【年の瀬に:バラ・デ・ティジュカのちょっとした奇跡 (平成24年11月30日〜12月28日)】


 バラ・デ・ティジュカの極めの細かい砂粒はきらめいていた。大西洋からの幾重もの白波が押し寄せる砂浜は、砂の感触が足の裏にとても心地よい。11月末のリオは、春の終わりである。まだ冷たい波は、ときに膝あたりまでズドーンと打ち寄せてくる。午前7時半とはいえ日差しもそろそろ強くなってきたので、歩いて汗をかいた肌には冷たい海水も気持ちがいい。リオデジャネイロは、コパカバーナ、イパネマ、レブロン、コンサドーハといくつもの有名なビーチが続く。その南の果てにバラ・デ・ティジュカ(Bara De Tijuca)ビーチはあった。以前は民家もまばらな海岸だったということだが、ここ10数年でホテルやコンドミニアムが立ち並ぶ地域へと変わったという。De Tijucaは、tailing toward the sea(海への道)という意味である。バラ海岸への道といったところか。このあたりは比較的高級な住宅街でもあるが、車でのリオ都心部への通勤に1時間もかかるのが難点ということだ。

 バラ・デ・ティジュカの砂浜は肌色である。海の色も透き通ったコバルトブルーではなくて、やや濁ったビリジアン色である。大西洋からひっきりなしに押し寄せてくる波のパワーがすごくて、幾重もの白波がたっている。ホテルの窓と反対側の壁にかかっている絵には、深緑色の海と肌色の砂の海岸が描かれている。白壁の古い民家には左側から日があたっていて影が長く曳かれて描かれている。岸の先には熱帯の濃い緑の小島が描かれている。昔のリオの海岸を描いたものに違いない。窓の向こうには、今のBara De Tijucaの海岸が遙かかなたの岬まで続いている。

 休日を楽しむ人たちは、ビーチバレーやビーチサッカーに興ずるか、肌を日に焼くかが大部分で、サーファー以外は海で泳ぐ人はまだほとんどいない。日曜日にはコパカバーナやイパネマあたりの砂浜は人とビーチパラソルであふれかえっているが、バラ・デ・ティジュカはよほど人も少なく、ゆったりと浜辺で過ごすことができる。朝に1時間半ほども歩いたが、とても端にたどりつけないほど長い砂浜が、緩やかな弧を描いている。夜には街灯の光が点々と円弧を描く(図1~6)。朝の陽ざしはやわらかく感じたが、すっかり額が日に焼けてしまった。ビーチには無数のココヤシが並木道になっている。汗をかいたら、浜辺の店でココナッツを1個注文すると、グサッと一突きくれてストローをさしてくれる(図7)。4レアル(160円)ほどの金を払った。僕は最近ココナッツファンである。

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図1. バラ・デ・ティジュカ海岸の昼。(クリックで拡大)

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図2. バラ・デ・ティジュカ海岸の夕日。(クリックで拡大)

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図3. バラ・デ・ティジュカ海岸の夜。(クリックで拡大)

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図4. バラ・デ・ティジュカ海岸。まだ海水浴客はまばら。(クリックで拡大)

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図5. バラ・デ・ティジュカ海岸の右手。幾重にも押し寄せる白波。(クリックで拡大)

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図6. バラ・デ・ティジュカの左手。向こうには島々が見える。(クリックで拡大)

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図7. ココナッツを一突きしてストローでミルクを吸う。(クリックで拡大)

 ところで、実はここに至るまでが大変だった。僕は、11月にはソウル、マニラ、リオと断れない事情で海外出張が続いた。11月は文部科研と厚労科研の研究費の申請時期にあたっており、医学部の大学教授はとても忙しい。アバラ骨を折ったあとが完治していなくて胸が痛むうえに、ギックリ腰でまともに歩けないときている。ブラジルで行う予定の3回の講演の準備もままならないまま、リオへと旅発つ前日には、東京で日本神経免疫学会多発性硬化症(MS)治験等支援グループ委員会の議長、第1回Novartis Neuroscience Forumでの講演とパネルディスカッションの司会をしないといけない。それで福岡を発つのは11月23日午前7時だった。その前日は医局員の結婚式、前々日はカナダのMontreal Neurological InstituteのJack Antel教授を九大神経内科にお招きしての講演会と病棟回診、バンケットがあった(図8)。このNovartis Neuroscience Forumは、多発性硬化症(MS)のパートの当初の企画責任者の方が降りたのでお鉢が僕に回ってきたものである。この忙しい時期に無理して引き受けるまでもないように感じたが、ノバルティスさんとの付き合いもあるのでやむなしである。Novartis Neuroscience Forumが終わる頃には、僕はヘトヘトになっていた。幸いパリ経由でリオへ行く便は羽田国際空港発なので、羽田の東急ホテルに直行して、もうバタンキューと倒れこむように寝てしまった。朝起きたら意外に元気が回復していて、すがすがしい秋晴れである。これなら羽田からパリまで12時間、パリからリオまで12時間、機中だけで24時間の旅に耐えられそうだ。

図8
図8. Antel先生の病棟回診風景。丁寧でわかりやすい英語での説明。(クリックで拡大)

 羽田国際空港のJALチェックインカウンターに行くと、受付嬢が怪訝な顔をして深夜便でしょうかと僕に尋ねる。時は午前11時である。エーッと仰天してe-チケットを見ると、なんと1:00発となっている。僕は羽田国際空港をこれまで利用したことがなくて、国内空港同様に夜は閉まるとばかり思っていたから、午後1時の便と信じて疑わなかったのだ。深夜1時発の便とは全く想定外のことである。どうしよう、国際学会でのメインの招待講演に穴を開けてしまう。せっかく1万円もかけて黄熱病のワクチンも接種したのに。もう一気に奈落の底に突き落とされた。日曜日の昼時である。チケットを手配してくれた小さな旅行会社は閉まっているに違いない。困った。しかし、どうしようもないので、この旅行会社に電話してみると、なかなか出ない。ようやく担当者に転送されて電話がつながった。実は出発時刻を勘違いして、予定の便に乗り遅れましたと話すと、さすがに向こうもあきれていたが、一番早く行けるのはアメリカ経由の便なので、それに変えたらどうでしょうかと提案してくる。エェー、それでは航空券を丸ごと買い換えないといけない。何十万円かの大損である。JALの貯めたマイルを利用してのグレードアップもパーになってしまう。ウーン、それは困る。

 とそこに、僕が本当に弱り切っているのを見かねてか、JALのチケットを担当している別の係員のお姉さんが近寄ってきて、1日遅れの便でグレードアップ可能な席が空いているので、航空券を再発行してあげましょうと言ってくれる。料金は4000円とのこと。ありがたい、そんな手があるんだ。ところが、パリからリオはエアーフランスに乗継である。エアーフランスの便は当たり前だがJALでは取れないので、旅行会社の方でエアーフランスさんに当たってくださいと言う。JALのこのきれいなお嬢さんは、JALの部外秘の電話回線でエアーフランスの事務所にあたって、1日遅れのエアーフランスの便に空席があることを調べてくれていた。あわてて旅行会社に電話すると、エアーフランスの日本の予約窓口は日曜日なので閉まっていて電話が通じませんとのつれない返事。JALのお嬢さんに電話番号を教えてもらえないかとお願いしたが、部外秘の電話回線は旅行会社さんには教えられませんという(これは当たり前ね)。JALのお嬢さんは、13000円ほどの手数料でエアーフランスさんが航空券を再発行してくれるはずだと、貴重な情報を教えてくれる。旅行会社に電話すると、最悪、全額往復新しく航空券を買わないといけませんねとまたまた冷たい返事。旅行会社の担当者は、羽田からパリへの深夜便で発つと、飛んでる間に日本は月曜日になるから、パリに着くころまでに、自分(担当者)がエアーフランスの日本事務所が開き次第1日遅れの便を頼むという。ただ最悪、席が取れないかもしれないなどと言う。JALのやさしいお姉さんはいろいろと貴重なアドバイスをしてくれて、その度に僕は元気が出るのだが、旅行会社の担当者は「最悪」という言葉が口癖で、最悪といって一番悪い予想を言う。それを聞くたびに何とかなりそうかという一抹の希望が萎えてしまう。結局、見切り発車でパリに着いてから様子をみようということになった。女房に電話するとあきれ果ててものもの言えないという感じだったが、とりあえず僕の携帯電話を海外でも通話できるように手続きしてくれた。安全策でアメリカ経由という手もあったが、ほとんどやけくそでパリ行の一日遅れの深夜便で飛び発った。

 パリのシャルルドゴール空港に着いて入国審査を済ませ、トランクを受け取るやいなや日本の旅行会社に電話する。1日遅れで再発行してもらえましたとの返事。やれやれこれでリオに1日遅れで行ける。着いた翌朝一番にリオからサンパウロへ飛行機で向かえば講演に穴を開けないで済む。結局、再発行手数料は合計で17000円かかったが、丸ごと航空券を買いなおすよりは、余程安かった。うかつに旅行会社の米国経由の提案に乗らないでよかった。乗り遅れたときは焦らずに再発行してもらえばいいんだと知った。ただ、あとで聞くと旅行会社の人によれば、これはもう奇跡だという。うーーん、だまされているような気もするが、ともかくパリで引き返す羽目にならないでよかった。

 羽田空港で14時間待ち、パリ行便で機中12時間、シャルルドゴール空港で4時間待ち、リオ行便で機中12時間と、42時間かけてリオに着いたので、もうくたくただ。リオに着いた翌朝には、サンパウロに移動して、サンパウロ大で講演し、症例検討会に臨む予定である。翌朝、車で1時間余りかけて、国内空港であるサントス・ドゥモン空港(Aeroporto Santos Dumont)に行く。ピックアップの人は、空港のエントランスで僕を置き去りにして去っていく。やれやれe-チケットもないのに、首尾よくチェックインできるかしら。とりあえずGOLというブラジルの航空会社のカウンターに行って、ゴドイ教授から予約が入っているはずだと交渉する。窓口の女性にはよく伝わらない。隣りの窓口の男性係員が英語で助けてくれて、チェックインはできたので、一安心。ところが、大雨のために飛行機が来ていないとわかる。これでは講演時間に間に合わない。リオのホテルも引き払っている。いつになるかわからないが、飛行機がサンパウロから飛んでくるのを待つしかない。結局、お昼ごろにリオを出てサンパウロ大での講演時間には間に合わなかった。ただ、これは天候のせいで仕方がないと先方も言ってくれた。神経内科のカレガロ(Callegaro)教授と面談して症例のdiscussionをできたのがせめてものことである(実はレジデントと症例検討することになっていた)。

 

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