以前うちに来ていた北京大学のLiuさんのところで講演をした。Liuさんが准教授として勤める北京大学第2病院神経内科での講演会には、30人ほども医局の医師が集まってくれて、ありがたかった(写真7、8、9、10、11)。出席者の2/3は女性である。さすがに首都の北京に地方から打って出ようかという女医さんは意欲が高いばかりでなく、美人が多い(ような気がする)。Liuさんが指導中のMSを専門にこれから研究を続けていこうという女医さんは、二人ともとてもかわいい人で、中国女も今時の医学生さんには可愛い人もいるんだと初めて知った(でも気が強いと思う)。Liuさんは背もスラリと高く英語もペラペラで案外もてるのかしらん。

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写真10:北京大学人民医院の病棟。住院部という。

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写真11:北京大学人民医院神経内科での講演会。女医さんが多いのに驚く。

 中国の医学部は、5年制か6年制と思っていたが、ここ北京大学だけは8年制で、私の講演を英語から中国語に同時通訳してくれた女医さんは、8年生ということである。日本では初期研修医にあたる。このHeさんという人は、すごい人だった。スライドを前日の夜に懇親会の席上渡しておいたら、翌日の講演の事前打ち合わせのときには、スライドのタイプミスを指摘してくれた。講演スライドは英語で作ってあり、僕はこれを英語で説明する。それをHeさんは逐一中国語に訳して皆に淀みなく説明する。正確か否かはわからないが、講演後の質問はたくさん来たので、たぶん適切に訳してくれたのだろう。通訳のたびごとに話が途切れるので、講演の流れを作れずこちらもやりにくいけれど、通訳する方はずっと大変。ずいぶん昔に僕が入局する前後くらいの頃に、九大医学部でノーベル賞受賞者のガジュセック博士が講演したときには、講師くらいの立場だった柴崎浩先生が同時通訳をされた記憶がある。とてもうちの医学部生や研修医に1時間の講演の同時通訳ができるとは思えない。この英語ペラペラの中国美人なんかが、MS研究で近い将来世界に出てくるとなると、うちの若手で何人が互角に戦えるかなとちょっと弱気な思いにさせられる。まあ僕は中国がメディカルサイエンスで勃興する前夜くらいの時代で助かったワイ。

 もう一人の女医さんは、山東省から最近出てきたという人で(地元の大学医学部を出て北京大学医学部の修士課程に入ったというところか)、農家の3人姉妹の長女である。農民には一人っ子政策は関係ないとこの人は言う。土地があって農業をしているので、一人っ子政策に違反して仕事をクビになっても、生活に関係ないので子供は一人でなくてもいいのだと話す。わけのわからん国だなあ。

 夜には、上海料理、北京料理とごちそうしていただいた。一晩は北京大学神経内科関係者(写真12)、もう一晩は北京のMS研究者(写真13)がいっしょで、とてもありがたかった。北京料理は東来順火気筒(ドンライシュン・ホットポット)をごちそうになった。これは、日本のしゃぶしゃぶ。シャブ肉ほど繊細ではないが、牛、羊などの薄切り肉を7回熱湯に通して食べる。7回くらいだとまだ身が赤いのに、中国の生肉は大丈夫かと気になる。まあ、ここは創業百年ほどの超一流店らしいからOKなんでしょう。ところで、今年のノーベル医学生理学賞はiPS細胞の山中伸弥教授の下馬評が日本では高かったが、Liuさんによれば、中国では漢方のチャイニーズハーブ青蒿から抽出した製剤アーテミシニン(青蒿素、チンハオス)がマラリアに有効であることを発見した中国人学者になると信じられていたと聞いた(同薬は1970年代から中国で使用を始められマラリア治療の基盤薬として世界でも注目されているらしい)。ところ変われば評価も違うものだと驚いた。

写真12
写真12:北京初日に上海料理店で。とても立派なお店。私の右側がLiuさん。左は脳卒中がご専門の女性教授(慶応大学に留学していたといい、来週鈴木教授が来られると聞いた)。

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写真13:北京料理店で。店内は伝統的な作りにしてある。中国では100年の歴史がある青島ビールが有名だが、地ビール(燕京ビール)をいただく。

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