【学術大会の準備は大変:最近真っ青になったこと(平成25年11月3日)】


 九大神経内科の教授室は、医学部臨床研究棟の2階にある。窓を開けると、右手に栴檀(せんだん)の木が、青々とした葉をくゆらしている。毎年6月には、薄紫色の小花を無数に咲かせ、秋には鈴なりの黄色の実を付ける。栴檀は花も香りも品がよい。この木は自転車置き場のすぐ脇に植えられていて、僕が教授になった頃、まだ若い木はかろうじて置き場の屋根を越える高さで、ようやく枝を拡げていた。当時は、こんなところに植えられて、あんたも苦労しているねと思ったものである。しかし、栴檀は成長が早く、今では枝を四方に拡げる高木となっている。この木も大きくなった。細い枝を屋根越しに精一杯に伸ばしていたころが懐かしい。年をとると同じ風景を見ても、昔の情景が瞼に浮かぶので、感慨が深くなる。

 この頃は、教室の幹部クラスは第55回日本神経学会学術大会の準備で忙しい。事務局長を務める村井君(准教授)や海外担当副事務局長の重藤君(診療准教授)あたりは、日常業務に加えての学会準備なので大変なことと思う。僕も前回20年前福岡で開催されたときは、このあたりのクラスでプログラムの編集業務に一人であたっていたから、その苦労はよくわかる。もっとも20年前の第35回大会当時は、学会参加者は3500人にいかないくらいだったが、この頃は6000人もの参加者があるので、なおのこと大変である。

 学術大会のプログラムは、以前は会長一任で学術大会当番校が実質的には自分の都合で決めていた。これでは学会としての一貫性がないというので、最近は、学術大会の学術委員会が毎年新たに設置され、各分野のエキスパートが60名ほども委員に任命されて、当該年度のプログラムの作成にあたる。さらに学術大会の継続的な運用方針は、学術大会運営委員会(委員長は辻省次東大神経内科教授)で話し合われている。また、学術大会の実際の業務にあたる会社は、2年単位で入札制度により決められるようになった。さらに、学会事務局には学術大会専任の常勤職員が初めて設置され、第54回大会からサポートにあたっている。いくいくは学会事務局で学術大会の大部分の業務がこなせるようにとの意図である。このようなシステムになったのは、実はこの1、2年のことで、学術大会の運用は改変過程にあり、だいたいのシステムを第54回大会と第55回大会で作り上げることに運営委員会では決まっている。

 というようなわけで移行期にある学術大会の運営は、自分のところだけでいいようにやるというわけにもいかず、以前にも増して気を使う。最近、よく体に気を付けてと言われる。うちは、前教授は3代全て任期中に病に倒れているので、最大の学会を前にしてここで倒れるわけにはいかない。

 ところで、次の年度の学術大会の第1回学術委員会は、通常学術大会が終わった最終日の夕方に開かれる。第54回大会では、この時間帯に急遽、新専門医制度の緊急シンポジウムが開かれることになり、学術委員会は開催できなくなった。やむなく第1回を7月20日(土)の理事会の前に開催することになった。第1回学術委員会は、学術大会長が議長となって、今度の学術大会の方針やプログラムの大枠を決める極めて大事な会である。ところが、僕はこの会をうっかり欠席してしまった。

 このとき、国立大学医療連携・退院支援部門の全国協議会が仙台で開かれており、僕は九大病院の医療連携センター長で、国立大学国際医療連携ネットワークの代表事務局を務めているので、国際医療連携の講演を前日行っていた。委員会当日、仙台駅にやってきて新幹線に乗る段階になって、ようやく学術委員会の開催時間(10:30から)と学術大会運営委員会の開催時間(13:00から)を間違えていたことに気付いた。だいたいうちの秘書さんは優秀なので、切符を取るのも出張の日程表を作成するのも秘書さん任せで、作ってくれた日程表に従って僕は行動しているのである。このミスは僕が運営委員会の開催時間と間違えて、秘書さんに仙台から東京の切符を取ってもらったことによる。ともに全くミスに気付かなかった。青くなって大慌てで、10時25分くらいに村井君の携帯電話に連絡する。事情を聞いた村井君も僕以上に青くなったことと思う。学術大会長が第1回学術委員会を欠席するのは前代未聞かもしれない。しかしもうじたばたしても仕方がないので、議長代理を村井君に無理やり押し付けて、僕はまあゆっくり行くしかない。村井君ならなんとかなるだろう。

 実際、第1回学術委員会は、村井君の奮闘でなんとかなったので、よかった。10月19日に第2回の学術委員会が開かれて、ようやく学術委員に学術大会長としての挨拶ができた。たぶん今までで一番遅い挨拶となった。僕として一番ありがたかったのは、学術委員の皆さんが実に様々なアイデアを出してくれたことである。第2回学術委員会でだいたいの企画プログラムとスケジュールを決めることができたが、これはアイデアを出してくれた皆さんのおかげである。第55回大会のポスターは好評である。ポスターだけは良かったとか言われないように、学術プログラムを充実させたい。

 先月、European Committee for Treatment and Research in Multiple Sclerosis (ECTRIMS)に呼ばれて,コペンハーゲンに行った。これは会長のソーレンセンさんを以前に九大で歓待したことがあり、そのお返しの意味もあると感じている。ソーレンセンさんは臨床に強い優れたMS Neurologistである。ECTRIMSは、今年は8000人を越える参加者だったという。一番広い会場での教育講演と座長、そしてやはりその会場でソーレンセンさんが講演される大事なセッションの座長という大役を回された。僕の乏しい英語力でいいんかいなといつも申し訳なく思う。

 実は、ECTRIMS出発の9月29日の前数日間は、第55回学術大会のプログラム作りに追われていた。これはECTRIMSから戻ったらすぐに第2回の学術委員会があるためである。第1回学術委員会後に9月初めまでの締切で、各委員からいただいた90にものぼる様々な企画プログラムの提案を集約し、それを4日間の学術大会プログラムの中に演者や内容の重複なく入れ込んで、前もって学術委員の皆さんに日程表と企画プログラムのタイトル・演者一覧をお送りし、企画プログラムへの了解を得る必要があったのである。そうしないと第2回学術委員会の短い時間の中では結論が出ない。企画プログラムは75の領域に分かれて提案されており、その一つ一つに私からコメントをお返しする必要があった。プログラム案と25ページ(22000字)にも及ぶ学術委員へのコメント集が完成したのは、成田空港である。前日深夜まで教室幹部スタッフやら業者のコングレの福岡支社スタッフとやりとりし、朝一番の午前7時発の福岡空港からの成田行きの便の中でも必死に作業してようやく完成した。これを全学術委員に送ってもらったらOKである。成田からメールでコングレ社にファイルを送ると、ほっと一息。というようなわけでECTRIMSの教育講演の準備も全くしないままヘルシンキへ向かう飛行機に乗った。デンマークへはフィンランドのヘルシンキ経由である。

 とにかく疲れていたから機上でシャンペン、ワインをたらふく飲んで、一眠り。目覚めて、それでは教育講演のスライド作りに取り掛かろうとして、いくら探してもパソコンの電源コードがない。パソコンの電源の残り時間はたったの3時間しかない。やばい、スライドが作れない。もう一瞬で酔いもさめて真っ青になった。昨夜から第55回大会の日程表作りでバタバタしていたものだから、電源コードを持ってくるのを忘れてしまったのである。だいたい30分の英語での講演スライドを作るのに、僕の場合だと、まず半日、最低でも5時間くらいはかかる。10時間くらいパソコンでの作業にかかることもある。とても時間が足りない。日本のパソコンの電源コードがデンマークで手に入るとも思えない。コペンハーゲンのホテルに着いて女房に電話を入れる。日本との時差は7時間なので、日本では朝の5時くらいか。調べてもらうと、クロネコヤマトの宅急便でコペンハーゲンに届くのは、10月3日頃だという。これでは10月2日の教育講演には間に合わない。そこでECTRIMSに出席する佐藤君、山崎君にメールで尋ねて、佐藤君が9月30日の朝の便でデンマークへと出発するとわかり、女房に朝一番に福岡空港に電源コードを佐藤君に届けてもらう。ぎりぎりセーフ。おかげで9月30日の夜には電源コードを受け取れ、教育講演にどうにかスライド作成が間に合った。女房には指示された土産を買った。感謝。

 ECTRIMSの会期中は様々な会議、打ち合わせに出て本当に多忙だった。Presidential Dinnerは、デンマーク料理で、魚料理の味付けが素晴らしかったが、午後11時を回ってもメインディシュがまだ出てこないという超スローペース。明日は科学セッションの座長があるというのにどうすればいいのか。こんな調子で、今回はよれよれになって成田空港に帰り着き、一仕事終わったという感じでホッとする。時差を合わせると4時間近く待ち時間があったので、JALのラウンジでゆっくりする。出発の30分ほど前にゲートに着くと、既に僕の乗る飛行機が出ている。エッーと思って時計を見ると、時差を1時間間違えて合わせているとわかって真っ青になった。飛行機の切符はJALでとっていたが、実際のオペレーションは、ジェットスタージャパンである。そのカウンターに行ってどうしたらいいか尋ねると、新たに3万5千円ほどかけてJAL便の航空券を買うしかない、アナウンスしたけれどいないから、積み込んだトランクを再度おろしたので15分ほども出発が遅れたとすげない返事(当日この便の出発が遅れたのは私のためですね、申し訳ありません)。ラウンジに居ると普通は出発の案内があるはずだけれど、運航がジェットスターだったので、出発のアナウンスがなかったのである。しかたなくよれよれの体で重いトランクを引きずってJALのカウンターに行って交渉することに。JALのカウンターの人は、とても親切でスターフライヤーの方がほぼ同じ時間帯で安いとか教えてくれる。ここでいろいろとやりとりして、可哀想に思ってくれたのか、しょっちゅうJALを利用しているためか、上司の方に話してくれ、無料で再発券してくれて次のJAL便で福岡に戻って来れた。ンーーン、ラッキーだった。ありがたさが身に沁みる。

 この週末は久しぶりに自宅で過ごし、第55回大会のプログラムの完成を図った。学術委員の皆さんのおかげで、今のところは机上のプランだけれど、いいものができた気がする。ところで今週末の日本シリーズの楽天はすばらしかった。エース一人では勝てない。皆で戦うのが大切。学術大会も会長一人では、どんなに頑張ってもできない。教室・同門の皆、学術委員の皆さんに全員参加で企画してもらってやりとげるしかない。いろいろとミスは続くが、だれかかれかに助けてもらって、どうにかやってきているのが、不思議な気がする。自分でできないところは、多くの方に助けていただくのがよいと思う。  

平成25年11月3日
吉良潤一