【アジア・パシフィックの女性神経内科医(平成24年11月30日)】


 バギオには、第40回フィリッピン神経学会に呼ばれて行った。バギオは標高1500メートルの山の頂が、そのまま街になっている。

 空港からメトロマニラを抜けるだけで3時間かかった。福岡空港からの直行便は金曜日の夕方にニノイ・アキノ国際空港(マニラ国際空港)に着く。ニノイ・アキノ国際空港はマニラの南側に位置しているので、北のバギオに向かうにはメトロマニラを縦断するしかない。ここは相変わらず、ジプニー(米軍のジープを改造した乗合バス)やらトライシクル(オートバイにサイドカーを付けた3輪車)で混雑している。金曜日のこの時間帯は、片道3車線の道路でも車が全く動かない。マニラを抜けて田舎道に入ると、もう空の星の光の方が周囲の人家の明かりの数より多くなる。

 6時間ほどもガタつく道を走って山の中の曲がりくねった道に入った。縦揺れに横揺れ加わって、ますます揺れがひどい。カーブの曲がりを繰り返す度に高度をあげていく。山を登って下り坂に入ると突然向かい側に橙色や青色に輝くネオンのような点々とした光が浮かびあがってきた。その光の点々は、輪郭を追うと山の形をしている。真っ暗闇に小さな光の点々が山の形に浮かびあがる様は、まるでクリスマスツリーの飾りのようである。

 あれがバギオだという。空港で僕を出迎えバギオまで同行してくれたPhilippine General Hospitalの神経内科レジデントの女医さんは、バギオの出身である。これからあそこに着くのになお45分ほどもかかるという。もう夜も午前1時を回っている。バギオの宿泊地、キャンプ・ジョン・ヘイのマノアホテルには午前2時に着いた。やれやれあと7時間で講演を2本英語でやらねばならない。予想はしていたが、今までで一番の強行軍となった。これは実は、前日の午後に3時間ほど、九大医学部の3年生の神経学の最初の総論の講義をする必要があったためである。時間的に無理とピネダさんには当初断ったのだが、ぜひ来てほしいと言われて断りきれなかったのだ。ピネダさんは、今度の学会の投票で、Secretary(事務局長)という学会ナンバー3のポストに選ばれた。順調に繰り上がれば、Vice president(副会長)を経て3年後にはフィリッピン神経学会のPresident(会長)になるという。うちで取った医学博士号が、彼のプロモーションに少しでも役立てば願ってもないことである。こんなわけで相当に無理して応援にやってきたのだ。

 実は、この出発の数日前に、20年ばかり前にやったギックリ腰を再発した。肋骨が折れて胸にサラシ(バストバンド)を巻いて体を動かすのを控えていたら、お腹がブクブクと太ってきたので、テレビでやっていた今はやりのロングブレスが腹をへこませるのにいいんじゃないかと思ってやってみたのが悪かった。息を大きく吸い込むのに背伸びを繰り返していたら、とたんに腰が痛くなった。今度は腰が痛くてとても動けない。サラシを胸のあたりから、20センチほども下に動かして、今度は腰にバンドを巻く。整形外科の治療は、手術以外はひたすら体に巻きものをして固定するだけである。腰の痛みをこらえて、3時間(二コマ)大学で講義をした翌日に、ガタガタ路の7時間のドライブは腰にこたえた。明日は1時間半も講演で立てるかいな。

 キャンプ・ジョン・ヘイは、米軍のキャンプ(保養地)を観光地に作り変えたものである(図1、2)。マノアホテルからシャトルバスですぐのところにコンベンションセンターがあり、第40回フィリッピン神経学会はこちらで開かれている。このシャトルバスにはもちろん注意して乗った。僕は午前中に2本、プログラムを担当しているピネダさんの求めに応じて、脱髄性疾患と肥厚性硬膜炎について講演を行った。会場の両脇にスライド映写用のパネルが掛けられているが、ポインターはないという。ポインターなしで話すのは、写真やシェーマを多くしているので、ちょっと大変だ。連続して1時間半も話していると、もうよれよれで途中で何をしゃべっているのかわからなくなってしまう(図3、4)。おまけに今はドライシーズンで乾燥していて、喉がガラついて途中で空咳が止まらなくなって弱った。

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図1. マノアホテルの庭から、バギオの山々が見える。(クリックで拡大)

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図2. ホテルの周りには松林が拡がっていて、日本の山の中と変わらない感じ。(クリックで拡大)

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図3. 始める前からクタクタでうつむき加減に講演。話しながらほとんどウトウトしている。とにかく会場の色調がケバイ。学会発表をするというより、今からカラオケ大会を始めようという感じ。(クリックで拡大)

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図4. 講演後に神経学会会場で記念撮影。九大神経内科で30年前に勉強を始めたころは、皆、チンピラだったけれど、今ではそれなりに重鎮に。右端のピネダさんはさすがに若くて恰好がよい。左端は、Asian Oceanian Congress of Neurologyの元プレジデント(フィリンピン神経学会会長も務めた)アマド・サンルイスさん。僕の右はセブ島出身のブオットさん。この会場だと、アマドさんみたい革ジャンでないとしっくりこない。ほとんどヤクザの同窓会みたい。でも皆フィリピンではイスタブリッシュトな人たち。(クリックで拡大)

 講演を終えると翌朝にはもうマニラに戻らないといけない。そうしないと月曜午前の福岡行の直行便には間に合わない。そこで、せっかくだからと講演後の午後にはバギオの街を観光させてもらった。

 バギオは濃い緑に町全体が埋もれている(図5、6)。街の中央にはバーンハムパークという公園が広がっていて、ここだけが平坦に開けている(図7、8)。福岡市の大濠公園の池を小ぶりにしたような感じである。池は長方形に区切られていて、人工のものであることをうかがわせる。休日なので池には所狭しとボートが浮かんでいる。11月から12月はフィリッピンの冬にあたり、気温が一番低くなる。ホテルではもうクリスマスのデコレーションが飾られている(図9、10)が、フィリピンはもちろんこの高地でも雪はふらない。温度は15度位で風が心地よい。池の周りには柳のような木がぐるりと植えられている。風にしだれた長い葉をそよがせている様は、柳の葉そのものに見えるが、赤い花が先っぽについているのが違っている。春には日本と同じように無数の柳絮がバギオの街を飛ぶのだろうか。ここでは2月が春のフラワーシーズンにあたり、フラワーフェスティバルが開かれるという。

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図5. 帰りの車中から撮影。熱帯のフィリピンと思えないくらいにすがすがしい秋晴れの空。山道の対面に、バギオの市街が見える。山がそのまま街になっているのにびっくり。(クリックで拡大)

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図6. バギオ市内のシッピングセンターから街の様子を撮影。緑が多くてやはり山の上というか山の中そのもの。(クリックで拡大)

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図7. 山の上には意外にも池が拡がっていた。バギオの中心地で、唯一平らなところ。福岡市の大濠公園の池を、1/4くらいにした感じか。自然な感じではなくて長方形に区切られている。休日とて所せましとボートが浮かんで混雑している。(クリックで拡大)

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図8. お濠ばたには、柳の木みたいなのが植えられている。真っ赤な花が垂れ下がっているのが、日本と違って南国情緒をかもしだしている。(クリックで拡大)

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図9. ホテルの庭は、昼間はこんな感じ。山の上とはいえ、日差しが強くって、とてもクリスマスという感じではない。(クリックで拡大)

図10
図10. しかし、夜にはライトアップされて、なんとなくクリスマスムードに変わる。(クリックで拡大)

 池の周りでも思い思いにフィリピ―ノー(男)やフィリピ―二―(女)がくつろいでいる。ここでも週休二日なので、土曜日は休みである。木陰には椅子が並べられていて、マッサージの呼び込みがあった。台湾、中国でマッサージを受けて気持ちよかったので、フィリッピン式のマッサージはどんなものかと受けてみた。池を渡ってくる風に吹かれながら木漏れ日のなかで、若いフィリピ―二―に凝った筋肉をもんでもらうと、リラックスできそうだ。

 ところが僕の方についてくれたマッサージ師さんは、ほとんど女プロレスラーである(図11)。このプロレスラー並みに太ったマッサージ師さんが背骨や腕やらをもみしごいてくれる(図12)。男のマッサージ師さんの方は、もうほとんどプロレスの締め技をかけられているような感じである(図13)。男の方に当たらなかっただけよしとするしかない。

図11
図11. 連日のスライド作りで肩が凝っているところを、力任せにグッともまれて、思わず悲鳴をあげる。(クリックで拡大)

図12
図12. マッサージなのか、関節技をかけられているのか、わからない感じ。(クリックで拡大)

図13
図13. 男のマッサージ師さんは、ほとんどプロレス。フィリピンのマッサージは、健康的だが避けた方がいいかも。(クリックで拡大)

 ブラブラと公園を散策し後は、ライトパークに馬に乗りに行った。子供が幼いころにロバに乗って以来のことである。一番背の高い馬をガイドさんが引いてきてくれた。本物の乗馬用の馬は丈が高い(図14)。ここのガイドさんは、「左手で手綱を握り、馬の腹を蹴って進め、止める時は手綱を引く」とだけ説明すると、最初のうちこそ馬の口を引いてくれるものの、あとはほったらかしである。途中で勝手に馬が駆け出してきて、あわてて手綱を引き締める(図15)。やれやれ落ちないでよかった。

図14
図14. 馬の背に乗ると結構高いのに驚く。でもガイドさんがいる間は、安心で余裕。しかし、ジーパンのガイドさんは途中から、面倒くさいのか付いて来なくなる。(クリックで拡大)

図15
図15. コラコラ、走るんじゃない。ガイドさんが付いていないところで勝手に走り出されてあわてて手綱を引き絞る。(クリックで拡大)

 その夜は、学会も打ち上げである。フィリッピン神経学会の会員は380名で、今回は320名の参加者だという。80%以上の学会参加率で、驚異的な数字である(日本の神経学会会員の学術大会参加率はだいたい6割程度で、これは日本の他学会と比べると倍くらい高い数字なのだが、それよりもずっと高い)。フィリッピンは、ルソン、ミンダナオ、セブなどいくつもの島に分かれているから、マニラに飛行機でやって来て、そこからさらに6時間も車で来るのは、現地の人でも相当に大変だと思う。参加率の高いわけは、たぶん学会がアットホームな雰囲気であるからではないか。会員の数が多いわけではないから皆顔見知りの温かさがある。

 学会最終日の夜は、レジデントナイトという。フィリッピンの神経学会は、6つのチャプター(支部)に分かれている。しかし、フィリッピンの神経内科のレジデント専門教育は、5つほどのトレーニングセンターで行われているが、それは全てマニラにあるため、マニラ以外のチャプターでは学部学生の神経内科教育までしかできないということである。このため僕を空港で出迎えてくれたバギオ出身の女医さんもバギオの総合病院で一般内科の研修を済ませた後は、神経内科専門医になるためにマニラ市内の教育病院まで出てくるしかなかったのだ。レジデントナイトは、文字通りレジデントが企画する。午後7時くらいに会場に戻ってきたら、もうレジデントだかフィリピンパブのおねえさんだかわからない人でいっぱいである(図16)。

図16
図16. たぶん女医さんだと思う一群が入って勢揃い。これはどこのチャプターか。(クリックで拡大)

 びっくりしたことに、レジデントナイトは、President、 vice president、 secretary、 treasury(財務委員長)など、フィリッピン神経学会のboard of governors (理事会執行部ですね)の、オーパカンナムスタイルで始まった(図17、18)。会長さんも事務局長のピネダさんも、リズムにのって上手に踊る。続いて、ボディコンのシンガーが出てきて歌いまくって会は盛り上がる(図19)。さらにきらめくレーザービームのなか、各チャプター、各教育病院のレジデントが、サザンミンダナオ、セブ、UST (University of Santo Thomas)、ノーザンルソン、PCMC (Philippine Children’s Medical Center)、サウスルソン、PGH (Philippine General Hospital) /MMC (Makati Medical Center)と7グループが次々と登場し、息の合ったチームダンスを披露する(図20~26)。これが延々と続く。もうレジデントもスパーバイザー(指導教員)も皆踊る。ダンスの合間には、各チームのプロフェッサーがビデオムービーで登場する。これも有名なCMやら映画のシーンに重ねて、それぞれのコスチュームで出てくるので、フロアからは大受けである(図27)。65歳くらいになるはずのUST神経内科の大ボスになっているコンデさんはビデオでは飽き足らず、チームダンスのセンターで切れの悪いダンスを見せる(USTはフィリッピンの慶応大学医学部に相当するので、日本でいえば慶応の鈴木さんがカンナムスタイルをステージで踊っている感じか)(図28)。夜7時に始まったレジデントナイトは、11時半になっても宴たけなわである。僕は若いころソーシャルダンスを習いに行っていたことがあるので、この手の踊る系は好みである。まあ結局、フィリッピン神経学会の学術大会の会員参加率が異常に高いのは、皆、踊りに来たいだけなのかしらん(図29)。まあ、フィリピン神経学会は若くていいわ。女性がピチピチしている感じ。躍動感がうらやましい。

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図17. カンナムスタイルを踊るフィリッピン神経学会執行部(理事会)。前列右端のショッキングピンクのパンツ姿が会長さん。左から二人目が事務局長のピネダさん。フィリピンでは、ダンスを踊れないと学会の執行部入りできない(選挙だからね)。(クリックで拡大)

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図18. ポーズを決めてフィニッシュ。前列右で立っているのが会長、左から二人目のサングラスがピネダさん。(クリックで拡大)

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図19. この人は人気のプロ。さすがにこんなボディコンの女医さんはいないと思う。これくらいを日本の神経学会懇親会でも呼びたいものである。(クリックで拡大)

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図20~25. どこのチャプターか忘れたが、どこかの神経内科医軍団。体型・年齢関係なしで女医さんが踊っている。(クリックで拡大)

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図21.(クリックで拡大)

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図22.(クリックで拡大)

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図23.(クリックで拡大)

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図24.(クリックで拡大)

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図25.(クリックで拡大)

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図26. 真ん中のブーツにワンピースの女性は、男の神経内科医。(クリックで拡大)

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図27. これはチャーリーズエンジェルに重ねてビデオ出演している女性教授。各チャプターがビデオを作成してくる。ダンスに出ない教授連中は、こちらで出演する。(クリックで拡大)

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図28. 真ん中ではねているのが、九大神経内科で学んだコンデさん。フィリピン神経学会の元会長。もう引退なのに若いこと。(クリックで拡大)

図29
図29. 最後の登場したグループのなかには、翌日、フィリピン料理店に連れて行ってくれた女性MRさんも加わっていたということ(どれかわかりませんが)。というわけで、医師だけでなく薬品メーカーのMRさんもいっしょに馬鹿騒ぎしましょうということか。(クリックで拡大)

 ところでフィリピンの1週間前に行った韓国神経学会総会の懇親会は、伝統的な宮廷音楽(図30)で耳と目を楽しませてくれた。その後は、歴代の会長さんが、席上、長年の功労を表彰されていた。アジアといっても幅がある。アメリカナイズされたフィリピンと、伝統的で格式的な韓国。前者は女医さんがフィリピン神経学会の中心に座っている一方、韓国神経学会では女性教授を紹介されたことは、僕はない。日本は韓国に近いか。日本では学術大会はより学問的に進めようという方向性にあるが、アジアの国々の人を日本の神経学会に呼びこもうと思うなら、フィリピンなんかはこんなふうなのが学術大会と思っていることは知っておく必要があるし、場合によっては適切な配慮が必要だろう。硬すぎるばかりでもよくないということ。第55回日本神経学会学術大会懇親会は、ムライ君(准教授)に任せているので、好きにやってもらってか。

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図30. 韓国神経学会での余興。伝統音楽と現代風にアレンジしたものとが演奏されていた。(クリックで拡大)

 バギオに来るときは、真夜中だったのでよくわからなかったが、帰りの車中から見るとバギオは山の上がそのまま街になっている。それで緑に埋もれているし、平坦な路もないのである。バギオへの道路は、移民日本人が悪条件のもとに造り上げた。戦前のバギオでは、日本人が目抜き通りに商店を並べていたと聞く。

 バギオの山岳地帯から平野部に入ると延々と田舎道が続く。このあたりの両脇の緑の濃い感じと低いバラックみたいな家並みは、30年ほども前に女房とハワイ島の田舎をドライブしたときの感じに似ている。バギオ山岳地帯から2時間ほどもドライブして、初めて信号機に行き当たった。URDNETE市である。ピネダさんが学会のアフターの活動と事務仕事が残っているため、帰路は現地の薬品メーカーのMR (medical representative)さんがマニラに戻るので僕を託してくれていたのだ。ランチには当市で有名なMatutinaというフィリッピンの伝統シーフード料理店に連れて行ってくれた。ここでは、ミルクフィッシュ(サバヒー。地元の人はタガログ語ではバングースと言っていた。身がミルクのように白いのでミルクフィッシュと英語ではいう。天然ものは入手が難しく養殖ものとのこと)というサバに近い感じの魚をいただいた。カラッと揚げたのを、フィリッピン醤油にカラマンシーの実を絞って汁をたらしてから、ちょっと浸して食べる。カラマンシーは僕の田舎の大分特産のカボスを金柑くらいの大きさに小さくしたものである。このカボス風味の醤油味は、どこか遠く離れた故郷の味を感じさせる。クリスピーパタ(豚足を皮がカリカリなるくらい揚げたもの)もこの醤油に浸けて食べると、うまい。口の中が塩辛くなったら、フレッシュ・ブコジュース(ココナッツミルク)を一口啜る。ブコジュースは、ココナッツがそのまま出てくる。実の上部に割が入れられ、そこを蓋みたいにパカとあけると、中はココナッツの透きとおった汁(液状胚乳)で満たされている。殻の内側にへばりついた白い果肉(固形胚乳)を匙ですくって食べると、少しばかりの甘みが舌を楽しませてくれる。デザートには、ブコバンダンを勧められた。バンダン(ハーブ)の葉から煮出したエキスの鮮やかな緑色のジェリーとココナッツの果肉を割いたものが、ココナッツミルクに浸けられていて、自然な甘みが格別においしい。昔、九大で同じころ過ごした、コンデさんもチュアさんも皆偉くなって、ココナッツヘッド(禿頭)になっていた。

 ところで、このMRさんはフィリッピンの地元の製薬メーカーの人だろうと思って、会社の名前は何と言うのか尋ねると、オツカ、オツカという。ふーーん、オツカね。大きいの、それ?とか、聞いていると、ようやく、これは日本の大塚製薬のフィリッピン支社(オツカ・ブランチ)と分かった。オオツカ、あるいはオーツカといってくれないとわかんないね。驚いたことに、このオツカは、フィリッピンでは日本の薬品メーカーさんのなかでは売り上げがナンバー1とのこと。武田薬品やアステラスなど日本ではより大きな薬品メーカーのフィリピン支社より売上高が大きいというのである。このフィリッピン支社には200人近い人が働いているという。ここでは脳卒中のプレタールや輸液製剤が売れ筋らしい。それとフィリピンでもポカリスゥェットが好調のよう。日本のオオツカさんもたいしたもんだ。しっかり海外進出しているのね。オオツカとフィリピンはなんとなくカラーが合いそうな気がする。それで売れてんのかしら。いずれにせよ、フィリピンのオツカさんには感謝。

 ピネダさんの住んでいるパンパンガの市内は、意外に街並みらしきものがあった。しかし、車でちょっと行くともう水田が広がっている。九州当たりの水田に似たようなものである。パンパンガは、その地名の響きから、来るまでは山の中の熱帯の密林みたいな印象をもっていたが、全然違ってあたりは一面の平野で、はるかかなたに空の色と変わらないくらいの薄さで東にシエラマドレ山脈、西にサンバレス山脈の連なりが見える。パンパンガは穀倉地帯のようで、料理もおいしく、パンパンガの担当になったMRさんは肥ると聞く。日本の水田は稲と稲の間が整然と一定の距離で揃えられていて見た目にも美しいが、こちらのは狭い間隔で密に稲が植えられている感じで熱帯的である。水田一面が泥水に浸かっているところも多い。畦道では背の高いココヤシが黄色い実をいくつもつけている。こんなふうにして旅すると、ハワイのあたりからフィリッピン、沖縄・九州に至るまで太平洋の黒潮でつながっているイメージが浮かぶ。韓国なんかは大陸につながっている雰囲気で、学問的にもしっかりやって油断できない感じを覚えることもあるが、フィリピンの人は明るくてお人好しである。九州当たりは、太平洋黒潮仲間でフィリピンに近い気がする。

 順調にいけば、3年後くらいにピネダさんは、フィリッピン神経学会の会長になる予定で、その時はパンパンガのコンベンションセンターで学会を開きたいということである。その時までには、もっといいデータを出して、ピネダさんところとも共同研究なんぞをやって、みんなで応援に駆けつけたいものである。

 フィリッピンも、今よばれて来ているブラジルも学会のトップを務める会長さんは女性である。Latin American Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosis (LACTRIMS)の会長を務めるアルバレンガさんは、知る人ぞ知る女傑である。Pan-Asian Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosis (PACTRIMS)も含めて世界中の様々な学会に演題を出しているが、発表ポスターのところに会いに行っても、ついぞ会場で姿を見たことがない。ほとんど観光に行っているに違いないと思うが、それでも南米の国際学会の会長さんを立派に務めている。LACTRIMSでは、男性より女性の方がはるかに活躍している。これは、ラテン系の男性が怠けものなのか、女性の尻にしかれているのかわからない。日本ではちょっと考えられないくらい女性が、世界の神経内科分野では活躍している。ただ、先週行った韓国神経学会は、日本以上に男社会かもしれない。女性はというと、件の伝統音楽をやった奏者以外は、どのテーブルでもほとんど見かけなかった。中国・台湾は女医さんが神経内科のリーダーとして活躍している。日本・韓国だけは世界の情勢からはずれているが、たぶん神経内科は女医さんに向いているのではないかと思う。藤田保健衛生大学の前の神経内科の教授だった山本廣子さんが、神経内科は女性に向いているとよく話されていた。日本でも九大神経内科でも世界で活躍する女医さんがもっと育ってほしいものである。

 

平成24年11月30日
吉良潤一