行けるところまで行ってみよう:日米の神経学会に出席して (平成24年5月26日)】


 私は、この4月、5月と相次いで、米国と日本の神経学会学術大会に参加してきました。年間を通じて一番大きな学会が終わり、多くの神経内科医の皆さん同様にこの週末は一息ついているところです。

 今年のAmerican Academy of Neurology (AAN) の開催地は、ハリケーンカトリーナで浸水した記憶の残るニューオーリンズ。昨年のハワイから早や1年。ニューオーリンズを訪れるのは、私にとっては20年ぶりです。といっても前回はジャマイカで開かれたレトロウイルスの国際シンポジウムに呼ばれ、あまりに遠いので、その途中で乗り継ぎのためにたまたまここに1泊せざるを得なかっただけのことですが。覚えているのは、ザリガニ(clawfish)料理店で真っ赤に茹であがったザリガニがバケツにあふれるほど出され、ピリッとした辛さが美味くて夢中になって食べたことだけです。日本ではザリガニ料理を食べる機会なんてありません。ニューオーリンズといえばジャズですが、私は音痴ですから、20年ぶりにあのザリガニを食べてみようというわけで行くことに。

 ただ実のところは、AANに付随して6つほど様々なミーティングがあり、出席した方がよかろうという判断がありました。これらは、International Multiple Sclerosis Genetic Consortium (IMSGC)の会議(1日半)、Journal of the Neurological Sciences (JNS)誌のeditorial board meeting、Multiple Sclerosis and Related Disorders誌のeditorial board meeting、International Panel of Neuromyelitis Optica Spectrum Disorderのサブグループ会議と本会議、第5回Pan-Asian Committee of Treatment and Research for Multiple Sclerosisのプログラムの打ち合わせなどです。AANは世界最大の神経内科医の学会に事実上なっていますから、世界各国から神経内科医が集まります。それで、この機会に顔を合わせて話し合いましょうというのが、付随して様々な会議が開かれる理由です(旅費をそれぞれの会議側で持つ必要がないからですね)。今回は、前回のAANとは異なり座長も発表もない点は気楽です。ただ、ミーティングの方は、JNSのeditorial board meetingに台湾のTsai先生が来ておられた以外は、どれもアジア人は私以外にはいません。私は英会話の苦手意識が強いので、結構疲れます。IMSGCの遺伝子研究プロジェクトのミーティングは神経内科医であるMD(医師)と遺伝子研究者であるPhD(研究者)の集まりですが、内容はバイオインフォマティックス(生物統計学)の世界で、術語も数式もわからず、ほとんど理解できません(他の神経内科医はわかっているのかしらん)。でもこれはアジアから初めての参加であると紹介されて、dinnerをともにすることに意義があると思っています(図1)。Dinnerの隣席は、この前九大に来てくれたデンマークのソーレンセン教授のところの女性教授(神経内科医)で、18歳になる大学生の娘さんを連れてきていました。デンマークにはgap yearがあり、在学中に1年ほども休みをとって、海外に遊学できます。この可憐な娘さんもこれから中南米でバイトしながら生活する(親は金を出さない)ということらしく、デンマーク人は国際的に鍛えられているなあと感心します。IMSGCへのアジアからの今後の関わりを、現在米国に留学している磯部さん・松下君らの世代の人が引っ張って行ってくれるよう期待しています(彼らも英語でバイオインフォマティックスを学ぶのに苦労しているとは思いますが)。

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図1. IMSGCのディナーでの集合写真。英語は下手ですが、あまり気にしないで出ております。(クリックで拡大)

 4月のニューオーリンズは、ミシシッピ川から吹きぬけてくる風が心地よいさわやかな季節です。会場のコンベンションセンターの通りでは、アガパンサスの青紫色の花が涼やかに揺れています。AANのセッションでは、Integrated Neuroscience Session (INS)のStem Cells(幹細胞)が一番面白かったですね。特に神経変性モデルマウスに移植した場合、レシピエント側の神経細胞とドナー側の幹細胞(グリア細胞に分化している)の間にGap junction channelが形成されて、レシピエント側由来の神経細胞が生存することで機能が維持されるという美しい仕事が印象に残りました。教室でも松瀬君の幹細胞移植の研究プロジェクトが厚労科研に今年度から採用される一方、真崎君のconnexin gap junction channelの論文がActa Neuropathologica (Impact Factor (IF) 7.7)に採用になっていますので、このあたりがつながってくるとおもしろいですね。なお、今年のJohn Dystel Prize for Multiple Sclerosis Researchは、山崎亮君の留学先のボスであるRansohoffさんが受賞され、大変よかったと思います。受賞講演では、髄液のT細胞は、central memory T cellがほとんど全てで、くも膜下腔の血管から髄液内へと侵入し、脳実質内に毛細血管から侵入するものとはポピュレーションが異なっていて、これらは多発性硬化症では大脳皮質の脱髄を起こす役割を担うという話でした。きれいなストーリーの話で、これのみが真実かは検証が必要でしょうね。

 JNSのeditorial board meetingでは、2011年の論文投稿数が年間1375編にも及んでいると聞いてびっくり。わが日本の神経免疫学会の年間予算の大部分を投入している英文誌Clinical and Experimental Neuroimmunologyの投稿論文数はいったいどの位になったかなあ。JNSは2011年の採択率は27%に過ぎなかったそうです。JNSはIF2.14レベルのジャーナルに過ぎませんが、それでもこのくらい低い採択率と聞くと、最近教室からの欧米誌への投稿論文がよく落とされるのも合点がいきます。ちなみに論文投稿数のベスト5は、中国290編、日本157編、米国138編、韓国124編、イタリア98編となっています。一方、採用論文数では、米国71編、日本50編、中国40編、イタリア31編となっています。中国からの投稿論文が激増していることが編集会議でも話題になりました。中国には2万人の神経内科医がいると前に大物ボスのLiuさんから聞きましたから、中国恐るべし。落としても落としても、次々と投稿がくる感じですね。これらの投稿論文の査読に2011年には4353人の査読者があたったそうですが、査読自体を断られる率は49%ということで、論文によっては、50人近くも次々に査読を依頼してようやく引き受けてもらえることもあるとか。僕は変な論文でも自分の研究領域であれば査読を断ることはないので、JNSから査読がよく回ってくるのも頷けます。

 今回のAANは日本からは遠いニューオーリンズということもあって、前回のハワイに比べ会場で日本人を見かけることは少なかったですね。まあ、英語ばかりでも疲れますから、学会中日の夜には、日本人で集まって夕食に行きましょうということに。ルイジアナ州立大学の角田郁生准教授のご案内で、水澤教授(東京医科歯科大)、中野教授(自治医大)、楠教授(近畿大)らとともに、ジャズ演奏で有名なPreservation Hallに向かいました。ミシシッピ川沿いのフレンチクォーターは、ハリケーンの水害も少なかったようで、活気にあふれていました(図2~5)。フレンチクォーターのメインストリートBourbon Streetはまだ水曜日というのにとても賑やか。通りに面する店の2階からドレスアップしたお姉さんが、ビーズの首飾りを投げてくれます。これを路上でキャッチ。毎晩こんな調子なんですね。Preservation Hallに着くと長蛇の列。中野先生は、「ワシは明日早く発つので」と、さっと決めて帰られます。とりあえず午後8時の開場まで並んで入れるかみてどうするか決めようという水澤先生の提案にしたがって、あとのメンバーは最後尾に並ぶことに。ガイド役の角田先生はじめ僕らもさすがにこれは入れんわと思っていましたが、奇跡的に一番最後に一行6人全員が入れました。さすがに神経学会理事長の判断は的確。1961年の設立以来半世紀を刻んだホールは穴倉のような狭さで、半分は打ち晒しのコンクリートの壁。天井にはゆるゆると回る大きな扇風機の羽根。立ち席の最後尾とあって、見えるのは背の高い外人さんの頭だけ(図6)。演奏はろくに見えませんが、これが本場のジャズか。ここは1時間ほどの演奏で客は総入れ替えです。ここの演奏メンバーになるのは、やっぱりステータスなんでしょうね。

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図2:ジャクソン広場の正面にはセントルイス大聖堂がそびえ立っています。アメリカ最古の大聖堂ということですが、外観はとてもきれい。(クリックで拡大)

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図3:至るところにジャスミュージシャンのモニュメントあり。(クリックで拡大)

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図4:昼間のフレンチクォーター。もともとは、カナダに入植していたフランス人が移住して築いたということですが、大火の後に当地を支配していたスぺイン人により、2階のバルコニーが通りに張り出した街並みがつくられたといいます。(クリックで拡大)

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図5:夜のフレンチクォーター。正面の後ろ姿は、角田先生や吉村君たち。これから飲みに繰り出しましょうというところで、気もそぞろ。(クリックで拡大)

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図6. 満員の一番後ろからはこんな感じでしか見えません。それでも入れただけよかったですね。(クリックで拡大)

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図7. Pat O’Brienの前で記念写真。皆、リラックスしております。(クリックで拡大)

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図8. これが有名なハリケーン。サッパリした甘口のカクテルです。IMSGCのディナーでは、Oksenbergさんが、こんなのは水だとか言って飲んでいました。あとで調べると、アルコール度は34度ということなので、ホテルに歩いて帰ったらクラクラしたのも納得がいきました。うちの吉村君、医科歯科大の若手のホープと。(クリックで拡大)

 ジャズを堪能したあとは、隣りのPat O’Brienで飲むというのが、角田先生の話では定番(図7)。中に入ってみると台湾グループがいて、Tsaiさん夫妻やYan(楊)さん(国立台湾大学病院教授)らがもうできあがっています。ここでは、ハリケーン(ウイスキーベースのカクテル)のボトルみたいに大きなグラスを飲み干すのがお決まり(図8)。アリゲーター(ワニ)の肉を揚げたのがトリ肉みたいな食感でやわらかく、少し塩味もきいて一番おいしかったですが、これはうまいのはトリ肉が混ぜてあるとかいう話。

 全行程終了したら午後11時も回っていましたが、このあたりの地区は治安も比較的よく土産物屋を眺めながら25分ほど歩いてホテルに。帰り道いつの間にかうちのヨシムラ君と水澤先生とこの若い人がいなくなりましたが、ハスラーあたりの店(アダルト)にでも入ったのかしらん。ホテルに戻ってシャワーを浴びるころには、もう日にちも改まっていて、頭の中はほとんどハリケーン状態に。「中野先生はさっと帰られ、楠先生はアルコールは一滴も口にされず、水澤先生は地ビールまで。東大の辻先生はそもそもこのような飲み会には来られない。これらAANに参加された東大卒の教授連も人様々。九大の僕はもう少しアルコールを控えると業績もあがるか。」

 ニューオーリンズの最終日4月27日は、第43回ニューオーリンズジャズ・アンド・ヘリティッジフェスティバルの初日にあたっていました。このフェスティバルは、週末の3日間を2週間にわたって開催されます(合計6日間)。全米最大の祭りであるマルディグラに次ぐ一大イベントと聞きます。地元の角田先生が、せっかくだからと連れて行ってくれました。角田先生が前に勤めていたユタ大学のジョン・ローズ教授とノエル・カールソン准教授、角田先生のラボの留学生佐藤先生といっしょです。午前10時に出発して、午後7時過ぎまで一日、フェスティバルの会場であるフェアグラウンズ競馬場で過ごしました。AANも朝8時からのメジャーなプログラムであるIntegrated Neuroscience Seminar (INS)の「小児における不随意運動(pediatric involuntary movement)」のセッションでは、千人は入ろうかという広い会場に20〜30人くらいしか聴衆はいませんでしたから、多くの神経内科医はエスケープしてジャズフェスティバルに行ったか市内観光に行ったかでしょう(私はINSだけは聞いてフェスティバルに行きましたので、丸一日サボったわけではありませんよ)。

 広々とした競馬場には、10か所ほども巨大なテントやステージが建てられています。たくさんのミュージシャンの名前がプログラム集には載っていましたが、僕は音楽は疎いのでBeach Boysの名前くらいしか読み取れません。ローズ先生は詳しいようで、どこに行ったらよいかわからない僕らをガイドしてくれます。再集結されたBeach Boysのメンバーはあらかた年老いて、遠目にもキーボード演奏中も表情がなくパーキンソン症候群みたいな感じ。ローズ先生によれば、ドラッグの後遺症のせいという。驚いたことに、エリック・リンデルのブルース・ロックを、きれいなおねえさんが手話(sign language)ダンスで訳していて、演奏よりはそちらに目がいってしまいます(図9, 10)。

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図9:手話でロックを訳しているボランティアと思われるおねえさん。聴覚障害者も振動でロックを感じるということですね。手話(sign language)は、日本語と英語では異なり、これはたぶん英語の手話。ローズ先生によると、ユタ大学神経内科では、聴覚障害者の研修医を受け入れたことがあり、その人の研修医教育のためだけに手話通訳者を州が雇って入れたことがあると言います。どんな障害があっても学ぶ権利はあり、教育する義務があるという、このあたりは米国のすごいところか。(クリックで拡大)

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図10:グラミー賞(Grammy Lifetime Achievement Award)を受賞したチャック・リーヴェルの熱演。一番迫力がありました。(クリックで拡大)

 青々とした競馬場に燦々と降り注ぐ日の光を浴びなら、20年ぶりに食べるザリガニはどこか懐かしい味です(図11~15)。角田先生によると、こちらの人は頭部をちぎって胴体だけ殻を剥いて食べるということですが、頭の殻をはがしてザリガニのほんのちょっぴりのカニミソを吸うとしょっぱい味がおいしくて、真昼間からミラーライトのビールがすすみます。ザリガニのミソも日本で食べるカニミソと同じ味。アメリカ人はザリガニミソは食べないのかしらん。clawfish の身を固めたclawfish cakeを食べました。これはカニの身を集めたカニケーキ(crab cake)のザリガニ版)ですが、僕は茹でたザリガニの殻を剥きながら少ししかない身とザリガニミソを口にする方がいい。競馬場は午後7時になってもまだ西日がきつく、グラミー賞を受賞したボン・イヴェールのフォーク・ロックで盛り上がるステージを後に、ローズさんたちとニューオーリンズ最後の夕食にカジノのレストランへと向かいました(図16)。ここでは、ロブスターのサンドイッチをいただきました(私の分はローズ先生のおごり)。今日はアメリカのいいところに触れた一日でありました。

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図11:広い競馬場の向こうには観覧席が見えます。ところどころに米国南部の木が大きく枝を拡げています。(クリックで拡大)

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図12:ジャズフェスティバルでは、あちこちに大きなテントが立っています。私は露店でハットを購入。カールソン先生によると、ハットの片方だけを上側に留めるのが、オーストラリア流。こうすると、Good Dayはグッダイとか発音しないといけませんね。(クリックで拡大)

図13
図13:あまりに日差しが強烈なので、日傘をさして、こんな感じで終日のんびりとビールを飲んでおりました。(クリックで拡大)

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図14:懐かしいザリガニの茹でたやつ。ビールによくあう。(クリックで拡大)

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図15:カールソン先生となにやら酔っぱらって話しています。(クリックで拡大)

図16
図16:本日最後のスナップ。丸一日お疲れ様でした。今度は博多に来てください。カジノのレストランで。(クリックで拡大)

 地元のケイジャン料理は、Pot Boyといって、オイスターなどを大きなフランスパンにサンドイッチにしたものや、Gumboというシーフードのスープを食べました。宿泊先のマリオットホテルのレストランのケイジャンのシーフードが一番おいしかったです(これはよくわかりませんが、いつも僕らの論文を落としていると思われるWeinshenkerさんが罪滅ぼしかおごってくれました)。

 一方、わが国では昨日、第53回日本神経学会学術大会(大会長は鈴木則宏慶応大学神経内科教授)が終了しました、6700人と過去最多の参 加者数であったということです。これは驚異的な数ですね。だいたい会員数も8852名しかありませんから、3/4以上が出席したことになります。これは日本の他学会と比べてもよほど多い参加者数で、たぶん国単位ではAANに次いで世界第2位のアクティビティーでしょう(もっとも中国なんかは人口が多いから質抜きの単純な数では、中国の方が日本よりは既に多いでしょうが)。一般演題は1300題の応募があり、そのうち15%が口演に選ばれたということです。九大神経内科からは22題応募し12題(55%)が口演になりましたから、それなりに評価されてよかったと思います。せっかくいい学会を発表したわけですから、皆いい論文にまとめてほしいものです。教室も海外ラボでの研究生活や基礎・臨床教室での大学院研究を終えた人たちがようやく教員になって、より若い院生たちといっしょに研究をスタートできるようになりました。図17で示しますように、炎症と変性、そして再生の間には密接な関係があります。異なるラボで勉強してきた経験を集約させて、若い人の力で突破口を拓きたいものです。

図17
図17. 教室の研究の方向性を示す。(クリックで拡大)

 社員総会(代議員会)での編集委員会からの報告によれば、臨床神経学の2011年の掲載論文件数で九大神経内科はかろうじて2010年同様に第1位でしたけれども、掲載論文数は2010年の8編から2011年は3編に激減しました。一つには2011年は英語での症例報告が5編と多かった(できるだけ日本語ではなく英語で症例報告を書くように奨めている)せいもありますが、もう一つはやはり2010年度の病棟医の頑張りが足りなかったと思います(2010年度の病棟経験症例をまとめたものが翌年に投稿され掲載されるため)。今、この人たちは関連病院で研修中ですが、ほとんど誰も症例報告を私のところに持ってきていませんから、これはもっと2010年度の病棟医の尻をひっぱたかねばならないですね。同時に、やはり私も原点に立ち返って病棟にもっと通い、若い研修医と話すようにしないといけないと感じています。紙カルテの時代は、病棟にも足繁く通ってカルテをチェックしコメントを書き入れていましたが、電子カルテになってからというもの、機械音痴の私にはそれも億劫です。出張が増えて回診の時以外はほとんど病棟に行けなかったなあと反省しています。

 ところで、今度の学会で一番しんどかったのは、開催前日に突然鈴木則宏先生から役員懇親会で最後に締めの挨拶をするようにとの指示がメールで入った(これは2年後に私が大会長を務めるため)ことですね。海外からの招請講演者、歴代の神経学会の重鎮が居並ぶなかでの挨拶は、英語の下手な私にとっては大変なストレスで、おいしい食事もろくに喉を通りません。おまけに私のテーブルは、辻省次先生、祖父江元先生、糸山泰人先生と大会を見事に成功させた方ばかりで、自分の時はこうであったとか、ウン千万円黒字だったとか言われるので、ますます大好きなワインすらも喉を通りません。

 役員懇親会は、綱町の三井倶楽部。濃いピンク色に照らされたカーテンに縁どられた宵闇の窓からは、都心とは思えないこんもりとした木々がダークブルーに色づけられて見えます。舞台では千住真理子さんのアヴェ・マリア(バッハ=グノー)の流れるようなバイオリンの旋律。「さすが慶応大学。とても博多ではまねができない。第55回学術大会まで、あと730日。やれやれうちはどうしたものか。これはアジアの皆さんにたくさん来てもらってエスニックにやるしかないか。」まあ、これから2年間、健康にだけは気を付けて、間違っても会長代行を水澤理事長にお願いするような事態にはならぬようにしようと思って、今朝はジョッギングに汗を流しました。

 日米の神経学会に出席して一番感じるのは、いずれもが巨大化してしまったなあということです。口演会場の数も多いし、ポスターも多いしで、分散されてなかなか白熱した議論になりにくい気もします。一方で先端科学の話があり、他方で医療と介護・福祉の連携の話がありと盛りだくさんなのはいい面もあるけれど、気を付けないと内科学会総会みたいに一般演題は形骸化してしまいかねない危うさがあると思います。シンポジウムが無数にあるよりも、一般口演あるいは一般口演を入れたワークショップでの討論を充実させた方がいい気もします。教育的なセミナーは昨年の名古屋の学術大会のときみたいに一会場に集約して、聞きたい人は一日中そこに行って勉強できるというのがいいかもしれませんね。

 私は教授になって15年目ですが、初代の黒岩義五郎先生は丁度このくらいの年齢でご病気で体がご不自由になられました。教室の仕上げの時、さぞかし無念な気持ちでいらっしゃったろうと思います。最近、五木寛之の「下山の思想」を読みました。言いたいことはわかりますが、ことさらに下山とか言わなくてもいいんじゃないかという気がします。教室も人生も幾つになっても一歩一歩未知を楽しみながら前に歩み続けるイメージの方がいいですね。とりあえず、あと8年、行けるところまで行ってみようと思っています。来週末は医局旅行で山登り。新人と気持ちのよい汗をかきたいものです。