ハンマーくん オスロへ行く (平成24年6月1日〜6月30日)】


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図1. 神経内科医のシンボルであるハンマー(図2参照)。

 この季節、故郷の番匠川原を走っていると、群生している姫女苑の無数の小さい花がゆらゆらと風に浮かんで見える。煤けている都会の花びらとは違って、生まれたての白さが初々しい。6月22日、北半球では一番昼が長い日、僕はオスロにいた。夏至を白夜のオスロで迎えるという初めての体験をしたので、そのことを紹介したい。ただ、その前に、タイトルにあるハンマーについて触れておこう。

 面接をするときに、相手の人となりを知るうえで役立つ質問の一つに、「あなたが扱うのが得意な道具は何ですか」というのがある。それは、包丁であったり、バットであったり、筆であったり、あるいは拳銃であったりと、その人のこれまでの人生を反映する場合が多い。神経内科医にとってのそれは、ハンマーであろう(図1)。これは打腱器(あるいは打診器)と日本語では訳し、いわゆる金槌ではない。ハンマーで腱を叩いて腱反射を出し、それが高いか低いかで神経のどこが障害されているかを知ることができる。この叩き方には、上手い下手がある。巧者がハンマーで叩けば、わずかな右手と左手の腱反射の差を検出できるものも、下手が叩けば、患者さんが痛いばかりで、何もわからないということになりかねない。神経内科専門医であれば、上手が叩いても下手が叩いても診察の値段は変わらない。

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図2. ハンマー(打腱器)は柄の部分は、金属製であったり、合成樹脂製であったりする。腱に当たる頭の部分は、ゴムや合成樹脂である。柄は長すぎると、狭いベッドサイドでは扱いにくいし、たわみすぎると毎回一定のパワーで叩きにくい。使用年数が経って劣化したゴムなど頭部が硬すぎると、患者さんは痛い。ハンマーの頭部は三角頭のと丸い頭(クインスクエア型)のがある。ハンマーの柄のところに入局年と反対側に入局者名を刻んでいる。(クリックで拡大)

 九大神経内科では、新入局者にはハンマーを入局のお祝いとして贈ることにしている。ハンマーの値段はたかだか2000円ほどに過ぎないが、ハンマーの柄の部分に、名前と九大神経内科という字と、入局の年を、たとえば今年なら2012と刻む(図2)。これは1文字500円なので、文字を刻むことの方に余程お金がかかるという代物である。むろん、その心はハンマーを大事にして、その使い方の修得に励んでほしいということである。今年は、このハンマーを医局旅行で行った玉名温泉で、宴会を始める時に皆の前で新入局医師に配った。無事6月2日に玉名の小岱(しょうたい)山に登った後のことである。

 医師・看護師の一行19人で、小岱山は丸山、観音岳、筒ヶ岳を歩くコースをたどり、3時間半ほどの道のりだった(図3〜6)。階段状になっているところが多くて、登りは大腿四頭筋、下りは膝にこたえる。山を覆う新緑の中に糊うつぎの白い花、山躑躅(ツツジ)の紅色、馬酔木(アシビ)の鈴なりの可憐な白い花が垣間見えて楽しい。ホトトギスのケキョケキョと啼く声も耳に心地よい。女性も多いので、男の足には少し物足りないくらいの距離で丁度よいといったところか。肌にこびり付いた汗は麓の玉名温泉で流す。ジャグジーの泡に体をもまれながら、つい先日女房と見たテルマエ・ロマエの古代ローマの浴場のシーンを思い出して、おかしかった(阿部寛扮する古代ローマの公衆浴場の設計技師が、現代日本にワープして見たジャグジー風呂をまねて、ローマ皇帝のために風呂の下から奴隷にホースの端から口で空気を懸命に吹き送らせて泡風呂にするシーン)(図7)。玉名温泉は、菖蒲祭りの真最中。宴会の後は、川原をそぞろ歩いて菖蒲見物(図8〜10)。

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図3. 出発したときはこんな感じ(登山口で)。僕もまだ元気。(クリックで拡大)

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図4. 上がり下りして無事にゴール。看護師長さんとピース。(クリックで拡大)

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図5. 小岱(しょうたい)山頂での集合写真。看護師長さんの隣なので、僕も畏まって写真におさまる。今の看護師長さんはとてもすばらしい方で、神経内科病棟を希望する新卒の看護師さんが多いのも納得できる。(クリックで拡大)

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図6. あいにくと曇り空で、有明海や島原は見えず。後ろ姿は僕。帽子は先日ニューオーリンズジャズフェスティバルで買ったもの。役立った。(クリックで拡大)

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図7. 玉名温泉ではジャグジーで癒される。(クリックで拡大)

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図8. 玉名温泉は菖蒲祭りの真最中。宴会の後は、皆で川べりをそぞろ歩き。(クリックで拡大)

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図9. 菖蒲園で記念写真。(クリックで拡大)

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図10. そぞろ歩いた後は、当然、ラーメン。(クリックで拡大)

 翌日は、柳川の川下り。一行19人で久しぶりにドンコ舟にのる。柳の枝をふんわりと揺らせる風がお堀を吹きわたってすずやか。堀端では花菖蒲が満開である(図11、12)。旧藩主立花邸の「御花」で鰻のセイロ蒸しを食べる。鰻は地元のものではなくて鹿児島産と聞くが旨い。第55回神経学会学術大会時のエクスカーションは、この季節、やっぱり柳川がいいね。

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図11. ドンコ舟に皆で乗ってのんびりと遊覧。その一方で、レクリェーション係は写真撮影のポイントに走って先回りして、パチリ。ご苦労さん。(クリックで拡大)

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図12. この季節は、花菖蒲の白や紫が緑に映えて美しい。川下りもいいけれど、来年は久しぶりに地引網をみんなで引いてみたい。(クリックで拡大)

 医局旅行には、今年度、神経内科の病棟に新たに配属された看護師さんも看護師長さんといっしょに参加する。今年も新卒の男性看護師さんが入った。最近、相次いで九大医学部保健学科新卒の男性看護師さんが神経内科を希望して、病棟に配属されてくるのは、とても心強いことである。神経内科は動けない患者さんが多いから、看護師さんは患者さんに看護上、体を密着せざるを得ないこともある。そんなときに男性の看護師さんが一緒に看護に入ってくれた方が、女性の看護師さんにとっても都合がいい場合が少なくない。しっかりした看護師さんがいてくれると病棟も安心である。

 神経学会では僕は教育委員会の委員長を務めている。今年から教育委員会のもとにコメディカル教育小委員会を立ち上げることになった。学術大会時などにコメディカルの方を対象に、神経内科教育、神経内科疾患に関する適切な情報提供を実施しようという趣旨である。ただ、コメディカルという用語は、医師をメディカルの中心において、あとはどの職種もコメディカルという総称で 十把一絡げにして、やや低くみなしているニュアンスがある。以前はパラメディカルと呼んでいて、その趣が一層強かった。日本癌治療学会では、コメディカルという名称は使用しないとホームページで述べている。神経学会においても、昭和大の河村満教授からこの点のご指摘があったため、コメディカルという用語は避けて、メディカルスタッフ教育小委員会という名称にする予定である。神経内科はチーム医療が他科より大事なことが多い。看護・介護の面では、脳卒中、認知症、神経難病など、検査面では、臨床神経生理検査、神経心理検査、超音波検査などが該当する。神経内科診療の充実を図るためには、他職種との連携、チーム医療が欠かせない。メディカルスタッフ教育に神経学会が力を注ごうというのは自然な流れである。同時に、若い医師たちにもチーム医療とその中での医師のリーダーシップを教えていく必要がある。

 あいにくと医局旅行当日は、筒ヶ岳山頂からは雲に隠れて有明海の向こうの島原半島は見えなかった。かわりに、若い医師、看護師が集ってくれて、神経内科の明るい未来が見えた思いがする。

 ところで主題のオスロには、バイエル社から頼まれて、インターフェロンベータに関するインターナショナル・カウンシル・ミーティングに行った。オスロはもちろん初めてである。日本からも大勢が招請されたものと思って気楽に引き受けたが、蓋を開けてみると、日本からは僕と新潟大のカワチさんという女傑だけである。バイエルさんの選考基準はよくわからんなあと、一瞬断ろうかと思った。が、日本でも様々な多発性硬化症(MS)の疾患修飾薬(disease-modifying drug, DMD、またはdisease-modifying therapy, DMT)が市販ないし治験されてきているので、これからはこの手の国際ミーティングの経験を積む必要があると考え、ここは踏みとどまった。

 オスロは日本からは、はるかに遠い。3泊5日の旅は、テレビでやっている弾丸トラベラーと変わらない。24時間かけて福岡からオスロに着いて、2日間のワークショップに出て、また24時間かけてオスロから福岡に戻るという強行軍だった。このワークショップでは、ベタフェロンの治験成績など様々な臨床データが、プレゼンター(モデレーター)により30人ほどの参加者(神経内科医)に提供され、その後は3チームに分かれてベタフェロンのメリットやらウイークポイントやらを検討し、最後にまた全体でバイエル社は今後どのようにベタフェロンについての情報提供をしていくべきか(販売を進めていくべきか)を話し合うという相当にしんどいものだった。欧米の臨床家は実際に種々のDMDの治験に深く関わっているので、論文になっていない情報も聞けたし、また、欧米で先行して臨床現場で用いられている様々なDMDの使用経験にもとづいた、治療効果と安全性からみた各DMDの位置づけを知るいい機会になった。これは今後、日本でどのような治験に積極的に関わるべきかということを考えるうえで参考になった。

 いうまでもなく、ノルウェーは欧州ではもっとも北に位置している。よく知られているように、MSは高緯度であるほど有病率が高い。事実、北欧のスウェーデンやデンマークは世界で最もMSの有病率が高い国々である。しかし、不思議なことに、最も緯度の高いノルウェーは10万人あたりのMSの有病率で100人をこえるものの、ノルウェー国内では北に行くほどむしろ有病率は低くなる。ノルウェーの南部やデンマークあたりよりは、ノルウェー北部の方がよほどMSの有病率は低い。このことに関して欧州のMS研究者は、以下のような説明をする。

 まず、北ほど日照時間が短いために皮膚で作られるビタミンDの量が少ない(人間は、ビタミンDは経口摂取する量より皮膚で日光を浴びて合成される方がよほど多い)。特に冬場は大幅に不足する。このビタミンDは骨に作用するばかりでなく、免疫系にも作用し、MSを起こすヘルバーT細胞1型(Th1細胞)の働きを抑え、加えてTh1細胞を抑制するTh2細胞の働きを高める。つまり、ビタミンDが不足すると、MSを起こすTh1細胞の働きが高まり、さらにそれを抑えるTh2細胞の働きが衰えることになる。この結果、ビタミンD不足に陥りやすい北ほど、MSが起こりやすくなるとされている。然るにノルウェー人は、欧州では例外的によく魚を食べる。魚にはビタミンDが豊富に含まれているため、ノルウェー人は冬場のビタミンD不足を、魚を食べることで補うことができている。特にこの傾向は、よく魚を食べるノルウェー北部であてはまるという。したがって、ノルウェー人は、特に北ほどビタミンD不足になりにくいために、MSにもなりにくいのだという。これを支持するものとして、フランス国内では同じ緯度であっても、やはり魚をよく食べるフランス西部の人でMSの有病率が低いということがある(つまりフランスでは、南から北に行くほどMS有病率が高くなる一方、東から西へ行くほどMS有病率は低くなる)。説明が長くなったが、筋道は通っているので、僕は本当に市井のノルウェー人は魚をそんなに食べているのか見てこようと思ったのだ。

 オスロは、北緯59.9度に位置する。太陽が全く沈まない白夜(midnight sun)は、北半球では北緯66.6度以北でみられる。オスロの位置する北緯60度のあたりは、やっぱり深夜には日は沈むが、真夜中も薄明るく、これも白夜というようである。福岡空港を朝の7時に出て、オスロ国際空港には夜中の11時半くらいに着いた(時差が7時間あるので、日本時間だと翌日の朝6時半である)。この時間なのに、空は夕焼けなのにびっくりした(図13、14)。

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図13. 到着した6月21日の午後11時半くらいのオスロ国際空港の夜景。北緯59.9度なので、日は沈んでいるが、ちょうど空は真夜中の夕焼けといった感じ。(クリックで拡大)

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図14. 6月22日、夏至の日の午前1時ごろにホテルから。夜も更けたが、空は遠くに夕焼けの名残が見え、青みがかって薄明るい。(クリックで拡大)

 オスロハーバーは、潮の香がしない港町である(図15〜19)。これはオスロがオスロフィヨルドに位置しているためという。日本では港町といえば潮の香が強い。でも、オスロは北海に出るまでに120キロメートルもあるオスロフィヨルドの奥に造られた街なのである。フィヨルドといえば、氷河でU字型にえぐられた断崖絶壁に挟まれた細長い入り江を想像する。オスロは、U字型の絶壁に挟まれているわけではないにもかかわらず、フィヨルドに位置している証拠は、潮の香りがしない点だという。つまり北海という本当の海洋に出るまでの間は、実は氷河が削ったところで、そこは川(淡水)よりは塩分の濃度が濃いけれど海(塩水)ほどは濃くないのである。淡水と塩水の中間なので、潮の香りがしないというわけである。

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図15. オスロ一番の繁華街であるカール・ヨハン通りは歩行者天国。大道芸人がギターを弾いていたり、トンボを切っていたりする。(クリックで拡大)

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図16. 右手の国会議事堂の前は広場の緑がきれい。真ん中の丸い頭の白い彫刻らしきものは何を意味しているのか、全く分からない。街を歩いている人では、アジア系はほとんど見かけないが、ヘジャブを被っているイスラムの女性の多さに驚かされる。東アジアの人口増は減少に転じており、世界で唯一人口爆発が続いているのは、イスラム系である。21世紀は、若年人口の増加と若年層のもつエネルギーからみると、世界はイスラムの時代になるともいわれている。(クリックで拡大)

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図17. カール・ヨハン通りに面して建っているオスロ大聖堂。大聖堂の目抜き通りを挟んだ向かい側には、アダルトショップがこぎれいな店を出していたりと、ノルウェー人はアッケラカンとしたものである。ショッピング街にはコスプレショップがあり、ハルヒのセーラー服とかわけのわからない日本のアニメグッズを山ほど売っている。これを目のあたりにすると、Nippon Mangaの世界進出のすごさに驚かされる。というようなことで、帰りの飛行機のなかでハンマーくんを描いてみることに。(クリックで拡大)

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図18. カール・ヨハン通りを抜けると、そこはオスロハーバー。港と言っても潮の香りが全くしないのが不思議。(クリックで拡大)

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図19. オスロハーバーに立つ正面のクリーム色の建物は、先日、ミャンマーのノーベル平和賞受賞者、アウン・サン・スーチー女史が21年遅れのノーベル平和賞受賞講演を行ったノーベル平和センター。手前の右側のおかしな形の建物は、公衆トイレ。中に入ると、どのボタンを押してもドアが閉まらない。小便はしたいし、どうしていいかわからなくてオロオロする。仕方なしにドアが開いているのは気にしないことに。そうすると、自動的に閉まり、5分くらいすると自動的に開いた。便利なのか不便なのか、よくわからなくなってしまう。オスロハーバーの公衆トイレは、要注意。(クリックで拡大)

 そこで、オスロフィヨルドの2時間ほどのツアーに参加することに(図20)。帆船に乗りたいと思っていたら、あいにくとドイツ人の団体客と一緒のグラスボートみたいなやつに入れられて、窓は汚れていてろくに写真もとれなかったのはとても残念(オスロフィヨルドは帆船がお奨め)。オスロフィヨルドは切り立った狭い入り江ではなくて、広々とした水面に多くの島が点在する、九州でいったら九十九島みたいなところだった。ところによっては数10メートルほどの崖があり、崖のうえには大きな邸宅が並び、階段をくだった岸辺には色とりどりのボートハウスが並んでいる。オスロフィヨルドには、いく艘ものヨットが浮かび、岸辺で寝そべって日光浴を楽しんでいる人もいる。小さな島にまで、立派な家々が建てられていて、このあたりの島に住んでいる人はボートで買い物に行き、フェリーでオスロに通勤しているということである。これもフィヨルドなのだということは、行ってみて初めて知った。

図20

図20. こんな感じのボートに乗って、2時間ほどのオスロハーバーの遊覧だった。窓ガラスが汚れていて、きれいな写真が取れなかったのは残念。小島にまで立派な屋敷が建ち、岸辺にはボートハウスが並ぶ。ノルウェーはスキーばっかりやっている国かと思っていたら、全く違った。左上の写真は、オスロからデンマークの首都コペンハーゲンまで就航している大きなフェリー。夕方出て、翌朝デンマークに着く。デンマークの方が物価が安いので、アルコール飲料やら煙草やらの嗜好品を買い出しに行く客でいっぱいだという。実際、オスロは物価が高いのに驚く。(クリックで拡大)

 昼食は、ストールトルヴェッツ・イェストイヴェリという1881年創業というノルウェーの伝統料理店に行った(図21、22)。皿いっぱいのムール貝はとても美味。カウンシルのオフサイトディナーは、オスロハーバーの伝統料理店。ここでもシーフードのコースが出てきた(図23〜25)。街にはいくつもSushi Kingの店がオープンしていて、やっぱりノルウェーはオスロあたりの都会でも魚介類をよく食べるということはよくわかった。案外、欧州人の唱えるビタミンD不足説は、本当かもしれない。もっとも欧州でも英国の神経内科医のなかには、MSはフレンチキスでうつるEBウイルス感染が引き起こすsexually transmitted diseaseだと極端なことをいう人もいる(図26)。これは、いくつかMSが群発した例が知られているからである。たとえば、1940年から1945年までデンマーク領フェロー(Faroe)諸島にイギリス軍が駐留した際に、1942年から1953年にかけて軍隊の駐留地と同一地域でMS の発生率が急速に増えた。このような事例から、ヒトからヒトへ伝搬する因子がMSの発症に寄与することが示唆されてはいる。

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図21. ストールトルヴェッツ・イェストイヴェリというガイドブックの一番目に載っているノルウェーの伝統料理店で昼食。(クリックで拡大)

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図22. コーナーの席に通されて、道行く人を眺めながら、ムール貝をたらふく食べる。ムール貝のエキスが地ビールによく合う。(クリックで拡大)

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図23. カウンシルディナーの開かれたレストランの前で。午後9時半だというのに外は明るい。(クリックで拡大)

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図24. レストランの中には、ノルウェーの漁労生活を象徴する様々な道具が展示されていた。大きなシロクマの剥製までが展示されていたのには驚いた。(クリックで拡大)

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図25. ハーバーの入り口に聳え立つアーケシュフース城。長年、オスロハーバーの守り神だった。夕食後、夜も10時近いが、外はまだ十分に明るい。やはり夜は暗くなってくれないと、仕事も遊びも一日の区切りがつかない気がする。(クリックで拡大)

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図26. MSの環境リスクとして、ほぼ確立しているのは、高緯度、ビタミンD不足、EBウイルス感染、喫煙の4つである。MSになりやすい遺伝的素因があると、これらの因子はMSのリスクを相当にあげることになる。大規模コホートを立ち上げて、予防や病態の解明につながる因子を見出す研究は、地道だが大きな意義がある。世界的にみてもMSの研究者は、熱心で真摯に取り組んでいる人が多い。若い女性が罹患することが多いせいかもしれないが、女性の研究者もとても多い。(クリックで拡大)

 MSでよく使われるインターフェロンベータは、自己免疫疾患を一般に悪化させるのにMSで有効なのは、MSが自己免疫疾患とすると説明がつかない。MSの原因は解明されないまま、次々とDMDの開発が進む。しかし、末梢の免疫系に作用する最も強力な分子標的療法をもってしても、disease activity free state(臨床的な再発がない、MRI上の新しい病巣がない、障害度の進行がないの3つを満たす状態)になるのは、だいたい1/3の患者さんに過ぎない。このことからやはり脳内での炎症または変性が大事という考えが出てくる。今回のカウンシルでは、北欧の人はだれも呼ばれていなかったので、ノルウェー人の研究者に魚消費とMSの発生との関係を聞いてみることはできなかったのは残念だったけれど、いろいろな意味で勉強になった。強行軍した甲斐があったというもの。

 ところで、バイエル社も他社の有望な製品が出てきたためか、かつて大勢いたベタフェロンチームが大幅に縮小されている。今年からベタフェロン担当になったスペシャリティー事業部の日本人MRさんが一緒に来られていたので話を聞くと、まだ若いのに海外生活7年、英語、スペイン語、中国語(北京語)が話せるという。これからはやはりこんなグローバルな人が担当になる時代かとびっくりしたが、以前の外資とも思えぬ(バイエル社との合併前の)日本シェーリング社のナニワ(浪速)風の担当者のみなさんが懐かしい気もする。

 僕は子供のころ6年間ほど絵の塾に通ったことがあり、50年ほども前は漫画家になりたいと思っていた。Nippon Mangaが世界を席巻するようになるとは夢にも思わなかった遠い昔である。実際には、絵筆ならぬハンマーを一生の道具とすることになった。いずれを道具とするににせよ、一芸に秀でるようになるのは、一生かかるくらい大変なことだということだけは、よくわかった。

図27
図27. すっかり食べすぎて、家族にはこダヌキぽんとかいわれている。

 ところで、あいにくと僕のパソコンには手書きで絵を入力できるようなソフトは備わっていないので、簡単な丸やら三角やらを組み合わせて拙い図案を描くくらいしかできない。当面、ハンマーくんくらいしか描けない。オスロでうまいものをたくさん飲み食いしたので、すっかりお腹の出っ張ったハンマーくんになってしまった(図27)。もっとも、あんまり神経内科教授の品位を落とすようなことを描いていると、神経学会理事長あたりにせっかくの教育委員長職をクビにされてしまいかねないから、やっぱりイラスト的なものは今回限り。

 つい先日、NHKテレビの総合診療医ドクターG(6月28日放送)を見た。これは総合診療科の初期研修医3名に患者さんの診断名を当てさせるという趣向。長崎のイケダさんが司会をしていたのにびっくりして、つい見てしまう。総合診療医と冠してあるが、イケダさんは神経内科医で、神経免疫学会の僕が長を務める委員会の委員にもなっていただいているのに、総合診療医として出ているのはどういうわけかしらん(テレビでの堂々とした司会ぶりには本当に驚いた)。症例はパーキンソン病。問診だけで当てるのが売り。でも本当は、神経学的診察をしないとわからない。ハンマーを振るうのは絵にならないからか、テレビでは出てこなかったのは残念(イケダさんによると、4時間の収録を43分(1/6)に圧縮させられて、伝えたいことも大幅に削られてしまったとのこと)。総合診療科ばかりが宣伝されているが、実際に患者さんの体に触れてハンマーを振るって診断を下すのは神経内科医である。

 僕ら神経内科医は、一人一人がそれぞれ一本のハンマーくんであり、一本のハンマーさんである。僕らはたかだか一本のハンマーにすぎないけれども、一生の間には多くの人を助けることができる。今年度、神経内科医としてのスタートをきった若い諸君、一生をかけて腕を磨きたまえ。一本のいいハンマーになることだ。

平成24年6月30日
吉良潤一