軽井沢でアバラを折る:専門医と学位の間で (平成24年10月31日)】


 日本神経免疫学会が終わると、もうリヨンでのEuropean Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosis (ECTRIMS)である。9月半ばから10月半ばにかけては、Pan-Asian Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosis (PACTRIMS)、日本神経免疫学会、ECTRIMSと続くので、この時期、日本の多発性硬化症(MS)の研究者は忙しい。僕はさすがに今年はAmerican Neurological Association (ANA)はスキップしたが、真崎君、米川君は、ボストンのANAとリヨンのECTRIMSの両方に演題が採択されたので、文字通り世界一周である。

 ECTRIMSでは、Multiple Sclerosis Journal (MSJ)とMultiple Sclerosis and Related Disorders (MSARD)のeditorial board meeting (編集会議)に出た。編集会議では、ジャーナルの実績が様々な角度からデータとして出され、今後の編集方針が話し合われる。両方の会議ともアジアからの出席者は、僕一人である。MSJはimpact factor (IF)は4.255で、これは昨年初めて4を超えた数字が出てからは微増といったところである。IFは、トムソンロイターズ社が出しているジャーナルの指標で、この数字が4を越えれば一流誌ということになっている。この数字が上がると、投稿論文数が増え、ジャーナルの売り上げや論文のダウンロード件数も増えて、発行している学会も出版社もハッピーという仕組みになっている。したがって、その数字の上がり下がりにeditorial board memberは一喜一憂することになる。

 今回数字の出た2011年のIFは以下のような計算によっている。
A=2009年に当該誌に掲載された論文の2011年における引用回数
B=2010年に当該誌に掲載された論文の2011年における引用回数
C=2009年と2010年に当該誌に掲載された論文の数
IF=(A+B)÷C
というシンプルなのものである。ただし、ここで論文として対象になるものは、review(総説), article(原著論文), case report(症例報告)等である。一般にreviewは引用されやすく、case reportはまれな症例が報告されているので引用回数が少なくなる。したがって、IFをあげようともくろんでいるeditorは、reviewを増やしcase reportは減らそうとする。あるいは、case reportはletterに書きかえてもらったりする。これはletterだと、トムソンロイターズのIFの対象外となるためである。今時は、なかなかどこのジャーナルもcase reportを採用してくれないのは、こんな事情によっている。

 MSJは、2009年と2010年には約350編(年平均175編)の論文が掲載されているので、これが上の計算式の分母となる。ちなみに不採択率は75%超なので、投稿論文数はその4倍となるので、年間700編くらいである。毎年、編集会議では、当該年度のIFに寄与した引用回数の多い掲載論文ベスト50が紹介される。今年は、日本からは3編がベスト50に入っていた。これらは全て九大神経内科からのもので、小副川君のが第5位、松下君のが第16位と第44位に2編、名を連ねていた。採用に至るまでに査読者にずいぶん嫌がらせされたけれども、ジャーナルの発展には貢献している。特に小副川君のは、第4回MS全国臨床疫学調査の論文なので、これは日本の多くの神経内科医の皆さんの協力に負うところが大きく、心から感謝するとともに、日本のためにもよかったと思う。

 一方、MSARDの方は、まだ今年が創刊2年目と若いジャーナルである。1年目の掲載論文数は4巻で27編にすぎなかったが、2013年は掲載論文数で3倍増の見通しと聞いた。2015年には、間違いなくトムソンロイターズのIFが付くであろう。MSJもMSARDも実に極め細かくIFを高める作戦を立てているのに驚かされる。英語がわからないなりに編集会議に出ていると勉強にはなる。

 翻って、我が方の日本神経免疫学会発行のClinical and Experimental Neuroimmunology (CENI)は、ホームページによると、掲載論文数が2009年14編、2010年7編、2011年9編と少ない点が最大の難点である。これが大きな問題なのは、年間最低でも20編以上の掲載論文数がないと、トムソンロイターズにそもそも全く相手にされないという厳然たる事実があるからである(年間30編位の掲載論文がないとIFは現実的にはつかない)。MSJ、MSARD、PLoS ONE、JNSなど僕自身がeditorial board memberに名を連ねているジャーナルには、教室からもレギュラーに論文を投稿しているが、CENIにおいても日本人editorial board memberが自身の施設のいい論文を進んで投稿するようでないと、発展が期待できないであろう。

 アジアからの神経内科関連の英文誌を例にあげると、マレーシアのNeurology Asiaは何でも載せるジャーナルだが、最近IFが付いて、最新のものは 0.186である。韓国神経学会のJournal of Clinical NeurologyはIF は1.691が付いている。韓国のものは、ごく最近スタートしたにもかかわらずIFで2近い数字が出ているのは驚異的といえる。韓国の教授に話を聞くと、自身の教室からこの韓国の英文誌に論文を投稿することはduty(義務)で、投稿がない場合は罰則(学会に出席できない)があるという。韓国神経学会は神経内科医数は1800人位に過ぎないので、このくらいやって論文を集めないとIFは望めないといえる。

 日本神経学会は長年臨床神経学という和文誌一筋で来た。私自身も第8代の臨床神経学編集委員長だったのでよくわかっているが、本誌には優れた症例報告が数多く発表されている。しかし、残念なことに英文でないから、世界的には広く引用されない。日本は英文誌では韓国に大幅に遅れをとった。現在、東大の辻教授がEditor-in-Chiefになって、来年1月から日本神経学会の英文誌(Neurology and Clinical Neuroscience)がスタートする予定であり、現在、論文が順調に集められているとeditorial board memberには伝えられている。我が国の神経学会は9000人の会員がいる世界でも有数の神経内科医の集まりだから、その気でやれば、IFで4台は行くと思う。ただ、余程、立ち上げのときは皆で頑張ってやらないと、日本の家電業界が韓国のサムスンにコテンパンにやられた二の舞になりかねない。

 一方、日本神経免疫学会の会員数は500人台である。これで英文誌を持とうというのは、相当に背伸びをしていることは否めない。ただ、5年契約で出版社と英文誌を始めた以上、このまま貧乏学会の年間予算の2/3を投入してIFもつかないジャーナルで終わるわけにはいかない。ここはやはり、創刊5年後の契約更新時(2014年末)には、出版社側から契約更新にクレームが出されないよう、オールジャパンで日本神経免疫学会会員の総力をあげてかかる必要があろう。

 ところでリヨンにはECTRIMSの開催前日の夜遅くに着いた。ECTRIMSの第1日目の夕方には1時間半ほどもノバルティス社の外国人・日本人スタッフと、日本で実施されたフィンゴリモドのextension studyの論文化の打ち合わせがあり、ほとほと疲れ果てた。くたくたになってホテルに帰って、パソコンを見ようとメガネケースを開けたら老眼鏡がなくなっていて愕然とした。女房にメガネを取られたと電話すると、どこかに忘れてなくしただけよと言う。確かに老眼鏡をとるような輩はいないだろうから、どこかで老眼鏡をケースに入れ忘れたんだろうが、学会中は大いに困った。着いた日の翌々日の朝、リヨンの旧市街にあるHotel La Tour RoseでのカナダのMark Freedman先生、東北大の藤原一男先生との座談会では、手元のレジメも質問事項も老眼鏡がなくては読むこともできない。もっともFreedmanさんは、ペラペラ勝手にしゃべってくれる方なので、助かった。ところで、この会場は、15世紀に造られた建物をホテルに改装したもので、天井には古くなって穴だらけの大きな木枠が組み込まれている。石造りの塔の螺旋階段で、2階、3階と上にあがれるようになっていて、それは歴史を感じさせるものだった。

 ECTRIMS終了後は、この季節は日本からフランスへの観光客が多いせいか、飛行機がとれなくて、土曜日の午後と日曜日の午前と時間が空いたので、リヨンの街を散策した(図21~24)。リヨンは紀元前1世紀にローマ帝国のガリア植民地の首府として造られたという歴史の街である。ソーヌ川とローヌ川に挟まれた帯状の新市街(といっても十分に古い歴史を感じさせる造りだが)は、レストランやショッピング街になっている。ソーヌ川西岸のフルヴィエールの丘に拡がる旧市街は、世界遺産に登録されている。丁度、フルヴェイエールの丘が黄色に色づき始めたころである。ケーブルもあるのだが、歩いて丘の上まで登ると息も切れ切れになる。眼下には旧市街、新市街と拡がっている。壁の色はそれぞれ思い思いにクリーム色だったり、ピンク色だったりしているが、屋根は全て赤レンガ色で統一されている。旧市街の狭い曲がりくねった石畳を歩くと、中世の街並みにスキップしたかのようである。日曜日の朝、ソーヌ川沿いの旧市街の通りには、芸術家が自身の作品を並べて売っていて、眺めて歩くととてもおもしろい。ここでの販売は厳密なレギュレーションがあると聞いた。僕は、ゼンマイ時計を10個ほどもばらして、その小さな部品を組み合わせて描いたバイクと街灯と星の絵を買った。75ユーロだったので、ちょっとぼられたかしらん。

図21
図21. ソーヌ川に沿って旧市街の街並みが続く。フルヴィエールの丘の上には、ノートルダム・ド・フルヴィエール・ハジリカ聖堂がそびえ立っている。手元の教会は、サン・ジャン大司教教会。(クリックで拡大)

図22
図22. フルヴィエールの丘の上から、リヨンを眺望する。手元のソーヌ川のこちら側が世界遺産の旧市街。ソーヌ川の向こう岸とさらに向こうのローヌ川に挟まれた一帯は新市街と呼ばれている。ローヌ川の向こうは現代都市となっている。(クリックで拡大)

図23
図23. 新市街は赤レンガ色の屋根がおもちゃのようできれい。ここではマクドナルドも赤い原色のけばい色は使わないように規制されている。(クリックで拡大)

図24
図24. ローマ帝国時代のコロッセウムが残っている。石段を最上段まで登っていくと、息が切れる。(クリックで拡大)

 今年のMS関係の学会シーズンはこれで終わったわけだが、PACTRIMSでは、佐藤君がMSJ Investigator Award(これはECTRIMSのオフィシャルジャーナルであるMSJがサポートしている最高位の賞で、500ユーロの賞金が付く)、米川君がPACTRIMS Best Poster Award(これはPACTRIMSが表彰するもので500ドルの賞金が付いている)を受賞し、日本神経免疫学会では、林君がBest Poster Presentation Awardを受賞した。ECTRIMSでは、真崎君と佐藤君がTravel Award(これは400ユーロの旅費が出て、600ユーロの学会登録料が無料になる)を受賞し、特に真崎君のはアジアから唯一口演発表に選ばれた。これは急性脱髄におけるコネキシンの役割に初めて焦点を当てたもので、聴衆からもいい発表だったという声。ヒトの脱髄性疾患のコネキシンは、僕らに加えて地中海のキプロス島の神経内科グループが慢性脱髄病巣での研究を最近始めていて、そこのリーダーのクレオパ教授と真崎君の発表後に話ができてよかった(図25)。この人はとてもいい方で、息子さんはNMOではAQP1抗体が陽性に出るとECTRIMSの口演で発表していた。キプロスと共同研究をやってみようということになったので、成果が上がれば相互に訪問してみたいものである。

図25

図25. Kleopas Kleopa教授と真崎君の口演発表後に。クレオパ先生は、Cyprus School of Molecular Medicineの教授で、 Neurology ClinicのHeadを務めている。私たちとほぼ同じ時期に、こちらは急性期の多発性硬化症病巣で、向こうは慢性期の多発性硬化症病巣で、初めてコネキシンの異常を報告した。まさか多発性硬化症でコネキシンをやっているグループが他にいるとは思いもかけなかったので、発表当時とても驚いた。(クリックで拡大)

 これで3年連続ECTRIMSの口演(講演)発表にうちから選ばれているので、これをぜひ続けたいものである。多発性硬化症の研究は、アストログリアやミクログリアなどのグリアと髄鞘やニューロン・軸索、血管との相互作用の解析、全ゲノム関連解析、AQP4抗体以外の新規自己抗体の解析などが進んできておもしろくなってきた。認知症、てんかん、脳卒中など各研究グループもそれぞれに研究が進展してきているので、海外での学会発表を勧めている。皆、国内外でいい学会発表をしていえるので、ぜひ次はいい論文を書いてほしい。

 一方、今年の日本神経学会の専門医試験は、新規に211名が受験し、159名(75.4%)が合格になった。前回の試験で筆記試験に合格し面接を今回パスした人もあわせると166名が最終的に合格となっている。九大神経内科からは、昨年度と同数の8名の合格者があった。なかには、いろいろな事情で既に医局を退局している人もいるが、どこにいても九大神経内科で学んだ人が合格になっているのを目にすると本当に嬉しい気持ちになる。僕が教授になってからの九大神経内科の専門医試験合格者数は69名(図26)、学位取得者は60名である。臨床と研究の両立は、はなはだ難しい。若い人も専門医と学位の間で悩むことが多いと思う。専門医だけでいいという人は、もちろん臨床一本やりでかまわない。ただ、うちでは多くの人は大学院の間に専門医もとって学位の研究もしているので、両者の両立は十分できることと思う。ここでは、個人の努力も大きいけれど、チームワークが大事で、大きな支えになる。大学はやはり明日の医学を拓くための研究をするところなので、一度は研究をやってみたいという人はぜひ大学を選んでほしい。うちは入・退局は自由だから、大学院にだけ来たいという人でもウエェルカムである。

図26

図26. 九大神経内科の日本神経学会専門医試験合格者数の推移。うちも厳しいときもあったが、最近は比較的順調に通っている感じ。いつでも受けたいときに受けていいよという方針。でも同期で試験勉強会はやった方がいい。(クリックで拡大)

 僕は8月31日、9月1日には第23回日本末梢神経学会を福岡市で主催した。過去最高の536人の参加者があり(従来は300人程度)、一般演題数も過去最多の129題に達した。鹿児島の有村先生のおかげで、学会としては初めての試みであるコメディカル教育セミナーも160人の参加と大盛況だった。量的な面ばかりでなく質的な面でも講演、口演発表、ポスター発表どれも盛り上がって、いい会になって本当によかった。ホテル日航でやった全員懇親会は、数日前になって、エンターテインメントで予定していた博多金獅子太鼓の演奏は、隣りの隣りの部屋で同じ時間帯にやる研究会が東京会場と遠隔でやるため、太鼓の振動が通信機器に影響するので控えてほしいという申し込みがホテル側から急にあり、大いに弱った。これは研究会を主催している九大第ニ外科の教授に直接お願いして時間を多少ずらしてやらせてもらうことで乗り切った。博多らしい太鼓の演奏で元気が出た。九大神経内科が全国規模の学会を主催するのは久しぶりだったので、教室員には無論のこと、学会運営を担当していただいた福岡のJCSさんにも、大変お世話になった。いろんな方の協力のおかげで、名古屋の祖父江理事長への義理も果たすことができた。実は、学会初日の最初の会長挨拶をする2時間ほど前に、実家から1年半ほど癌で療養していた父が死んだという電話が入った。すぐに帰ることができなくて実につらかったけれど、これが僕の仕事だなあと思う。漂白の歌人といわれた山崎方代(やまざきほうだい)は、「私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう」と詠んでいる。僕も心の中に父がいる気がする。

 リヨンから成田に戻ってくると、男子用便器の位置の低さに安堵する。ECTRIMSが開催されたコンベンションセンターの男子用便器の位置は、北欧よりも高くて、172cmの僕の身長では届くのがやっと。リヨンあたりのフランス人は、さして背が高いとも思えないのだが、これは見栄で高くしているのかしらん。海外出張はトランクが重いので、ヨイショと抱えると、折れたアバラにこたえる。11月には、1カ月の間にソウル(韓国神経学会)、バギオ(フィリピン神経学会)、リオ(Latin American Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosis)を回る地獄のロードレースが待ち構えている。この分では僕のアバラ骨は今年中にはまともにはつながりそうもない。

平成24年10月31日
吉良潤一